森鷗外『雁』あらすじから作品構造の解説まで!

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森鷗外『雁』あらすじから作品構造の解説まで!

『雁』の紹介

『雁』は、1911年(明治44年)9月から1913年(大正2年)5月まで文学誌「スバル」に連載された森鷗外の長編小説です。

1915年(大正4年)に単行本として刊行されています。

明治23年、有名な『舞姫』を発表した鷗外ですが、明治24年以降、その文筆活動は休止に近い状況にありました。

明治42年以降、鷗外は旺盛な文筆活動を再開しますが、この活動期—所謂、鷗外の〈豊熟の時代〉—の代表作の一つと評される作品が『雁』です。

ここでは、そんな『雁』のあらすじ・解説・感想までをまとめました。

『雁』—あらすじ

明治13年、医科大学に通う「僕」は、下宿の隣人・岡田と親しくなります。

夕食後に必ず散歩に出る岡田は、その年の九月頃、無縁坂にある寂しい家に、一人の湯帰りの女が這入るのを目にします。

お玉というその女は、高利貸の末造の妾でした。

お玉は、岡田に親しみを覚え、岡田が通りがかるのを心待ちにするようになり、しだいにどうにかして岡田に近寄りたいと考えるようになります。

その年の冬、末造が用事で二、三日不在にすることを聞いたお玉は、その間に岡田へ自らの想いを伝えようと決心します。

お玉が決心したその日、下宿の賄いに鯖の味噌煮が出ました。

鯖の味噌煮が嫌いな「僕」は、岡田を牛鍋屋に誘います。

「僕」と岡田が不忍池にかかる橋を渡っていくと、そこでは、同じ大学に通う石原が雁を捕えようと石を投げていました。

雁を可哀想に思い、逃がしてやろうと岡田が投げた石は、一羽の雁を撃ち落としてしまいます。

雁を持ち帰る三人が無縁坂を通ると、お玉が家の前で待っていましたが、岡田が一人ではなかったことから、お玉は岡田に声を掛けられませんでした。

洋行が決まっていた岡田は、翌日には下宿を発ち、お玉が想いを伝える機会は永遠にありませんでした。

『雁』—概要

主人公

「僕」:語り手。医科大学に通う学生。

重要人物

岡田:「僕」の下宿先の隣人。「僕」の一学年下の学生。ボートレースの選手で美男。

お玉:未造の妾。

末造:高利貸の男。既婚者。

主な舞台

東京

時代背景

明治初期

35年前の出来事を語り手の「僕」が振り返って書く、という作品構造。作品の中心的出来事である岡田とお玉の交流は、明治139月から同年冬の間の出来事。

作者

森鷗外

『雁』―解説(考察)

妾制度とは

『雁』のヒロイン・お玉は、高利貸・末造の妾です。

現代ではあまり耳馴染みのない「妾」ですが、これを簡潔に説明すると、

妾=正妻のほかに養う女性。経済的な援助を伴う愛人

と、まとめることができます。

住環境などの経済的な援助を伴っていること、正妻の承認があることなどから、不倫とは異なります。

明治初期、妾制度は法的に認められており(明治3年制定『新律綱領』)、妾は正妻と同等の二親等として定められていました。

明治31年、民法に重婚禁止規定が設けられ、一夫一婦制が確立されたことで、妾制度は廃止されましたが、ほんの百年余り前まで、一夫多妻婚は日本にも存在していたのです。

『雁』で描かれた明治13年は、妾が公認であった時代と言えるでしょう。

ちなみに、余談になりますが、作者・森鷗外にも妾は存在していました。

明治23年に一人目の妻・赤松登志子と離婚した鷗外は、実母・森峰子が見定めた一人の女性を妾として囲います。

彼女は、鷗外より五歳下の女性で、名を児玉せきと言いました。

鷗外の妾・児玉せきの存在については、一人目の妻・赤松登志子との間に生まれた鷗外の長男・森於菟が残した記録にも記述が見られます。

さて、ここにようやく本題に入る問題の人、明治調でいうなら「鷗外かくし妻」の名は児玉せき女ですでに現存せず、その血縁の人もわからない。

森於菟,『父親としての森鷗外』,筑摩書房,1993,243頁

私が「おせきさん」を見かけたのは、父が初めの結婚に失敗して後、第二の結婚生活に入る間のことであり、自然の生理的必要に対する解決のために契約したので、それもやはり祖母が父のためにすすめたのがおもな動機として考える。

森於菟,『父親としての森鷗外』,筑摩書房,1993,255頁

ところで、『雁』のお玉も、児玉せきも、共通して名前に「玉」という漢字が入っています。

これだけの理由で、お玉のモデルが児玉せきだと決めつけるのは飛躍が過ぎますが、児玉せきの存在がお玉の人物設定に何かしら影響を与えていた可能性は否定できないでしょう。

高利貸のイメージ

末造を実業家だと思っていたお玉は、ある時、肴屋から「高利貸の妾なんぞに賣る肴はない」と言われたことがきっかけで、末造の本当の職業を知ります。

高利貸とは、高い利息を設定して融資を行う者を指す言葉です。

お玉は、高利貸のことを「厭なもの、こはいもの、世間の人に嫌はれるもの」と認識しており、高利貸の妾になったことに大変なショックを受けます。

自分が人に騙されて棄てられたと思つた時、お玉は始て悔やしいと云つた。それかたたつた此間妾と云ふものにならなくてはならぬ事になつた時、又悔やしいを繰り返した。今はそれが只妾と云ふ丈でなくて、人の嫌ふ高利貸の妾でさへあつたと知つて、きのふけふ「時間」の歯で咬まれて角が刓れ、「あきらめ」の水で洗はれて色の褪めた「悔やしさ」が、再びはつきりした輪郭、強い色彩をして、お玉の心の目に現はれた。

森鷗外,『森鷗外全集第二巻』,筑摩書房,1971,23頁

そもそも、明治の高利貸のイメージはどのようなものであったか?

高利貸が登場する有名な作品に、尾崎紅葉の『金色夜叉』(明治30年~明治35年、読売新聞に連載)という小説があります。

許嫁への復讐のため、高利貸になった間貫一を巡る物語ですが、この作品からは、明治期の高利貸への世間の印象を読み取ることができます。

それで、高利貸のやうな残刻の甚しい、殆ど人を殺す程の度胸を要する事を毎日扱つて、而して感情を暴して居なければ迚も堪へられんので、發狂者には適當の商賣です。

尾崎紅葉,『日本現代文學全集5 尾崎紅葉集』,講談社,1963,238頁

「まあ!高等中學にも居た人が何だつて高利貸などに成つたのでございませう。」

尾崎紅葉,『日本現代文學全集5 尾崎紅葉集』,講談社,1963,257頁

「然し、君も今日では畜生ぢやが、高利貸などは人の心は有つちや居らん、人の心が無けりや畜生じや。」

尾崎紅葉,『日本現代文學全集5 尾崎紅葉集』,講談社,1963,319頁

『金色夜叉』の描写からは、高利貸が、残酷で下等な職業として見られていたということが窺えます。

また、明治時代、高利貸には「アイス」という俗称もありました。

「高利貸し」と「氷菓子」の言葉遊びに由来しているようですが、アイスの冷たい印象が、高利貸の冷血な印象とも重なって広まったようです。

現代でも、消費者金融など高金利で融資を行う業者は存在しますが、明治時代における高利貸へのネガティブイメージはその比ではなかったということでしょう。

これらを踏まえて『雁』を読むと、お玉が抱いたショックの大きさが、より明確に感じられてくるようです。

『雁』の作品構造

『雁』の作品構造には、ある特徴が見られます。

『雁』⇒二つの物語が重なる重層的構造の作品

『雁』は、大きく分けて〈岡田とお玉の物語〉と〈末造とお玉の物語〉の二つで構成されています。

『雁』は、〈岡田とお玉の物語〉→〈末造とお玉の物語〉→〈岡田とお玉の物語〉という順番で展開していきます。

しかし、〈末造とお玉の物語〉は、岡田とお玉が見知り合う以前の話が主軸となっており、展開の順番は、小説内の世界の時間的経過とは異なります。

語り手の「僕」は、最終章の中で、『雁』という小説を次のように説明しています。

僕は今此物語を書いてしまつて、指を折つて數へて見ると、もう其時から三十五年を経過してゐる。物語の一半は、親しく岡田に交つてゐて見たのだが、他の一半は、岡田が去つた後に、圖らずもお玉と相識になつて聞いたのである。譬へば實體鏡の下にある左右二枚の圖を、一の影像として視るやうに、前に見た事と後に聞いた事とを、照らし合せて作つたのが此物語である。

森鷗外,『森鷗外全集第二巻』,筑摩書房,1971,68頁

このように、語り手の「僕」を軸として、二つの物語を重ね合わせ、一つの作品にしたものが『雁』という作品なのです。

鷗外の初期の作品『舞姫』は、主人公の太田豊太郎が、帰国途上の船中で留学中の出来事の概略を綴る、所謂額縁構造の小説です。

「古い話である。」という一文から始まり、語り手の「僕」が35年前の出来事を綴っていく『雁』もまた、『舞姫』と似た構造に見えます。

しかし、複数の物語が重層的に描かれている『雁』では、作品により一層の広がりが感じられます。

『雁』の作品構造に見られる重層性は、作品に広がりや奥行きを持たせ、登場人物の心理や運命の機微をより鮮明に写し出すための仕掛けの一つであるようにも思われます。

『雁』―感想

愛の成就を妨げたのは「鯖の味噌煮」?

『雁』の語り手である「僕」は、お玉の愛の告白を阻んだ要因について、次のように結論づけています。

西洋の子供の讀む本に、釘一本と云ふ話がある。僕は好く記憶してゐるが、なんでも車の輪の釘が一本抜けてゐたために、それに乗って出た百姓の息子が種々の難儀に出會ふと云ふ筋であつた。僕のし掛けた此話では、靑魚の末醤煮が丁度釘一本と同じ効果をなすのである。

森鷗外,『森鷗外全集第二巻』,筑摩書房,1971,60頁

一本の釘から大事件が生ずるやうに、靑魚の煮肴が上條の夕食の饌に上つたために、岡田とお玉とは永遠に相見ることを得ずにしまつた。

森鷗外,『森鷗外全集第二巻』,筑摩書房,1971,68頁

岡田とお玉が相見る機会を喪失したのは、岡田が一人きりではなかったためにお玉が告白を断念したからであり、岡田が一人きりではなかったのは、下宿の夕食に「僕」が嫌いな鯖の味噌煮が出てきたから…。

すなわち、語り手の「僕」は、"岡田とお玉が相見ることを阻害した要因は、鯖の味噌煮である"という見解を述べているのです。

しかし、これは本当に正しい見方と言えるのでしょうか。

私は、鯖の味噌煮が原因で、岡田とお玉が相見る機会を喪失したわけではないと思います。

より正確に言えば、そもそも岡田とお玉の間に愛が成就する可能性は皆無で、鯖の味噌煮が出ようが出まいが、結果は変わらなかったと思うのです。

医科大学に通い、在学中に洋行が決まっていた岡田は、言わばエリート中のエリート。

下町に生き、妾制度という封建的な世界からの救いを求めるお玉とは、あまりに対照的な存在です。

出自も、学歴も、生きる社会的階層も何もかも異なる岡田とお玉は、そもそも縁がなさすぎて、岡田攻略ルートがまるで想像できません。

岡田にお玉とどうこうなりたいという意欲があったようにも見えませんし、鯖の味噌煮が愛の成就を阻害したという見方は、あくまで「僕」の主観と言えるでしょう。

語り手の存在なくして『雁』は成立しない作品ですが、語り手もまた、登場人物の内の一人であり、客観的な真実のみ語るわけではない、ということを注意しておきたいです。

「無縁坂」が示す意味

岡田の散歩ルート上にあり、お玉が暮らす家がある「無縁坂」。

無縁坂は、東京都台東区池之端一丁目から文京区湯島四丁目に登る坂で、実際にある地名です。

坂の名前は、かつてそこにあった無縁寺という寺名に由来しているようです。

さて、この無縁坂が『雁』の物語の舞台として選ばれた理由。

いくつかあるのでしょうが、「縁がなかった」岡田とお玉を象徴するような名前であったことも理由の一つに挙げられるのではないでしょうか。

無縁坂を通りすぎる男と、無縁坂で待つ女の人生は、ごく短い期間、そこで会釈を交わす一瞬重なっただけで、その後の運命までも重複したわけではありません。

無縁坂という名前の坂が舞台になっていることで、〈岡田とお玉の物語〉の結末は、始めから読者に示されていたとも考えられるでしょう。

『雁』は、鷗外作品の中では比較的内容が分かりやすい作品だと思いますが、こうした細かい部分にも作者の仕掛けが施されていて、何度も読み返したくなる魅力の詰まった小説だと思います。

以上、森鷗外『雁』のあらすじ・解説・感想でした。

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yumihara

文学部出身の主婦です。文学の魅力が少しでも伝わるような、わかりやすい解説・感想を心がけていきたいです。