小説『風立ちぬ』あらすじ&解説!「いざ生きめやも」の意味からリルケのレクイエムまで!

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小説『風立ちぬ』あらすじ&解説!「いざ生きめやも」の意味からリルケのレクイエムまで!

『風立ちぬ』の紹介

『風立ちぬ』は1938年に刊行された堀辰雄著の短編小説です。

著者堀辰雄と結核で亡くなった婚約者の矢野綾子の実話が元になっています。

主人公「私」が、結核を患った婚約者節子との富士見高原の療養所での生活や節子の死を経て感じた、死生観や「幸福とは何か」ということが語られています。

ここでは、『風立ちぬ』のあらすじ・解説・感想をまとめました。

『風立ちぬ』ーあらすじ

「序曲」

軽井沢で出会い、お互いに惹かれあっていた「私」と節子が白樺の木陰で休んでいると、不意に何処からともなく風が立ちます。

「風立ちぬ、いざ生きめやも。」

「私」はふと、そんな言葉を口にします。

その後、節子は迎えに来た父と帰京をし、節子の父に交際が認められていない二人は離れ離れになってしまうのでした。

「私」は「もっとしっかりと生活の見通しがつくようになったら、どうしたってお前を貰いに行くから、それまではお父さんの許に今のままでいるがいい」と決意を新たにします。

「春」

その2年後の3月、父に交際が認められ、節子と婚約をしたばかりの「私」は、節子の結核の治療のために八ヶ岳山麓のサナトリウム(療養所)に付き添うことになります。

厳格な節子の父の元を離れ、節子と二人きりで過ごすサナトリウムの生活を「私」は「人生に先立った、人生そのものよりかもっと生き生きと、もっと切ないまでに愉しい日々」だと心待ちにしていました。

そんな中「私」は節子を診察した院長から、徐々に回復しているようにみえた節子の本当の病態を聞かされます。

「私」の様子から自分の病気の深刻さを察した節子は「これから本当に生きられるだけいきましょうね……」と声を震わせるのでした。

風立ちぬ

サナトリウムについた「私」と節子の「風変わりな愛の生活」がはじまりました。

「私」は院長から節子は病院中で2番目に重症な患者だと聞かされます。

節子と二人きりの生活をする内に「私」は「彼女と心臓の鼓動さえ共にした」と錯覚するほどの一体感を感じるようになり、「死の味のする生」に溢れるような幸福を感じていました。

「私達がずっと後になって今の生活を思い出すようなことがあったら、どんなに美しいんだろう」と思った「私」は節子とのサナトリウムでの日々を小説に書くことを決意します。

「私」の一人称で語られていた物語は、「冬」の章から日記体に変化します。

節子の病態は悪化の一途を辿り、節子の死が避けられない現実となって二人に迫ります。

「私」は節子を失う悲しみや死への恐れから、小説の結末、つまりヒロインの死を書くことができないでいました。

死の間際、家に帰りたいとこぼす節子に「私」は「咽がしめつけられるような恐怖」を覚え、ベッドに駆け寄り冬の章は終わります。

死のたに

節子の死後1年後、「私」は節子と出会った村の奥地の山小屋を借りて生活していました。

いつか節子と暮らすことを夢見ていた山小屋で、節子の幻想に語りかけながら空虚な日々を過ごしていた「私」でしたが神父や村の娘との交流、リルケの『レクヰエム』を読んだことで少しずつ変化していきます。

そしてある静かな晩に「おれは人並み以上に幸福でもなければ、又不幸でもない」と振り返り「こんな風におれが生きていられるのも、本当にお前のお陰だ。」と節子の無償の愛に感謝します。

自ら「死のかげのたに」と名付けた谷を「幸福のたに」と呼んでもいいような気がするのでした。

『風立ちぬ』ー概要

主人公 「私」-小説家。
重要人物 節子-「私」の婚約者。結核を患っている。
主な舞台 軽井沢の富士見高原療養所。
時代背景 近代
作者 堀辰雄

『風立ちぬ』―解説(考察)

作中における「風立ちぬ いざ生きめやも」の意味

Le vent se lève, il faut tenter de vivre

『風立ちぬ』堀辰雄 野田書房庫,p.2

『風立ちぬ』の題辞になっているこの詩は、フランスの詩人ポール・ヴァレリーの『海辺の墓地』の一説です。

直訳すると「風が立った、さあ生きねばならぬ」という生への力強い意思表示であるこの詩を、堀辰雄は『風立ちぬ』の中で「風が立った、生きようか、いや生きられはしない」と訳しています。

本来「生きねばならぬ」という生への強い意思表示を「生きようか、生きられはしない」という曖昧な表現にしたことで、生への欲求と諦観、死への不安や予感というこの作品全体を覆うテーマを表しています。

「私」と作者堀辰雄について

『風立ちぬ』は堀辰雄が婚約者矢野綾子との実体験に基づいて執筆した作品です。

矢野綾子が結核で亡くなった後に執筆をはじめ、最終章「死のかげの谷」を書き終えたのは死後ちょうど2年後でした。

『風立ちぬ』は、堀辰雄が婚約者を亡くした失意の最中に書かれた作品だと言えます。

リルケ「レクヰエム」について

「死のかげの谷」で「私」はリルケ「レクヰエム」を読んだことで節子の死を受け入れられるようになります。

帰つて入らつしやるな。さうしてもしお前に我慢できたら、
死者達の間に死んで出。死者にもたんと仕事はある。
けれども私に助力はしておくれ、お前の気を散らさない程度で、
屡々遠くのものが私に助力をしてくれるやうに――私の裡で

『風立ちぬ』堀辰雄 野田書房庫,p.191‐p.192

「レクヰエム」を読んだ「私」は、「こんな風におれがいかにも何気なさそうに生きていられるのも、そんなことがこの意気地なしのおれに出来ていられるのは、本当にみんなお前のお蔭だ。」と「私」が今生きていられるのは節子おかげなのだと振り返ります。

節子の死を受け入れられなかった「私」は節子を死者として受け入れ、「死者」節子の無償の愛によって「生者」の「私」は生かされているのだと見出したのです。

『風立ちぬ』ー感想

・死を乗り越える過程を描いた物語

『風立ちぬ』は最愛の婚約者を失う悲しみを乗り越える過程を描いた小説です。

最初「私」は節子の死という逃れられない悲しみを「みんなが終わりだと思っているところからはじまる物語」や「死の味がする幸福」だと思うことで乗り越えようとしたのだと思います。

「私」は無意識に節子の死を恐れる余りに、目の前の「やがて死にゆく節子」と向き合えておらず、小説の執筆活動に没頭していきます。

しかし節子の死を受け入れられているようで受け入れられていないので、「ヒロインの死=節子の死」という小説の結末を書くことができません。

節子はそんな「私」を何もいわずに見守っていました。

結局、頓挫した小説の執筆の執筆活動が再開したのは節子の死後2年後です。

リルケの「レクヰエム」と出会い、節子と過ごした日々や節子がくれた無償の愛が「私」をこれからも生かしてくれるのだと「私」は初めて節子の死を乗り越えられたのです。

堀辰雄が『風立ちぬ』を発行したのは、矢野綾子の死の2年後でした。

大切な人の死を乗り越えるためには、例えばリルケの『レクイエム』だったり、山小屋から漏れる光だったり、誰かの言葉や日常の中のふとした気づきによって救われることもあるかもしれませんが、一番必要なのは結局死者の思い出と向き合うだけの十分な時間なのかなとも思いました。

『風立ちぬ』が発行されたのは第2次戦争の直前でした。

戦地に赴く多くの若者が『風立ちぬ』を読んだと言われています。

『風立ちぬ』は残す者と残される者の苦悩を救ったのではないでしょうか。

以上、『風立ちぬ』のあらすじと考察と感想でした。