三島由紀夫『金閣寺』主人公はなぜ「生きよう」としたのか?

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三島由紀夫『金閣寺』主人公はなぜ「生きよう」としたのか?

三島由紀夫『金閣寺』

金閣寺。誰もが一度は聞いたことのあるお寺でしょう。

正式名称を鹿苑寺といい、時の将軍足利義満が営んだ京都北山殿にある1938年建立の舎利殿です。

国宝ともなるこの寺ですが、実は1950年に見習い伴侶による放火で一度消失しています。

犯人は当時21歳の若者。若き僧は如何なる思いで金閣寺に火を放ったのか。

そんな実在の事件・人物をモデルにしたのが三島由紀夫による『金閣寺』です。

ここでは、そんな『金閣寺』についてのあらすじ・考察・感想をまとめていきます。

あらすじ

主人公である溝口(私)は、京都府北東部の成生岬に生まれます。

溝口は生まれついての病弱と吃りによって、自身と外界との間に隔たりを感じていました。

寺の住職である父を持つ溝口は、幼い頃から「金閣ほど美しいものは此世にない」と、金閣寺の持つ観念的な美しさを聞かされて育ちます。

ある時、溝口はそんな金閣寺に修業僧として入ることになります。

僧として修める中、住職の計らいで大学へ進むことになります。

同じ修業僧の鶴川、学校で出会った内反足の男柏木、この2人とそれぞれの関係性を結びながら溝口は学生生活を送ります。

生活の最中、溝口は金閣寺の美について、複雑にその思考と感情を巡らせながら遂には「金閣寺を焼かねばならぬ」という思いに至ります。

溝口は金閣寺に火を放ち、共に心中しようと試みます。

しかし、自死が叶わなかった為、山の中へと駆け出します。

山中で渦巻く煙と燃える炎を見た溝口は煙草を喫み、生きようと思うのでした。

『金閣寺』概要

主人公 溝口(私)
重要人物 有為子・鶴川・柏木
主な舞台 鹿苑寺(金閣寺)
時代背景 第二次世界大戦前後(1940年代から1950年代にかけて)
作者 三島由紀夫

『金閣寺』の解説(考察)

金閣寺という幻影

小説の題ともなっている「金閣寺」は、作中で溝口が何度もその名を口にし、その心に思い描いているものです。

ここで触れておきたいのは、『金閣寺』に登場する金閣寺は溝口にとって2つ存在する事です。

1つは、京都府京都市に現実に存在する金閣寺。

もう1つは溝口の心内に存在する観念的な「金閣寺」です。

溝口が初めて金閣寺を知るのは、父親が「金閣ほど美しいものは此世にない」と語ったイメージ上の金閣寺です。

それを聞いた溝口は、山々に夕日が差す様子を見て金閣寺を夢想したりする程に「金閣寺の美」という観念を持つようになります。

終いには美しい人の顔を「金閣のように美しいと形容するまで」にもなっています。

しかしながら、この時点では溝口にとって現実の金閣寺と観念的な金閣寺はそこまで剥離したものではありません。

「写真や教科書で、現実の金閣をたびたび見ながら、わたしの心の中では、父の語った金閣の幻のほうが勝を制した」と比較する描写は見られますが、自身でも「さまざまな変容の間にも、不変の金閣がちゃんと存在することを、私は知ってもいたし、信じてもいた」と述べてもいます。

つまり、溝口はこの時点では実物をまだ目の当たりにしていない故に、現実の金閣寺と美の象徴としての観念的な金閣寺はまだ同一の存在となっているのです。

もちろん、写真や教科書で見た金閣寺と観念的な金閣寺とを比較しているので、既に現実の金閣寺さえも観念的な美の象徴の実体として捉えられているに過ぎませんが。

その後、溝口は実際に現実の金閣寺を見て失望します。

しかしながら、その後で心の中において再び金閣寺は美しさを取り戻すどころか、以前よりも美しく輝きます。

溝口という男の金閣寺という美への執着は、このような現実に存在しない「幻影としての金閣寺」が心の中に誕生したことから始まります。

戦争と金閣寺

溝口は父の死後、田山道詮和尚の元で金閣寺に入る事になります。

ちょうどその頃日本は太平洋戦争期で溝口も勤労動員へと駆り出されています。

そんな戦禍の中、溝口は新聞の「帝都空襲不可避か?」という見出しを読み次のような事を思います。

それでも金閣というこの半ば永遠の存在と、空襲の災禍とは、私の中でそれぞれ無縁のものでしかなかった。やがて金閣は、空襲の火に焼き亡ぼされるかもしれぬ。このまま行けば、金閣が灰になることは確実なのだ。

『金閣寺』新潮社 54頁

溝口の抱いていた金閣寺の美の観念は、ここで更なる価値を帯びることになります。

それは、金閣寺の「悲劇的な美」です。

金閣寺の存在とその美しさは、溝口にとって「半ば永遠の存在」ともいうべきものでした。

しかし、戦争のもたらす火によって金閣寺が燃える事、つまりは金閣寺の焼失=消失の可能性を改めて考えた時に、やがて儚く散ってしまうような「悲劇的な美しさ」を金閣寺に見出します。

永遠では無く今の一瞬において輝く、というような美的観念は、桜の花に喩えられるようによく言われるものです。

溝口はこのような刹那の美しさを金閣寺に見ていました。

しかし、その美しさは終戦によって崩れてしまいます。

金閣寺は焼けず「昔から自分はここに居り、未来永劫ここに居るだろう」と言う表情を取り戻させます。

溝口はそんな金閣寺を見て「金閣と私との関係は絶たれたんだ」と考えます。

「悲劇的な美しさ」を持つ金閣寺は、いずれ終わりが来るという点において溝口と共通しており、同じ世界に住んでいるようなものでした。

しかし、金閣寺が刹那ではなく未来永劫に存在することが確定した時、溝口は金閣寺の変化を感じ取り、堅牢な美と自身との拒絶を考えます。

それは溝口自身が「絶望」とまでも言い表すほどの衝撃でした。

戦争という出来事と金閣寺の変貌。これが溝口に変化をもたらすことになっていきます。

溝口と有為子

作中で、溝口は自身にとって美しさの象徴である金閣寺に囚われています。

金閣寺は時には溝口を受け入れ、時には拒絶します。

溝口と金閣寺の関係性を追う上で、1つ触れておきたいのが「有為子」という女性です。

この女性は、溝口が金閣寺ではなくまだ舞鶴の叔父の家にいた頃に出会った女性です。

有為子は、資産家の家に生まれた美人の女性で溝口の暮らす叔父の家から二軒隔てた家に住んでいました。

ある晩に、有為子の体を思って寝られなくなった溝口は、明け方通勤途中の有為子を待ち伏せるという行為に及びます。

やってきた有為子の前に飛び出したは良いものの、何をする訳でもなくただ立ち尽くします。

有為子は「何よ。変な真似をして、吃りのくせに」と蔑み去っていきます。

その後に、有為子はとある事件で命を落とす事になりました。

それから数年が経って溝口は作中で何人かの女性と出逢います。

ここで気になるのが、溝口が出会う女性に対して「有為子」との比較を試みている事です。

例えば、鶴川と共に見た南禅寺の女に対しては「よみがえった有為子その人」だと述べています。

また、米兵とやってきた娼婦に対しては「有為子の記憶に抗して出来た影像の、反抗的な新鮮な美しさを帯びていた」と述べています。

これらの女性に対して、特に「美しい」と感じた女性に対して、溝口は金閣寺ではなく有為子を想起しています。

対照的に、柏木が連れてきた下宿の娘や生花の先生(南禅寺の女と同一人部であるが、溝口にとって最早は別人)に対しては、有為子との比較よりも「金閣寺」が想起されます。

行為に及ぼうとした際に、相手の乳房が金閣寺に見えるほどに。

物語の終盤、溝口は金閣寺を焼く前に遊郭を訪れた際に以下のようなことを述べます。

「寺を出るときからこの一角に、私は有為子がなお生きていて、隠れ棲んでいるという空想にとらわれていた」

三島由紀夫『金閣寺』新潮社 280頁

もちろん、有為子はいる訳がありません。

ここまでを振り返ると、「有為子」という女だけが絶対的な美の価値観として、溝口の中に記憶されていることがわかります。

それは、溝口にとっての美の象徴、金閣寺と同じです。

金閣寺も有為子も互いを比較される事はなく、溝口の中でこの二つが美の象徴として唯一独立しているものでした。

計画の直前までも追い求められた有為子は、溝口にとって金閣寺と表裏一体の美の象徴となっていたのではないでしょうか。

『金閣寺』の感想

主人公はなぜ金閣を焼き、なぜ「生きよう」と決意したのか

物語の終盤、放浪していた溝口は日本海を観ながら「金閣を焼かなければならぬ」と遂に決意します。

溝口の思想は次のようなものでした。

その教育的効果はいちじるしいものがあるだろう。そのおかげで人は、類推による不滅が何の意味ももたないことを学ぶからだわ、ただ単に持続してきた、五百五十年のあいだ強固池畔に立ち続けてきたと言うことが、何の保証にもならぬことを学ぶからだ。われわれの生存がその上に乗っかっている自明の前提が、明日にも崩れるという不安を学ぶからだ

『金閣寺』新潮社 246-247頁。

これは、溝口と柏木が交わした「認識と行為」の議論と関係しています。

柏木は溝口が何か行動を起こそうとしている事を察して、「認識だけが、世界を不変のまま、そのままの状態で、変貌させるんだ」と述べます。

それに対して溝口は「世界を変貌させるのは行為なんだ。それだけしかない」と反論します。

自身の捉え方によって世界が変わると主張する柏木、行為のみが世界を変えると主張する溝口。

自分が変わるか、世界を変えるか、という相反する2つの選択肢のぶつかり合いとも考えられるでしょう。

この議論の末、溝口は自身の行為、金閣寺を焼く事よって世界を変えようと試みます。

はじめは金閣寺と共に心中しようとしていましたが、最後には「生きよう」とまで思ってしまいます。

それは、結局のところ溝口自身も「認識」に支配されていたからだと考えられないでしょうか。

あんなにも金閣寺に囚われた生を送り、尚且つそれを燃やすという行為にまで及んだ溝口。

しかし、結局のところ最後には自身の認識が変わってしまいました。

行為を起こす事で、逆説的に自身の行為の無意味さを認識してしまった。

そのような認識に結局は囚われてしまった為に、「生きよう」と決意したのでは無いでしょうか。

『金閣寺』の作者、三島由紀夫はまさしく「行為」に及んだ人物です。

自衛隊基地に押し入り、決死の覚悟で演説を行いました。

しかし、その最後は「自決」であり、溝口とは異なるものでした。

認識と行為、そのどちらが我々今を生きる人々に取って正しい選択肢なのでしょうか。

それを考えさせるべく、三島由紀夫はこの作品を残したのかもしれません。

以上、三島由紀夫『金閣寺』のあらすじ、考察、感想でした。

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軍鶏

大学では近現代文学を専攻としておりました。現在はジャンル・時代問わず様々な作品を広く読んでおります。小説のほか、哲学・思想書も。映画も大好きです。noteでもボソボソ書いてるので、覗いて頂けると嬉しいです!