『邪宗門』の紹介
『邪宗門』は芥川龍之介の中編小説で、『地獄変』と同じ語り手によって物語が進んでいきます。
読んでみて驚かれる方が多いかと思いますが、実はこの作品、未完成のまま終わってしまっているのです。
ここでは、そんな『邪宗門』あらすじ・解説・感想までをまとめてみました。
『邪宗門』-あらすじ
地獄変の屏風の由来を語った後の「私」は、堀川の大殿様の子である若殿様の生涯で起こった不思議な出来事を語り始めます。
若殿様は、容姿も性格も大殿様と全く似ていませんでした。
若殿様は、繊細で優雅で、詩歌管弦を好んでいました。
笙の楽譜をめぐって大殿様との間に亀裂が生じてからは、大殿様を莫迦にしたような態度をとるようになりました。
このようなわけで大殿様が御薨去になったときも、若殿様は一切の動揺を見せませんでした。
若殿様が御家督をとってから、屋敷の中は今までにないのどかな雰囲気に包まれました。
大殿様が御隠れになってから数年経った頃、若殿様は中御門の少納言の娘に繁々と文を送っていました。
ちょうどその頃、洛中に怪しげな沙門が現れたのです。
沙門は今までに聞いたことのない「摩利の教え」というものを説いてまわっていました。
沙門は圧倒的な強さと不思議な力で信者を増やしていったのです。
あるとき、阿弥陀堂建立の供養に沙門が乱入してきました。
沙門はそこに参加していた僧たちを挑発し、力比べを始めます。
横川の僧都が闘いに応じましたが、激闘の末敗北してしまいました。
沙門が「天上皇帝の御威徳を目のあたりに試みられい。」というと、庭に降りてきたのは他の誰でもない堀川の若殿様でした。
『地獄変』概要
主人公 | 堀川の若殿様 |
重要人物 | 私、私の甥、沙門、平太夫、中御門の少納言の娘(御姫様) |
主な舞台 | 堀川の若殿様の御邸 |
時代背景 | 平安時代 |
作者 | 芥川龍之介 |
『邪宗門』―解説(考察)
・大殿様と若殿様の対比
まずは、この作品の主人公である若殿様の人間性について考察していきたいと思います。
若殿様の人間性を読み解いていく上で欠かせないのが、『地獄変』にも登場した若殿様の父親、堀川の大殿様の存在です。
『地獄変』と同じ語り手によって『邪宗門』は進んでいますが、この語り手「私」は、大殿様が生きていた頃の若殿様の様子も含めて作中で説明しています。
その際、若殿様と大殿様の対照性を強調しているのです。
ここでは、堀川の若殿様と大殿様の対比について解説していきます。
作中で堀川の大殿様が登場するのは、第1章から第4章です。
第1章で容姿について触れられている箇所を、以下にまとめました。
容姿
・大兵肥満、神将のよう。
若殿様
・中背、痩せすぎ、男らしい。
次に、気性について触れられている箇所を、以下にまとめました。
気性
大殿様
・豪快、雄大、人を驚かさなければ気が済まない。
・武張ったことを好む。
若殿様
・繊細で、優雅な趣がある。
・詩歌管弦を好む。
このように、わかりやすい対照設定が描かれており、これだけを見れば誰もが若殿様に良い印象を持つのではないでしょうか。
若殿様は笙(楽器)を好んでおり、遠縁の従兄弟である中御門の少納言に弟子入りしていました。
そのなかで若殿様は「大食調入食調」の伝授を望みましたが、少納言はそれに応じませんでした。
そして、若殿様はこの一連の流れを大殿様に不満げに漏らしてしまいます。
それから半月も経たないうちに堀川の屋敷で宴が行われました。
そして、その宴に参加した少納言は帰りの道中に吐血し、そのまま亡くなってしまったのです。
明くる日、若殿様の机には大食調入食調の譜が置いてあったというのです。
文中に詳細は書かれていませんが、大殿様が「大食調入食調」を手に入れるために少納言を殺害したと考えるのが妥当でしょう。
『地獄変』の様子から考えても、大殿様なら殺人を犯すことは容易に想像できます。
そして、若殿様ももちろん、大殿様の気性をよく知っていました。
若殿様は、芸術に優れた者を身分の差に関係なく評価する人物です。
笙の師匠である中御門の少納言が父親によって殺害されたと悟った彼は、笙を辞め、大殿様に軽蔑の念を抱きます。
口が達者な若殿様は、大殿様を嘲り、鋭い批判を向けるようになりました。そうして、親子の関係は冷え切っていくのです。
このようなわけで、若殿様は大殿様が御薨去になったときも動揺せずに、じっと枕元に座っていることが出来たのです。
先にまとめたとおり、若殿様と大殿様の気性は対照的に描かれています。
私利私欲に溺れて非道な行いをする大殿様を軽蔑している若殿様ですが、彼自身も自分の評価基準で他人への対応を変えています。
自分の師を殺害された事による恨みといえば正当性を感じることも出来ますが、死に際まで父親に冷たい態度をとる様子から、かなりの執念深さを感じざるを得ません。
そして、その執念深さは恋愛に於いても十分に発揮されています。
次は、若殿様の恋愛事情についてみていきましょう。
・若殿様と中御門の御姫様
若殿様は中御門の御姫様に想いを寄せていたようです。
彼女は、洛中でも評判の美しい女性でした。
若殿様は中御門の御姫様に繁々と手紙を送っていましたが、その手紙が御姫様のもとに届くことはありませんでした。
なぜなら、御姫様のもとに手紙を遣わせても、中御門の平太夫が御門をあけてくれることは少なく、もとより御姫様が若殿様を相手にしていなかったからです。
しかし、あることがきっかけで若殿様は御姫様と親しくなるのです。
作中の第13章で、若殿様が他の女房のもとにお忍びになった帰り道の様子が描かれています。
目立たぬよう少人数を従えて車に乗っていた若殿様のもとに、6・7人の盗人が襲いかかってきました。
よく見るとその盗人のなかには、あの平太夫がいたのです。
どうやら平太夫は、堀川の大殿様に殺害されたと思われる中御門の少納言の仇を討ちに来たようでした。
太刀を突きつけられた若殿様は、ある提案をもちかけます。
少し長いですが、以下に引用します。
「予を殺害した暁には、その方どもはことごとく検非違使の目にかかり次第、極刑に行わるべき奴ばらじゃ。元よりそれも少納言殿の御内のものなら、己が忠義に捨つる命じゃによって、定めて本望に相違はあるまい。が、さもないものがこの中にあって、わずかばかりの金銀が欲しさに、予が身を白刃に向けるとすれば、そやつは二つとない大事な命を、その褒美と換えようず阿呆ものじゃ。何とそう云う道理ではあるまいか。」
「(前略)その方どもが予を殺害しようとするのは、全く金銀が欲しさにする仕事であろうな。さて金銀が欲しいとあれば、予はその方どもに何なりと望み次第の褒美を取らすであろう。が、その代り予の方にもまた頼みがある。何と、同じ金銀のためにする事なら、褒美の多い予の方に味方して、利得を計ったがよいではないか。」
この言葉を聞いた盗人たちは、平太夫を裏切って若殿様に翻りました。そして、若殿様の「頼み」通り、平太夫を縛り上げて御屋形まで引きずってきたのです。中御門の御姫様に想いを寄せていた若殿様は、このチャンスを逃しません。平太夫に「罪を許してやるから、中御門の御姫様に手紙を届けてくれないか」
このように頼むのです。
このときの若殿様の口調は、優しいことばで書かれています。
しかし、やっていることはかなり脅迫じみた行為です。
殺人は犯さずとも、私利私欲を満たすために強引な手を使うあたりは、父親である大殿様に似ているかもしれません。
そして見事に中御門の御姫様と懇意になることができたのですが、若殿様自身は恋愛のことを語り手「私」に対して以下のように語っています。
「爺よ。天が下は広しと云え、あの頃の予が夢中になって、拙たない歌や詩を作ったのは皆、恋がさせた業じゃ。思えば狐の塚を踏んで、物に狂うたのも同然じゃな。」
あれだけ夢中になった恋愛を、自虐のように語るのです。
中御門の御姫様と何があったのかは作中に描かれていませんが、この発言を見るとふたりの恋愛はうまくいかなかったのだと予想できます。
若殿様の執着心は、一時的なものだったのでしょう。
〇『邪宗門』の感想
・「私」に支配される物語
『邪宗門』の第1章で語り手の「私」は、「今度は若殿様の御生涯で、たった一度の不思議な出来事を御話し致そうかと存じて居ります。」と語っています。
この文章から、誰もが物語の主人公は堀川の若殿様であると仮定し、物語を読み進めていくと思います。
しかし、若殿様の活躍が描かれているのは、大殿様への批判と平太夫の拘束の場面くらいでした。
肝心の法力対決の直前で物語は終わってしまっているので、若殿様の本当のみどころは作中に存在していないのです。
そのかわりに目立っているのが、語り手「私」の甥である人物です。
「私」の甥は、詩歌で若殿様に認められ、沙門殺害に挑み、平太夫と沙門の怪しい関係に気付く重要人物として作中で描かれています。
物語が未完ゆえに、この先の展開がわからないので一概には言えませんが、『地獄変』の語り手がこの『邪宗門』にまで登場していることを考えると、なんらかの意味があるのではないかと思えます。
「私」は『地獄変』において、信用できない語り手として解釈されることが多いです。
「私」の語りに頼って進む『邪宗門』も、『地獄変』と同じように「私」のもつ価値観や偏見が介入しているでしょう。
「私」の甥の活躍が目立つのは「私」の仕業だと考えると、なんだか面白いですよね。
・未完の作品と向き合う
『邪宗門』は未完の作品ですので、作中には多くの謎が残されたままになっています。
特に、物語の重要人物である沙門は、謎が多く残ります。
沙門は洛中に怪しい教えを広めているようですが、その教えというのが、「天上皇帝の教えに従うのは辞めなさい」というものでした。
人々が簡単に天上皇帝を裏切るとは思えませんが、沙門はそれを実現する力を持っていました。
洛中を支配する信仰を取り払い、自分の信者に変えてしまうその不思議な力は、時には民を癒し、時には民を傷つけます。
最終章で沙門は横川の僧都と闘います。
この戦闘シーンでは、横川の僧都も不思議な力を発揮し、どちらが勝つのかわからない展開になっていました。
しかし、沙門は圧倒的な強さを見せつけ、見事勝利をおさめます。
さらに強い相手を求めた沙門のまえに現れたのは、ほかでもない堀川の若殿様でした。
若殿様が法力を持っているという設定は作中で描かれていません。
このまま沙門と闘うことになれば、若殿様が勝利する可能性は低かったのではないでしょうか。
例え口が達者であろうとも、沙門の人間離れした力には対抗できません。
芥川龍之介は、『邪宗門』の結末をどのように考えていたのでしょうか。
答えはだれにもわかりません。体調不良での未完、結末に行き詰まり未完・・・さまざまな説があります。
読者であるわたしたちが「未完」の作品に向き合うことは、極めて困難で、無意味なことのようにも感じてしまいます。
以上、『邪宗門』のあらすじと考察と感想でした。