太宰治『乞食学生』数々の詩や戯曲からの引用の意味とは?

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太宰治『乞食学生』数々の詩や戯曲からの引用の意味とは?

『乞食学生』紹介

『乞食学生』は太宰治著の小説で、1940年7月号12月号にかけて雑誌『若草』に連載されました。

本作は、職業作家としての苦悩を抱えた男が二人の学生との出会いを通じて、過ぎ去った青春の気分を取り戻す物語です。

主人公は、太宰というペンネームであるほか著者自身との類似点が多いものの、本名は創作されていたり、いわゆる夢オチの結末であったり、フィクションとしての要素も多く見られます。

ここでは、『乞食学生』のあらすじ·解説·感想までをまとめました。

『乞食学生』あらすじ

気力もなく土手を歩いていた「私」は、傲慢無礼な少年·佐伯に出会います。

彼は、進学の援助を受けている葉山家からフィルムの弁士を依頼され、つまらない道化を演じなければならないことを嘆いていました。

「私」はその態度に苛立ちを覚え「代ってやってもいい」と言い放ち、やけになって制服を売り払った佐伯のために友人の熊本君の家を訪ねますが、制服を借りたところで、佐伯が留置場を出たばかりだということを知ります。

気まずくなった佐伯は逃亡を図り、さらには「私」へナイフを突きつけました。

心を閉ざした佐伯でしたが、かける言葉が見つからず落ち込む「私」の誠実さを信頼し、弁士は既にやってしまったこと、その絶望から酒を飲んで捕まったことを素直に白状しました。

佐伯の提案で乾杯し、三人は清々しい気持ちで街を歩き出します。

青春を取り戻したような高揚感から大声で歌っていると、警察に呼び止められ、「私」は肝を冷やすのでした。

ふと気づくと、「私」は土手の草原に寝転んでいました。

すべては夢の中の出来事だったのです。

思い出してみても、もはや若い情熱は少しも湧いて来ず、「私」はただ苦笑を浮かべるのでした。

『乞食学生』概要

主人公 私(太宰/本名:木村武雄)
重要人物 佐伯五一郎、熊本君
主な舞台 玉川上水、吉祥寺、渋谷
時代背景 1940年ごろ
作者 太宰治

『乞食学生』解説(考察)

本作を読むにあたって最も印象的なのは、数々の詩や戯曲からの引用でしょう。

引用されているのは、フランスの詩人·フランソワ·ヴィヨンの詩、ゲーテ著の戯曲『ファウスト』、ヴィルヘルム·マイヤー=フェルスター著の戯曲『アルト·ハイデルベルク』の三つです。

ヴィヨンといえば、思い浮かぶのは太宰の代表作である『ヴィヨンの妻』でしょう。

性格破綻者の夫を、放蕩詩人であったヴィヨンに例えて描かれた小説です。

さらに『ファウスト』は後に『正義と微笑』にも引用され、『アルト·ハイデルベルヒ』はこれをオマージュした『老ハイデルベルヒ』が執筆されています。

これらがいずれも太宰の中で大きな意味を持つ作品群であったことがうかがえます。

ここでは、これらの引用部に着目することで本作に描かれた青春への悔恨と太宰が目指した小説の在り方について、より深く読み解いていきたいと思います。

若き頃、世にも興ある驕児たり

一つ目の引用は、「第一回」の後半に登場するヴィヨンの詩です。

玉川上水の土手で少年と出会った「私」が、言い争いに疲れて草地に寝転がり目を瞑ったところで、下記の引用が差し込まれます。

若き頃、世にも興ある驕児たり

いまごろは、人喜ばす片言隻句だも言えず

さながら、老猿

愛らしさ一つも無し

人の気に逆らうまじと黙し居れば

老いぼれの敗北者よと指さされ

もの言えば

黙れ、これ、恥を知れよと袖をひかれる。(ヴィヨン)

太宰治『新ハムレット』(乞食学生),新潮文庫,113

本作の結末はいわゆる夢オチですが、おそらくこの引用直後からが白昼夢であったと考えられます。

この詩は夢への導入として用いられ、「私」の夢想のフックとなっていることから、物語全体のテーマを提示していると読むことができます。

詩の内容がどのように作中と絡められているか、順に解説していきたいと思います。

この引用の直後に、佐伯に対し「自信がないんだよ、僕は。」と語ることからも、「私」が「愛らしさ一つも無し」という「老猿」に自身を重ねているのは明らかでしょう。

冒頭の「天候居士」と揶揄された愚鈍作家の話も、「人喜ばす片言隻句だも言えず」に繋がる伏線となっています。

「私」は佐伯から投げかけられる問いに一つも答えられない不甲斐なさから、作家および、ひとりの大人としての自信を喪失してしまっているのです。

一方の佐伯は、知識をひけらかして得意になっている典型的な「驕児」として描かれています。

「老いぼれのぼんくらは、若い才能に遭うと、いたたまらなくなるものさ。」などと言って、「老いぼれの敗北者」に堂々と指をさしています。

もとの詩で「過去/現在」の対比を示す「驕児」「老猿」は、本作で「佐伯/私」に置き換えられました。

つまり、佐伯=「私」の過去の姿と読むことができます。

佐伯の容姿について、冒頭で「猿のように見える」と書いているのも、この伏線のように思われます。

佐伯=「私」の過去の姿とすると、「第二回」の展開も自然に読み解くことができます。

「(前略)僕なんて、だまっていたくても、だまって居れない。心にもない道化でも言っていなけれゃ、生きて行けないんだ。」大人びた、誠実のこもった声であった。私は思わず振り向いて、少年の顔を見直した。

「それは、誰の事を言っているんだ。」

 少年は、不機嫌に顔をしかめて、

「僕の事じゃないか。僕は、きのう迄、良家の家庭教師だったんだぜ。低能のひとり娘に代数を教えていたんだ。僕だって、教えるほど知ってやしない。教えながら覚えるという奴さ。そこは、ごまかしが、きくんだけども、幇間の役までさせられて、」ふっと口を噤んだ。

太宰治『新ハムレット』(乞食学生),新潮文庫,124-125

佐伯の「心にもない道化でも言っていなけれゃ」という一言に、「私」は驚いて「誰の事を言っているんだ。」と尋ねています。

それはまさに「私」自身が抱えている悩みであったからです。

ここで「佐伯/私」の対立構造がやや崩れ、二人の共通項、つまり過去現在の繋がりが見えてくるのです。

「僕には、ぎりぎりに苛酷の秩序が欲しいのだ。うんと自分を、しばってもらいたいのだ。」と恵まれた境遇を嘆き過酷さを求める佐伯の言い分は、金持ちに生まれたことを恥じて自虐的に放蕩していた太宰自身の経験に基づいているように思われます。

「私」が妙にむきになって佐伯を論破しようと試みているのは、「幼い正義感に甘えている」佐伯に過去の自分の姿を見たからでしょう。

過去の自分こそ、いわば現在の不甲斐ない自分を形成した張本人だからです。

物語の主題が過去の悔恨との対峙であるならば、ヴィヨンの詩の引用は、物語全体のテーマを象徴しているとも言えるでしょう。

正直に叫んで、成功し給え。

二つ目の引用は、「第四回」の冒頭に登場します。

「私」が佐伯の代わりに弁士をやることとなり、制服と制帽を借りに佐伯の友人·熊本君を訪ねている場面です。

ワグネル君、

正直に叫んで、

成功し給え。

しんに言いたい事があるならば、

それをそのまま言えばよい。(ファウスト)

太宰治『新ハムレット』(乞食学生),新潮文庫,136-137

『ファウスト』はドイツの伝説を基に描かれた戯曲で、際限のない知識欲を満たしきれず絶望していた学者·ファウストが、悪魔·メフィストフェレスの誘惑によって破滅していく悲劇です。

これは第一章の冒頭からの引用と思われ、本作中で用いられる比喩の伏線になるとともに、太宰自身の作家としての強い主張も込められていると言えます。

まずは比喩の伏線という点について解説していきます。

作中にはこの引用を伏線として、「私」をファウストに、佐伯をメフィストに例える場面があります。

(前略)「なんだか、面白くなりそうですね。あなたは青春を恢復したファウスト博士のようです。」

「すると、メフィストフェレスは、この佐伯君という事になりますね。」私は、年齢を忘れて多少はしゃいでいた。「これが、むく犬の正体か。旅の学生か。滑稽至極じゃ。」

太宰治『新ハムレット』(乞食学生),新潮文庫,145

熊本君は、三十を過ぎているにも関わらず制服を着て意気揚々としている「私」の姿を、悪魔の力で若返りさまざまな享楽を味わう「ファウスト博士」に例えたのです。

それに呼応する形で今度は「私」が、自分をここまで連れ出した佐伯こそ悪魔「メフィストフェレス」であると言います。

さらに作中では明言されていませんが、「私」=ファウスト、佐伯=メフィストとくれば、熊本君は「ワグネル君」に例えることができるでしょう。

ワグネルはファウストの助手であり、しばしばファウストと対立する存在として描かれます。

引用部は二人が弁論について議論する場面であり、演説には弁論法こそ重要だと主張するワグネルに対しファウストは、技巧など必要なく正直に語ることが第一だと諭しているのです。

弁論法重視、つまり本質よりも体裁を重視するワグネルは、赤い鼻を過剰に気にしたり、見栄を張って洋書を机に広げていたり、人からの見え方ばかり気にしている熊本君に通ずるところがあります。

佐伯は、熊本君を「ディリッタンティ」「ブルジョア」と評していました。

「ディリッタンティ」とは、「好事家」「芸術愛好家」などと訳されることが多い単語で、仕事でなく趣味として芸術や学問を楽しむ人のことを言います。「ブルジョア」は俗にいう金持ちのことです。

つまり、金に困ることもなく道楽的に学ぶことが許されている熊本君は、進学のため「愚劣な映画の弁士」をつとめねばならない佐伯や、「この世の中に生きてゆく義務として」納得いかない作品も送らねばらない「私」とは対極にある存在なのです。

『ファウスト』になぞらえたこの比喩は、「佐伯/私」の対立構造が、いつの間にか、「佐伯·私/熊本君」に変化していることを暗に示していると言えるでしょう。

次に、この引用部に込められた太宰自身の主張について考察していきます。

正直さこそ重要、というファウストの主張は、太宰が作家として目指した「単一表現」そのものでした。

「単一表現」とは、この前年に執筆された『富嶽百景』に記されている言葉です。

(前略)私の世界観、芸術というもの、あすの文学というもの、謂わば、新しさというもの、私はそれらに就いて、未だ愚図愚図、思い悩み、誇張ではなしに、身悶えしていた。

 素朴な、自然のもの、従って簡潔な鮮明なもの、そいつをさっと一挙動で掴えて、そのままに紙にうつしとること、それより他には無いと思い、そう思うときには、眼前の富士の姿も、別な意味をもって目にうつる。この姿は、この表現は、結局、私の考えている「単一表現」の美しさなのかも知れない、(後略)

太宰治『走れメロス』(富嶽百景),新潮文庫,71

「素朴な、自然のもの」を装飾することなく「そのままに紙にうつしとる」ことが、新しい文学の美を生むのではないかと太宰は考えていたのです。

実際、本作の中にもそれがあらわれている一節があります。

(前略)頭を挙げて見ると、玉川上水は深くゆるゆると流れて、両岸の桜は、もう葉桜になっていて真青に茂り合い、青い枝葉が両側から覆いかぶさり、青葉のトンネルのようである。ひっそりしている。ああ、こんな小説が書きたい。こんな作品がいいのだ。なんの作意も無い。(後略)

太宰治『新ハムレット』(乞食学生),新潮文庫,107

「なんの作為もない」作品を切望している「私」もまた、「単一表現」を追い求めていることがわかります。

『ファウスト』のこの一節は、そんな太宰自身の作家としての流儀を裏付けるかのような台詞といえます。

作中の展開としても、はじめは大人としての体裁を守るべく、「ふだん思ってもいない事まで、まことしやかに述べ来り、説き去り、とどまるところを知らぬ状態に立ち到ってしまう」茶店へ佐伯を誘い込んでいたものの、少年らと触れ合う中で「人を責める資格は、僕には無いんだ。」「大人も、子供も、同じものなんだよ。」と弱さを素直に曝け出すようになっていきます。

太宰は創作のみならず私生活においても、飾らず素朴であることの難しさを感じていたのかもしれません。

太宰の分身とも言える作中の「私」が、それを克服していく姿は泥臭いながらもある種の爽快さが感じられます。

「青年よ、若き日のうちに享楽せよ!」

三つ目の引用は「第六回」の冒頭に登場する、フランソワ·ヴィヨンの詩の一節です。

「青年よ、若き日のうちに享楽せよ!」
と教えし賢者の言葉のままに、
振舞うた我の愚かさよ。
(悔ゆるともいまは詮なし)
見よ! 次のペエジにその賢者
素知らぬ顔して、記し置きける、
「青春は空に過ぎず、しかして、
弱冠は、無知に過ぎず。」(フランソワ·ヴィヨン)

太宰治『新ハムレット』(乞食学生),新潮文庫,158-159

フランソワ·ヴィヨンは15世紀のフランスの詩人で、中世最大の詩人、最初の近代詩人ともいわれます。

彼は度々、殺人、窃盗、傷害などの事件を起こし放蕩を繰り返しながら、数多くの作品を書き遺しました。

左翼活動、心中未遂、薬物中毒と問題行動を繰り返していた太宰にとって、放蕩の詩人·ヴィヨンは決して他人とは思えない存在だったことでしょう。

この詩は「その痛切な嘆きには一も二も無く共鳴したい。」ともあるように、「第一回」引用部に引き続き、「私」の青春に対する悔恨を代弁する一節と言えます。

この詩の中の「賢者」は、言葉通りの肯定的な意味を持つ存在とはいえません。

先に考察した「佐伯·私/熊本君」の対立構造をこの引用部に当てはめると、「ヴィヨン/賢者」という図式が成り立ちます。

「賢者」は、青春は空虚なもの、若者は無知なもの、と割り切った上で「享楽せよ!」と記しましたが、その言葉にしたがったヴィヨンは破滅の道を辿ることとなり、そのことを深く嘆きました。

ヴィヨンが語った「賢者」とは、学問のための学問を追求する存在だったのでしょう。

彼は青春を空虚に過ごし、無知なままであっても、生活を失うことなく学問を続けることのできる「ブルジョア」「ディリッタンティ」だったのです。

この「賢者」に通じる言葉が、この引用部の少し前にも登場しています。

それは、熊本君が口にする「パルナシヤン」という言葉です。

「そうですとも。」熊本君は、御機嫌を直して、尊大な口調で相槌打った。「私たちは、パルナシヤンです。」
「パルナシヤン。」佐伯は、低い声でそっと呟いていた。「象牙の塔か。」
 佐伯の、その、ふっと呟いた二言には、へんにせつない響きがあった。私の胸に、きりきり痛く喰いいった。私は、更に一ぱいビイルを飲みほした。

太宰治『新ハムレット』(乞食学生),新潮文庫,155

「パルナシアン」とは「芸術のための芸術」という思想のもと、客観的·絵画的な格調と形式上の技巧を重んじるフランス近代詩の一流派です。

自身の苦悩を主観的に書き綴った「生きるための詩作」とも言えるヴィヨンの姿勢とは対照的であり、これもまた「ディリッタンティ」的なスタンスであると言えます。

つまり、「ヴィヨン/賢者=パルナシヤン」という対立が見えてきます。

何気ない「パルナシアン」という一言からは、「乞食学生」である佐伯と「ブルジョア」である熊本君という、二人の決定的な差異が強調されています。

「映画の説明なんて、そんなだらし無い事」をすでにやってしまったのだと告白した佐伯は、すでに「驕児」でなく「老猿」への一歩を踏み出してしまっていました。

そんな佐伯に大人としての言葉をかけることができず落ち込む「私」に、佐伯は「木村君、君は、偉い人だね。君みたいに、何も気取らないで、僕たちと一緒に、心配したり、しょげたりしてくれると、僕たちには、何だか勇気が出て来るのだ。」という言葉を投げかけます。

これは、無理に取り繕って「賢者」であろうとしなかった「私」の誠実さに心打たれたからでしょう。

青春への悔恨という同じ主題を掲げたヴィヨンの詩が、前半では「私と佐伯の対立」、後半では「私と佐伯の結託」という全く正反対の展開を導いているところは非常に興味深いです。

その実を犇と護らなん

最後の引用は、物語のクライマックスに登場する、戯曲『アルト·ハイデルベルク』の一節です。

祝杯をあげたのち、酔っ払った「私」が高揚感に浸りながら陽気にこれを歌い上げます。

ああ消えはてし  青春の
愉楽の行衛    今いずこ
心のままに    興じたる
黄金の時よ    玉の日よ
汝帰らず     その影を
求めて我は    歎くのみ
  ああ移り行く世の姿
  ああ移り行く世の姿
塵をかぶりて   若人の
帽子は古び    粗衣は裂け
長剣は錆を    こうむりて
したたる光    今いずこ
宴の歌も     消えうせつ
刃音拍車の    音もなし
  ああ移り行く世の姿
  ああ移り行く世の姿
されど正しき   若人の
心は永久に    冷むるなし
勉めの日にも   嬉戯の
つどいの日にも  輝きつ
古りたる殻は   消ゆるとも
実こそは残れ   我が胸に
  その実を犇と護らなん
  その実を犇と護らなん」(アルト·ハイデルベルヒ)

太宰治『新ハムレット』(乞食学生),新潮文庫,167-168

『アルト·ハイデルベルク』はドイツの戯曲で、王子·カール·ハインリッヒが遊学先のハイデルベルクで束の間の青春を過ごすも養父の死によって祖国に呼び戻され君主となり、数年後に再びハイデルベルクを訪問するまでを描いた物語です。

彼が再び訪れた頃には、街も人も様変わりしており、もはや彼の知るハイデルベルクはありませんでした。

しかし、かつての恋人との再会を通じて青春の記憶を思い起こし、最後には晴れやかな気持ちでハイデルベルクを後にします。

悲劇的なヴィヨンの詩とはうって変わって、失われた青春に対する切なさが一種の爽やかさをもって表現されているのが印象的です。

この引用は、青春を取り戻したような晴れやかな気分の最高潮を表現するとともに、この幸福な夢から覚めた後の虚しさを効果的に演出しています。

「失った青春を再び、現実に取り戻し得た」と感じた「私」は、「その実を犇と護らなん」と歌い上げます。

しかし、夢から覚めてしまうと胸に抱いていたはずの青春の気分もすっかり失われてしまい、「その実を犇と護らなん」という一節にも「深刻な苦笑」を浮かべることしかできない「三十二歳の下手な小説家」に逆戻りしてしまいました。

晴れやかで美しい『アルト·ハイデルベルク』の一節は、物語のクライマックスを彩る祝歌と思いきや、なんとも残酷で薄暗いラストへの伏線として用いられていたのです。

これと同じ傾向は、本作の2年後に執筆された『老ハイデルベルヒ』にも現れています。

太宰の青春の地であった三島が数年後、「荒涼として、全く他人の町」となっていたことを嘆くまでの展開は、『アルト·ハイデルベルク』のオマージュと言って差し支えないでしょう。

しかし、『アルト·ハイデルベルク』では懐かしの恋人に再会して晴れやかな気持ちで街を去るのに対し、『老ハイデルベルヒ』では最後まで懐かしい人に会うことはできず、「いよいよやりきれなく、この世で一ばんしょげてしまいました。」という一言で物悲しさを漂わせたまま締めくくられているのです。

太宰は『アルト·ハイデルベルク』に描かれた郷愁の美しさは認めつつも、思い出は胸に抱いて今を生きる、という清々しいラストシーンには否定的だったのではないでしょうか。

本作中に「なるべくなら僕は、清潔な、強い、明るい、なんてそんな形容詞を使いたくない」とあるように、太宰にとってある種のポジティブさは嘘くさい装飾的なもの、現実味のない空虚なものに感じられたのかもしれません。

「夢オチ」という一見チープなラストは、太宰なりの誠実さだったのではないかとも感じられます。

感想

大貧に、大正義、望むべからず

最後に、作品の副題にもなっているヴィヨンの詩についても触れておきたいと思います。

大貧に、大正義、望むべからず
      ――フランソワ·ヴィヨン

太宰治『新ハムレット』(乞食学生),新潮文庫,103

冒頭でもお伝えした通り、本作の主題は青春への悔恨と「単一表現」の追求の二つと考えられますが、これらはより大きな一つのテーマに内包された主題とも捉えることができます。

それは太宰にとって人生の命題ともいえる、清貧との葛藤でした。

作品の質にこだわり、そのためなら金を稼げなくても良いという芸術家としての考えか、たとえ下手な作品でも生活のために出版し続けるべきとする職業作家としての考えか、どちらを優先すべきかという苦悶です。

本作を執筆していた1940年ごろ、太宰はこの清貧についてよく考えていました。

例えば、同年執筆の『きりぎりす』や、翌年執筆の『清貧譚』の中でもこの言葉を取り上げています。

『きりぎりす』では、金に執着する画家の夫を非難し「いいお仕事をなさって、そうして、誰にも知られず、貧乏で、つつましく暮して行く事ほど、楽しいものはありません。」と清貧を貫こうとする妻の言葉が綴られています。

対して『清貧譚』では、清貧にこだわる意固地な男に対し、「天から貰った自分の実力で米塩の資を得る事は、必ずしも富をむさぼる悪業では無いと思います。」と諭す一節が印象的です。

同時期にこれらの作品を描いた太宰は、この清貧という命題に対して自己反論を繰り返していたのです。

本作の冒頭、まだ現実を知らない「驕児」かのように見えた佐伯は、実は「私」と同じ清貧との葛藤に苦しむ「乞食学生」であり、作品の終盤には、すでに学問のため清貧を捨て去っていたことが明らかになりました。

遠く離れた存在だった佐伯は徐々に現在の「私」に近づき、その目前にまで迫ってくるのです。

後に引けなくなり、ついに「私」へナイフを突きつける佐伯の姿は、自身の愚かさに耐えかねて自殺未遂を繰り返した若き日の太宰自身が投影されているようにも感じられます。

大人として清貧に妥協しながら生きる「私」は、彼を叱るのでも諭すのでもなく、「子供が大人に期待しているように、大人も、それと同じ様に、君たちを、たのみにしている」と、彼らの未来に希望を託しました。

さらに、「佐伯君にも、熊本君にも欠点があります。僕にも、欠点があります。助け合って行きたいと思います。」と、大人·少年、乞食·ブルジョアの立場を超えて、それぞれを認め合おうと宣言します。

『きりぎりす』が清貧への賛美、『清貧譚』がその反論だとすれば、『乞食学生』は清貧を目指すものへの激励と言っても良いかもしれません。

しかし、結論として、理想論とも言えるこれらの主張はすべて白昼夢として消化されてしまいました。

現実に戻ってしまえば手触りのない、「苦笑」を禁じ得ない陳腐な言葉として反芻されます。

ここにもまた、清貧の結論を示すことへの躊躇が感じられます。

太宰はそうした職業作家としての葛藤に苦悶しながらも、本作執筆の1940年には『女の決闘』『走れメロス』などを含む9作もの小説を発表し、以降も死の直前に至るまでハイペースな執筆を続けました。

傲慢に清貧ばかり追い求めることはせず、しかし卑屈になってその誇りを打ち捨てることもなく、闘い続けた結果とも言えます。

『乞食学生』は、太宰の生活と創作に対する覚悟が感じられる作品ともいえるのではないでしょうか。

以上、『乞食学生』のあらすじ、考察と感想でした。

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キノウコヨミ

早稲田大学 文化構想学部 文芸・ジャーナリズム専攻 卒業。 主に近現代の純文学・現代詩が好きです。好きな作家は、太宰治・岡本かの子・中原中也・吉本ばなな・山田詠美・伊藤比呂美・川上未映子・金原ひとみ・宇佐美りんなど。 読者の方に、何か1つでも驚きや発見を与えられるような記事を提供していきたいと思います。