夢野久作『瓶詰の地獄』あらすじ&解説!3通の手紙はどの順番か?

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夢野久作『瓶詰の地獄』あらすじ&解説!3通の手紙はどの順番か?

『瓶詰の地獄』の紹介

『瓶詰の地獄』は夢野久作の作品です。

この作品は書簡体の形式が取られており、閉鎖的な環境で生活を共にする兄と妹の性的葛藤が描かれています。

ここでは、そんな『瓶詰の地獄』のあらすじ・解説・感想までをまとめました。

『瓶詰の地獄』-あらすじ

海洋研究所に、××島村役場から瓶詰の手紙が3通届きました。どうやらその手紙は、××島の南岸に流れ着いたものらしいのです。

それぞれの手紙の内容は以下のようなものでした。

◇第一の瓶の内容

「島に助けがやってきました。お父様やお母様たちはきっと、わたしたちが最初に出した手紙を見て助けに来てくれたんでしょう。

しかし、わたしたち二人はシッカリと抱き合ったまま、海に身を投げなければなりません。

神様からも人間からも救われ得ぬ 哀しき二人より」

◇第二の瓶の内容

「私がアヤ子と二人でこの島に漂着してから、もう10年くらい経っているような気がします。

幸いにも島には天敵もいませんし、食べ物は豊富にありましたから、私達は幸せでした。

しかし、たった二人の幸福の中に悪魔が忍び寄ってきたとき、私はアヤ子の肉体をみるとなぜか胸が高鳴りました。

次第にアヤ子の態度も以前とは違ったようになってきて、互いにそれをわかっていながら何もいわない日が続きました。

明日にでも悪魔の誘惑に負けることがありませんように。

この美しい島はもうスッカリ地獄です。

―太郎記す・・・・・・」

◇第三の瓶の内容

「オ父サマ、オ母サマ。ハヤク、タスケニ、キテクダサイ。

市川太郎 イチカワアヤコ」

『瓶詰の地獄』-概要

主人公 市川太郎、イチカワアヤコ
重要人物 お父様、お母様、海洋研究所
主な舞台 離れ島
時代背景 近代
作者 夢野久作

『瓶詰の地獄』-解説(考察)

・乱れる時間軸

この作品の最大の特徴は、時間軸を捉えることができない構造です。

作中での手紙の順番は「第一の瓶」→「第二の瓶」→「第三の瓶」ですが、日付が書かれていないことから、兄妹がそれぞれの手紙をどの順番で書いたのかわかりません。

作品を解釈する上で非常に重要な要素となるこの疑問について、さまざまな説が存在しています。

果たして3つの手紙は、どの順番で書かれたのでしょうか。

結論からいうと、兄妹の手紙は「第三の瓶」→「第二の瓶」→「第一の瓶」の順番で書かれたのだと考えられます。

まず注目すべき点は、「第三の瓶」だけ表記が漢字とカタカナであるという点です。

「第一の瓶」と「第二の瓶」は非常に感情的で臨場感溢れる文章が特徴ですが、「第三の瓶」はただ助けを求めるだけの内容で、簡単な漢字以外はカタカナで表記されています。

「第二の瓶の内容」に、

  • 島に漂着した当時、太郎は11歳でアヤ子は7歳
  • 島に漂着してからもう10年くらい経ったような気がする
  • 太郎はアヤ子に聖書の言葉や字の書き方を教えていた

などの記述があることから、「第三の瓶」を海に投げたときから「第二の瓶」を海に投げたときまでにかなり長い時間が経過していることがわかります。

太郎は偶然持ち合わせていた新約聖書を読み、長い時間の中で語彙を習得していったのでしょう。

また、「第一の瓶」に「私達が一番はじめに出した、ビール瓶の手紙を御覧になって、助けに来て下すったに違いありませぬ。」とあります。

後で詳しく述べますが、兄妹が助けを求めている手紙は「第三の瓶の内容」のみであることから、「第三の瓶」は島に漂着した当時いちばん最初に書かれたものであることが分かります。

次に注目すべきは、兄妹の生きる意志が手紙から読み取ることが出来るか否かという点です。

「第三の瓶の内容」は、「ハヤク、タスケニ、キテクダサイ」と記されていることから、兄妹の生きる意志を感じ取ることができます。

しかし、「第二の瓶の内容」には「神様。神様。あなたはなぜ私達二人を、一思いに虐殺して下さらないのですか・・・・・・。」という表記があることから、生きる意志を感じ取ることができません。

加えて「第一の瓶の内容」では島に助けが来たにもかかわらず、「ああ。さようなら。」と記されていることで、この手紙が遺書のような役割を果たしています。

「第一の瓶の内容」からは生きる意志どころか、命を捨てようとする意志が感じられるのです。

つまり、それぞれの手紙が書かれた順番とその内容は以下のようになります。

書かれた順番 内容
第一の瓶の内容 自分たちが犯した罪への償い
第二の瓶の内容 近親相姦の葛藤に苦しむあまり、神様からの虐殺を望む
第三の瓶の内容 純粋に島からの脱出を望む

夢野久作は時間軸を逆流させることで、後戻りできない近親相姦という罪の重みや、兄妹にのしかかる後悔と懺悔をより強く表現したかったのだと思います。

・聖書が保つ兄妹の均衡

島に流れ着いた兄妹が持ち合わせていた物の中に、小さな新約聖書があります。

兄妹は島に漂着したときから神様に助けを求め、祈り、そして神の前で潔白でいようとしていました。

ふたりはこの聖書にすがることで正気を保ち、生きる希望を持ち続けていたと考えられます。

聖書の存在がふたりの生活を支えていたわけですが、「第二の瓶」で太郎が聖書を燃やしたことで、兄妹の身に何が起きてしまったのでしょうか。

太郎が聖書を燃やすきっかけになったできごとは、太郎がアヤ子を異性として認識したこと、そして、アヤ子も自分のことを異性として認識していることを知ってしまったことです。

太郎は心に忍び込んでくる悪魔を振り払うことが出来ず、救助の目印となるヤシの枯葉を思い切り倒してしまいました。

そして聖書を火の中に投げ入れ、アヤ子の名前を呼びます。

この時点で太郎は神様の目を欺き、近親相姦という罪を犯そうと決心したのだと思います。

しかし、アヤ子の姿は海に突き出した岬の岩の上にありました。

太郎は暫くアヤ子の背中に見とれていましたが、ふとアヤ子の決心に気付いてしまったのです。

アヤ子の決心というのは、恐らく自殺のことでしょう。

アヤ子は、神の教えに背いて汚い心を持ってしまったことに耐えることが出来ず、自殺を図ろうとしたのです。

太郎は間一髪のところでアヤ子を小舎まで連れて帰ることが出来ましたが、それからふたりは抱き合って慰め合ったり、励ましあったり、祈り悲しむことはおろか、同じ所に寝ることさえできない心もちになってしまいました。

「それは、おおかた、私が聖書を焼いた罰なのでしょう。」と太郎は記しています。

兄妹という関係を保ってくれていた唯一の存在である聖書がなくなってしまった以上、人間の目も神様の目も届かないこの島で、太郎とアヤ子の欲求を抑えるものはありません。

太郎が聖書を捨てたとき、この離れ島でふたりが罪を犯す環境が整ってしまったのです。

・意味をなさない懺悔の手紙

「第一の瓶の内容」の末尾には「お父様 お母様 皆々様」と宛名が書かれているので、この手紙が兄妹の父母と水夫や救助に来てくれたひとに向けたものであることがわかります。

しかし、この瓶詰の手紙が「お父様 お母様 皆々様」に届くことはありませんでした。

「第一の瓶」をはじめ全ての手紙が、××村役場の人の手によって海洋研究所へ送られたことが冒頭で明かされています。

単に3通の手紙の内容を連ねるだけでなく、××村役場や海洋研究所を冒頭に登場させた意図はいったい何なのでしょうか。

結論から言うと、兄妹の償いが無意味なものであるということを読者に示す意図があったと思われます。

「第一の瓶の内容」に「私達が一番はじめに出した、ビール瓶の手紙を御覧になって、助けに来て下すったに違いありませぬ。」とありますが、この手紙=「第三の瓶」はほかの手紙と同様に海洋研究所に届けられており、両親が「第三の瓶」を読んでいないことは明らかです。

また、太郎は海に身を投げた後で「この手紙を詰めたビール瓶が一本浮いているのを、ボートに乗っている人々が見つけて、拾い上げて下さるでしょう。」と期待していたようですが、この「第一の瓶」も海洋研究所に届けられていることから、両親に読まれることはなかったことが明らかです。

つまり、太郎が両親に助けを求めたことも、罪を告白したことも、罪を償おうとしたことも、すべて太郎の自己満足でしかなかったということなのです。

『瓶詰の地獄』-感想

・幼い二人の生き抜く力

わたしは、幼い兄妹のサバイバル能力の高さに疑問を持ちました。

先述した通り「第二の瓶の内容」によると、島に漂着した当時太郎の年齢は11歳でアヤ子は7歳です。

いくら島が安全で食料が豊富だとしても、ムシメガネで火をおこし、衣服や寝床を作って数年間生き延びることは不可能なのでは?と思ってしまいます。

しかし、この兄妹はうまく環境に適応していて、挙げ句の果てには、手紙に「この島は天国のようでした。」などと記されています。

「この島は天国のようでした。」とはいうものの、両親への手紙を瓶に詰めて何度も接吻し海に投げ入れる行為は、やはり島から脱出したいというのが本心だったのでしょう。

幼い二人の生き抜く力について少々疑問点も残りますが、お互いを異性として意識するまではただ生きることに必死で、本来持ち合わせている力以上のものが発揮されたのかもしれません。

煩悩に支配されず本能的に生きていたころ、生きることに適したこの島は、ふたりにとってほんとうに「天国」だったのかもしれませんね。

・救いの船は二人の妄想?

『瓶詰の地獄』において、「第一の瓶の内容」に登場する「救いの船」は二人の妄想だったのではないか?という説が存在します。

太郎が手紙に記した内容が真実だとすると、島に流れ着いてから10年くらい経っており、その間に3通の手紙を海に投げたことになっています。

しかし、××島に流れ着いた3通の手紙は村人によってほぼ同時期に回収されたようです。

この矛盾点から、「救いの船」は二人の妄想なのではないか?という説が生まれました。

たしかに、幼いこどもが無人島に漂着して必死に生き延びたのですから、幻覚をみてもおかしくない精神状態に陥っている可能性はあります。

島に流れ着いてから10年くらい経った気がする・・・というのも、島であまりにも不安定な時間を過ごした太郎の思い違いかもしれません。

二人が聖書を読んで祈り、字を学習したのも、妄想である可能性は捨て去れません。

もっといえば、この手紙すべてが妄想であった可能性も捨て去れないのです。

なぜなら、この『瓶詰の地獄』で描かれるできごとの真実を知っているのは、太郎とアヤ子だけだからです。

わたしたち読者は、太郎とアヤ子の本物か偽物かもわからない「瓶詰の手紙」から様々なことを読み取り、解釈するほかありません。

太郎とアヤ子が書いた「瓶詰の手紙」の中でしか思考を張り巡らすことができないわたしたちも、二人と同じように『瓶詰の地獄』の中にいるのかもしれませんね。

以上、『瓶詰の地獄』のあらすじと考察と感想でした。

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