『夢十夜』「第九夜」語り手の立ち位置の変化について

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『夢十夜』「第九夜」語り手の立ち位置の変化について

『夢十夜』(第九夜)の紹介

『夢十夜』は夏目漱石著の短編小説で、明治41年から朝日新聞で連載されました。

第九夜は、御百度参りに関する夢の話です。

ここでは、『夢十夜』第九夜のあらすじ・解説・感想までをまとめました。

『夢十夜』(第九夜)ーあらすじ

世の中が何となくざわつき始めた。

今にも戦争が起りそうに見える。

家には若い母と三つになる子供がいる。

父は、何処かへ行った。

床の上で草鞋を穿いて、黒い頭巾を被って、月の出ていない夜中に、勝手口から出て行った。

父はそれきり帰って来なかった。

夜になって、あたりが静まると、母は子供を細帯で背負って、八幡宮へ向かう。

鳥居を潜ると杉の梢で何時でも梟が鳴いている。

拝殿の前で、母は先ず鈴を鳴らして置いて、すぐにしゃがんで柏手を打つ。

それから母は一心不乱に夫の無事を祈る。

一通り夫の身の上を祈ってしまうと、背中の子を前に廻して拝殿を上って行って、細帯で子供を縛って置いて、その片端を拝殿の欄干に括り附ける。

それから二十間の敷石を往ったり来たり御百度を踏む。

拝殿に括りつけられた子は、暗闇の中で、細帯の丈のゆるす限り、広縁の上を這い廻っている。

縛った子がひいひい泣く時は、母は気が気でない。

仕方のない時は、中途で拝殿を上って来て、又御百度を踏み直す事もある。

こう云う風に、幾晩となく母が気を揉んで、夜の目も寝ずに心配していた父は、とくの昔の浪士の為に殺されていたのである。

こんな悲しい話を、夢の中で母から聞いた。

『夢十夜』(第九夜)ー概要

主人公
重要人物 母・子供
主な舞台 八幡宮
時代背景 不明
作者 夏目漱石

『夢十夜』(第九夜)―解説(考察)

・語り手の立ち位置の変化

『夢十夜』第一夜から第八夜の語り手は「自分」です。

いずれも、「自分」が夢の中で体験したことや見たものを、夢の話として綴る構成をしています。

ところが、第九夜では、この語り手の立ち位置が大きく変化し、伝聞という形で話が終結します。

下記に、『夢十夜』の作品全体の内容をまとめてみました。

語り手 語り手は夢の中で何をしたか
第一夜 自分 死んだ女を百年待つ
第二夜 自分=侍 悟りを開こうとする
第三夜 自分=父親 不気味な子供を背負って歩く
第四夜 自分=子供 不思議な爺さんの後を追う
第五夜 自分=捕虜 愛する女が会いにくるのを待つ
第六夜 自分=明治の人間 運慶が仁王を彫るのを見て、自分も仁王を彫ろうとする
第七夜 自分 大きな船に乗っている
第八夜 自分 床屋で髪を切りながら、往来の様子を観察する
第九夜 明記なし 御百度参りの話を母から聞いた
第十夜 自分 庄太郎の話を健さんから聞いた

第十夜の詳細については、『夢十夜』第十夜の解説で触れるので、ここでは省略しますが、明らかに『夢十夜』後半2話では、語り手の立ち位置に変化が起きています。

第一夜から第八夜までは当事者であった語り手が、第九夜を起点に第三者へと変化しているのです。

また、語り手である「自分」が何者の姿をしているかという点においても、第五夜までは様々な姿(侍であったり、子供であったり)をしていたのが、第六夜以降にはそうした変身は見られません。

第九夜も、女か子供の視点と思いきや、過去の話を聞く語り手の視点で綴られており、語り手自身が女や子供の姿に変身しているわけではありません。

この語り手の立ち位置の変化が示す意味や効果が何かというのは、非常に難しい問題です。

ですが、『夢十夜』のテーマが後半にかけて現実社会に近づいてきていることを踏まえると、語り手もまた、作品を俯瞰する作家の立場、すなわち作者の現実の姿に近づいてきているということを表しているのかもしれません。

・第三夜との比較

『夢十夜』の10篇の作品は、一見どれも独立しているように思われますが、いくつかの作品では部分的な対比構造や、類似性を見ることができます。(詳細については『夢十夜』第一夜から第八夜までの解説をご参照ください)

第九夜もまた、第三夜に関連性を読み取ることができる作品です。

まず、第九夜と第三夜の内容にはいくつか共通点が見られます。

〈第三夜・第九夜の共通点〉

  • 時間帯は夜
  • 親子が登場(第三夜は父子、第九夜は母子)
  • 親が子を背負って歩く描写
  • 不吉を象徴する鳥が登場している(第三夜は鷺、第九夜は梟)
  • 「百」という数字(第三夜は百年、第九夜はお百度参り)

また、第三夜・第九夜ともに、登場人物あるいはその関係者の生死に触れています。

第三夜では、「自分」が前世で一人の盲目を殺し、殺された盲目が子供となって生まれ変わっています。

第九夜では、帰ってこない父の無事を母が祈る様子が描かれますが、父は既に浪士に殺されていたという展開を迎えています。

共通する描写が多いだけに、第三夜・第九夜の相違点はくっきりと浮かび上がります。

例えば相違点の一つとして、情景描写の詳細度が挙げられます。

第三夜では、父子が行く道の風景描写はそこまでリアルで緻密なものではありません。

ところが第九夜は、母子が八幡へ向かう道のりは非常に具体的に描写されています。

第三夜が深い眠りの中で見る抽象的な夢だとするならば、第九夜は浅くなった眠りの中で見る具体的で合理的・現実的な夢であると言えるでしょう。

また、他にも相違点として、子供に向けられる感情の違いがあります。

第九夜では、描写の端々から母が子に向ける愛情を感じ取ることができますが、第三夜では、子供は非常に不気味な存在として描かれ、父が子に向ける感情はマイナスなものです。

この違いは、第三夜の話としての不気味さ、あるいは原罪的不安や怖れを一層際立たせる効果を持っているように思われます。

・漱石の幼少体験との関連性

『夢十夜』は、第二夜で描かれた参禅体験のように、作者の実体験に基づいていると思われる場面がいくつか見られます。

この作者の実体験との関連性は、第九夜でも考えることができます。

漱石の幼少時代に注目してみましょう。

五男三女のきょうだいの末っ子として生まれた夏目漱石は、生まれてすぐに四谷の古道具屋に里子に出されています。

そこで毎晩、品物の横で漱石がほったらかしにされているのを見た姉が不憫に思い、実家へ連れ戻したと言われています。

この体験は、大正4年に書かれた漱石最後の随筆『硝子戸の中』に記されています。

私は両親の晩年になってできたいわゆる末ッ子こである。私を生んだ時、母はこんな年歯をして懐妊するのは面目ないと云ったとかいう話が、今でも折々は繰り返されている。
単にそのためばかりでもあるまいが、私の両親は私が生れ落ちると間もなく、私を里にやってしまった。
その里というのは、無論私の記憶に残っているはずがないけれども、成人の後聞いて見ると、何でも古道具の売買を渡世にしていた貧しい夫婦ものであったらしい。
私はその道具屋の我楽多といっしょに、小さい笊の中に入れられて、毎晩四谷の大通りの夜店に曝されていたのである。

夏目漱石『硝子戸の中』,青空文庫

生後間もない頃なので、もちろん漱石に当時の記憶はないでしょうし、夜の拝殿で母の御百度参りが終わるのを待つ子供とは状況が異なります。

しかし、夜に小さな子供が外にいる光景、そこから感じる寂しさや切なさは、どこか通ずる部分があるように思われます。

また、その後一旦は実家に戻された漱石ですが、1歳の時には父親の友人夫婦のところへ養子に出されています。

そして9歳の時に養子先の夫婦が離婚し、再び実家に戻ることになりますが、そこでは実両親のことを祖父母と思って暮らすなど、なかなかに過酷な幼少期を過ごしています。

『夢十夜』第九夜では、父親の姿は描かれず、母と子の間で「御父様は何処」というやりとりが繰り返されます。

漱石の父親が浪士に殺されていたわけではありませんが、第九夜での帰ってこなかった父親は、漱石の幼少期における親の不在が投影されているようにも感じられます。

御百度参りのエピソード自体が、漱石の実体験に基づいているわけではありませんが、子供の頃に抱いたであろう寂しさや不安感が下地となり、第九夜は作り出されたのではないでしょうか。

『夢十夜』(第九夜)ー感想

・第九夜のテーマとは?

『夢十夜』全体を通して見る中で、各話のテーマが何であるか考えた時、第九夜は特にテーマが分かりにくいと思います。

『夢十夜』は、前半では生と死の問題がテーマの根底にあり、後半にかけて、近代社会の問題にテーマの軸が移ってきているということは、第九夜までの解説の中で指摘しました。

ところが第九夜は、語り手の視点が現実社会に近づいてきていることは前述したとおりですが、話の内容自体は、むしろ生と死のテーマに近いような感じです。

では、『夢十夜』が作られた時代背景を踏まえてみるとどうでしょうか?

第九夜冒頭では「戦争が起りそうに見える」という表現があります。

第九夜自体の時代設定は、はっきりとはしませんが、足軽や浪士という言葉が使われていることから、少なくとも明治より前の時代だと思われます。

しかし、夢十夜が発表された時代は、日露戦争が終結してまだ数年程しか経過しておらず、戦争と言えば、すぐに現実の戦争が思い起こされたことでしょう。

実際に日露戦争で父を亡くした家庭も多くあったはずです。

第九夜には、日清戦争・日露戦争と、次々と戦争を行なっていく明治の日本の姿と、その悲しい影響をテーマとして伝える側面もあるような気がします。

単体で見ると第九夜の内容はシンプルで分かりやすいものですが、『夢十夜』作品全体における位置や意味を考えると、まだまだ読み深めていくべき点の多い、難解な作品であると思います。

以上、『夢十夜』第九夜のあらすじと考察と感想でした。


【引用URL】
夏目漱石『硝子戸の中』,青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/760_14940.html

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yumihara

文学部出身の主婦です。文学の魅力が少しでも伝わるような、わかりやすい解説・感想を心がけていきたいです。