『藪の中』の紹介
芥川龍之介の小説 『藪の中』。
昼間でも薄暗い『薮の中』で、一体何があったのか。タイトルを読んだだけでも想像力を掻き立てられますね。
ここでは、そんな『薮の中』のあらすじ、解説、感想をまとめました。
『藪の中』のあらすじ
舞台は平安時代。
武弘という男が殺され、その犯人を探るべく、「検非違使(当時の治安維持組織)」による事情聴取が行われます。
第一発見者や目撃者、被疑者や犯人など、事件関係者の供述から物語は構成されています。
全7章の概要を以下に記します。
1.木樵りの物語
第一発見者。男は胸を突かれ、死んでいた。
死体の側には縄と櫛があった。馬はいなかった。
2.旅法師の物語
事件の起きる前日に、男と馬に乗った女を見かけた。
しかし女の顔は見えなかった。
3.放免の物語
男の衣服を着て、弓矢を持ち、馬に乗った盗人多襄丸を捕縛した。
しかし、女は見ていない。
4.媼の物語
殺された男の名前は金沢武弘という若狭の侍で、26歳。
自分の娘・真砂の夫である。
婿のことは諦めても、行方不明の娘の安否が心配だ。
5.多襄丸の白状
男を殺したのは自分だ。
昨日の昼過ぎに夫婦とすれ違い、女の顔に惹かれ、彼女を奪う決意をした。
宝があると嘘をつき、夫婦を誘った。
それから藪の中で男を縛り、女を強姦した。
そのまま立ち去ろうとした自分に女がすがりつき、
「二人の男に恥を見られては生きていけない。夫か、あなたか、どちらか生き残った方についていく」
と言った。
自分は男の縄をほどき、決闘の末に殺害した。その隙に女は逃げてしまった。
6.真砂の懺悔
男に強姦されたあと、夫に駆け寄ろうとしたが男に蹴られて転んだ。
夫の瞳に、私を蔑んだ冷たい光を見た。あまりにもショックで気を失ってしまった。
気がついたときには男は居なくなっていた。
私は夫と一緒に死のうと思い、足元に落ちていた小刀で夫を刺し殺した。
自分も死のうとしたが、死に切れなかった。
7.巫女による、死霊(武弘)の物語
盗人は妻を犯したあと、妻を慰めながら『自分の妻になれ』と言った。
自分は妻に目配せをして、『この男の言葉を真に受けるな』と合図したが、妻はうっとりとした表情で、盗人の妻になることを承諾した。
そして妻は『夫を殺してくれ』と盗人に言った。
すると盗人は妻を蹴り飛ばし、自分に向かって『あの女を殺すか、助けるか、お前が決めろ』と言う。
答えに躊躇し、迷っているうちに妻は逃走し、盗人も縄を切るなり逃げてしまった。
その後自分は、落ちていた小刀で自害した。
意識を失う直前に誰かが来て、胸の小刀を抜いて逃げ去っていった。
『藪の中』ー概要
物語の主人公 | 武弘 |
物語の重要人物 | 武弘、真砂、多襄丸 |
主な舞台 | 山科の駅路より、4、5町ほど離れた藪の中 |
時代背景 | 平安時代 |
作者 | 芥川龍之介 |
『藪の中』の解説
残るモヤモヤに魅力がある
多襄丸、武弘、真砂の三人の供述は明らかに矛盾しています。
果たして、誰が殺したのか、もしくは武弘が自害したというのが真相なのか…。
物語を最後まで読んでも真相は書かれていません。
まるで、最後まで犯人がわからずに終わってしまった推理小説のように、読後はモヤモヤしてしまいます。
この『モヤモヤ』こそが、この小説のキモなのかもしれません。
三人の矛盾した供述をそのままに、あえて真相をぼかしたことで、『誰が殺したか?』ではなく、『武弘を死に至らしめたものは何だったのだろう?』という考えになっていきます。
死の真相が重要ではなく、答えを読者に委ねているような感覚になるところが、この小説の素晴らしい点なのではないでしょうか?
真砂という女性を通して見た物語の真相
真砂という女性の告白と、二人の男それぞれの告白は、全く違うことになっています。
この小説の真相がはっきりしないのは、真砂の言動が振り回しているせいだと言えるかもしれませんね。
多襄丸の話では、真砂は
二人の男に恥を見せるのは、死ぬよりも辛い。だからどちらか一人、生き残った方と連れ添いたい
といいます。
「どちらか生き残った方と生きる選択をする」というのは、とても動物的な思考です。
野生動物なら、強い遺伝子を残すために行う、必然的な選択といえますよね。
そして自分自身の懺悔では、武弘に対して
「こうなった以上はあなたと一緒にいられない。私は一思いに死ぬから、あなたも死んでください。」
と言っています。
これは、恥を見られた真砂の『プライド』を守ろうとする心理が言わせた、とも取れるでしょう。
一方で、武弘の死霊は、真砂が多襄丸に対して以下のように言ったと話しています。
「あの人を殺してください。あの人が生きていては、私はあなたと一緒になることが出来ません」
武弘はその言葉を聞いて憎しみに燃え、そして絶望の彼方で自害するのです。
要するに、多襄丸と一緒になるために邪魔者の武弘を殺してほしい、ということであり、ずいぶん利己的な様子が読み取れます。
また、真砂は武弘に蔑んだ眼で見られた、と話していますが、武弘は真砂に『男の言葉を真に受けるな』と目配せした、と話しています。
もしかしたら、真砂が蔑んだ目で見られたと思い込んだのかもしれません。
このように、一人の『真砂』という女性は、
- 動物的で
- プライドがあり
- 思い込みが激しく
- 利己的な
人物として、人の見方次第で変わる三面鏡のように描かれています。
ここには、作者である芥川龍之介の、女性に対するある思いが起因かもしれません。
実は芥川が生涯不可解だと感じていたのは、女性だったようです。
芥川は女性に関して、
「あの気味の悪い荘厳は、果たして像だけから生まれるであろうか」
という言葉も残したようです。
気味の悪い荘厳とはどういうことでしょうか?
それはおそらく、
外見は美しく純真無垢な女性に見えるのに、内包しているものが動物的な欲であったり、利己的な残酷さであったり。
そういったものが、芥川にとっては不気味に感じられたのではないかと思います。
真砂に描かれた女性の不可解さ。
これこそが本作品『藪の中』のテーマであるとすれば、結末や真相がはっきりとわからない、というのも頷けます。
なぜなら、芥川自身が、女性そのものを不可解だと感じていたからです。
男性から見て、女性ほど理解に苦しむものはありません。
真砂を例に取れば、
- どちらか生き残った方と連れ添うと言ってみたり
- 自分も死ぬからあなたも死んでほしいと言ってみたり
- あなたと一緒になりたいから邪魔者を殺してほしい
と言ってみたり…。
どれが本意なのか、芥川でなくてもわかりません。
藪の中にある、女性の不可解な心理。
これがわからないからこそ、面白いとも言えます。
この小説の真相は、「わからない」というままにしておくのが、ある意味正解なのかもしれません。
『藪の中』の感想
真相は藪の中
男性から見て、女性の心理というのはまさしく藪の中です。
時々ちらりと見えるようで、はっきりとは見えない。
そんな女性の不可解さをも描いたのが、本作品ではないでしょうか。
数々の名作を残した大文豪でさえ、最後まで理解できなかった女性という生き物。
『藪の中』の真相が最後までわからないのは、女性というものの多面性や不可解さを描きたかったからなのかもしれません。
また、タイトルである『藪の中』が示すように、人間という生き物は、心の中に他人には覗くことのできない『藪』を抱えています。
その中で、いろいろな感情や心理を理由に、他人を殺したり、自分を殺して生きているというようなことも、作者である芥川龍之介が伝えたかったことの一つかもしれません。
『真相は藪の中』という言葉はこの小説がもとで出来た言葉だそうですが、まさにその通りですね。
本当の真相は、私たちの心の『藪の中』にあるのかもしれません。
以上、芥川龍之介『藪の中』のあらすじ・解説・感想でした。