夏目漱石『三四郎』のストレイシープとは?あらすじ&解説まで!

『三四郎』の紹介

『三四郎』は、明治41年9月から12月にかけて朝日新聞に連載された夏目漱石の長編小説です。

『三四郎』と『それから』『門』の三作品は、漱石の前期三部作として知られています。

九州の田舎から上京してきた三四郎という青年を主人公に置き、三四郎と周囲の人々の交流や、様々な経験、恋愛の様子などが描かれています。

ここでは、そんな『三四郎』のあらすじ・解説・感想までをまとめました。

『三四郎』ーあらすじ

23歳の青年三四郎は、東京帝国大学進学のため九州の田舎から上京しました。

三四郎は同郷の野々宮を訪ねた帰り、美禰子という美しい女性を目にします。

ある日、友人の与次郎が先生と慕う広田の引越しを手伝った三四郎は、手伝いに来ていた美禰子と再会します。

そこで美禰子ら一行に菊人形見物に誘われた三四郎は、同行した先で美禰子と二人きりになり、美禰子は迷子の英訳として「ストレイシープ」という言葉を三四郎に教えます。

またある時、三四郎は美禰子と絵画展に出かけ、野々宮と鉢合わせします。

美禰子は野々宮への当てつけじみた行動をとり、都合よく使われた三四郎は怒りや戸惑いを覚えます。

別の日、三四郎は美禰子がモデルをしている画家原口のアトリエを訪ねます。

そこでは、三四郎が初めて美禰子を見かけた日の姿が描かれていました。

十二月、三四郎は美禰子の結婚を与次郎から聞かされます。

結婚相手は野々宮ではなく、美禰子の兄の友人でした。

やがて、完成した原口の絵は評判となり、展覧会に出展されます。

「森の女」と題された絵を見て、三四郎は「題が悪い」と言い、ただ口の中で「ストレイシープ、ストレイシープ」と繰り返しました。

『三四郎』ー概要

物語の主人公 小川三四郎:23歳の青年。九州出身。
物語の重要人物 ・里見美禰子:三四郎の憧れの女性。美人で教養がある。
・佐々木与次郎:三四郎の帝国大学の同級生。
・野々宮宗八:帝国大学理科大学で光線の圧力を研究する。三四郎と同郷で7歳年上。美禰子の下の兄と同窓。
・広田萇:第一高等学校の英語教師。美禰子の亡くなった上の兄の親友。
主な舞台 東京
時代背景 明治末期(日露戦争後)
作者 夏目漱石

『三四郎』―解説(考察)

・美禰子の人物像について

ヒロインの美禰子は、美しく聡明で、都会的な女性です。

周囲からは、封建的な家父長制や男女観に囚われない、近代的・西洋的な女性として見られています。

しかし、この周囲からの美禰子評を、美禰子の人物像としてそのまま捉えるのは、いささか早計であるように思います。

結論から言うと、真の美禰子像とは、

自分の意思のままに行動する近代的・西洋的な新時代の女性の代表に見えるが、実際には旧時代的観念から脱しきれておらず、自我の解放と抑圧の狭間で悩む女性

であると考えます。

これを説明していくために、まず、周囲からの美禰子評を詳しく見ていきたいと思います。

作中で、登場人物らが美禰子を評する場面をいくつか引用します。

〇与次郎と広田先生の会話より

「あの女は落ち付いていて、乱暴だ」と広田が云った。
「ええ乱暴です。イブセンの女の様な所がある」
「イブセンの女は露骨だが、あの女は心が乱暴だ。尤も乱暴と云っても、普通の乱暴とは意味が違うが。野々宮の妹の方が、一寸見ると乱暴の様で、やっぱり女らしい。妙なものだね」

夏目漱石『三四郎』,新潮文庫,1948,160~161頁

〇広田先生と画家の原口の会話より

「あの女は自分の行きたい所でなくっちゃ行きっこない。勧めたって駄目だ。好きな人があるまで独身で置くがいい」
「全く西洋流だね。尤もこれからの女はみんなそうなるんだから、それも可かろう」

夏目漱石『三四郎』,新潮文庫,1948,202頁

〇三四郎の独白

この女は我儘に育ったに違ない。それから、家庭にいて、普通の女性以上の自由を有して、万事意の如く振舞うに違ない。こうして、誰の許可も経ずに、自分と一所に、往来を歩くのでも分る。年寄の親がなくって、若い兄が放任主義だから、こうも出来るのだろうが、これが田舎であったらさぞ困ることだろう。(中略)
すると与次郎が美禰子をイブセン流と評したのもなるほどと思い当る。但し俗礼に拘らない所だけがイブセン流なのか、或は腹の底の思想までも、そうなのか。其処は分らない。

夏目漱石『三四郎』,新潮文庫,1948,223~224頁

イブセンは近代劇の祖と云われるノルウェーの劇作家で、自我に目覚める女の姿など、新しい女性像を多く創造した人物です。

ここでの「イブセンの女」とは、イブセンが多くのドラマの中で創造したような、新時代の女性を指しています。

これらの会話文に見るように、美禰子を知る周囲の人々は、美禰子のことを周囲の目に囚われず、自我を確立した、新時代的女性と捉えています。

ところが、実際には美禰子は周りの目を全く気にしていないわけではありません。

三四郎、美禰子、野々宮兄妹、広田先生で菊人形(菊の花を人形の衣装として細工した菊細工の一種)見物に出かけるシーンがありますが、途中で美禰子は気分が悪いと言って、三四郎を連れ出し、一行から離れます。

三四郎と美禰子が離れたことで、野々宮らが慌てているのではと心配する三四郎に対して、美禰子は「なに大丈夫よ。大きな迷子ですもの」と言います。

そして美禰子は、三四郎に、迷子の英訳として「ストレイシープ(stray sheep)」という言葉を教えます。

「迷える子(ストレイシープ)——解って?」(中略)
迷える子(ストレイシープ)という言葉は解った様でもある。又解らない様でもある。解る解らないはこの言葉の意味よりも、寧ろこの言葉を使った女の意味である。三四郎はいたずらに女の顔を眺めて黙っていた。すると女は急に真面目になった。
「私そんなに生意気に見えますか」
その調子には弁解の心持がある。三四郎は意外の感に打たれた。今までは霧の中にいた。霧が晴れれば好いと思っていた。この言葉で霧が晴れた。明瞭な女が出てきた。

夏目漱石『三四郎』,新潮文庫,1948,147~148頁

作中を通して印象的な「ストレイシープ」については、次の章で改めて考察しますが、ここで注目したいのが、「私そんなに生意気に見えますか」という美禰子の問いです。

真に自由で自分の意思のままに行動する人物であれば、周りからどう思われているかは気にしないように思われますが、美禰子は自身の言動が、明治末期の日本ではまだまだ否定的に見られがちなことを自覚しており、それを気にする側面を持ち合わせているのです。

実際の美禰子は、旧時代的な観念に抑圧された部分を抱えている女性であったと窺えます。

最終的に、兄の友人との縁談を受け、極めて常識的な結婚に至ったところを見ても、美禰子の真の人物像が、周囲の美禰子評と異なっているのは明らかだと言えるでしょう。

・ストレイシープとは?

『三四郎』には印象的な言葉がいくつか登場しますが、その一つに「ストレイシープ」という言葉があります。

元は『新約聖書』に由来する言葉ですが、美禰子が三四郎に教えた「ストレイシープ」が表すものは

人間存在の不安定さ

であると考えます。

前章で解説したように、美禰子は自我の解放と抑圧の狭間にいる人物です。

美禰子は自身が中途半端な状態にあることを自覚しており、新時代と旧時代の間でまるで迷子になっているような不安定さを「ストレイシープ」と例えたのだと考えます。

では、三四郎はどこで迷子になっているのか?

これを考えるヒントは、物語序盤にあります。

第二章、上京したばかりの三四郎は、東京の大都市ぶりに驚き、不安感を覚えるようになります。

三四郎は全く驚いた。要するに普通の田舎者が初めて都の真中に立って驚くと同じ程度に、又同じ性質に於て大いに驚いてしまった。(中略)
この激烈な活動そのものが取りも直さず現実世界だとすると、自分が今日までの生活は現実世界に毫も接触していない事になる。洞が峠で昼寐をしたと同然である。(中略)
世界はかように動揺する。自分はこの動揺を見ている。けれどもそれに加わることは出来ない。自分の世界と、現実の世界は一つ平面に並んでおりながら、どこも接触していない。そうして現実の世界は、かように動揺して、自分を置き去りにして行ってしまう。甚だ不安である。

夏目漱石『三四郎』,新潮文庫,1948,25~26頁

現実に参加できていない自分自身の存在性に不安を感じていた三四郎は、与次郎や美禰子らと出会い、交流の輪を広げていくうちに、現実世界が次の三つに分かれているという分析をします。

  • 【第一の世界】 明治十五年以前の香がする世界 (三四郎の田舎の母がいる世界)
  • 【第二の世界】 学問に没頭する世界 (野々宮、広田らがいる世界)
  • 【第三の世界】 春のごとくうごいている青春の世界 (美禰子らがいる世界)

三四郎は、この三つの世界のどこかに入らなければならないと考えるようになりますが、なかなかその一つを選べずにいます。

美禰子が旧時代と新時代の狭間の迷い羊だとすれば、三四郎は三つの世界の狭間にいる迷い羊です。

どちらも、確固たる己の確立が成っておらず、これから自分がどのように生きていくべきか思い悩んでいる不安定で孤独な存在です。

自分の不安定さを自覚していた美禰子は、田舎から出てきた三四郎の不安感を見抜いており、二人を同じ「迷い羊」と例えたのでしょう。

また、美禰子が「ストレイシープ」を三四郎に教えた場面では、三四郎はその言葉の真意に気がついていません。

物語終盤で、美禰子の結婚が決まり、三四郎が美禰子に結婚の真相を直接尋ね、決別する場面があります。

そこで三四郎の独白の中に、「ストレイシープ」の言葉が繰り返されますが、この時ようやく言葉の真意に至ったものと思われます。

三四郎が「ストレイシープ」の真意に至る過程、三四郎の心中で何が起こったのかについては、次の章で考察を進めていきたいと思います。

・三四郎に起きた「波瀾」

作者夏目漱石は、『三四郎』を連載するにあたって、次のような予告文を残しています。

田舎の高等学校を卒業して東京の大学に這入つた三四郎が新しい空気に触れる、さうして同輩だの先輩だの若い女だのに接触して色々に動いて来る、手間は此空気のうちに是等の人間を放す丈である、あとは人間が勝手に泳いで、自ら波瀾が出来るだらうと思ふ、

夏目漱石,『三四郎』予告,青空文庫

与次郎や野々宮、美禰子らに出会い、大都市東京の世界に接触していく三四郎の中で起きた一番の「波瀾」とは、

現実世界のイメージの崩壊

が起こったことだと考えます。

前章で触れたように、三四郎は現実世界を、明治十五年以前の香がする【第一の世界】・学問に没頭する【第二の世界】・恋愛や青春の【第三の世界】の三つに分類しています。

当初どの世界に自分自身の存在を落ち着けるべきか悩んでいた三四郎ですが、美禰子に惹かれていく三四郎は、第三の世界との関係を深めていったという見方ができるでしょう。

そして、この【第三の世界】は、「美しい女性がある」世界であり、「春のごとくうごいている」、「花野のごとく明らか」な世界です。

温かく、明るく、美しいイメージを三四郎が【第三の世界】に抱いていたことが分かります。

ところが、【第三の世界】の代表例であった美禰子は、全く知らない男と縁談を結び、当時の感覚では極めて常識的な結婚に身を落ち着けてしまいます。

これは、美禰子が新時代の女になりきれなかったという、ある種の挫折であると思います。

三四郎は、美禰子の挫折を見て初めて、美禰子の心にあった苦悩に気が付き、「ストレイシープ」の真意に気が付くのです。

美禰子が、実際には心の内で孤独や苦悩を抱えており、最終的に挫折に至った事実は、三四郎にとって明るく美しいイメージしかなかった【第三の世界】が、真の姿ではないということを示しているのです。

現実世界と自己との距離を感じ、孤独や不安を覚えていた三四郎が、ようやく身を落ちつけて安心できると思っていた美しい世界は、実は全くの虚妄でした。

このことは、三四郎にとって非常にショッキングな事実で、まさに大波瀾の出来事であったと言えるでしょう。

三四郎に起きた現実世界のイメージの崩壊は、随所の表現からも窺えます。

美禰子の結婚を知り、三四郎が美禰子と決別する場面でのやりとりを、一部引用します。

女は紙包を懐へ入れた。その手を吾妻コートから出した時、白い手帛を持っていた。鼻の所へ宛てて、三四郎を見ている。手帛を嗅ぐ様子でもある。やがて、その手を不意に延ばした。手帛が三四郎の顔の前に来た。鋭い香がぷんとする。
「ヘリオトロープ」と女が静かに云った。

夏目漱石『三四郎』,新潮文庫,1948,332頁

美禰子が持つ白いハンカチからは、ヘリオトロープの香水の鋭い香りがします。

このヘリオトロープの香水は、作品中盤で三四郎が成り行きで選ぶことになった香水です。

ヘリオトロープは、春から秋にかけて白や紫の小さな花を咲かせる植物で、花言葉が「献身的な愛」「熱望」「夢中」などを表す恋の花です。

鋭い、ぷんとするという表現からはあまり好ましさは感じられず、明るく美しい春の世界のイメージには結びつきません。

本来ヘリオトロープはバニラのような甘い香りですから、鋭い香りという表現にも違和感があります。

これは現実世界のイメージの崩壊にショックを受ける三四郎の心情が強く反映されたものと考えられるでしょう。

三四郎が選んだヘリオトロープの香水=恋愛や青春の【第三の世界】は、最後の最後で、それまで見えていたイメージから全く別の姿を三四郎の前に表したのです。

『三四郎』ー感想

・『三四郎』は〇〇小説?

『三四郎』は、多くの先行研究で、青春小説、恋愛小説、風俗小説、文明批評小説、教養小説、etc…と、様々な形で捉えようと試みられている作品です。

主だってはやはり、田舎から出てきた若者の青春・恋愛小説という側面が強いように感じますが、『三四郎』の本質は、青春キャンパスライフとも、都会の美女の掌の上でころころされるほろ苦恋愛ストーリーとも異なっていると思います。

解説したように、主人公を取り巻く現実世界の虚妄を描き表したのが『三四郎』という小説であると私は考えています。

漱石の処女作『吾輩は猫である』では、猫の「吾輩」を取り巻く人間模様が面白おかしく風刺的に描かれますが、最終章の宴会が終わった後で、水をかけられたように、あるいは夢から覚めて急に現実に帰ってきたように、もの悲しいような気分を感じます。

『三四郎』の最終章では、美禰子の結婚、三四郎の失恋、与次郎が試みていた運動の失敗など、ことごとく挫折の様が描かれますが、急転直下の如く、今まで描かれていた世界が色を変えて完結する構造は、猫の最終章に通ずる部分もあるような気がしています。

『三四郎』の本質をどう捉えるにせよ、様々な読み方ができる作品であることには違いなく、読み応えのある非常に面白い作品です。

『三四郎』をはじめとする前期三部作は、漱石作品の中でも比較的読みやすい作品ですので、漱石をまだ読んだことがない方にも是非おすすめしたい作品です。


【参考URL】
・夏目漱石,『三四郎』予告,青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/4682_9464.html

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yumihara

文学部出身の主婦です。文学の魅力が少しでも伝わるような、わかりやすい解説・感想を心がけていきたいです。