太宰治『女生徒』14歳の少女の一日を綴った作品

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太宰治『女生徒』14歳の少女の一日を綴った作品

『女生徒』の紹介

『女生徒』は太宰治(1909⁻1948)の短編小説です。

『文學界』(1939年4月号)に掲載後、単行本『女生徒』(砂子屋書房、1939年7月20日)に収録され、1942年6月『女性』に再録されています。

『女生徒』は太宰治が当時19歳だった女性読者、有明淑から送られてきた日記を元に14歳の少女が朝起床してから夜就寝するまでの一日を綴った作品です。

川端康成はこの作品について「この女生徒は可憐で、甚だ魅力がある。少しは高貴でもあるだろう。(略)作者は『女生徒』にいはゆる「意識の流れ」風の手法を、程よい程度に用ゐている。それは心理的といふよりは叙情的に音楽じみた効果をおさめてゐる。」(『文藝春秋』、1939年5月)と評し、当時の太宰治の代表作の一つになりました。

『女生徒』のあらすじ・解説・感想をまとめました。

『女生徒』ー概要

主人公
主な舞台 東京
時代背景 昭和初期
作者 太宰治

『女生徒』ーあらすじ

「あさ、眼をさますときの気持は、面白い。朝の私は一ばん醜い。朝は、意地悪。」

朝起きて「お父さん」と呟いた。5月になり、「私」は浮き浮きした気持ちになるが、お父さんが死んだという事実が不思議になる。

「私」は嫌な子だ。甘えてくる2匹の犬の内、綺麗な一匹だけをうんと可愛がって、もう一匹は知らんぷりをする。

誰にも可愛がられないのだから早く死ねばいいとすら思うが、そんなことを思う自分を情けなく思う。

お母さんは人のために尽くす人で、朝早くから誰かの縁談のために朝早くからでかけている。

一方でお父さんは、勉強ばかりしていた人だった。

お互いに尊敬しあっていた美しい夫婦だったが、「私」はそれをああ、生意気、生意気と感じている。

ひとりでご飯を済まして登校する。

雨が降る予定はないが、昨日お母さんからもらった傘を持って歩きたくて、携帯した。

こんな傘を持ってパリを歩く自分の姿を夢想する。現実の自分がみじめで可哀想に思った。

電車の空席に座ろうとしたが、サラリーマンに席を奪われてしまった。

「私」は仕方なく吊革にぶらさがって、雑誌を読んでいたが、ふと「私」から本を読み、それに生活をくっつけてみるということを取り上げたらどうするだろうと考えた。

「私」は自分の個性みたいなものを、本当はこっそり愛しているが、それをはっきり自分のものとして体現するのは恐ろしい。

周りの人々がよいと思う娘になりたいと思うが、言いたくもないことをその方が得だからとペチャペチャしゃべっている自分が嫌になる。

早く道徳が一変するときがくればいいと思う。

お茶の水に着き、プラットホームに降り立つと、けろりとしてしまって、今考えていたことを思い出そうとしても思い出せない。

私は、少し幸福すぎるのかもしれない。

午後の図画の時間には、伊藤先生の絵のモデルにさせられた。

持参した傘が話題になり、先生にも伝わったらしい。先生は「私」を描いて、展覧会に出すのだという。

伊藤先生と向かい合っているのはとても面倒くさく、わずらわしい。こんな心の汚い「私」をモデルにして、先生の絵は落選するに決まっている。

先生がばかに見えてしょうがない。

放課後は、お寺の娘のキン子さんとハリウッドへ行って髪を結ってもらった。

頼んだように可愛くならなかったので、がっかりして、こんなところに来た自分をあさましく感じたが、キン子さんははしゃいでいる。

キン子さんは「私」のことを一番の親友だとみんなに言っているが、彼女の何も考えない性格が「私」は嫌に感じている。

バスを降りて帰路についた「私」は、田舎の道を歩いているうちにたまらなく淋しくなってきた。

この頃の自分は、いつでも不安で、なにかにおびえている。

草原に仰向けに寝転がった。「お父さん」と呼んでみる。「みんなを愛したい」と涙が出そうなくらい思いました。

家に帰ると、お客様が来ていた。客がいる時の母は変に「私」に冷たくよそよそしてくて、父が恋しくなる。

お魚を洗っていると、北海道に嫁いだ姉のことを思い出した。

もう私のものではない姉に抱き着くことができなくて、死ぬほど淋しい気持ちになる。

肉親って不思議な物もの。懐かしい美しいところばかりが思い出されるのだから。

姉と父がいて、母も若かった頃が胸が焼けるほど恋しくなった。ただ思いきり甘えていればよかった。

今は人に甘えることができなくなって、考え込んでばかりで苦しい。

お客さんが帰った後、お母さんと久しぶりに二人きりで過ごした。

お母さんだって、お父さんが亡くなった後、世間から馬鹿にされまいと努めている。大事にしよう、と思う。

12時近くなって洗濯をはじめた。大人になってしまえば、この苦しさや侘しさは可笑しなものだったと思い出せるようになるのかもしれないけれど、この長い嫌な期間をどう過ごせばいいのか誰も教えてくれない。

洗濯を済まして、お風呂の掃除をして、寝間着に着替え、布団に倒れる。明日もまた、同じ日が来るのだろう。

幸福は一生、来ないのだ。けれども、きっと来る、あすは来ると信じて寝るのがいいのでしょう。

「私は王子さまのいないシンデレラ姫。あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?もう、ふたたびお目にかかりません」

『女生徒』―解説(考察)

『女生徒』は、ある14歳の少女の一日が少女の独白体で語られている作品です。

この作品について知るためには「私」について理解を深める必要があります。

「私」について

「私」は御茶ノ水の学校に通う14歳の少女です。父は他界し、姉は北海道に嫁いだので、母親と二人暮らしをしています。

母は社交的な性格で、一日中客の対応をしており、「私」と過ごす時間はあまりないようです。

「私」も忙しい母に代わり家事をしているようで、掃除・料理・洗濯など一通りの仕事をこなしていました。

「私」は思春期らしい多感な少女です。内心で他者を軽蔑し、そんな自分に嫌悪感を抱いています。

年寄りのくせに厚化粧をしている女性や、ハリウッドで髪を結った自分たち、襟の汚れた着物を着てもじゃもじゃの赤い髪を櫛に巻き付けた妊婦を「汚らしい雌鶏」のようだとあざ笑います。

一見、強烈な外見主義者のように思えますが、「ああ、汚い、汚い、女は、いやだ。」「いっそこのまま、少女のままで死にたくなる。」という言葉からは、大人になることへの抵抗や恐怖が感じられます。

なぜ大人になることが怖いのか。それはありのままで生きていけない世の中を窮屈に感じているからです。

「私」は、幼少期に周りと違う考え方をして母親からは怒られ、父親から「中心はずれの子」と言われた経験から、個性を出すことを恐れ、過剰に他者からの評価を気にする性格になってしまいました。

しかし内心では「自分の個性みたいなものを、本当は、こっそり愛しているのだけれども、愛して行きたい思うのだけれど」と考えています

「早く道徳が一変するときが来ればよいと思う。」という言葉からは、個性を貫くまでの覚悟はなく、周囲に望まれる自分を演じようとする様子がうかがえます。

冒頭と結末の循環構造

「私」は「明日もまた、同じ日が来るのだろう。幸福は一生、来ないのだ。」とこのような日々が繰り返されることを諦観していますが、それは冒頭部と最終部の構成からも予感されています。

結末の「眠りに落ちるときの気持って、へんなものだ。鮒ふなか、うなぎか、ぐいぐい釣糸をひっぱるように、なんだか重い、鉛みたいな力が、糸でもって私の頭を、ぐっとひいて、私がとろとろ眠りかけると、また、ちょっと糸をゆるめる。そんなことを三度か、四度くりかえして、それから、はじめて、ぐうっと大きく引いて、こんどは朝まで。」は冒頭の「あさ、眼をさますときの気持は、面白い。」に繋がっています。

『女生徒』の元となった有明淑の日記にはこのような文章はなく、太宰が意図して加筆したものだとわかります。

『女生徒』ー感想

「私」の不安定さに輪をかけているのは、父や姉の不在と母親の変化でしょう。

14歳の少女が「小金井の家が懐かしい。胸が焼けるほど恋しい。あの、いいお家には、お父さんもいらしったし、お姉さんもいた。お母さんだって、若かった。自分を見詰めたり、不潔にぎくしゃくすることも無く、ただ、甘えて居ればよかったのだ。なんという大きい特権を私は享受していたことだろう。」と語る場面には胸を締め付けられます。

私は「肉親って、不思議なもの。他人ならば、遠く離れるとしだいに淡く、忘れてゆくものなのに、肉親は、なおさら、懐かしい美しいところばかり思い出されるのだから。」(「女生徒」、太宰治、角川文庫)という言葉にとても共感しました。

私にとってこの作品は、若き日の多感な自分の日記を読んでいるような羞恥心を感じると共に、離れて暮らす両親や兄弟と過ごした日々を思い出し、懐かしさに泣きたくなるような郷愁の念にかられる作品です。

太宰治は誰もが漠然と抱えている想いを言語化にすることに長けた作家だと改めて感じました。

以上、『女生徒』の感想でした。