『或る少女の死まで』について
詩人として名声を得た室生犀星は、大正8年に『幼年時代』で小説家としての活動を始めました。
『或る少女の死まで』は室生犀星の自伝的小説で、『幼年時代』『性に眼覚める頃』『或る少女の死まで』の三部作の最後の作品です。
『或る少女の死まで』のあらすじ
・『幼年時代』(幼少期~13歳)
生後間もなく養子に出された「私」は、実の両親の家に遊びに行くことが日課となっていました。
実の両親は優しく立派な人たちでしたが、正式な夫婦ではありませんでした。
ある日、「私」の実父が亡くなります。
実母は家を追い出され、行方知れずとなりました。
実の両親がどちらもいなくなったあと「私」の心の支えとなったのは、血のつながらない姉でした。
しかし姉も望まない結婚のため、「私」のそばから離れていきます。
・『性に眼覚める頃』(17歳)
実母の死後、お寺の養子となった「私」は、賽銭泥棒の女性から目が離せなくなります。
「私」は彼女の家に忍び込んで彼女の雪駄を盗み、罪悪感に苦しみます。
同じころ、「私」には表棹影という、1歳年上の文学仲間ができました。
女性慣れした表棹影から、男女の付き合いを学ぶ「私」。
しかし表棹影は肺病にかかり、18歳で亡くなります。
・『或る少女の死まで』(22歳)
金沢から上京した「私」。
詩人として活動するも、なかなか収入が増えません。
ある日、酒場で深酒をした「私」と友人たちはタチの悪い客と喧嘩になり、相手に怪我をさせてしまいました。
その夜、警察官が「私」の下宿へやってきました。喧嘩相手から被害届が出されたのです。
示談という形で終わりましたが、「私」は後味の悪さから新しい下宿へと引っ越しました。
新しい下宿には、父の帰りを待つ少女・ふじ子とその家族も住んでいました。
父が満州から帰ってきたら、家族で故郷の鹿児島へ戻るのだと話すふじ子。
「私」とふじ子は仲良くなり、ふじ子は「いつか鹿児島に戻ったら、故郷の果物・ボンタンを送るね」と「私」に約束します。
一連の騒動に疲れた「私」は、ふじ子より先に東京を去ることにしました。
数か月後、ふじ子の父から送られてきたのはボンタンではなく、ふじ子の死を告げる手紙でした。
『或る少女の死まで』ー概要
物語の主人公 | 私(室生犀星がモデル) |
物語の重要人物 | 『幼年時代』 ・姉、生母 『性に眼覚める頃』 ・表棹影(おもてとうえい) 『或る少女の死まで』 ・ふじ子 |
主な舞台 | 『幼年時代』『性に眼覚める頃』 ・金沢 『或る少女の死まで』 ・谷根千(東京) |
時代背景 | 明治20年代~明治44年 |
作者 | 室生犀星 |
『或る少女の死まで』の解説
・手の記憶 『幼年時代』
『幼年時代』には、手にまつわる表現が多くでてきます。
- 手渡す、撫でる、分け与える、などの優しい手。
- 投げつける、ぶたれる、などの乱暴な手。
- 実母の無事を祈り仏像を磨く「私」の切実な手。
幼い「私」は手によって慰められ、手によって傷つけられ、周囲の大人の庇護下で育ちます。
大きな手に囲われているような毎日は、多くの人の幼少期に当てはまるのではないでしょうか。
養子にだされたけれど、実の両親が近くにいて可愛がってくれるし、養子先には優しい義理の姉もいる。『幼年時代』に描かれた「私」の子ども時代は、広くて薄暗い和室に強い日が差して、障子の向こうに青々とした若葉が揺れているような、静かで清潔な印象を受けます。
けれどもまた、大きな手で囲われている「私」は無力な存在でもあります。
実母の行方知れずや姉の結婚などをただ受け入れるしかなかったように、大人の大きな手でなされたことに抗うには、「私」の手は小さすぎたのです。
・脚の発見 『性に眼覚める頃』
室生犀星のヰタ・セクスアリスである『性に眼覚める頃』。「私」が賽銭泥棒の女性の脚に釘付けになる場面が描かれています。
着物からのぞく脚、先ほどまであの子が足の裏をのせていた雪駄…。
『幼年時代』にはなかった脚の描写が目立ちます。焦点が相手の人となりではなく脚だというあたり、初恋というよりも、純粋な性の目覚めであるといえます。(女性の足、といえば谷崎潤一郎を思い浮かべますが、谷崎潤一郎と室生犀星は生没年が3年ちがいです。谷崎潤一郎:1886~1965、室生犀星:1889~1962)
また、「私」と親しくなる表棹影は実在した歌人です。
世間に認められる前に夭折しましたが、現在は彼の日記を読むことができます。
表棹影の文章には一等星のような鋭いきらめきがあり、長生きしたらどうなっていただろうと悔やまれてなりません。
親しい友人の死を経験したり、自分の詩が認められたり。「私」はまだ養父の庇護下にいますが、清潔な幼少期から脱しつつあります。
無力だった「私」の手は、自分の運命を切り拓けるくらい大きくなったのです。
・幼年時代のおわり 『或る少女の死まで』
『或る少女の死まで』は、『性に眼覚める頃』で詩の才能が認められた「私」が、上京してからの物語です。
幼い友人・ふじ子との出会いと別れが描かれています。ふじ子は『幼年時代』の「私」と同じ年ごろです。
『性に眼覚める頃』の表棹影と同じく、ふじ子も実在の人物です。
ふじ子の死は室生犀星に強い衝撃を与えたようで、『ザボンの実る木のもとに』という随筆にも「ふぢ子」の死が書かれています。
ザボンはボンタンのことで、ふぢ子と約束していたボンタンは、後日ふぢ子の父から室生犀星の元に送られてきたそうです。
なお、室生犀星と萩原朔太郎の出会いのきっかけとなった北原白秋主催の文芸雑誌『朱欒(ざんぼあ)』も、ボンタンの別名です。
・「私」はなぜ猿が嫌いなのか
『或る少女の死まで』には、「私」がふじ子を動物園に連れていき、象について話す場面があります。
”「ふじ子さんは象がすきですか。」
「くさくて、きらい。」
「けれども温和しいから好きでしょう。」
「きらい。お猿を見ましょうよ。」”室生犀星『或る少女の死まで』(岩波文庫)
ふじ子が象を嫌いな理由は、くさいから。
一方、「私」は善い性質が感じられるからという理由で、象が好きなようです。
このあとも、色々な動物に関する好き・嫌いが繰り広げられます。
「私」 | ふじ子 | |
猿 | 嫌い:憎らしい顔をしている | 好き:おもしろくて可愛い |
金魚 | 嫌い:病的で虚偽的な色彩が娼婦のよう | 好き:きれい |
ふじ子の好き嫌いは目に見えるものであることがわかります。
足の速い子や面白い子がクラスの人気者だった、私の子どもの頃を思い出すようです。
「私」が動物から受ける印象は、だいたいが内面から来るものです。
- 鯉…思慮深そうで好き。
- 猛獣(虎・豹など)…烈しい生きた美を感じ、自分の力がみなぎってくる。
- 鷺…孤独を守っているようで安心する。
「私」は次第に、動物を人間になぞらえるようになります。狡猾な狼、芸を仕込まれ、お辞儀ばかりしている哀れな白熊…。
動物園に行く前、「私」は冒頭で一緒に酒場に行った友人OとHの性質について、別の友人と話し合っています。
いわく、Oはやさしそうにしているが本当は狡猾だ、Hは性欲的な汚さや卑しさをもっていて、笑顔からにじみ出ている。
ここまでこき下ろすと、もはや友人ではないのではないかと思うのですが、確かに私にも心当たりのある感情なのです。
楽しいから一緒にいる、真正面から喧嘩をするというシンプルな友人関係から、内面や裏などの見えないところを見ようとする、複雑な人間関係へ。
幼年時代を抜け出すということは、そういった人間関係を覚えていくということです。
本質を探ろうとすることは、そのままの姿を受け入れる素直さを失ったということでもあります。
動物園の動物を動物として楽しめなくなった「私」は、ふじ子の無邪気さがまぶしかったのではないでしょうか。
また、自分が相手に抱く好き・嫌いの感情は、自分の価値観の反映でもあります。
娼婦のようだから嫌い、狡猾そうだから嫌いという印象は、「私」のなかにある経験の積み重ねから作られたものでしかありません。
「私」は娼婦=悪だと思うように教育されてきたし、狡猾そうだから嫌い、というのは、かつて出会った狡猾な人々の特徴を思い出しているのでしょう。
娼婦という存在を知らなければ、娼婦のようだから嫌い、という感情は抱かないのです。
「私」が猿を嫌いなのは、無邪気で美しい「私」の幼年時代が終わってしまったから。
『或る少女の死まで』には、『幼年時代』のような清潔さや、『性に眼覚める頃』のようなまっすぐに友人を思う気持ちはありません。
苦労を重ね、世間ずれした「私」の前に現れたふじ子は、ひたむきだった幼年時代の再来なのです。本音と建前、損得勘定でなりたつ大人の人間関係ではなく、裏表のないふじ子との関係に、「私」は救われていたのでしょう。
しかしふじ子が死に、「私」の2度目の幼年時代は終わりました。
『或る少女の死まで』の感想
・自伝として伝えたかったこと
『或る少女の死まで』三部作は、室生犀星が初めて手掛けた小説です。
自伝的「小説」であるため真実ばかりが描かれているわけではなく、いくつかの「嘘」が混ぜられています。
たとえば、『幼年時代』は「私」が実母に甘える場面からはじまります。
「私」の実母は、良妻賢母かつ上品で美しい女性として描かれています。
しかし、室生犀星は実母の顔どころか、名前すら知らなかったという説が有力です。実母を知らない室生犀星が「良妻賢母かつ上品で美しい」実母に甘える場面から自伝的小説を書き始めたということに、私はいつも目頭が熱くなります。
また、岩波文庫の解説で富岡多恵子さんが言及しているとおり、他の自伝的小説では描かれている養母からの過酷な仕打ちが、『幼年時代』には描かれていません。
養母について言及しないことで、実母や姉への思慕・憧れの感情が物語の主軸となり、ひしひしと伝わってきます。
・『はたはたのうた』
私は、新年度がはじまって国語の教科書が配られると、その日のうちに読み終えてしまうような子どもでした。
小説も論説文も漢字も文法も、とにかく国語が好きだったのです。ただひとつ良さがわからなかったものが、詩でした。
いつものように配られたばかりの国語の教科書を読んでいたとき、強い衝撃を受けた作品がありました。それが『はたはたのうた』という詩。
こんなにも心を揺さぶられた作品が、苦手な詩であったことも衝撃的でした。
20歳のころ、読書好きの友人に『或る少女の死まで』の文庫本を借り、室生犀星の虜になった私。
そこで室生犀星について調べると、あの『はたはたのうた』の作者であったことが判明しました。
子どもの頃の私と、成人した私。「三つ子の魂百まで」といいますが、どんなに環境や考え方が変わっても、人間の核のようなものは変わらないのですね。
『或る少女の死まで』の「私」が大人の社会で少し苦しそうなのは、『幼年時代』のひたむきさこそが「私」の本質で、今も「私」の奥深くに変わらず存在しているからなのだと思います。
参考文献
・室生犀星『ザボンの実る木のもとに』(青空文庫)
・室生犀星『或る少女の死まで 他二篇』(岩波文庫)