太宰治『富嶽百景』草木のモチーフから紐解く太宰の心情!

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太宰治『富嶽百景』草木のモチーフから紐解く太宰の心情!

『富嶽百景』紹介

『富嶽百景』は太宰治著の短編小説で、1939年2月号〜3月号にかけて雑誌『文体』に掲載されました。

太宰自身の実体験に基づいて描かれており、随筆、あるいは私小説としても読める作品です。

長編執筆のため、富士観望の名所としても知られる御坂峠に逗留して過ごした約3ヶ月間の様子が、あらゆる富士の姿とともに描かれています。

ここでは、『富嶽百景』のあらすじ・解説・感想までをまとめました。

『富嶽百景』あらすじ

私生活の乱れていた「私」は心機一転すべく、師・井伏鱒二の逗留する御坂峠の天下茶屋に身を寄せます。

富士三景にも挙げられる御坂峠からの眺めを、「私」はおあつらえむきの眺望と感じ、陳腐さに恥じらいすら覚えていましたが、人々の親切に触れるなかで富士の見え方にも徐々に変化が生じていきます。

また、逗留中、井伏のはからいにより甲府で見合いをします。

娘さんを一目見て結婚を決めますが、実家から援助を断られ、破談を覚悟しました。

しかし、娘さんの母は「愛情と、職業に対する熱意さへ、お持ちならば、それで私たち、結構でございます。」と受け入れてくれ、縁談は無事まとまりました。

筆が進まなくなり、十一月に峠を下ることを決めます。去る前日、写真撮影を頼まれますが、おおきな富士と澄ました娘たちという構図がおかしく、「私」はただ富士だけを撮影するのでした。

御坂峠を下った翌日、甲州の安宿から見た富士は、山々の後ろから少し顔を出している様子が酸漿(ほほづき)のようでした。

『富嶽百景』概要

主人公 私(太宰治)
重要人物 井伏鱒二、甲府の娘さん(石原美知子)、母堂(娘さんの母親)、茶屋のおかみさん、茶屋の娘さん、バスの隣の老婆
主な舞台 御坂峠(山梨県)
時代背景 1938年
作者 太宰治

『富嶽百景』解説(考察)

本作はタイトル通り、全体を通して「私」の視点からあらゆる富士の姿が描かれています。

目まぐるしく変容する富士への印象は、その時々の太宰の心境や価値観を反映しており、本作は富士を鏡として、「私」=著者である太宰自身の内面を描きだした作品と言えます。

しかし、心情を映し出すモチーフは富士だけではありません。

多彩な富士の描写に加えて、印象的なのは草木のモチーフです。

有名な「富士には、月見草がよく似合う」という一節をはじめ、「まっしろい睡蓮」「罌粟の花」「酸漿」といった草木のモチーフが、全体を通して象徴的に用いられています。

富士という大きな存在に対し、重層的に描写される草木のモチーフの意味を追うことで、物語の結末をより深く味わうことができるでしょう。

ここでは、そんな草木のモチーフに焦点を当てて、作品を紐解いていきたいと思います。

まっしろい水蓮の花

一つ目の印象的な草木のモチーフは、「まっしろい水蓮の花」です。

この言葉は、井伏氏のはからいで行われた甲府の娘さんとの見合いの場面で登場します。

(前略)母堂に迎えられて客間に通され、挨拶して、そのうちに娘さんも出て来て、私は、娘さんの顔を見なかった。井伏氏と母堂とは、おとな同士の、よもやまの話をして、ふと、井伏氏が、

「おや、富士」と呟いて、私の背後の長押を見あげた。私も、からだを捻じ曲げて、うしろの長押を見上げた。富士山頂大噴火口の鳥瞰写真が、額縁にいれられて、かけられていた。まっしろい水蓮の花に似ていた。私は、それを見とどけ、また、ゆっくりからだを捻じ戻すとき、娘さんを、ちらと見た。きめた。多少の困難があっても、このひとと結婚したいものだと思った。あの富士は、ありがたかった。

太宰治『走れメロス』(富嶽百景),新潮文庫,59

「水蓮」というと、連想するのはお釈迦さまの蓮池でしょう。

仏教では、ハスやスイレンの総称を蓮華(れんげ)と呼びます。

泥沼の中で美しい花を咲かせることから、仏の悟りをあらわす仏教のシンボルとして日本でも古くから親しまれてきた花です。

仏教の教えには4色の蓮華が存在しますが、特に白い蓮華は、煩悩に穢されない清らかな仏の心をあらわすとして重要視されています。

つまり「まっしろい水蓮」は、最上級の純潔を象徴しているのです。

これ以前の場面では、太宰は富士に対し、あまり良い印象を抱いていませんでした。

浮世絵は脚色されていて実際の富士は大した山でないと語り、富士三景と謳われる御坂峠からの景色に対しても、あまりに出来すぎた美しさに軽蔑すら覚える、と述べています。

しかし、見合いの場面では一転、「水蓮」と好意的な比喩を用いました。

それはこの「水蓮」という比喩が、富士のみを指したものではないからです。

太宰がこの場で真に見ようとしていたものは、富士そのものでなく、富士を通した娘さんの姿でした。

見合いの場にも関わらず、太宰ははじめ娘さんの顔を見ようとしていません。

単に緊張していたのかもしれませんし、当時は生活が乱れていたため、見合い自体に消極的だったのかもしれません。

しかし、井伏氏に促され、長押にかけられた「富士山頂大噴火口の鳥瞰写真」を見たついでに、太宰はようやく娘さんを「ちらと」見ることができました。

そして、その一瞬で「多少の困難があっても、このひとと結婚したいものだ」と決意するのです。

太宰は、「まっしろい水蓮」のような雪化粧の富士を娘さんに重ね、そこに彼女の清らかな気立てを見出しました。

その印象を信頼し、太宰はその場で結婚を決意したのです。

だからこそ、この美しい富士への感想は、「良い」「悪い」ではなく「ありがたかった」のでしょう。

よかった、美しかった、という言葉はありませんが、太宰がここで富士に対して好意的な印象を持ったのは確かです。

普段は下から、あるいは横から眺めている富士ですが、この場面では「鳥瞰写真」という異なる視点から見つめています。

富士の見方を改めた瞬間とも捉えられるのではないでしょうか。

黄金色の月見草の花

二つ目の印象的なモチーフは、「黄金色の月見草の花」です。

太宰は郵便物を引き取りに行った帰り、峠へ戻るバスの中で人々が見事な富士に惹きつけられるなか、隣の老婆の一言によって、道端に立つ月見草に目を奪われます。

 老婆も何かしら、私に安心していたところがあったのだろう、ぼんやりひとこと、

「おや、月見草」

 そう言って、細い指でもって、路傍の一箇所をゆびさした。さっと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花弁もあざやかに消えず残った。

 三七七八米の富士の山と、立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんと言うのか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすっくと立っていたあの月見草は、よかった。富士には、月見草がよく似合う。

太宰治『走れメロス』(富嶽百景),新潮文庫,69

一般的にイメージされる月見草は、薄い花弁に小ぶりな花、か弱く可憐な印象を抱かせます。

しかし、太宰は「みじんもゆるがず」「けなげにすっくと立っていた」月見草

に「金剛力」、つまり強大な力を感じ、富士に「よく似合う」と記しました。

人々の注目を集める大きな存在としての富士と、多くの人が気にも留めない小さな月見草とは、一見、両極端の存在ですが、太宰は両者に同じ「揺るがずそこに在り続ける強さ」を感じたのです。

では、なぜ太宰は両者の「揺るがなさ」にそれほど心惹かれたのでしょうか。

前半部では富士を否定的に見ていた太宰ですが、この少し前の場面で心境の変化が見られます。

 私は、部屋の硝子戸越しに、富士を見ていた。富士は、のっそり黙って立っていた。偉いなあ、と思った。

「いいねえ。富士は、やっぱり、いいとこあるねえ。よくやってるなあ」富士には、かなわないと思った。念々と動く自分の愛憎が恥ずかしく、富士は、やっぱり偉い、と思った。よくやってる、と思った。

太宰治『走れメロス』(富嶽百景),新潮文庫,62

この日の太宰は、自分をわざわざ訪ねてきてくれた文学青年と話をしていました。

しばらくして青年が、太宰さんは性格破綻者だと聞いていたから、ちゃんとした方で驚いた、と述べます。

その言葉に苦笑しながら、太宰はガラス戸越しに富士を見るのです。

当時、すでに文豪として名を馳せていた太宰は、批判も称賛も聞くなかで、心を乱される瞬間も多かったことでしょう。

人々にどれだけ賞賛されようと、批判的な目で見られようと、富士は変わらず飄々とそこに存在し続けている、そのことに「よくやってる」と感心させられたのではないでしょうか。

富士の「揺るぎなさ」を認めはじめていた太宰は、富士ほど注目されずとも「みじんも揺るがず」そこに立っている月見草にも、強く心を惹かれました。

そんな太宰の純粋な尊敬の念が、「富士には、月見草がよく似合う」という後世に残る名台詞を生んだのでしょう。

小さい、罌粟の花

三つ目のモチーフは、「罌粟の花」です。

これは、物語の印象的なラストシーンに登場する言葉です。

ついに御坂峠を去る前日、太宰が茶屋で休んでいると若い娘二人組に写真撮影を頼まれました。

カメラのレンズを通して、太宰の目が富士と娘たちの姿を捉えます。

(中略)まんなかに大きい富士、その下に小さい、罌粟の花ふたつ。ふたり揃いの赤い外套を着ているのである。ふたりはひしと抱き合うように寄り添い、屹っとまじめな顔になった。私は、おかしくてならない。カメラ持つ手がふるえて、どうにもならぬ。笑いをこらえて、レンズをのぞけば、罌粟の花、いよいよ澄まして、固くなっている。どうにも狙いがつけにくく、私は、ふたりの姿をレンズから追放して、ただ富士山だけを、レンズ一ぱいにキャッチして、富士山、さようなら、お世話になりました。パチリ。

太宰治『走れメロス』(富嶽百景),新潮文庫,81-82

ここで記された「罌粟の花」とは、おそらくヒナゲシのことでしょう。

ヒナゲシはポピーの一種で、鮮やかな色味と、ヒラヒラと波打つ薄い花弁が華やかな印象を与える花です。

太宰は、どんな時も揺るがない堂々たる富士の姿と、一瞬を切り取る写真機の前で気取ってみせる娘たちとの大きなギャップに、滑稽みを感じたのでしょう。

その対比をより明確にみせるため、「罌粟の花」という鮮やかなモチーフを持ち出したのです。

「罌粟の花」とは、いわば「広重の富士」「文晁の富士」などに近い、俗っぽく、華やかな美の象徴として描かれています。

ここで「罌粟の花」を画角から外し、「ただ富士山だけ」を切り取ったということは、つまり、太宰が富士の美を認めたことを示しています。

天下茶屋に来たばかりの太宰は、御坂峠の富士を「おあつらえむき」「風呂屋のペンキ画」「芝居の書割」と語り、「恥ずかしくてならなかった」「軽蔑さえした」とその俗っぽさに強い嫌悪感を示していました。

しかし、峠や甲府の人々の温かみに触れるなかで心に平穏を取り戻し、自身の目で富士を見つめ続けた結果、「素朴な、純粋の、うつろな心」で、富士を真に美しいと感じることができたのでしょう。

酸漿

最後のモチーフは、最後の一文に登場する「酸漿(ほほづき)」です。

 その翌る日に、山を下りた。まず、甲府の安宿に一泊して、そのあくる朝、安宿の廊下の汚い欄干によりかかり、富士を見ると、甲府の富士は、山々のうしろから、三分の一ほど顔を出している。酸漿に似ていた。

太宰治『走れメロス』(富嶽百景),新潮文庫,82

「酸漿」は、赤く膨らんだ実が提灯に似ていることから「鬼灯」という字も当てられます。

お盆には、先祖の霊が地上の灯りをたよりに戻ってくるとされるため、提灯に見立てて飾られることもある植物です。

太宰は、この「酸漿」というモチーフにどんな意味を込めたのでしょうか。

本作では人々との触れ合いを通じて、富士への見方を変えていく様子が描かれていますが、一人きりで富士を見る場面もいくつか存在します。

例えば、文学青年たちと飲み明かした帰り道に、一人眺めた富士は「よかった」と語っています。

 そこで飲んで、その夜の富士がよかった。(中略)おそろしく、明るい月夜だった。富士が、よかった。月光を受けて、青く透きとおるようで、私は、狐に化かされているような気がした。富士が、したたるように青いのだ。燐が燃えているような感じだった。鬼火。狐火。ほたる。すすき。葛の葉。私は、足のないような気持で、夜道を、まっすぐに歩いた。

太宰治『走れメロス』(富嶽百景),新潮文庫,65

さらに一人の夜、部屋から眺めた富士の姿に対しては、悶々とした思いを記しています。

 ねるまえに、部屋のカーテンをそっとあけて硝子窓越しに富士を見る。月の在る夜は富士が青白く、水の精みたいな姿で立っている。私は溜息をつく。ああ、富士が見える。星が大きい。あしたは、お天気だな、とそれだけが、幽かに生きている喜びで、そうしてまた、そっとカーテンをしめて、そのまま寝るのであるが、あした、天気だからとて、別段この身には、なんということもないのに、と思えば、おかしく、ひとりで蒲団の中で苦笑するのだ。(中略)

 素朴な、自然のもの、従って簡潔な鮮明なもの、そいつをさっと一挙動で掴えて、そのままに紙にうつしとること、それより他には無いと思い、そう思うときには、眼前の富士の姿も、別な意味をもって目にうつる。この姿は、この表現は、結局、私の考えている「単一表現」の美しさなのかも知れない、と少し富士に妥協しかけて、けれどもやはりどこかこの富士の、あまりにも棒状の素朴には閉口して居るところもあり、これがいいなら、ほていさまの置物だっていい筈だ、ほていさまの置物は、どうにも我慢できない、あんなもの、とても、いい表現とは思えない、この富士の姿も、やはりどこか間違っている、これは違う、と再び思いまどうのである。

太宰治『走れメロス』(富嶽百景),新潮文庫,70-71

「富士がよかった」と素直に美しさを認めていたり、「どこか間違っている」と美しさを否定していたり、心情の揺れを感じさせますが、これらの描写に一貫しているのは、青白く、透き通るような印象です。

太宰が一人で富士を眺めるのは決まって月夜で、そこに描かれた富士からは静謐な印象を受けます。

しかし、峠を下ってから一人見上げたのは、「酸漿」のような赤い富士でした。

それは、逗留のあいだ自分に良くしてくれた人々の温かみを表現したとも、富士そのものへの愛着を描いたものとも読むことができます。

あるいは、「絵に描いたような青い富士」への、太宰なりの反駁だったとも読めるのではないでしょうか。

『富嶽百景』感想

『富嶽百景』は随筆?小説?

作中にもあるように、太宰はこの頃、「単一表現」を追求しようとしていました。

素朴なもの、自然なものに宿る美しさを、ひねりを加えずあるがまま表現することの難解さに苦悩しています。

太宰は「富士は美しい」という人々の真っ直ぐな賞賛を安易と捉え、富士に対し、徹底して批判的視線を向けつづけました。

しかし、その一見ひねくれたようにも見える視線は、太宰なりの素朴さの現れだったとも言えます。

太宰は、自身の目を通して富士を見つめつづけた結果、そこにある確かなたのもしさを見出すことができました。

「単一表現」にも通じる、素朴の美しさを見出した瞬間だったのではないでしょうか。

淡々と日々の出来事を書き並べたような構成は、本作を随筆のようにも見せています。

しかし、細かな展開や描写からは、自身が富士の美に辿り着くまでの過程、そこに帰結させるための確かな連なりも感じられます。

『富嶽百景』は間違いなく、太宰の傑作小説の一つと言えるでしょう。

以上、『富嶽百景』のあらすじ、考察と感想でした。

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キノウコヨミ

早稲田大学 文化構想学部 文芸・ジャーナリズム専攻 卒業。 主に近現代の純文学・現代詩が好きです。好きな作家は、太宰治・岡本かの子・中原中也・吉本ばなな・山田詠美・伊藤比呂美・川上未映子・金原ひとみ・宇佐美りんなど。 読者の方に、何か1つでも驚きや発見を与えられるような記事を提供していきたいと思います。