森鴎外『文づかひ』鴎外がドイツで見た!上流階級の華やかな世界

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森鴎外『文づかひ』鴎外がドイツで見た!上流階級の華やかな世界

『文づかひ』の紹介

『文づかひ』は1891年(明治24年)に発表された森鷗外の短編小説です。

森鷗外のドイツ三部作と呼ばれる内の最後の作品で、格調高い文語体が印象的です。

標題の「文づかひ」とは、「文使い」のことであり、手紙を届ける使いを意味する言葉です。

ここでは、そんな『文づかひ』のあらすじ・解説・感想までをまとめました。

『文づかひ』—あらすじ

少年士官の小林は、星が丘茶寮で開かれた独逸会で、ドイツでのある体験を語り始めます。

ある時、ザクセン軍団について秋の演習に参加した小林は、同じ大隊に所属するメエルハイムという若い士官とともに、ビュロオ伯の城に宿泊しました。

城にいたビュロオ伯の娘・イイダは、メエルハイムの許嫁でしたが、小林には、イイダとメエルハイムが打ち解けているようには見えませんでした。

城を訪れた翌日、小林はイイダから、「演習が終わってドレスデンに戻ったら、国務大臣夫人に人知れず届けてほしい」と一通の封書を託されます。

国務大臣夫人は、イイダの叔母にあたる人物でした。

その後、ドレスデンに戻った小林は、頼まれた封書を国務大臣夫人に渡すことに成功します。

一月中旬、王宮の式典に赴いた小林は、王妃に付き従う女官の中にイイダの姿を発見し、驚きます。

メエルハイムとの結婚を好ましく思っていなかったイイダは、貴族階級の慣習を厭わしく感じるようになり、叔母である国務大臣夫人に頼んで、宮仕えの立場を得ることで、結婚を回避したのでした。

種明かしを終えたイイダは、小林の元から遠ざかっていき、イイダの晴れ着の水色だけが小林の印象に残ったのでした。

『文づかひ』—概要

物語の主人公 小林:ドイツ帰りの少年士官
物語の重要人物 イイダ:デウベン城の主・ビュロオ伯の娘
メエルハイム:小林の友人の士官。イイダの許嫁
主な舞台 ドイツ(ドレスデン)
時代背景 明治中期
作者 森鷗外

『文づかひ』―解説(考察)

森鷗外とドレスデン

『舞姫』『うたかたの記』『文づかひ』のドイツ三部作が、作者森鷗外のドイツ留学中の経験を元に生み出されたということは、既に『舞姫』解説で触れました。

『文づかひ』は、ドイツのドレスデンとその近郊が主な舞台となった作品です。

鷗外は明治18年10月から翌年3月までドレスデンに滞在していました。

ドレスデンは現在、ドイツ東部のザクセン州にある工業都市として知られていますが、鷗外が滞在した当時は、ドイツにあったザクセン王国の首都として栄えていました。

バロック建築群が並ぶ、芸術の都でもあったドレスデンで、留学中の鷗外は、王宮の舞踏会やサロンに出入りし、華やかな上流階級の世界に触れていたようです。

その様子は、鷗外がドイツ留学中の日々を綴った『獨逸日記』などから読み取ることができます。

一例として、『獨逸日記』から一部を引用します。

午後二時新正を賀せんが爲めに王宮に赴く。其儀は我邦と殊なること莫し。唯〻アルベルト 王の終始直立して禮を受け、禮を行ふ者王の面前二步の處に進むを異なりとす。又感ず可き者は黃絨に綠白の緣を取りたる「リフレエ」衣を着し、濃紫袴を穿きたる宮僮なり。階の西側に並立して瞬だにせざるさま石人の如し。八時三十分再び王宮に赴く。所謂「アツサンブレエ」なり。先ず紅布を敷きたる石階を陞る。階と廊とは瓦斯燈もて照せり。許多の華麗なる室を過ぐ。一室あり。日本支那の陶器を陳ねて四壁を飾る。總て室內は數千萬の蠟燭もて照せり。

森鷗外,獨逸日記(明治19年1月1日)

『文づかひ』の後半で、小林士官がドレスデンの王宮を訪れ、イイダと再会する場面がありますが、この場面での王宮の描写は、日記の記録と重なって見えます。

王都の中央にてエルベ河を横ぎる鐵橋の上より望めば、シユロス、ガツセに跨りたる王宮の窓、こよひは殊更にひかりかゞやきたり。われも數には漏れで、けふの舞踏會にまぬかれたれば、(中略)赤き氈を一筋に敷きたる大理石の階をのぼりぬ。階の兩側のところどころには、黄羅紗にみどりと白との縁取りたる「リフレエ」を着て、濃紫の袴を穿いたる男、項を屈めて瞬もせず立ちたり。むかしはこゝに立つ人おのおの手燭持つ習なりしが、いま廊下、階段に瓦斯燈用ゐることゝなりて、それは罷みぬ。

森鷗外『森鷗外全集 第一巻』,筑摩書房,1971,38~39頁

こゝは四方の壁に造付けたる白石の棚に、代々の君が美術に志ありてあつめたまひぬる國々のおほ花瓶、かぞふる指いとなき迄並べたるが、乳の如く白き、琉璃の如く碧き、さては五色まばゆき蜀錦のいろなるなど、蔭になりたる壁より浮きいでて美はし。

森鷗外『森鷗外全集 第一巻』,筑摩書房,1971,40頁

こうした描写などから、『文づかひ』は、鷗外がドイツで直接見聞きした上流階級の華やかな世界が、リアルに写し取られた作品だと見ることができるでしょう。

ドイツ三部作の発表順に見る相関関係

ドイツ三部作は、鷗外がドイツから帰国して二年後の1890年から、立て続けに発表されています。

私が調べた限り、この三作品の正確な執筆順については明らかになっていないようですが、ほぼ時期を同じくして制作されたのではないかと思われます。

事実として分かっているのは、三作品が『舞姫』→『うたかたの記』→『文づかひ』の順番で世に発表されたということです。

そして、この順番で発表されたからには、そこに何らかの意味や意図が含まれているのではないだろうか、と私は想像します。

このような考えの元に三作品を並べてみると、いくつかの観点から、発表順との間に相関関係を見ていくことができます。

  • 男主人公の作品展開における介入度 高→低
  • 女主人公の身分 低→高
  • 女主人公の理性の度合い 低→高

まず、ドイツ三部作では、発表順に男主人公の作品展開における介入度が下がっていくという変化を見ることができます。

具体的には、『舞姫』の豊太郎は事件・出来事の当事者であったのが、『うたかたの記』の巨勢は狂言回し的役割になっており、『文づかひ』の小林士官に至っては、作中で行ったことと言えば主に手紙の受け渡しだけで、ほとんど傍観者と言えるような立場です。

また、男主人公の介入度の低下に比例するように、女主人公の身分・理性の度合いにも変化が見られます。

『舞姫』のエリスは貧しい踊り子、『うたかたの記』のマリイは高名な画家の娘(だったが、両親が亡くなり、漁師夫婦の養女に)、『文づかひ』のイイダは城主の娘というように、作品発表順に、女主人公の身分が上がっています。

そして、この身分の差による学の有無などが影響していると思われますが、エリスは感情的(だった結果、ショックに耐え切れず狂人に)、マリイは自分の身を守るために理性的であろうとしたのに、最後に恐怖心に飲まれて失敗。

イイダは三人の女主人公の中で唯一、望ましい結果を得るために、理性的な態度を貫いて[好ましくない結婚の回避]を成功させています。

このように、ドイツ三部作は、いずれも男主人公がエリートですが、作品発表順に男主人公の影が薄くなり、反対に女主人公の地位は上がって、理性的で強い女性へと変化しているのです。

『舞姫』だけ読むと、[エリート男性と貧しくて学のない女性]、[展開の決定権を持つ男性とそれに従ずるしか術のない女性]という、典型的な男尊女卑構造の作品だと思ってしまうのですが、三部作通して読むと、そこから進化していく流れを見ることができます。

鷗外は、比較的女性蔑視が少ないことで知られていますが、初期の時点で既に[新しい女性]の姿を視野に入れており、自身の作品の中にそれを描き出そうとしていたとも言えるでしょう。

ロマン主義文学とは

明治時代に入り、日本の近代化が進むと、写実主義、国枠主義等々、日本文学界でも様々な運動が起こるようになりました。

それらの中に、ロマン主義文学と呼ばれるものがあります。

日本におけるロマン主義文学は、鷗外の『舞姫』によって始まったと言われ、ドイツ三部作を含む初期の鷗外作品はロマン主義文学のカテゴリーに入ります。

※ロマン主義文学とは

元は18世紀西欧で、古典主義・教条主義への反発から起こった精神運動。
恋愛賛美、自然賛美、民族意識の高揚などの要素を持つ、抒情的表現が特徴。
ロマン主義文学では、個人の独自性を重視し、自我の解放と確立が追求された。

ここで、特に注目したいのは、ロマン主義文学で自我の確立が目指されたという点です。

前章で、ドイツ三部作の発表順に見られる相関関係について、いくつか解説を行いましたが、自我の確立という側面に関しても、ある傾向を見ることができます。

『舞姫』では、西欧文化・思想に触れた男主人公・豊太郎に近代的自我の目覚めが起こり、しかしそれは、封建的な日本社会に取り込まれてあっけなく崩壊します。

『うたかたの記』では、自分自身を守るため自我に目覚めた女主人公・マリイが、自己主張を通して自己確立を試みる様子まで描かれるものの、それは成し遂げられません。

『文づかひ』では、自我に目覚めた女主人公・イイダが、理性的な態度・行動で自己主張を続け、確固たる自己・自我を守り抜きます。

ドイツ三部作は、一つのテーマとして近代的自我を扱っているものと思われますが、作品発表順に、自我の確立度合いが増していくという傾向を見せています。

『舞姫』をロマン主義文学の代表とする説明はよく目にしますが、自我の確立という最終地点まで描いているという点では、『文づかひ』の方がより勝っているという見方もできると思います。

『文づかひ』―感想

どこまで事実の話?

正直なところ、私は今回の解説を行うまで、『文づかひ』のストーリー展開は、どちらかというと虚構性の強いものだと考えていました。

『舞姫』が実際の話に基づく展開だというのは元々知っていたのですが、『うたかたの記』『文づかひ』の展開は、あくまで設定がドイツでの見聞に基づいているだけで、事実性は低いものだろう、と。

ところが、読み深めていくと、どうやらそういうわけでもないのかもしれない、と思うようになりました。

鷗外の『獨逸日記』の中には、解説でも触れた王宮訪問の記録や、『文づかひ』に登場する国務大臣夫人と同名の「フアブリイス伯夫人」を訪ねた記録が見られる他、「イイダ」の名前まで登場しています。

五日。陰、西風、大隊と共にガステヰツツを發し、ラアゲヰツツの近傍に南面して陣す。亦假設敵なり。南軍はチヨツパハより攻擊し來る。演習畢る。道をブリヨオゼン、グレシユヰツツに取りてドヨオベンに至る。途に雨に逢ふ。ドヨオベンの旅舘は古城なり。城の結構略ゞマツヘルン城に似たり。其位置は東ムルデ河に臨み、右に煉瓦造の水車廠を觀る。對岸は淺茅生の原にて、岸邊に數百株の柏あり。城の直下は鐵道なり。城主をフオン、ビユロウと稱す。耳順の老人なり。余等をして其來賓簿に署名せしむ。老人其六女を出して客を拜せしむ。マリアは頗る美なり。一女あり。美目盼たり。イイダ と稱す。

森鷗外,獨逸日記(明治18年9月5日)

十日。宮中の舞踏會に赴く。宮媛中一人の甚だ舊相識に似たるものあり。然れども敢て言はず。既にして此媛余が側を過ぐ。忽ち余を顧みて曰く。何ぞ君の健忘なると。嗚呼、余之を知れり。是れ野營演習中相見たる所のフオン、ビユロウ氏の一女にしてイイダと名づくるものなり。奇遇と謂ふ可し。

森鷗外,獨逸日記(明治19年2月10日)

一主婦の調べでは力及ばず、ビュロオ伯爵家の裏付け資料まで辿りつけなかったので、もはやどこまでが事実で、どこから虚構なのか、混乱を来しているというのが、ぶっちゃけた感想です。

いずれにせよ、初期作品であるにも関わらず、事実と虚構を混ぜながら、二者が空中分解することなく、美しい表現の際立つ浪漫的な作品として完成しているところに、森鷗外の天才ぶりを思い知るばかりです。

ドイツ三部作は、細かな部分を考え出すときりがない高難度の作品ですが、その分、考察の余地が大きい、面白い作品だと感じています。

以上、森鷗外『文づかひ』のあらすじと解説と感想でした。

【参考URL】
森鷗外,『獨逸日記』
https://ja.wikisource.org/wiki/%E7%8D%A8%E9%80%B8%E6%97%A5%E8%A8%98

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yumihara

文学部出身の主婦です。文学の魅力が少しでも伝わるような、わかりやすい解説・感想を心がけていきたいです。