岡本かの子『老妓抄』老妓の「悲しみ」とは何か?

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岡本かの子『老妓抄』老妓の「悲しみ」とは何か?

『老妓抄』紹介

『老妓抄』は岡本かの子著の短編小説で、1938年『中央公論』11月号に掲載されました。

本作は、発明家を志す青年・柚木との奇妙な関係性を通じて、老妓の悲しみと魂の美しさを描きだした作品です。

作品の最後に添えられた「年々にわが悲しみは深くして/いよよ華やぐいのちなりけり」という短歌が有名で、この和歌それ自体も著者の代表作として名高いものとなっています。

ここでは、『老妓抄』のあらすじ・解説・感想までをまとめました。

『老妓抄』あらすじ

憂鬱をたたえつつも快活さにあふれた老妓・小そのは、長年の苦労を経て財産と自由を手に入れ、現在は自身の経営する芸者屋の裏で、養女・みち子と暮らしています。

あるとき、電気器具商・蒔田の紹介で、柚木という青年が家に出入りするようになりました。

老妓は彼の発明家という夢を応援するため、生活の面倒をみてやると申し出ます。

しかし、何不自由ない暮らしによって、かえって彼の熱意は削がれてゆきました。

自分は普通の生活がほしいのではないかと考えるようになり、自分に気のあるみち子との未来を想像して、一度だけ関係をもってしまいます。

堕落した柚木に対して老妓は、仕事でも恋でも、一途に追い求める姿がみたいのだと語ります。

しかし、柚木はそんな純粋なことは今どきあるものじゃない、と反論し、その果てしない願望に巻き込まれることに嫌気がさして、家をでてしまいました。

まもなく蒔田に連れ戻されるものの、その後もたびたび逃亡する癖がつきました。

柚木が逃げだすたび、老妓には悔しさと不安な脅えが込み上げます。

しかし、その思いは情緒的に発酵して寂しさに酔うような心持ちになり、かえって彼女に活力を与えるのでした。

『老妓抄』概要

主人公 老妓:本名・平出園子。芸者名・小その。
重要人物 柚木:発明家を志す青年。老妓に生活の面倒をみてもらっているうち、発明への情熱を失う。
蒔田:電気器具商の主人。柚木の元雇い主。
みち子:老妓の養女。柚木と一度だけ関係をもつ。
主な舞台 東京
時代背景 昭和時代(1430年代)
作者 岡本かの子

『老妓抄』解説(考察)

年々にわが悲しみは深くして
いよよ華やぐいのちなりけり

岡本かの子『ちくま日本文学037 岡本かの子』,筑摩書房, 242頁

この歌は、『老妓抄』を未読の方でも耳にしたことがあるかもしれません。

簡素ながら力強い言葉で表現された、印象的な一首です。

今回はこの和歌をより深く味わうため、本文中に描かれた老妓の「悲しみ」とはなんなのか、その本質について掘り下げて考察してみたいと思います。

芸者屋という苦海

老妓の「悲しみ」について知るため、まずは彼女の過去について詳しくみていきます。

「永年の辛苦で一通りの財産も出来」とあるように、小そのの生涯は決して順風満帆ではなかったはずです。

若い芸者に対して語る苦労話からは、彼女の過去をうかがえます。

 何も知らない雛妓時代に、座敷の客と先輩との間に交される露骨な話に笑い過ぎて畳の上に粗相をしてしまい、座が立てなくなって泣き出してしまったことから始めて、囲いもの時代に、情人と逃げ出して、旦那におふくろを人質にとられた話や、もはや抱妓の二人三人も置くような看板ぬしになってからも、内実の苦しみは、五円の現金を借りるために、横浜往復十二円の月末払いの俥に乗って行ったことや、彼女は相手の若い妓たちを笑いでへとへとに疲らせずには措かないまで、話の筋は同じでも、趣向は変えて、その迫り方は彼女に物の怪がつき、われ知らずに魅惑の爪を相手の女に突き立てて行くように見える。若さを嫉妬して、老いが狡猾な方法で巧みに責め苛んでいるようにさえ見える。

岡本かの子『ちくま日本文学037 岡本かの子』,筑摩書房, 209頁

これらの彼女の苦労について理解するためには、まず芸者とはどういった職業だったのか、その生涯について知る必要があります。

芸者の一生

芸者とは、歌・踊りなどで宴会の席に華を添え、客を楽しませる職業のことです。

芸者のほとんどは、貧しい家から奉公という体で芸者屋に売られてきた少女たちでした。

実家には給料の前借りとして大金が支払われ、芸者は店にでることでその借金を返済しなくてはなりません。

最低限の生活の面倒はみてもらえるものの、収入はなく、自由に休むことも店から逃げだすこともできませんでした。

芸者たちは、借金を払いおえるまでの期間である“年季”が明けるまで、いわば人質にとられているのです。

娘たちが芸者屋に売られてくるのは、だいたい10歳前後といわれています。

幼いうちは雑用をこなしながら、唄や踊りなどの稽古をします。

老妓が、幼少期を振りかえり「暗澹とした顔つき」になったことからも、それらの稽古は相当に厳しいものだったことがうかがえます。

12歳ごろになると、見習い芸者として、“お酌”(雛妓、舞妓、半玉)となります。

ようやく揚代を稼げるようになりますが、お酌時代は一人前の芸者の半分の代金です。

一本立ちするのは17歳ごろで、ここからようやく本格的に借金の返済が始まります。

年季は、平均10年ほどといわれ、明治・大正時代の平均寿命が44歳前後であることを考えると、彼女たちの人生に自由な時間はほんのわずかだったことが分かります。

旦那制度

老妓の台詞に「囲いもの時代」という言葉がありました。

囲いものとは、パトロンである“旦那”に生活の面倒をみてもらっている芸者のことです。

当時の芸者には、旦那の存在が不可欠でした。

旦那は気まぐれな援助でなく、ほとんど生涯にわたって芸者の生活を支援しなくてはなりません。

それほどの大金をつかえる富豪でなければ、旦那にはなれませんでした。

もちろん、芸者には旦那を選ぶ権利はありません。

どれほど嫌悪していても旦那である以上、芸者として媚を売らねばなりません。

老妓も「嫉妬家」の旦那に囲われていたころは、「この界隈から外へは決して出してくれない」など、行動を制限されていました。

そのため老妓は散歩のふりをして、情人の男は鯉釣りに化けて、隠れて逢瀬をかさねていたのです。
さらに、彼らは心中を考えたこともあるといいます。

「私たちは一度心中の相談をしたことがあったのさ。なにしろ舷一つ跨げば事が済むことなのだから、ちょっと危かった」
「どうしてそれを思い止ったのか」と柚木はせまい船のなかをのしのし歩きながら訊いた。
「いつ死のうかと逢う度ごとに相談しながら、のびのびになっているうちに、ある日川の向うに心中態の土左衛門が流れて来たのだよ。人だかりの間からつくづく眺めて来て男は云ったのさ。心中ってものも、あれはざまの悪いものだ、やめようって」
「あたしは死んでしまったら、この男にはよかろうが、あとに残る旦那が可哀想だという気がして来てね。どんな身の毛のよだつような男にしろ、嫉妬をあれほど妬かれるとあとに心が残るものさ」

岡本かの子『ちくま日本文学037 岡本かの子』,筑摩書房, 227頁

芸者が恋を遂げるには、旦那となって身請けしてもらうしかありません。

しかし、いうまでもなく身請けには大金が必要になります。それができるのは一握りです。

そうなれば、逃げ場のない芸者たちが「情人と逃げ出し」たり、「心中の相談」をしたりするのも無理はありません。

彼女たちは、死ぬか、逃げのびるか、年季あけをまつことでしか、自由になる術がなかったのです。

看板ぬしの道とは

老妓の台詞には、「看板ぬし」という言葉がでてきます。

芸者屋の屋号のことを“看板”といい、「看板ぬし」とはその店の経営者のことです。

“看板借り”の芸者は毎月決まった額を「看板ぬし」に納め、残りの収入を自分のものとしました。

老妓は店に雇われ、旦那に奉公する「囲いもの時代」を経て、自身の店をもつ経営者となったということです。

経営者というと聞こえはよいですが、「内実の苦しみは、五円の現金を借りるために、横浜往復十二円の月末払いの俥に乗って行った」とあり、雇い主となった後も金銭面で苦労は絶えなかったことがうかがえます。

話術がすぐれており、「嫉妬家」の旦那がつくほどの小そのに、身請けの話がこなかったとは考えにくいです。

彼女は一生囲われたままの安泰な暮らしより、苦労してでも自由を手に入れたかったのではないでしょうか。

身売りされて家を追われ、厳しい稽古を経て望んだわけでもない芸者という職業を極め、好きでもない男のために行動を縛られ、恋をあきらめ、独立後は一人きりで四苦八苦しながら財を成してきた。

これが、芸者という境遇から推測される小そのの生涯です。

つまり、彼女の「悲しみ」の種は、芸者という不自由な身の上に起因するものだったと思われます。

しかし、彼女は10年ほど前から「永年の辛苦で一通りの財産も出来、座敷の勤めも自由な選択が許されるように」なっています。

養女を迎えたり、青年を囲ったりできるほどの金銭的余裕があり、行動を制限するような旦那もいません。

しかし、彼女の「悲しみ」は癒えるばかりか年々深まっているというのです。

その本質が歳とともに変化したということでしょう。

次は、現在の老妓が抱える「悲しみ」について、本文をもとに考察していきます。

年々と深まってゆく悲しみ

真昼の寂しさ

まずは、冒頭の描写をみていきたいと思います。

 人々は真昼の百貨店でよく彼女を見かける。
目立たない洋髪に結び、市楽の着物を堅気風につけ、小女一人連れて、憂鬱な顔をして店内を歩き廻る。恰幅のよい長身に両手をだらりと垂らし、投出して行くような足取りで、一つところを何度も廻り返す。そうかと思うと、紙凧の糸のようにすっとのして行って、思いがけないような遠い売場に佇む。彼女は真昼の寂しさ以外、何も意識していない。
こうやって自分を真昼の寂しさに憇わしている、そのことさえも意識していない。ひょっと目星い品が視野から彼女を呼び覚すと、彼女の青みがかった横長の眼がゆったりと開いて、対象の品物を夢のなかの牡丹のように眺める。唇が娘時代のように捲れ気味に、片隅へ寄るとそこに微笑が泛ぶ。また憂鬱に返る。

岡本かの子『ちくま日本文学037 岡本かの子』,筑摩書房, 208頁

彼女が昼間の百貨店で感じている「真昼の寂しさ」とは、なんなのでしょうか。

その正体は、少女時代への未練ではないかと思われます。

芸者であった老妓は、少女のころ、真昼の百貨店に出向くことはできなかったでしょう。

時間的にも金銭的にも、昼に買い物を楽しむような余裕はなかったと思われます。

老妓は「目星い品」をみつけても、「夢のなかの牡丹のように眺める」だけで購入するわけではありません。

よい品を探したり、手に入れたりすることが彼女の目的でなく、少女のころに憧れた昼間の買い物をイベントとして楽しんでいるのではないでしょうか。

しかし、それによって幸福感を得られるのは、ほんの一瞬です。

過去が取り戻せない以上、本質的な憂鬱は決して振り払うことができないからです。

「真昼の百貨店」は、なんでも自由に手にとって眺めることができる明るい空間、彼女が失ったものを象徴するかのような場所です。

彼女は自ら「真昼の寂しさ」に浸ることで、満たされることのない“過去を取り戻したい”という欲求をなだめ、心を「憩わしている」のでしょう。

まどろい生涯

老妓は、自身の過去について下記のように振り返っています。

「あたしたちのして来たことは、まるで行灯をつけては消し、消してはつけるようなまどろい生涯だった」

岡本かの子『ちくま日本文学037 岡本かの子』,筑摩書房, 213頁

 ふと、老妓に自分の生涯に憐みの心が起った。パッションとやらが起らずに、ほとんど生涯勤めて来た座敷の数々、相手の数々が思い泛べられた。

岡本かの子『ちくま日本文学037 岡本かの子』,筑摩書房, 214頁

老妓となった今もなお、短歌、俳句、新日本音楽などの習い事に励み、電化装置など新しいものへの探究心も旺盛な彼女は、芸者というしばられた身分でなければやってみたいことがたくさんあったのではないでしょうか。

しかし、実情は「パッション」の起こらない仕事を淡々とこなすばかりで、芸者屋の外の広い世界をみることは叶いませんでした。

長い日々の努力によって、若いころに夢みていた自由は手に入ったものの、心から求めている「たった一人の男」に出会うこと、「パッション」を感じられるなにかに一途になって生きること、そうした刹那的な出会いを必要とするものは、ほしいと思って手に入るものではありません。

柚木に言わせれば、「そんな純粋なことは今どき出来もしなけりゃ、在るものでもない」のですが、長く不自由な身の上だった老妓にとって、それらは“掴もうとすれば掴めたはずの未来”に思えるのではないでしょうか。

みち子と柚木に望むもの

老妓が柚木を囲ったのは、そうした取り戻せない過去への悔恨を癒すためでした。

発明に「パッション」をいだく柚木に、自分の果たせなかった「湿り気のない没頭した一途な姿」を見いだそうとしたのです。

しかし、その試みは失敗しました。

老妓が不自由であればあるほど強く自由を求めたように、柚木は自由であればあるほど不自由を懐かしみ、情熱を失ってしまったのです。

老妓が思いを託したのは、柚木だけではないでしょう。

おそらく、みち子にも「一途」を追い求めてほしいと思っていたのではないでしょうか。

女学校に通わせたのは、彼女の選択肢を広げるための配慮でしょう。

柚木の「慰労会」として、若い芸者たちを呼んだところにわざとみち子を同席させたのも、まだあいまいな柚木への気持ちを刺激するためのように思えます。

それは、柚木とみち子が結ばれてほしいといったような下世話な願望でなく、老妓自身の欲望にもとづいた、純粋かつ自己中心的な願望でした。

しかし、結果的に二人は「何が何やら判らないで、一度稲妻のように掠れ合った」のみで、老妓の求めたような「一途」さとは異なる結果となりました。

「心はこどものまま固って、その上皮にほんの一重大人の分別がついてしまった」みち子と、「何も世の中にいろ気がなくなったよ」と語る柚木、老妓が思いをかけた若者たちは、どちらも彼女の望みを叶えてくれそうにありません。

それでも、老妓は“過去を取り戻したい”“一途な姿をみたい”という欲求をあきらめることができませんでした。

老いた現在の彼女にとって「悲しみ」の種となっているのは、どうにもならない青春への未練と、際限のない欲求と折り合いがつかない苦しみでした。

金や自由といった若いころの即物的な欲求に対し、現在の老妓が望む概念的なものは手に入れることが難しく、ほとんど不可能といってもよいでしょう。

老妓自身もそのことは自覚しています。

だからこそ、彼女の悲しみは「年々に」「深く」なっていくのです。

華やぐいのち

こうして若者に自分の夢を託す構図自体は物語でも現実でもよくみられますが、この老妓のみどころは、それが思惑どおりにならずとも失望すら活力に昇華してしまうところです。

(前略)遠慮のない相手に向って放つその声には自分が世話をしている青年の手前勝手を詰る激しい鋭さが、発声口から聴話器を握っている自分の手に伝わるまでに響いたが、彼女の心の中は不安な脅えがやや情緒的に醗酵して寂しさの微醺のようなものになって、精神を活潑にしていた。(後略)

岡本かの子『ちくま日本文学037 岡本かの子』,筑摩書房, 241頁

「醗酵(発酵)」とは、食品に微生物が増えることによって起こる“変化”のことをいいます。

しかし、もしその変化が人体に有害なものであれば、同じ反応であっても“腐敗”となります。

“発酵”と“腐敗”は紙一重です。

老妓は「口惜しさ」「不安な脅え」といった負の感情で精神を腐らしてしまうのでなく、すべてをよい方向へと作用させ、自分の力にしてしまうのです。

満たされるということは、物事の終着点にもなりえます。

老妓は安泰な暮らしを手に入れた時点で、生きる意味を見失ってもおかしくありませんでした。

しかし、彼女は次なる「悲しみ」をみつけ、快活に生きつづけています。

彼女が老いてもなお失った青春をあきらめず、執拗に「一途」を追い求めているのは、故意なのかもしれません。

ここで記された「寂しさの微醺」という言葉は、冒頭の「自分を真昼の寂しさに憇わしている」という表現につながります。

「寂しさ」という感情は、老妓にとって憩いであり、活力となるものなのです。

あえて欲望を奮い立たせることで「寂しさ」に身を浸し、それらを発酵させ、生きる活力としているのではないでしょうか。

このしたたかさこそが、本作に描かれた老妓の美しさでした。

ここであらためて作品末尾の短歌をよむと、儚さを感じさせた一首に、ある種のたくましさを見いだすことができるような気がします。

彼女の「悲しみ」とは、ともすれば憂鬱に沈みかねない彼女が、この世を生き抜くために貪欲に求めつづけた活力の源だったのです。

感想

揺れ動く一人称

本作中において、老妓の一人称には「あたし」と「私」の2つが使われています。

「あたし」が使われているのは4か所です。

「あたしたちのして来たことは、まるで行灯をつけては消し、消してはつけるようなまどろい生涯だった」

岡本かの子『ちくま日本文学037 岡本かの子』,筑摩書房, 213頁

「あたしかい、さあ、もうだいぶ年越の豆の数も殖えたから、前のようには行くまいが、まあ試しに」といって、老妓は左の腕の袖口を捲って柚木の前に突き出した。

岡本かの子『ちくま日本文学037 岡本かの子』,筑摩書房, 222頁

「あたしが向島の寮に囲われていた時分、旦那がとても嫉妬家でね、この界隈から外へは決して出してくれない。それであたしはこの辺を散歩すると云って寮を出るし、男はまた鯉釣りに化けて、この土手下の合歓の並木の陰に船を繋って、そこでいまいうランデヴウをしたものさね」

岡本かの子『ちくま日本文学037 岡本かの子』,筑摩書房, 226頁

「あたしは死んでしまったら、この男にはよかろうが、あとに残る旦那が可哀想だという気がして来てね。どんな身の毛のよだつような男にしろ、嫉妬をあれほど妬かれるとあとに心が残るものさ」

岡本かの子『ちくま日本文学037 岡本かの子』,筑摩書房, 227頁

対して、「私」が使われているのは、下記の2か所です。

「私たちは一度心中の相談をしたことがあったのさ。なにしろ舷一つ跨げば事が済むことなのだから、ちょっと危かった」

岡本かの子『ちくま日本文学037 岡本かの子』,筑摩書房, 227頁

「けれども、もし、お互いが切れっぱしだけの惚れ合い方で、ただ何かの拍子で出来合うということでもあるなら、そんなことは世間にはいくらもあるし、つまらない。必ずしもみち子を相手取るにも当るまい。私自身も永い一生そんなことばかりで苦労して来た。それなら何度やっても同じことなのだ」

岡本かの子『ちくま日本文学037 岡本かの子』,筑摩書房, 236-237頁

この2つに明確な使い分けは感じられません。

あえていうならば、「私」を使うときの老妓は芸者としてでなく、平出園子としての言葉を語っているように思われます。

長年、芸者・小そのとしてつとめてきた人生には、平出園子に帰る瞬間がほんのわずかしか与えられなかったことでしょう。

しかし、その小そのという名も、「だんだん素人の素朴な気持ちに還ろうとしている今日の彼女の気品にそぐわない」ものになってきています。

一人称の揺れ動きは、そんな彼女のアイデンティティの不安定さを表現しているようにも感じられます。

老妓には今もなお、限りなく癒着してしまった“芸者・小その”と“本当の自分”とを切り離したい思いがあるのかもしれません。

このような細部からも、気丈にみえる彼女の“悲しみ”がうかがえるような気がします。

欲を断ち切れなかったかの子

岡本かの子は、欲望に素直な女性であったように思われます。

彼女は夫・一平との結婚生活のあいだに、幾人もの愛人と関係をもっていました。

一平の放蕩によって精神を病んだのち、家庭を建て直そうとしたかの子は仏教に傾倒し、夫婦で禁欲を約束しましたが、やがて自身の欲情に苦しむこととなります。

それを一平に打ち明けることはできず、結局、彼女は新たな愛人と関係をもちました。

際限のない欲求は、生涯にわたってかの子を苦しめる存在だったにちがいありません。

欲求の形はちがえど、その苦しみは本作の老妓にかさなるところがあります。

1936年、かの子は47歳にして文壇デビューを果たします。

歌人・仏教研究家として名を馳せながらも、最後まで作家の夢をあきらめず尽くした結果でした。

それから死去するまでのわずか3年のうちに数多くの小説、随筆を執筆し、死後にも多くの遺作が発表されました。

彼女の死因は脳充血によるものでしたが、それまでにも数回の発作に見舞われていました。

晩年、自身の身体がそう長くもたないことは感じていたかもしれません。

かの子は念願の小説の執筆に没頭しながら、自分の中に煮詰まった「悲しみ」によって、尽きる間際のいのちが「いよよ華やぐ」のを感じていたのではないでしょうか。

彼女の情緒あふれる艶やかな作品は、どうにもならない欲求に身を焦がしてきた彼女の悲しみが“発酵”されて生まれていたように思われます。

『老妓抄』が発表されたのは、死の前年となる1938年のことでした。

文壇デビューを果たしたばかりのかの子は、おそらくあふれんばかりの創作意欲をまだ満たしきれていなかったことでしょう。

だからこそ、この小説がこれほど切実で美しいものになったようにも思えます。

岡本かの子の「いよよ華やぐいのち」を垣間見られたことを、一読者としてとても嬉しく思います。

以上、『老妓抄』のあらすじ、考察と感想でした。

【参考】
「改訂新版 世界大百科事典」平凡社,2014年
近藤華子『岡本かの子 描かれた女たちの実相』翰林書房,2014年

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キノウコヨミ

早稲田大学 文化構想学部 文芸・ジャーナリズム専攻 卒業。 主に近現代の純文学・現代詩が好きです。好きな作家は、太宰治・岡本かの子・中原中也・吉本ばなな・山田詠美・伊藤比呂美・川上未映子・金原ひとみ・宇佐美りんなど。 読者の方に、何か1つでも驚きや発見を与えられるような記事を提供していきたいと思います。