『海と夕焼』の紹介
『海と夕焼』は三島由紀夫の短編小説で、「群像」(昭和30年1月号)に掲載されました。
老フランス人寺男・安里(アンリ)が、子どものころに体験した少年十字軍の話と日本に流れ着いた経緯を、聾唖の少年のそばで、海を眺めながら、母国の言葉で語ります。
『海と夕焼』―あらすじ
文永九年(1272年)の晩夏、勝上ヶ岳の頂上に佇む老フランス人安里と少年。
この少年は聾唖であるため、村の子ども達から仲間外れにされており、それを建長寺の寺男である安里が、憐れんで世話しているのでした。
夕暮れより少し前、雲に杏子色の影が差し始めるころ、安里が語るともなしに昔語りを始めます。
その言葉は彼が日ごろ流暢に扱っている日本語ではなく、故国中央山地セヴェンヌ方言のまじった仏蘭西語でした。
安里は当然、少年に自分の言葉が聞こえないのを分かっていましたが、彼はその胸中を、言葉によってではなく、目から目に、直接映し出せるような気がしたのです。
少年の目はそれほどまでに聡く、澄んでいました。
安里の述懐は、彼がセヴェンヌで羊飼をしていた60年前に遡ります。
1212年、ヨーロッパの人々は、第5十字軍が奪回した聖地イスラエルを、再びイスラーム勢力によって奪い返され(注意、第5十字軍の時期について、多くの学説が採用している時期との差異があります。後述の「解説(考察)」をご参照ください)、悲嘆に暮れていました。
そんなある日、当時少年羊飼だった安里は、キリストから聖地奪回のためにマルセイユへ赴くよう、お告げを受けます。
この出来事は、一度は彼の胸の中に仕舞い込まれましたが、数日後の雨の日、不思議な旅人の、警告めいた訪問を受けたことで、友人の羊飼に打ち明けられるところとなりました。
それから間もなくして、近くの村に八歳の預言者が現れ、安里はその子どものもとへ教えを乞いに行きます。
天使のような容貌の、幼い預言者は安里に、“お告げに従って、東へ、マルセイユへ行くように”と促しました。
この話はフランス各地に広まり、国中の子どもたちが父親の形見の剣を手に取り、マルセイユへと向かったのでした。
しかし、その道のりは苦難に満ちていて、マルセイユに辿り着くころには子ども達の数は最初の三分の一にまで減ってしまっていました。
マルセイユに辿り着いた安里達は、眼前の海が二つに分かれ(預言者モーセのエピソード。後述の「解説(考察)」をご参照ください)、彼らのために通り道をつくってくれるのを数日間待ちました。
ところが、海はついぞ分かれず、安里達は奴隷商に騙され、船に乗せられ、エジプトの奴隷市場で悉く売り捌かれてしまいました。
安里は最初波斯(ペルシャ。現在のイラン)商人の奴隷となり、さらに売られてインドに渡りました。そこでテムジンの征西(1236~1242年、出典1)の報を受け、涙を流します。
マルセイユから20年以上の歳月を、安里は異国の奴隷として過ごし、偶然に出会った大覚禅師に拾われて、師に付き従って中国、最終的に日本へ渡ってきたのです。
安里がすべてを話し終えたとき、夕焼けが、彼の追憶と信仰の挫折とを共に燃やしながら海に沈んでいくような光景が広がっていました。
鐘の音に目を閉じ、再び目を開いた時には、辺りはすっかり夕闇に包まれていて、そばにいた少年は膝を抱えて眠っていました。
『海と夕焼』―解説(考察)
失意と追憶、心のやすらぎ
『海と夕焼』は、老フランス人安里の、信仰の挫折の物語です。
安里は幼いころ、フランスの中央山地セヴェンヌで羊飼をしているキリスト教徒でしたが、数奇に満ちた運命の果てに、今は臨済宗大本山、鎌倉の建長寺にて寺男として働く身になっていました。
寺男とは住職(住持)にお仕えしている立場の人のことです。
安里は臨済宗のお寺で働いていますが、禅宗への帰依というよりも、キリスト教信仰への挫折と、彼を奴隷身分から救ってくれた大覚禅師個人への恩義が大きいと言えるかもしれません。
安里には、少年十字軍としてマルセイユに赴き、眼前の海が分かれるのを待っていたところ、奴隷商に騙されてエジプトに奴隷として売られた、という経緯があります。
エジプト、ペルシャ(イラン)を経て、インドで偶然に彼を救ってくれたのが、大覚禅師でした。
今、安里には「心の安らい」がありますが、「あのとき海が二つに割れなかった」という遠い昔の「不思議」を、思い返さずにはいられないのでした。
「海が分かれる」とは
「海が分かれる」というのは、旧約聖書「出エジプト記」に登場するモーセという預言者が起こした奇蹟のことです。
エジプトで虐げられていたユダヤ人を率いてモーセがエジプトを脱出する際に、行く手に広がる紅海の前で杖を振り上げると、海が割れてユダヤ人のみを通した、という言い伝えがあります。
マルセイユに命がけで辿り着いた、安里を含む有志の子どもたちも、行く手を阻む地中海を前に、出エジプトのエピソードのような奇蹟を待っていたのですが、海が分かれることはありませんでした。
羊、羊飼とは何を意味するか?
羊は人間、特にキリスト教徒、羊飼はキリストの比喩として頻繁に使われる言葉です(出典2)。
物語に登場する羊、羊飼を、そのまま動物の羊、職業としての羊飼として読んでも支障はありませんが、キリスト教的メタファーと解釈して読んでみると、セリフや情景描写に、より深い意味を見出すことができるかもしれません。
例えば、安里が述懐を始める前に、鰯雲をみてこぼした言葉。
「ああ、まるで羊の群だ。セヴェンヌのあの可愛い仔羊どもはどうしたろう。あいつらは子供をもち、孫ができ、曾孫ができ、やがて死んだだろう」
「可愛い仔羊」を例えば「敬虔なキリスト教徒」に置き換えて読むと、キリスト教徒たちの繁栄と衰退の歴史を想起することもできます。
また、羊飼安里のもとに訪れた謎めいた旅人が去っていったときの、
「羊どもの、身をすり合わせて不安げに啼く声が、雨のなかに聞こえた」という状況からは、少年十字軍としてマルセイユに赴いたことで子ども達が辿ることになる悲惨な運命、夫に続き我が子を失う母親の嘆き、苦難の連続によって失墜していく教皇の威光、キリスト教世界全体の変容などを予感してもよいかもしれません。
『海と夕焼け』と十字軍
『海と夕焼』の舞台となっている時代は文永九年で、西暦でいえば1272年です。安里の述懐は60年前の1212年に遡ります。
当時のヨーロッパはイスラーム勢力と、聖地イスラエルをめぐって係争関係にありました。
ヨーロッパは十字軍を編制し、1096年から1270年の約200年間、7回にわたって対イスラーム遠征軍を派遣しましたが、結局キリスト教徒たちの手に聖地が還ることはありませんでした(出典1)。
この200年の間には、子ども達によって十字軍が結成されたこともあります。
それが安里の話に出てくる1212年のことでした(出典1)。
その中には、武器を自弁できない子どもや非武装の貧民も多数参加していて、安里が言うように彼らは奴隷として売られる等、悲惨な結末を辿りました。
元寇と大東亜戦争
『海と夕焼』について、著者三島由紀夫は自身の解説の中で「神風」に言及しながら、なぜ神助がなかったかという問いは「神を信ずる者にとって終局的決定的な問いかけである」と述べています。
安里は少年十字軍に参加する前に、キリストとその使いと思われる存在に遭遇し、お告げを聞き、その後さながら天使のような幼い預言者から「お告げのとおりにマルセイユへ行ったらいい」と促されています。
これほどまでに奇蹟を信じさせる状況がありながら、イスラエルをめざす子ども達の眼前で、地中海が二つに分かれて通り道をつくるという奇蹟だけは、ついに起こりませんでした。
一連の物語から、日本の読者が元寇に於ける神風と、奇蹟が起こらなかった大東亜戦争とを対比してしてしまうのは自然な感情かもしれません。
元寇が起こるのは、安里と少年が勝上ヶ岳の頂上に登った1272年から二年後(文永の役)と九年後(弘安の役)のことです。
そこから更に遠い未来、日本が体験した一連の闘争――大東亜戦争は、玉音放送によって幕を閉じました。
「奇蹟待望が自分にとって不可避なこと、同時にそれが不可能なこと」を、著者は別作品『詩を書く少年』の頃(すなわち15歳のころ)から自覚していた筈と語っています。
けれども、このような失意「信仰の挫折」は、物語のなかで終始「不思議」という、ある種あいまいな言葉で表現されています。
これは安里あるいは著者自身の、奇蹟への決着のつけがたさの表出、と言って差し支えないのかもしれません。
『海と夕焼』―感想
心を締め付ける世界観
『海と夕焼』は、「音響効果」の素晴らしい作品でもあります。
この物語は歴史的知識や宗教的知識を入れてから読むのもよいですが、まずは目を閉じて耳を澄ますような気持ちで堪能したい作品です。
著者の本作に対する音響効果のこだわりは物語細部にまで周到に張り巡らされていて、波の音、セヴェンヌ方言まじりの仏蘭西語、それを語るしわがれた聲、夕暮れのざわめき、「時を忽ち溶解して、久遠のなかへ運んでゆく」鐘の音のどよめき。
そばにいるのは澄んだ目をもつ聾唖の少年だけ。安里は少年の澄んだ目を恃み、「私は話すよ。お前のほかに、誰も私の話を本当にしてくれそうな人はいないんだから」と、遠い昔話を語り始めます。
これは私の勝手な想像なのですが、語り手である安里は著者で、そばにいる少年は読者なのではないか、という気がしています。
私たち読者からは著者に対して何も話すことができないし、もしかしたら、著者の言わんとする言葉は何も聞けて(読めて)いないのかもしれません。
しかし著者は読者の「澄んだ目」に賭けて、奇蹟について語りかけている、そんな気がするのです。
別の作品の話になってしまうのですが、同一著者の作品に『憂国』という短編があります。その中には次のくだりがあります。
「しかし自分が身を滅ぼしてまで諫めようとするその巨大な国は、果たしてこの死に一顧を与えてくれるかどうかわからない。それでいいのである」
これは自刃を前にした武山中尉の胸中なのですが、私はこの「一顧を与えてくれるかどうかわからない」の部分に、武山中尉ないし著者の賭け(希望)のようなものを感じました。
何故ならば、「(一顧だに)与えてくれはしないだろう」ではなく、「与えてくれるかどうか『わからない』」とすることで、与えられるかもしれない一顧に対する余地のようなものを感じたからです。
これは『海と夕焼』に於ける、奇蹟待望への不可避・不可能性に対し、諦めという決着ではなく、「不思議」というふんわりとした言葉が選ばれていることにも通じているように思われます。
また、「一顧を与えてくれるかどうかわからない」のすぐあとの「それでいいのである」という言葉は、作品を越えて、安里のそばでいつの間にか眠ってしまっていた少年に向けられた言葉だとすれば、少なくとも武山夫妻に与えられないかもしれない一顧への言葉として捉えるよりも、しっくりきます。
『海と夕焼』は信仰の挫折、追憶と失意の物語でありながら、道半ばで斃れた子ども達が皆、聖地の幻をみながら息を引き取った点。
奴隷となった後も故国を憂い絶望する安里を救い、安らいをもたらしたのが異国の禅師であったという点も、この作品の「不思議さ」であるといえます。
現代を生きる私たちも、日々種々の失望と無縁ではいられません。
それでも今日を明日を生きるという選択のどこかには、割り切れない、割り切ってはいけない、奇蹟への待望が潜んでいるのかもしれない。
私という個人は本作に対し、そのような感想を持ちました。
以上、『海と夕焼』のあらすじ・考察・感想でした。
出典
- 全国歴史教育研究協議会『世界史用語集』山川出版社
- 杉本智俊『つい人に話したくなる 聖書考古学 第10回 羊飼いは蔑まれていた!?』いのちのことば社