『紺屋高尾』の紹介
廓話の傑作、「紺屋高尾(こうやたかお)」。
職人久三が、吉原遊廓でNo.1の三浦屋の高尾太夫に捧げる正直な純愛の気持ちが、高尾太夫の心を動かすという、逆シンデレラストーリー。
全盛と呼ばれた吉原随一の高尾太夫に一目惚れしてしまった紺屋の職人久三。
一所懸命に働いてなんとかお金を貯めて会いにいくという話です。
もともとは浪曲で大ヒットしていたお話のようで。三遊亭圓生が得意としたといわれています。
七代目立川談志も得意とし、一門がよく演じています。なかでも立川談春の高座は、独自のエピソードなどを交えており、高尾と久三の感情を深く掘り下げた名演と評判です。
古今亭では、幾代太夫という名の全盛の花魁に職人が惚れる『幾代餅』という演目で、ほとんど同じ内容の話をしています。
五代目古今亭志ん生、三代目志ん朝、十代目金原亭馬生の親子、志ん生の弟子の円菊、円菊一門の菊之丞などに『幾代餅』は受け継がれています。
柳家でもさん生、喬太郎は『幾代餅』を演じています。
一方、志ん朝が演じる『紺屋高尾』の録音も残っていて、双方の話が愛され語り継がれている様がみられます。
ここでは、『紺屋高尾』のあらすじ・解説・感想までをまとめました。
『紺屋高尾』ーあらすじ
三遊亭圓生の型に沿ってすじを起こします。
昔から、遊女で名を残した人というのは数あります。
三浦屋という大見世があり、代々高尾という太夫を輩出していました。
そのなかに紺屋高尾というのがありますが、紺屋のおかみさんになったという人です。
神田紺屋町。ここは紺屋が並んでいます。吉兵衛という親方のところで職人久三が、三日間も飯も食わずに寝込んでしまった。
「久三が寝込んでいるというじゃないか」と親方。
「すぐに医者に見せよう。お玉ヶ池の先生が良いだろう。あ、いまちょうど通るか」とお玉ヶ池の先生に見てもらうことに。
先生が久三の部屋いき「どうしたんだい」と声をかける。「塩梅が悪いから私にみてくれという。どんな具合だい」と聞き、診察をします。
少し診てから「お前は近ごろ珍しい病気だ。『お医者様でも草津の湯でも……』というお前の病気だ。恋わずらいだな。
相手は、素人ではない入山形に二つ星(花魁の最高ランクで道中を許されてた最高級)、今、全盛の三浦屋の高尾に思いをかけている」という。
久三は、言い当てられたことに驚くが、種を聞くと、部屋に入ったときに久三が高尾の花魁道中を描いた錦絵を眺めているのを見たのだという。
親方にも、おかみさんにも内緒にするから聞かせてみろという先生。
聞くと、久三は今年26歳。年季も明けているので、千住竹の塚の在に叔父があり、家を継がせたいといわれていた。
そんな話をすると兄弟子が、だったら、吉原にも行ったことがないんだから一度花魁の道中を観ろという。
久三は行きたくないといったが、観るだけだから行こうといわれた。
生まれて初めて吉原入ると、見たことがない綺麗な世界。花魁が次々と出てくるなか、ひときわ美しいのが三浦屋の高尾太夫だった。
あまりの美しさに一目惚れした久三は、一度でいいからあんな美しい人とお酒を酌み交わしたいという。
兄弟子は笑いながら、それは無理だという。
「馬鹿なことをいうな。あれは大名道具といって手前たちはそばにも寄れないんだから諦めたほうがいい」と。
それからというもの見る物がすべて高尾に見えるという恋の病に。
「誰がそんなことを。紺屋の職人には買えないなんて。売り物買物だから買えないことはない。初回は十両もあればいいだろう」と先生はいってくれる。
久三の給金は一年で三両。三年の辛抱をして九両貯めたら、私が一両足して十両にしてあげようと先生。
それを聞いた久三は体が急に軽くなり、腹が減ったといい元気になる。
それから久三が元気に働き、三年が経った。親方が久三を呼ぶ。
「久三、お前の三年の給料が九両溜まっている。九両では半端だから俺が一両足して十両にしてやる。もう三年我慢して二十両貯めろ。そうしたら店を分けてやるから」という話をした。
「では、買ってきますからください」という久三。
「何を買うんだ」と親方。
久三は、そんなことはどうでもいいからあっしが貯めた金を使うのだからください、というが、親方は無駄に使うなら一文もやれないと親方。
使い道をいえと久三を問い詰める。
「高尾を買うんですよ」と打ち明ける。
「三浦屋の高尾太夫に盃をいただいたい思いで三年働いたんですからお願いしますよ」というと、親方は、それを先にいえよ、と。威勢の良い話だ、三年間死ぬ気で貯めた十両を一晩で使うなんて。と、応援してくれます。
久三は今日行きたいという。ならば湯に行ってこい、と親方。
親方は自分のおろしたての着物から襦袢、帯、羽織を用意してあげます。
お玉ヶ池の先生のところにおめかしして、出かける久三。
先生は、親方が承知ならば、約束だから連れて行きましょうと。
ただ、紺屋の職人では、太夫とは会えないので、流山のお大尽ということで連れて行こうという。
私のことは「これ、竹内蘭石」と呼び捨てにしろという。
職人言葉がでるとダメなので「あいよあいよ」とお大尽言葉を使いなさいと命じます。
お玉ヶ池の医者、竹内蘭石につれられ、先生の行きつけの茶屋に。先生が三浦屋の高尾を、というと、たまたま空いている。
久三が案内されて高尾の部屋に通された。琴や三味線、胡弓、オリガン、ピアノ、バイオリンなどが並び、きらびやかな光景に久三がぼうっとしている。
新造にいわれるままに布団に登ると、禿(かむろ)につれられて高尾が入ってきます。
キセルに火をつけると、「お大尽、一服吸いなまし」と久三に差し出し「今度はいつきてくんなますか?」と聞く。
すると、久三は泣きながら「今度来るには、丸三年かかるのです」と、自分は紺屋の職人で、花魁に恋焦がれていっそ死のうと思ったのを、お玉ヶ池の先生が合わせてやるというので、三年間必死で働いて金を作ったという話をする。
今度また、三年かかるので、もし金ができても花魁がここにいなければ、二度と会えないのでは、それが悲しくて泣きました、とすべてを打ち明けて説明します。
すると高尾の目から涙がこぼれます。
〈源平藤橘四性の人に枕をかわす卑しい者を、三年も思い詰めてくれるという、なんという情の深い人なんだ。こういう人につれそったら、よし患っても見捨てるようなことはなかろう〉と思い「そんなら、わちきは来年二月十五日に、年が明けるのざます。主のところに訪ねて行きんすによって、女房にもってくんなますか?」といいました。
それを聞いて久三は泣きながら拝んだといいます。
高尾は、それならば二度とこの里に入ることはならない、といい、今夜の勘定は自分が良いようにするので、持ってきた十両は持って帰るようにといいました。
また会うまでの形見にと香箱の蓋をもらい、その晩はお客様ではなくご亭主の待遇で大門口まで送ってくれました。
帰ってきた久三は、あとの一年、しっかり働いて、翌年の二月十五日、紺屋吉兵衛の店先に新しい四つ手駕籠が到着します。
中から出たのが高尾太夫が出てきます。親方にしとやかに挨拶をして、「これは久三さんに」と持参金が銀行預金で8000万円(圓生がわかりやすくアレンジしているのだと思います)。
親方の仲人でめでたく夫婦にまとまるという、紺屋高尾でございます。
お時間でございます。
※演者によって話の順番や登場人物の名前、金額等が異なることがあります。
『紺屋高尾』ー概要
主人公 | 紺屋の職人久三、三浦屋高尾太夫 |
重要人物 | 親方吉兵衛、お玉ヶ池の医者竹内蘭石 |
主な舞台 | 江戸時代後期 新吉原の時代 |
時代背景 | 吉原は、世間の決まり事を超えた場所でした。太夫というのは最上位の遊女で、お大尽や大名が通う人でした。特別な身分であり、大名を振ることも許されていました。そんな時代のお話です。 |
類話 | 『幾代餅』など |
『紺屋高尾』の解説
紺屋の明後日とは
紺屋(こうや)とは、染物屋のこと。
江戸時代、藍染だけでなく染物屋全体を紺屋と読んでいたそうです。
紺屋町という地名は各地にありますが、舞台となるのは江戸の神田紺屋町。
現在は東京都千代田区神田紺屋町で「こんやちょう」という名前になっています。現在、紺屋町は神田乗物町をはさんで北と南の二つに別れています。
紺屋高尾、圓生の型では、久三が通された部屋に高尾花魁が登場し吸いつけ煙草をわたしたあと、「主、次はいつ来てくんなますか?」と聞きます。
ここで地語りが「紺屋の職人だから、適当に『明後日』とか洒落とけば良いのですが」といいます。
現代では、何気なく聞き逃してしまうくだりですが、この洒落の裏には「紺屋の明後日」という言葉があります。
染物屋の仕事は天候に左右されるため予定通りには仕上がらない。
催促に行っても、いつも「明後日にはできます」という答えが帰ってきたそうです。
それが、「紺屋だから明後日といっておけばいい」という洒落につながるのです。
三浦屋の太夫高尾と職人久三
花魁というのは、吉原遊廓のなかでもっとも位の高い遊女のことで、その最高位が「太夫」。
次の位が「格子」です。ここまでが花魁と呼ばれていたそうです。
才色兼備で歌舞音曲など芸事はもちろん、和歌、俳諧、茶道、花道、香道(紺屋高尾でも香炉の蓋が小道具として使われます)、囲碁将棋など、大名の相手もできる教養と知恵が求められました。
太夫は、吉原2000〜4000人いたという遊女のなかの最高位。多いときでも5人程度しかいなかったといわれています。大名道具ともいわれ、庶民は遠くから眺めることしかできないものでした。
が15〜20両程度、裏を返して30両、3回目の馴染みで初めて床入りとなりますが、祝儀と併せて100両以上がかかったといわれています。
1両8万円換算でも800万円程度ですので、もはや訳のわからない金額ですね。
馴染みになっても、何回も通わなくてはならないわけですので、多少の金持ち程度では太刀打ちできません。
また、花魁の場合、大名でも富豪でも気に入らなければ振ることができたといいます。
いわば、吉原遊廓では、大名よりも地位が高いとされている太夫。しかも今まさに全盛の高尾太夫は、吉原という世界のなかのことだとはいえ、職人の手が届く人ではないということです。
なけなしの十両を持って吉原に乗り込んだ久三は、紺屋の職人という身分では相手にされないので、流山のお大尽という設定に化ける必要があったわけですね。
初回、お裏、馴染み、吉原の基本ルール
吉原遊廓では、花魁と呼ばれるランクの遊女と遊ぶのに、基本的に最初のときから床をともにできるわけではありません。
また、直接揚げ屋にいってもダメで茶屋と呼ばれる大宴会を催すことができる飲食店を通す必要がありました。
御幇間医者の竹内が久三を連れて行くのが、馴染みの茶屋。竹内が行きつけですのでいきなりお大尽を連れて入れますが、一見では入れないのが茶屋です。
茶屋の女将を通して、三浦屋に交渉するわけですが、落語のなかでも解説されていますが、いつでも簡単に会えるわけではないんですね。たまたま高尾に急な暇ができたので会えたという設定になっています。
さて、ここからが大変。
当時の吉原遊廓では、①初会 ②裏 ③馴染み という3段回で花魁と関係を深めていくのがルールだったそうです。
3回目の馴染みではじめて床をともにするというから思いを遂げるのも大変なことです。
さて、初会は、顔合わせです。
顔合わせといっても、盛大なものでした。
茶屋では、芸者、芸妓、幇間(たいこもち)、新造、禿など多数の芸人と遊女が同席して大騒ぎの大宴会をいるわけです。花魁もそこで初めてお客さんと面会し、まあ2人で会うかどうかを決めるわけですよね。
その日はお部屋で会って、簡単に挨拶を交わす程度で終わりです。
ですので、紺屋高尾の物語で久三は、「高尾に会って酒を酌み交わしたい」という望みのために三年間働くのです。
次に会えるのが「お裏」といわれる2回目。廓話では、よく「裏を返す」という言葉が出てきますが、それは、一度会った遊女のところに2回目に行くことをさします。
さて、花魁の席では、1回目よりも豪華な酒宴が繰り広げられます。芸者、芸妓、幇間の数も増え、付き添いの新造や禿も大勢。みんなに祝儀を振る舞い楽しく派手に遊ぶわけです。
それで、3回目が「馴染み」。
3回通って、はじめて一緒に床に入ることができたといいます。
初回、裏よりも豪勢な酒宴を開き、みんなに祝儀渡して、やっと花魁と二人きりの夜を過ごすことができたといいます。
高尾太夫は十一代!?
高尾の所属する三浦屋は、吉原でも高級な大見世のひとつ。歌舞伎の『助六由縁江戸桜』の揚巻も三浦屋の所属ですよね。
高尾の姿は、歌舞伎の揚巻と重ねるとイメージしやすいと思います。
さて、高尾太夫は、三浦屋の太夫の名跡です。十一代または十代存在したといわれています。
有名なところでは「榊原高尾」と「仙台高尾」がいます。どちらも大名が大層入れ上げてしまった太夫です。
榊原高尾は、姫路藩主であった榊原政岑(さかきばらまさみね)に身請けされた遊女です。
ときは、徳川吉宗の享保の改革の頃でしたので質素倹約に努力する必要があったのですが、榊原は現在の価値で数億円を投じ榊原高尾を身請けしたといいます。
それ以前から吉原での豪勢な遊びが批判の対象となっていました。そのため、将軍から処分されるところですが、榊原家といえば本多家、酒井家、井伊家とともに徳川四天王の血筋ということですので、転封という処分で済んだそうです。
仙台高顔は、仙台藩三代目の伊達綱宗が通い詰めやはり大金を積んで身請けしようとしたといいます。
高尾は、頑として断り続けたために、綱宗に斬りつけられ、それが元で齢19歳にして亡くなったといわれていますが、それは俗説だそうです。
伊達綱宗は、酒色に溺れたためとして幕府より隠居を申し付けられます。その後わずか2歳の綱村が家督を継いだことが「伊達騒動」につながります。
まさに、傾城、傾国といわれた花魁の例ですね。
『幾代餅』とは人気を分け合う物語
職人が吉原の花魁と一緒になる話としては、五代目古今亭志ん生が演じた『幾代餅』があります。
こちらは、主人公が日本橋の馬喰町、搗き米屋の六右衛門方奉公人の清蔵。
吉原の姿えび屋幾代太夫の錦絵を見てからというもの恋煩いを患います。
親方は、1年一生懸命働いて金を貯めたら幾代太夫に会えるといいます。それで清蔵は元気になり働きました。
ここからは『紺屋高尾』と同じで、1年間しっかり働いて貯まったお金は十三両二分。
その金で清蔵は幾代に会いに吉原に行くというと、親方は、あれは嘘だったといいます。会える訳がないだろうが、と。
悪いこと言わないから良しなよ、と親方。諦めるように説得しますが、どうしても諦められない、どうしても幾代太夫に会いたいという清蔵。
会ってももらえないかも知れない、ちょっとだけ顔をかえっちゃうかもしれない、と親方。
薮井竹庵という医者が女郎買い(じょうろかい)においては一流だということで、頼んで吉原に行くことになりました。
野田の醤油問屋の若旦那という設定で薮井の行きつけの茶屋にいきます。
幾代太夫と会えることになり、初会なのに大層なおもてなし。
裏はいつかと聞く太夫に「1年たったら」と正直に自分が搗き米屋の奉公人だと打ち明ける清蔵。
太夫は、その正直さに感動して、来年3月15日に年季が明けるので女房にしてほしいといいます。
そして3月15日。搗き米屋に幾代太夫を乗せた幾代太夫が現れて、薮井竹庵の仲人で結婚するわけです。
独立して両国広小路に店を出し、元の商売が搗き米屋だから「幾代餅」という餅屋を初めて、それがヒットしました、という話です。
「傾城に誠なしとは誰が言うた。幾代餅のお話でございます」
古今亭志ん朝、金原亭馬琴の兄弟も『幾代餅』を得意としていました。古今亭が好きな人は、『紺屋高尾』より『幾代餅』だったようです。
志ん生の弟子の円菊の系統でも演じられています。
『紺屋高尾』の魅力
恋煩いと純愛の話〜泣ける廓話
落語という語りのなかで語られる純愛ストーリーがこの話の魅力でしょう。
落語の世界では、『三枚起請』『五人廻し』『品川心中』『二階ぞめき』『居残り左平次』など多くの廓話が残っています。吉原遊廓には、大見世だけでなく、庶民が馴染みになるような宿もありましたので、町人も気軽に遊びにいきます。
そこでは、遊女と客とのさまざまな物語がありました。
歌舞伎では、近松門左衛門の『恋飛脚大和往来』(人形浄瑠璃の『冥途の飛脚』)のように、悲しい物語もあります。
落語では、あまり悲しい話がありませんね。遊女の嘘に乗せられてしまう話や、遊廓での野暮な振る舞いを揶揄する話が多い印象です。
『紺屋高尾』は、そのなかでも純愛をテーマとした珍しい話です。廓話なのに厚い人情が伺えます。
恋煩いであり、高尾の「女房にしてほしい」という感情。それが、この話ならではの人情です。
廓話のなかでも珍しく「泣ける」話だということが、『紺屋高尾』の魅力ですね。
『紺屋高尾』の感想
紺屋高尾は工夫が大事な話です。
久三の恋煩い、お金を貯めるために働く様子、そして親方の江戸っ子気質の威勢の良さ、高尾の涙と決意。それぞれのキャラクターをしっかりと演じ分けながら話を進めていくわけですから。
話の内容は、単純なラブストーリーなのに、そこには紺屋の職人がリアルで太夫がリアルなほど、面白くなるのだと思います。
高尾のような太夫職は千人に一人。
ほとんどの遊女は、慰み者として暮らしています。
太夫だって心の底では苦しい思いをしているかもしれません。
そもそも苦界(くがい)と呼ばれたのが吉原ですから。
仲之町の賑やかで明るい様子、太夫のこの世のものとは思えない姿とは別に、『文七元結』のお久や『柳田格之進』のお衣が、親のために身を沈める決意をした吉原遊廓があるということも事実です。
苦しい世界だからこそ、男を騙す遊女のずるさをテーマにしたり、馬鹿で野暮な客を描いたりという話が多いのかもしれません。
「生まれては苦海、死しては浄閑寺」、投込寺とも呼ばれる浄閑寺には、江戸、明治、大正、昭和と380年余りの間に、遊女、遊女の子、遣手婆などが2万5千人もが葬られているといいます。
徳川時代から、幕府公認の売春施設として守られてきた吉原遊廓。
圧倒的な教養と美しさを誇った太夫や格子は、その教育にかかるコストが莫大であったため江戸後期にはいなくなったともいわれています。
紺屋高尾の人気の理由は、やはり「そんなことあるわけないだろう」というような夢を見せてくれるからなんでしょうね。
以上、落語『紺屋高尾』のあらすじ・解説・感想でした。