『うたかたの記』の紹介
『うたかたの記』は1890年(明治23年)に発表された森鷗外の短編小説です。
森鷗外のドイツ三部作と呼ばれる内の二作目であり、前作『舞姫』と同様に文語体で書かれています。
日本画学生の巨勢(こせ)と、ドイツ人の少女マリイの悲恋を描いた作品です。
ここでは、そんな『うたかたの記』のあらすじ・解説・感想までをまとめました。
『うたかたの記』—あらすじ
巨勢は、六年前に出会った菫売りの少女が忘れられず、その少女をモデルにした画を描こうとしていました。
ある時、巨勢は友人と入ったカフェで、菫売りの少女の思い出を語ります。
店内で巨勢の話を聞いたマリイは、その菫売りは自分であると明かし、後日、巨勢のアトリエを訪ねて生い立ちを語ります。
マリイには、有名な画工の父と美しい母がいました。
マリイが十二歳の時、王宮の夜会で母は国王ルウドヰヒ二世に襲われ、その後間もなく、両親が立て続けに亡くなりました。
母が亡くなる直前、菫売りをしていたマリイを助けたのが巨勢でした。
孤児となったマリイは、ミュンヘン郊外のスタルンベルヒ湖の漁師ハンスルに引き取られ、現在は美術学校のモデルをしながら、自衛のために狂人のふりをして過ごしているのでした。
話を終えたマリイは、巨勢をスタルンベルヒに誘い、湖で小舟に乗った二人は、岸辺を散歩中の国王ルウドヰヒ二世に遭遇します。
マリイの母への想いから狂人となっていた国王は、舟に近づこうと湖に入り、それを見たマリイは気を失って湖に落ち、亡くなります。
国王溺死の報が話題になる中、同じ時にハンスルの娘が溺れたことを問う人は誰もいませんでした。
『うたかたの記』—概要
物語の主人公 | 巨勢:日本人の画学生。ドイツ・ミュンヘンに留学中。 |
物語の重要人物 | マリイ:17、8歳くらいのドイツ人の少女。高名な画家スタインバハの娘。ミュンヘンの美術学校のモデルを務め、周囲からは狂人と噂されている。 ルウドヰヒ二世:バイエルン国王。マリイの母親への叶わぬ恋情から狂人となり、スタルンベルヒ湖近くのベルヒ城に移っていた。 グッデン:国王の侍医。湖に入るルウドヰヒ二世を止めようとして、共に溺死した。 |
主な舞台 | ドイツ(ミュンヘン) |
時代背景 | 明治中期 |
作者 | 森鷗外 |
『うたかたの記』―解説(考察)
虚構の中の史実
森鷗外の初期の作品はロマン主義文学に分類され、『うたかたの記』もまた、非常に浪漫的で虚構性が強い作品です。
悪く言えば、ご都合主義のオンパレードで話が展開しているようにも見える『うたかたの記』ですが、全てが虚構の上に成り立っているわけではありません。
『うたかたの記』は、虚構と史実が融合した作品であり、特に、
- 第四代バイエルン国王・ルートヴィヒ二世の実在
- 1886年6月13日に起こったルートヴィヒ二世溺死事件
は、作品構成上の重要な素材となっていると考えられます。
これについて考察を進めたいと思います。
尚、混同を避けるため、『うたかたの記』登場人物はルウドヰヒ二世、実在のバイエルン国王はルートヴィヒ二世と表記します。
ルートヴィヒ二世は、1864年から1886年まで第四代バイエルン国王として在位した実在の人物で、建築や音楽に浪費の限りを尽くし、「狂王」という異名で知られています。
※バイエルン王国とは
19世紀初めから、ドイツ革命(1918年〜1919年)まで存在していたドイツ南部の王国。首都はミュンヘン。
現在ドイツの観光名所となっていて、ディズニーのシンデレラ城のモデルとしても有名なノイシュバンシュタイン城も、ルートヴィヒ二世によって建築された城のようです。
戦争を嫌い、芸術の追求に勤しむルートヴィヒ二世でしたが、普仏戦争(1870年~1871年)で弟のオットーが精神を病んで以降、現実逃避傾向は更に強まり、昼夜逆転の生活を送ったり、一人で食事をしているのに客人がいるような振る舞いをしたりと、不可解な言動が目立つようになりました。
国王の異常な様子に危惧を抱いた政府は、ルートヴィヒ二世を廃位し、ルートヴィヒ二世は領内のベルク城に送られます。
『うたかたの記』でも、マリイが巨勢に生い立ちを語る中で、「王の繁華の地を嫌ひて、鄙に住まひ、昼寝ねて夜起きたまふは、久しき程の事なり」などと発言しており、実在のルートヴィヒ二世の状態を踏まえていることが分かります。
ベルク城に送られた翌日の1886年6月13日、ルートヴィヒ二世は、シュタルンベルク湖に散歩に出掛けた後、侍医グッデンと共に水死体となって発見されました。
ルートヴィヒ二世の死は謎に包まれており、国王の身に何が起きたのか、真相は未だに分かっていません。
しかし、国王溺死という出来事は揺るぎのない事実であり、当時ドイツで暮らしていた人々が、この知らせに衝撃を受けたであろうことは想像に難くありません。
そしてそれは、『うたかたの記』の作者・森鷗外にとっても、同様の衝撃であったと考えられます。
ルートヴィヒ二世の溺死が起きた当時、鷗外はドイツ留学でミュンヘンに滞在していました。
鷗外がドイツ留学中の日々を記録した『獨逸日記』がありますが、この日記中にも、ルートヴィヒ二世の溺死に関する記述が確認できます。
以下に、1886年(明治19年)6月13日の日記から一部を引用します。
十三日。夜加藤岩佐とマクシミリアン街の酒店に入り、葡萄酒の杯を擧げ、興を盡して歸りぬ。翌日聞けば拜焉國王此夜ウルム湖の水に溺れたりしなり。王はルウドヰヒ第二世と呼ばる。久しく精神病を憂へたりき。晝を厭ひ夜を好み、晝間は其室を暗くし、天井には星月を假設し、床の四圍には花木を集めて其中に臥し、夜に至れば起ちて園中に逍遥す。近ごろ多く土木を起し、國庫の疲弊を來しゝが爲めに、其病を披露して位を避けしめき。今月十二日の夜、王は精神病專門醫フオン、グツデンと共にホオヘンシユワンガウ城よりスタルンベルヒ湖に近きベルヒと云ふ城に遷りぬ。十三日の夜王グツデンと湖畔を逍遥し、終に復た還らず。既にして王とグツデンとの屍を湖中に索め得たり。葢し王の湖に投ずるや、グツデンはこれを救はんと欲して水に入り、死を共にせしものなるべし。
森鷗外,『獨逸日記』ウィキソースより引用(底本:『鷗外全集 第三十五巻』,岩波書店,1975年)
また、同月27日には、「加藤岩佐とウルム湖に遊び、國王及グツデンの遺跡を弔す」という記録も見られます。
この記録からは、ルートヴィヒ二世溺死の知らせは、鷗外にとってただの異国のニュースではなく、わざわざ現地に足を運ぶ程の執着を見せる出来事であったということが窺えます。
ルートヴィヒ二世の死に関して、特に何が鷗外に刺さったのか(ルートヴィヒ二世の死そのもの?死の真相への探求心?あるいは、同じ医師という立場のグッデンの存在?)、正確に計りかねますが、いずれにしても、この出来事は、ドイツ留学中の鷗外に相当なインパクトを残したということに違いありません。
『うたかたの記』は、鷗外の印象に強く残っていた【ルートヴィヒ二世の死】という史実を柱の一つとして創作された物語だと言うことができるでしょう。
「ロオレライ」とは
『うたかたの記』の中で、繰り返し描写される象徴的なものの一つに、巨勢の自作画「ロオレライ」があります。
作品中で「ロオレライ」がどのような役割を果たしているか、まとめると、
- 「ロオレライ」=巨勢とマリイの愛の関係を表すものであり、マリイと国王の最期を暗示するもの
と言い表せると考えます。
巨勢は、六年前に助けた菫売りの少女が忘れられず、その少女を永遠の姿にするため、少女をローレライのモデルに描くことを決意していました。
ここでのローレライとは、ハイネの詩などで知られるローレライ伝説を指します。
※ローレライ伝説とは
ドイツのライン川中流にあるローレライという名の岩山、その上にいるという精霊の伝承群。
かつてこの付近で遭難する船が多かったことなどから、岩上にいる美しい少女が、歌で船人を魅了し、船を川の中に飲み込むという伝承が生まれた。
巨勢は、カフェで美術学校の学生達に菫売りの少女の思い出を語る中、「ロオレライ」の構図を以下のように説明しています。
我空想はかの少女をラインの岸の巌根に居らせて、手に一張の琴を把らせ、嗚咽の声を出させむとおもひ定めにき。下なる流にはわれ一葉の舟を泛べて、かなたへむきてもろ手高く挙げ、面にかぎりなく愛を見せたり。舟のめぐりには数知られぬ、『ニックセン』、『ニユムフエン』などの形波間より出でて揶揄す。
森鷗外『阿部一族・舞姫』(うたかたの記),昭和43年,新潮文庫,45頁
新潮文庫版注釈によると、ニックセンとはゲルマン神話の水の精、ニユムフエンとはギリシア神話の海・川・泉などの精を指しています。
巨勢が語る菫売りの少女の話を聞いていたマリイは、自分がその菫売りであると明かし、その場で巨勢の額に接吻します。
それを見ていた他の学生達は、「自分も相手にしてくれないだろうか」とふざけてマリイの腰を抱くなどして、マリイに強く批判されるのですが、【巨勢とマリイ】【揶揄する学生達】の図は、「ロオレライ」の【われと少女】【揶揄する大勢の精】の構図そのものです。
また、作品後半で、巨勢とマリイはスタルンベルヒに向かいますが、その道中では、彼らが再会の喜びを噛みしめ、二人の世界に浸る様子が描写されています。
外のものを排除した二人だけの世界は、絵画的なロマンチックさを感じさせ、これもまた、かぎりない愛を描こうとする「ロオレライ」のイメージに重なります。
更に、ローレライ伝説の内容、川の中の岩上にいる少女とそれに近づいていくわれの図は、作品終盤のルウドヰヒ二世溺死の場面にも通じているように感じられます。
この場面では、「われ」≠巨勢であり、「少女」すなわちマリイも亡くなるという、構図の変化・伝説内容との不一致はあるものの、印象的な光景の類似度の高さから、「ロオレライ」が結末シーンの暗示であったと見る方が自然なように思われます。
「ロオレライ」の象徴的なイメージは、作品を通して滔々と存在しており、ともすれば空中分解しかねない虚構の世界を、一つにまとめ上げる上で重要な役割を担っているとも考えられるでしょう。
マリイの変身
『うたかたの記』のヒロイン・マリイには、二つの異なるイメージがあります。
- 菫売りの少女のマリイ(以下〈菫売りマリイ〉と表記)
- 女神バワリアを連想させるマリイ(以下〈バワリアマリイ〉と表記)
作中では、マリイはこの二つのイメージを行き来しています。
順序を追って、考察していきたいと思います。
まず、六年前のミュンヘンで巨勢が出会ったマリイは、当然ながら〈菫売りマリイ〉です。
〈菫売りマリイ〉は弱く、憂いある様子で描かれています。
ところが、カフェで偶然の再会を果たしたマリイは、美しい目から稲妻が出るかと思われる程の激情を持つ人物として描かれ、気高い戦女神バワリアのような〈バワリアマリイ〉に変化しています。
※女神バワリアとは
バイエルンを代表する女神バヴァリア。
ミュンヘンの旧市街地南西にある公園テレージエンヴィーゼや、ルートヴィヒ通りにある凱旋門上などに像が設置されている。
〈菫売りマリイ〉から〈バワリアマリイ〉への変化がいつ起こったのか。
これは、マリイが孤児となり、漁師ハンスルに引き取られるまでの過程で起きたものだと考えられます。
父を亡くし、母も病にかかると、マリイはしだいに世の中の人を憎く思うようになります。
母も亡くなって孤児になったマリイは、上の階に住んでいた裁縫師に引き取られますが、そこでは客を取らされそうになります。
40歳程の知らない男と、スタルンベルヒ湖の小舟で二人きりにされたマリイは、恐ろしくなって湖の中に飛び込み、間一髪で脱走。
スタルンベルヒ湖で漁師業を営むハンスル夫妻に助け出され、夫妻の養女として育てられたのでした。
世を恨みながらも、弱く、運命に受け身の姿勢であったマリイが、初めてそれに抗ったのが、スタルンベルヒ湖に飛び込むという行動でした。
巨勢とスタルンベルヒに到着したマリイは、「むかし我命喪はむとせしも此湖の中なり。我命拾ひしもまた此湖の中なり」と発言していますが、これは単純にハンスル夫妻に助けられた過去を説明しているだけではなく、そこで〈菫売りマリイ〉が死に、〈バワリアマリイ〉が誕生したという意味をもっているように思われます。
ハンスル夫妻に引き取られ、その後美術学校のモデルを務めるようになったマリイは、狂人のふりをしてまで、己の存在を他者から害されぬよう守り抜いています。
〈菫売りマリイ〉から〈バワリアマリイ〉への変身は、マリイが主体性を持ったことの表れであり、自我に目覚めた姿が〈バワリアマリイ〉のイメージとして表現されているのだと考えます。
自我の目覚めによって誕生した〈バワリアマリイ〉ですが、このイメージもまた、作品後半にかけて再び変化していきます。
巨勢に真心を打ち明けるための場所として、自らが一度死に、生まれ直したスタルンベルヒを選んだマリイは、そこに近づくにつれ、〈バワリアマリイ〉のイメージから、元々の姿である〈菫売りマリイ〉のイメージに戻りつつあります。
以下は、スタルンベルヒに向かう巨勢とマリイの様子を、分かりやすいように時系列順に一部抜き出したものです。
①「御者、酒手は取らすべし。疾く駆れ。一策加へよ、今一策。」と叫びて、右手に巨勢が頸を抱き、己れは項をそらせて仰視たり。巨勢は絮の如き少女が肩に、我頭を持たせ、ただ夢のここちしてその姿を見たりしが、彼凱旋門上の女神バワリアまた胸に浮びぬ。
森鷗外『阿部一族・舞姫』(うたかたの記),昭和43年,新潮文庫,58~59頁
②この時マリイは諸手を巨勢が項に組合せて、身のおもりを持たせかけたりしが、木蔭を洩る稲妻に照らされたる顔、見合せて笑を含みつ。あはれ二人は我を忘れ、わが乗れる車を忘れ、車の外なる世界をも忘れたりけむ。
森鷗外『阿部一族・舞姫』(うたかたの記),昭和43年,新潮文庫,59頁
③レオニにて車を下りぬ。(中略)巨勢が腕にもろ手からみて、縋るやうにして歩みし少女は、この店の前に来て岡の方をふりかへりて、
森鷗外『阿部一族・舞姫』(うたかたの記),昭和43年,新潮文庫,60頁
①では、猛々しさに溢れイケメンモード全開のマリイが、時を追うごとに、当初の〈菫売りマリイ〉のような、庇護欲をかき立てる姿に変化しています。
〈バワリアマリイ〉のままであれば、国王の姿を見て気絶するようなことはなかっただろうなと思うと、何とも言い難い気持ちにはなりますが、スタルンベルヒを起点に何度も起こるマリイの変身は、読んでいて非常に興味深い描写でもあります。
『うたかたの記』―感想
「ロオレライ」は完成したのか?
『うたかたの記』の最後には、巨勢の友人・エキステルが、巨勢のアトリエを訪ねる場面が描かれています。
六月十五日の朝、王の柩のベルヒ城より、真夜中に府に遷されしを迎へて帰りしい、美術学校の生徒が「カツフエエ、ミネルワ」に引上げし時、エキステルはもしやと思ひて、巨勢が「アトリエ」に入りて見しに、彼はこの三日が程に相貌変りて、著るく痩せたる如く、「ロオレライ」の図の下に跪きてぞ居たりける。
森鷗外『阿部一族・舞姫』(うたかたの記),昭和43年,新潮文庫,64頁
この時、マリイの死によって、少女のモデルを永遠に失ってしまった「ロオレライ」は完成していたのか?
これも説が分かれているようですが、私は、「ロオレライ」はこの場面では完成していたと思います。
作中で、マリイが巨勢に生い立ちを語った後、様々な感情を抱いた巨勢がマリイの前に「跪かむとしつ」場面があります。
最後の場面でも、同様に跪づく巨勢が描写されていることから、巨勢の前、すなわち「ロオレライ」の中には、既にマリイが永遠の姿として存在すると考えるからです。
うたかたとは、泡のように儚く消えてしまうものを指す言葉ですが、亡くなったことすら誰にも問われないマリイが、巨勢の画の中には遺されたのだと見る読みの方が、救いがあっていいなぁと思ったりもします。
画の完成・未完成問題以外にも、『うたかたの記』は、ドイツロマン主義を考える材料になり得たり、石橋忍月との幽玄論争から幽玄とは何かを考えてみたりと、多角的にアプローチができる興味深い作品だと感じます。
以上、森鷗外『うたかたの記』のあらすじと解説と感想でした。
【参考URL】
森鷗外,『獨逸日記』
https://ja.wikisource.org/wiki/%E7%8D%A8%E9%80%B8%E6%97%A5%E8%A8%98