『高瀬舟』の紹介
『高瀬舟』は1916年(大正5年)に発表された森鴎外の歴史小説です。
安楽死を取り扱った短編小説で、国語の教科書にもよく収録されていることで有名です。
ここでは、そんな『高瀬舟』のあらすじ・解説・感想までをまとめました。
『高瀬舟』ーあらすじ
高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。
徳川時代、流刑を申し渡された京都の罪人は、高瀬舟に載せられて大阪へ廻された。
ある時、喜助という罪人が高瀬舟に乗せられた。
護送を命ぜられて舟に乗り込んだ同心羽田庄兵衛は、喜助が弟殺しの罪人と聞いていた。
庄兵衛は、いかにも楽しそうな喜助を不思議に思い、わけを尋ねた。
喜助は、罪人に与えられる二百文が手元にあること、それを元手に島で仕事をすることを楽しんでいると答えた。
喜助の欲のないこと、足るを知っていることを庄兵衛は不思議に思った。
庄兵衛は、流刑になったわけも尋ねた。
幼い頃に両親を亡くした喜助は、弟と二人暮らしであったが、そのうち弟が病気になった。
ある日、喜助が家に帰ると、弟が血だらけで突っ伏していた。
早く死んで兄に楽がさせたいと思った弟が自殺を試みたのだ。
刃が喉に刺さったままになった弟に、刃を抜いて死なせてくれるように必死で頼まれ、喜助は刃を抜いた。
庄兵衛は、これが人殺しと言えるのかわからなくなり、自分より上のものの判断に任すほかないと思ったが、腑に落ちないものが残った。
次第に更けて行く朧夜に、沈黙の人二人を載せた高瀬舟は、黒い水の面をすべって行った。
『高瀬舟』ー概要
物語の主人公 | 羽田庄兵衛(京都町奉行付の同心) |
物語の重要人物 | 喜助(罪人) |
主な舞台 | 高瀬舟 |
時代背景 | 江戸時代(寛政) |
作者 | 森鴎外 |
『高瀬舟』―解説(考察)
・『高瀬舟縁起』の存在
『高瀬舟』には作者森鴎外自身が記した解説『高瀬舟縁起』が存在します。
これによると、次の二つのことが明らかにされています。
- 『高瀬舟』は、江戸時代の随筆集『翁草』の中の「流人の話」が元になっている
- 『高瀬舟』には、二つの大きい問題が含まれている
以下に該当の箇所を引用します。
この話は『翁草』に出ている。池辺義象さんの校訂した活字本で一ペエジ余に書いてある。
私はこれを読んで、その中に二つの大きい問題が含まれていると思った。
一つは財産というものの観念である。
銭を待ったことのない人の銭を持った喜びは、銭の多少には関せない。
人の欲には限りがないから、銭を持ってみると、いくらあればよいという限界は見いだされないのである。
二百文を財産として喜んだのがおもしろい。
今一つは死にかかっていて死なれずに苦しんでいる人を、死なせてやるという事である。(中略)
これをユウタナジイという。
らくに死なせるという意味である。
高瀬舟の罪人は、ちょうどそれと同じ場合にいたように思われる。
私にはそれがひどくおもしろい。森鴎外『高瀬舟縁起』,青空文庫
『翁草』は、寛政3年頃、神沢杜口によって記された随筆集です。
京都町奉行与力(同心を指揮し、上官を補佐する職)であった神沢杜口が見聞きした話や、先行文献などを元にした様々な話が全二百巻に渡って記述されています。
「流人の話」はこの中の話の一つで、
- 高瀬舟に珍しい罪人が乗ったこと
- 罪人が二百文のお金を喜んでいること
- 兄弟の自殺の手助けをして流刑となったこと
が書かれています。
作者が『高瀬舟縁起』で述べているとおり、『高瀬舟』の内容は「流人の話」をそのままなぞらえていると言ってよいでしょう。
ただし、「流人の話」は上記内容が淡々と綴られたものであり、『高瀬舟』は「流人の話」を元に、近代小説として練り上げられた完全な別作品として捉えることができます。
それは、登場人物二人に「庄兵衛」「喜助」という名前が与えられたこと、二人の会話やり取り、叙述表現などに見ることができます。
例えば、喜助が高瀬舟に乗った場面では、以下のような叙述表現がされています。
智恩院の櫻が入相の鐘に散る春の夕に、これまで類のない、珍らしい罪人が高瀬舟に載せられた。
森鴎外『高瀬舟』,青空文庫
映像と音の表現で、読者に対して季節や時刻、あるいは夕暮れのもの悲しい様子を伝える役割をしています。
読者の想像をかき立て、物語として奥行を持たせる書き方は、一つの随筆であった「流人の話」が、森鴎外の手によって小説の形へ変化したことを示しています。
また、『高瀬舟縁起』では「二つの大きな問題」として、①財産というものの観念、②安楽死(ユウタナジイ)が挙げられています。
この2つの問題について、詳しく考えます。
・2つの主題
『高瀬舟縁起』で挙げられた二つの問題は、すなわち『高瀬舟』の主題と言い換えることができます。
- 財産というものの観念
- 安楽死(ユウタナジイ)
それぞれの主題について考察を進めます。
・財産~「足ることを知る」とは?
『高瀬舟』では、二百文という財産を喜ぶ喜助について、次のように記しています。
さて桁を違へて考へて見れば、鳥目二百文をでも、喜助がそれを貯蓄と見て喜んでゐるのに無理はない。
其心持はこつちから察して遣ることが出來る。
しかしいかに桁を違へて考へて見ても、不思議なのは喜助の慾のないこと、足ることを知つてゐることである。森鴎外『高瀬舟』,青空文庫
二百文のお金は、庄兵衛からすれば取るに足りないような額かもしれませんが、喜助にとっては貯蓄とするに十分な金額です。
これは、家族で暮らす庄兵衛と、独り身の喜助とでは状況が全く異なるために起こる価値基準の差であり、何ら不思議なところはありません。
不思議なのは、喜助が二百文のお金に対して心から満足しているように見える点なのです。
『高瀬舟』では、喜助の財産に対する捉え方を、「足ることを知る」と表現しています。
「自らの分をわきまえてそれ以上のものを求めないこと、不相応のところで満足して欲張らないこと」を意味しています。
『高瀬舟』では、財産に対する「知足」の教えが主題の一つであり、庄兵衛と喜助のやり取りの前半部分は「知足」を軸に展開していきます。
・森鴎外と安楽死の関わり
前半部の「知足」に対して、後半部は安楽死の問題を軸に作品が展開します。
現代社会でも難しいテーマである安楽死ですが、作者森鴎外は安楽死と非常に深い関わりがある人物です。
まず、鴎外は小説家だけではなく、軍医としての一面があります。
軍医として医療現場に関わる中で、一般人と比較すれば、安楽死について考える機会はより多かったであろうと想像できます。
また、1908年に、弟の篤次郎が喉に血膿が詰まって窒息死しています。
同じく1908年には、次男不律が百日咳で亡くなっています。
そして、同時期に長女茉莉も百日咳に罹患しており、茉莉をモルヒネ注射で安楽死させかけるという出来事が起こっています。
弟篤次郎や次男不律が、苦しんだまま亡くなったことが、茉莉に対する安楽死実行の考えに発展したのだと思われます。
結局、親族に止められて茉莉安楽死は未遂となり、茉莉の病状も好転しましたが、この出来事は鴎外の安楽死観に大きな影響を与えたことでしょう。
鴎外の、安楽死の是非に関する考えは、簡単に推しはかることはできません。
しかし、自身の体験を通して、安楽死に対する強い関心があったからこそ、「流人の話」を「ひどくおもしろい」と感じ、『高瀬舟』執筆に至ったということが考えられます。
尚、『高瀬舟』を受けて、喜助が有罪か無罪かという問いが頻繁に起こりますが、単純に喜助の行為を罪か否かを考えることは、安楽死の是非の検討に等しく、極めて主観的な想像・推察になるため、この問いについては考察しません。
では、想像や推察を離れ、文学研究的視点で作品読解を進めた時、『高瀬舟』では何が問題になるか、次章で考察します。
・語り手の問題
文学研究の視点から『高瀬舟』を見た時、語りをどのように解釈するべきか?という問題がしばしば議題にあげられます。
一見すると『高瀬舟』は、三人称客観小説の形を採っていると感じられる作品です。
ところが、この『高瀬舟』の語り手の視点には、大きな偏りが生じています。
語り手は、庄兵衛の内面に出入りし、時に庄兵衛の視点で心象を語っています。
一方、喜助の内面には全く入らず、喜助の視点は、喜助の直接話法という形でしか表現されていません。
すなわち、『高瀬舟』は三人称客観小説の形を採りながら、一人の登場人物の内面は明らかにし、一人の登場人物の内面は全く触れないままという非常に偏った語りをしているのです。
例えば、前述の「知足」の考えについて、庄兵衛が喜助に対して「足ることを知っている」と感じただけで、喜助が本心で二百文に満足していたのかは記述されていません。
『高瀬舟』本文からは、喜助の内面を読み取ることはできないのです。
ですから、実は喜助は計画的に弟を殺害し、その成功を思い返して船中で楽しそうな顔をしていた、という解釈をする人がいたとしても、その可能性は否定できません。
今のはあくまで極端な例ですが、語り手の視点に注目して見た時、『高瀬舟』は新たな読みの可能性を示す作品であると言うことができるでしょう。
『高瀬舟』―感想
・解釈の難しさが面白い
私にとって、『高瀬舟』は読めば読むほど解釈に悩む作品です。
安楽死というテーマもそうですし、前述の語り手の問題など、答えに悩む点が多くあります。
単語一つをとっても、本当に深く理解ができているのか分からなくなります。
例えば、喜助が流刑となった訳を聞いた後のシーンで、次のような文章があります。
庄兵衞の心の中には、いろ/\に考へて見た末に、自分より上のものの判斷に任す外ないと云ふ念、オオトリテエに從ふ外ないと云ふ念が生じた。
庄兵衞はお奉行樣の判斷を、其儘自分の判斷にしようと思つたのである。
さうは思つても、庄兵衞はまだどこやらに腑に落ちぬものが殘つてゐるので、なんだかお奉行樣に聞いて見たくてならなかつた。森鴎外『高瀬舟』,青空文庫
オオトリテエとは「authority」の音写です。
「権威」等を意味している語です。
鎖国真っ只中の時代の一役人である庄兵衛が「オオトリテエ」という単語を使うことに違和感を覚えます。
なぜ作者はわざわざ日本語ではなく、「オオトリテエ」という単語を使ったのか?
また、オオトリテエに従うほかないと思いながらも、どこか腑に落ちないものを感じている庄兵衛ですが、これは権威批判の現れと見ることができるか?
…等々、疑問点を挙げるとキリがありません。
この解釈の難しさが、作者の表現の力不足によって生まれたものか、あるいは何らかの明確な意図を持って生まれたものか、私にはよくわかりません。
ただ一つ言えるのは、『高瀬舟』は考えさせられることの多い魅力的な作品であるということです。
解釈の難しさというのも、言い換えれば、解釈の幅が広いということであり、そこに小説を読む面白さを感じることができます。
以上、『高瀬舟』のあらすじと解説と感想でした。