『粗忽長屋』の紹介
『粗忽長屋(そこつながや)』は江戸落語の演目の一つです。
粗忽者が出てくる落語のなかでも、演じるのが難しいといわれていますが、ほとんどの落語家が演じている演目です。
名演というと、五代目柳家小さんの録音が残っています。小さんは四代目小さんからこの話を習ったときに本当に難しい話だと思ったそうです。
たしかに、数ある粗忽話のなかでも、勢いだけで、馬鹿馬鹿しいことを周囲に主張する八五郎の話術がポイントの演目。
立川談志も『粗忽長屋』が得意で、彼独特の押しの強い八五郎が世界を塗り替えていく様が圧倒的です。
談志は、この話を『主観長屋』と呼んでいました。主観が強すぎて現実を曲げていく様を強調したわけです。
『粗忽長屋』ーあらすじ
粗忽者(そこつもの)は、おっちょこちょい、物の道理がわからない者、忘れやすい者ということ。つまり、はた迷惑だが憎めないキャラクターです。
そんな粗忽者が、ひとり長屋にいると、迷惑だから隣近所が出ていってしまいます。
しまいには、長屋の住人が粗忽者ばかりということになってしまうことになってしまいます。
そんな、粗忽長屋の隣同士、八五郎と熊五郎。
2人は無二の親友で兄弟のような関係です。
ある日、八五郎が観音様を参ったあとに雷門の前を通りがかると黒山の人だかり。
なにごとかと八五郎は思い、近くの人に聞きます。
「なんだか、行き倒れみたいですよ」という答え。
「見てみたいな」と、人だかりの前に出ようとする八五郎。実は八五郎は「行き倒れ」の意味を知らないわけです。
しつこく前に出たがる八五郎に「またをくぐっていけば前に出られる」と教えてくれる人も。
もちろん冗談のつもりなのですが、八五郎は実際に人の股をくぐって行き、みんなに迷惑をかけながらやっとのことで前に出ます。
人だかりの一番前に出ると、お役人さんが菰(こも)のかかった死体の前にいます。
「行き倒れだ」と説明してくれる。
「生きてんのか?」と八五郎。
「行き倒れだから、死んでるよ」と役人。
「生きて倒れているから、生き倒れじゃねぇのか?」と八五郎が言いだして、お役人は面倒な人が来たと頭を抱えます。
お役人に許され、菰をめくって死体の顔を見るなり、
「ん? これは熊だ。俺の兄弟分の熊五郎にちがいない。同じ長屋で隣に住んでいる」と、八五郎が言います。
「行き倒れが誰かわからなくて困っていたところだったので、とても助かる」と役人。
大家は引き取りに来ないのか、妻はいないのか、子はいないのか、というやりとりをします。
「今朝会ったときになんか調子が悪そうだったんですよ」と八五郎。
「その友達に今朝会ってるんだろ。その仏は昨夜からここに倒れているんだから、別人だ」と役人。
「そうだ!」と八五郎がひらめいたとばかりに言い出します。
「なら、当人に取りに来させればいい」
この提案には、さすがに戸惑う役人。
本人を連れ行くると言い残して、八五郎は長屋に戻ってきます。
「おい、熊、熊、大変なことになっちゃったんだ」と、熊五郎に言います。
「なんだ?」と熊五郎。
「雷門で、人が行き倒れてて、それがお前だったよ。お前はぼんやりしているから、自分が死んだことに気づかないんだよ」と八五郎は熊五郎に教えます。
聞くと、熊五郎は、昨夜は吉原をひやかしに行ったあと、馬道で飲んで記憶を失ったまま長屋に戻ったのだという。
とにかく死体を盗られたら大変だから、行くぞ、と八五郎は熊五郎を連れ出します。
「どうもすいません、いろいろとお世話になりまして」と熊五郎。
役人は、また同じようなのが増えたぞ、と呆れかえります。
「とにかく見たらいい」と八五郎。
「これ本当に俺かな、俺だ、ああ、情けないな、この俺。こんな情けない姿になっちゃって」と、しまいには泣き崩れてしまいます。
熊五郎が行き倒れを抱えて帰ろうとします。
「おい兄弟、俺わかんなってきたよ」と熊五郎。
「なんだい」と八五郎。
「抱かれている俺は確かにが俺だが、抱いてる俺はいったい誰なんだろう?」
『粗忽長屋』ー概要
主人公 |
八五郎 熊五郎 |
重要人物 |
役人、町の人々 |
主な舞台 |
江戸時代 |
時代背景 |
長屋文化 粗忽者という愛すべきキャラ |
原典 |
『絵本噺山科』のなかの「水の月」 |
『粗忽長屋』の面白さ
粗忽者という愛すべきキャラクター
落語のほうには、粗忽者というキャラクターがよく出てきます。
熊さん八さん、与太郎などが出てきたら彼らはたいてい粗忽者です。
粗忽者が登場する名作落語は、「大工調べ」の与太、「粗忽の釘」「松曳き」数え上げればキリがありません。
落語世界の滑稽さを強調するキャラクターの粗忽者ですが、ある意味社会的な弱者や不器用な人間たちが、みんなに馬鹿にされながら、みんなに「しようがないね」と愛され世間に馴染んでいる姿を表現する役割を持っているとも言えます。
落語の世界は、多様性に満ちているのかもしれませんね。
立川談志は、『粗忽長屋』を得意としていました。人間の業の肯定と落語を位置付ける家元ならではの自由闊達で勢いのある八五郎は無理な話をしながら周囲を「しようがなないね」と無理やり納得させて、どどん先に先に行動します。
八五郎の言葉には、粗忽な勘違いをしていながら、有無をいわせず相手を巻き込む力がありまして、熊五郎は自分が死んだとしか考えられなくなる。
客観的な第三者である役人たちが何を言っても、彼らの思い込みは変わらないのです。
それが滑稽なのですが、粗忽者とは、思い込みの強さで世間を納得させてしまう力を持っているすごい人なんじゃないかと思えてきます。
同じような人が増えちゃう〜類は類を呼ぶ
死体は無二の親友だ、と言って熊五郎をつれてきてしまう八五郎の粗忽加減も相当ですが、連れて来られる熊五郎もなものです。
仲をひやかしに行って、そのまま馬道で一杯ひっかけて酔って訳がわからなくなって家に帰るのですが、
行き倒れが熊五郎で、その本人熊五郎と対面させなきゃならないという八五郎ワールドに、熊五郎はいとも簡単に入り込みます。
粗忽者同士、非現実的な世界に入り込むのです。粗忽者ばかり集まった粗忽長屋ならではの展開です。
この2人にとって、熊五郎の死体と熊五郎本人が対面するというのは、何の不思議もないリアルなわけです。
「同じような人が増えちゃった」という役人の言葉が現実的な世間の意見なのですが、そんなこと、粗忽者の2人には関係ない世界の話。
むしろ役人や周囲の人々の現実のほうが、嘘くさい世界に見えるわけです。
私たち視聴者は、話者によって、八五郎ワールドの内側に強引に引っ張り込まれていますので、そちらの現実と役人の現実とが二重になったなかで、『粗忽長屋』という話を解釈していくわけなんですよね。
だから、「抱いている俺は、いったい誰なんだろう」というナンセンスなオチがストンと落ちる。
これが、この噺の醍醐味ですね。
単なる「まぬけ落ち」では済まされない?
この噺は分類するなら「まぬけ落ち」という落ちになります。
ばかばかしい話で終わるということですが、「抱いている俺は、いったい誰なんだろう」という、悩まなくてもいいことで悩む馬鹿馬鹿しさが落ちになっているのです。
しかし、これは単なるまぬけなのでしょうか。
「人は自分が生きていて、自分が見ている世界がリアルだと思っている。でも、それは本当にそうなのだろうか」という問いとして捉えると、主観というものがあてにならないことを示す話になります。
それは、観ている私たちに「あんたが考えている現実なんて、あてにならないんだ」と問いかけているようでもありますね。
『粗忽長屋』―現代の聞き手では理解しにくい点
金龍山浅草寺と吉原って関係あるの?
噺の重要な舞台となるのが金龍山浅草寺の山門の雷門。外国人観光客にも大人気のスポットです。
雷門をくぐりにぎやかな仲見世を通ると宝蔵門。左手には五重塔が見えます。
そのまままっすぐ行くと本堂。浅草寺の御本尊は聖観世音菩薩で、浅草の観音様と呼ばれて江戸の町人たちに親しまれていました。
八五郎は、観音参りをしたあとに、仲見世から雷門にさしかかったところで、黒山の人だかりに出会ったのでしょう。
江戸の人たちは、とにかく騒ぎが大好き。わいわい賑やかだったことでしょう。
一方、熊五郎の昨夜の動きも「浅草寺付近ならでは」のことです。
熊五郎は、仲をひやかしてから馬道で飲んで歩いていたら記憶がなくなって気づいたら自分の部屋だったと言います。
仲というのは、当時日本一の遊郭街だった吉原。数多くの落語にも出てきますね。夜通し灯がこうこうと輝く賑やかな街です。
単なる売春宿ではなく、芸者、幇間(ほうかん/たいこもち)などが宴会を賑やかに盛り上げる遊び場だったようです。
大名・旗本や跳び抜けた大金持ちだけが、茶屋で派手に遊んだあとに太夫(たゆう)と枕をともにするという幸運と名誉を手に入れることができます。『紺屋高尾』や『明烏』でもお馴染みですね。
そんな大店(おおだな)ばかりでなく、小さな店などもあり、遊ぶお金もないのに、ふらふらとお店(おたな)を眺めてまわるだけ、というのが「ひやかし」。
賑やかな町ですのでお金がなくても浮かれた気分になれるのでしょうね。
この吉原周辺が、馬道(うまみち)です。馬道は広い範囲に及び、浅草寺の裏手にあたりますので「観音裏」などと呼ばれる街です。
仲をひやかしてから、馬道の安い店で飲む、というのは当時の町人のパターンだったと思われます。
ちなみに、立川流がよく通っていたという大木食堂や、二代目快楽亭ブラックが仲良くしていた、照さん(故人)の寿司屋も馬道通り沿いにありました。
股をくぐる
冒頭で、八五郎は、黒山の人だかりの先で何が起きているのか気になって気になってしようがない。
ある演者は「飛んでいけばいい」と言い、「股をくぐればいい」と言う。
八五郎は、何重にもなった人だかりの人々の股をくぐって、なんとか人だかりの中心にたどり着くわけですが、その「股くぐり」は、「韓信(かんしん)の股くぐり」という史記のエピソードと、「助六(すけろく)」のシーンが下地にあっての場面かと思われます。
韓信は、漢王朝の創世記に活躍した将軍。若い頃は食べ物を恵んでもらうような貧乏でした。
貧乏なのにいつも剣を持っている韓信に、賭場の仲間が「大きくて剣を持っているが勇気はないだろう。
勇気があるならば、その刀で俺を斬ってみろ。できないなら、俺の股をくぐれ」と言ったそうです。
韓信は相手を見つめたあと、無言で股をくぐったのです。周囲の人々は韓信を臆病者だと笑いました。
韓信は「将来大きな目的を遂げるためには、一時の恥に耐えることが大事だ」とし、無駄な争いと殺生を避けたのです。
あまり出世できないでいた韓信。漢の劉邦(りゅうほう)の丞相(じょうしょう)であった蕭何(しょうか)が「韓信の代わりはいない」と韓信の才能に気づいていて、劉邦にも重用されていくわけです。
市川團十郎家の歌舞伎十八番の『助六所縁江戸櫻』でも、源氏の宝刀友切丸を探し当てるために、助六が通行の侍に「股ァくぐれ」と喧嘩を売る有名な場面があります。
これは明らかに韓信の股くぐりを元にしたもので、韓信ほどの徳のない相手を怒らせ刀を抜いたときに友切丸かどかを判断するという仕掛けです。
「股をくぐっていけばいいんだよ」という粗忽長屋の町人のセリフには、「韓信の股くぐり」や「助六」の場面が下地にして味わえば、当時の町人の冗談の深い意味が伺えます。
『粗忽長屋』ー感想
この噺は、粗忽話のなかでも難しいと小さんは言いました。
それは、2種類の粗忽者が登場するからでしょう。
八五郎は慌てんぼうの粗忽者で、勘違いしたら止まらない。強い思い込みで周囲を巻き込んで、馬鹿馬鹿しいことをしてしまうタイプ。
そして熊五郎は、ぼうっとしていて巻き込まれやすい粗忽者。
この2人を対比して演じわけていくことが求められるのです。
また、生きている熊五郎が死んでいるという不条理なストーリーを、嘘くさくなく、リアルに演じる必要もあります。
志ん生、志ん朝、小さん、談志といろいろな演者が名演を残している『粗忽長屋』。噺が面白いので、どんな落語家さんで聞いても独特の世界に入り込めますので、徹底的に聴き比べるのも面白いと思います。