谷崎潤一郎と倚松庵|『細雪』の舞台訪問記

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谷崎潤一郎と倚松庵|『細雪』の舞台訪問記

『細雪』の舞台となった倚松庵

倚松庵は、文豪・谷崎潤一郎が1936年(昭和11年)の50歳の時から1943年(昭和18年)の57歳の時まで居住した家で、谷崎の三番目の妻である松子とその妹たちをモデルとした小説「細雪」の舞台となりました。

神戸市東灘区の魚崎に所在し、現在、神戸市の管理の下で、土日のみ一般に開放されています。

私も実際に行ってきたので、谷崎潤一郎ファンにぜひ訪れていただきたい「細雪」ゆかりの場所、倚松庵について詳しくご紹介します。

生涯で40回も引っ越しをした谷崎潤一郎

関東大震災を機に関西に移り住むことになった谷崎潤一郎は、阪神間に21年居住し、そのうちの16年間は現在の神戸市東灘区に該当する場所に住んでいました。

谷崎は生涯で40回も引っ越しをしたそうですが、阪神間では13回引っ越しをしています。倚松庵も谷崎の引っ越し先の一つです。

倚松庵には7年間居住し、関西移住の中では一番長く住んでいました。

 「細雪」に登場する船場の大問屋の美しいセレブな姉妹が住んでいた家と聞くと、さぞや贅を尽くした豪邸・・・といったイメージが膨らみますが、倚松庵は、どちらかというと、少し広めのふつうの日本家屋、といった感じの家です。

門構えや石畳やこじんまりとした日本庭園と、洋間と和室が併存する和洋折衷の家は、確かに独特の趣があります。特に1階の暖炉がある広い洋間と食堂は、当時としてはかなりハイカラでモダンな内装だったのだと思います。

倚松庵の門前にある石

門の前には「倚松庵」と書かれた石がありました。

倚松庵の内部を紹介

・倚松庵1階

見学者用のパンフレットの表紙に書かれた松子の筆跡の「倚松庵」と同じで、同じ筆跡の色紙が玄関を入った右手にも、可愛らしく生けられたお花と一緒に飾られていました。

訪問したのは土曜日のお昼頃でしたが、訪問者は私以外に見当たらず、タイムスリップしたような空間で、谷崎潤一郎の世界を味わうことができます。

倚松庵の応接間

玄関を入ると左側にマントルピースのある応接間と、その続きの食堂があります。

応接間には書棚があり、谷崎潤一郎の作品や、研究書、関連図書などが配架されていました。貸出は出来ないそうですが、館内で閲覧することは可能です。

倚松庵のテラス。出ることもできる

この部屋にはテラスがあり、綺麗に手入れされた日本庭園に出ることができます。

庭園散策用のスリッパも用意されていて、テラスのベンチでは書棚の本を読むことができます。書棚にあった本を読み始めると、あっという間に時間が経ってしました。

三姉妹が夏の暑い日にごろごろ寝そべっていたという「西の部屋」。

一続きになった応接間と食堂の隣には、「西の部屋」という和室がありました。床の間のある素敵なお部屋です。

「細雪」の中巻11章に、「・・家じゅうで一番涼しい部屋とされているので、三人は争ってその窓の前へ寄り集まって、畳にねそべるようにしながら最も暑い午後の2,3時間をすごした。」とかかれている部屋です。

三姉妹が夏の暑い日にごろごろ寝そべっていたというお部屋になります。

1階にはその他、お風呂と台所と今は事務室として使われている女中部屋がありました。

・倚松庵2階

倚松庵の二階

急な階段を上がると、2階には3つの日本間がありました。階段を上ってすぐの8畳間には、和箪笥や鏡台などが置かれていました。

「細雪」冒頭で、鏡台の前で仕度をしている幸子が「こいさん、たのむわ・・」と妙子に話しかけるシーンが目に浮かびました。

谷崎潤一郎の資料

隣の部屋は6畳間で、ガラスの展示ケースが置かれていました。その中には、貴重な限定本等が並んでいます。

谷崎潤一郎が倚松庵の立ち退きを巡って家主と交渉した経緯がわかる手紙のやり取りなども展示されていました。

四畳半の書斎

その隣の部屋は書斎のような設えの四畳半の部屋。「細雪」の中では雪子の部屋としてイメージされていたようです。

洋間と日本間が混在する倚松庵のモダニズム

一通り見学を終えてみると、この家は1階には応接間と食堂の洋間と、床の間のある日本間、台所とお風呂と女中部屋、そして2階には和室が3室という作りであることがわかりました。

『細雪』の中では以下のように書かれています。

いったいこの家は、大部分が日本間で、洋間と云うのは、食堂と応接間と二間続きになった部屋があるだけであったが、家族は自分達が団欒をするにも、来客に接するのにも洋間を使い、一日の大部分をそこで過ごすようにしていた」(上巻8章)

細雪の美しい姉妹たちがすごしたマントルピースのある洋間とテラスに続く素敵な庭園。

大正から昭和の初期にかけての阪神間モダニズムの世界が目の前に広がります。

谷崎潤一郎は、この家で、源氏物語の現代語訳を書き上げ、細雪の執筆を始めたそうです。

家主から借家として借り受けた家でしたが、谷崎は庭に書斎を増築したり、立ち退き要求になかなか応じず裁判になりかかるほど家主との交渉が難航したりと、賃借人としてはかなり無謀なことをしていたエピソードも紹介されていました。

『細雪』のモデルといわれている松子は、谷崎の3番目の妻で最愛の妻と言われていますが、長年連れ添った妻の千代とは当時スキャンダルとなった「細君譲渡事件」で佐藤春夫に譲り渡して離婚。

その直後に電撃的に再婚した20歳も年が離れた古川丁未子とも2年足らずで離婚しています。

千代や丁未子が妻である時から、谷崎は憧れの存在である松子に心を奪われていたようです。

谷崎の引っ越しの頻度は経済状態とも関係が深いことが、倚松庵の立ち退き拒否事件からも読み取れますが、世間の常識にとらわれない自由人であり、ある意味スキャンダラスな愛の世界を描く作家谷崎潤一郎にとっては、実生活がインスピレーションの源になり、創作意欲を掻き立てるエネルギーになっていたのかもしれません。

『細雪』の舞台になった倚松庵も、松子とその姉妹たちと一緒に暮した谷崎潤一郎にとって、生活空間であると同時に、インスピレーションの源になった場所だったということを感じました。

谷崎文学ファンの方に、ぜひ週末に訪れていただきたい場所の一つとして「倚松庵」をご紹介させていただきました。

アクセス&利用時間

  • JR「住吉駅」から南東へ900m徒歩約12分
  • 六甲ライナー「魚崎駅」から北へ150m徒歩約2分
  • 阪神「魚崎駅」から北へ450m徒歩約6分

【利用時間】

  • 開館時間:午前10時~午後4時開館日:土曜日、日曜日(年末年始除く)
  • 入館料:無料

【参考文献】

『谷崎潤一郎in 阪神』たつみ都志著、発行神戸市 平成32月。
「倚松庵」(パンフレット)神戸市都市局市街地整備部軸課
『細雪』谷崎潤一郎著、中央公論社、昭和631月。
『現代日本アルバム第5巻谷崎潤一郎』学習研究社、昭和4891日。
『岡本わが町 岡本からの文化発信』神戸新聞総合出版センター、20154月。

URL

神戸市:倚松庵(『細雪』の家へようこそ) (kobe.lg.jp)

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