『船徳』の紹介
「船徳」は古典落語の傑作の一つ。
人情噺「お初徳兵衛」という大ネタの発端部分を、明治期に活躍した初代三遊亭圓遊が一席の滑稽噺に改作しました。
その後、八代目桂文楽が人物描写を工夫し派手な演出を取り入れるなど独自の噺に磨きあげたものが、現在演じられている「船徳」の基本的な型となっています。
遊びが過ぎた若旦那の徳さんがあこがれの船頭になったものの、まだ舟を満足に操れないのに客を乗せて船頭を務めるという無謀・無責任きわまりない振る舞いをしてしまいます。
言うなれば、無免許ドライバー同様の“えせ船頭”のまま徳さんが舟を出してお客を恐怖に陥れるわけですから、常識的に考えればとても笑い話しにはなりえません。
ところが、この噺はギャグ満載で笑いどころが多いのです。
「船徳」は、常識を超えた落語のすごさを垣間見ることができる滑稽噺ともいえます。
ここでは、「船徳」のあらすじ・解説・感想までをまとめました。
『船徳』―あらすじ
道楽のあげく勘当され、出入りの船宿に居候している若旦那の徳さん、親方に「二階で毎日ごろごろしているが、もう退屈しちゃったから船頭になって働きたい」と申し出た。
「そんな細い体じゃあ船頭は務まりませんよ」と説得しても「粋でイナセな船頭姿にあこがれているんだ。駄目と言うなら隣りの船宿で船頭になる」という若旦那の強気に押され、親方は若旦那の頼みを渋々引き受けることにした。
船頭の若い衆が親方に呼び集められる。
親方から若旦那の徳さんが船頭仲間になると聞かされると、若い衆は「おなりなさい。芝居で見るようなかっこいい船頭ができるね、両河岸は女の子でいっぱいになっちゃうよ。おっ音羽屋!」と徳さんを歓迎した。
しかし、若い衆のあま~いお世辞に親方が釘を刺す。
「お前たちがいつもそんなこと言ってるから、徳さんがその気になるんだ。バカ野郎。これからはそうはいかねぞ。徳さんが一人前の船頭になるように、こっぴどく仕込んでやってくれい!」舟をこぐのは難しく、棹は三年、櫓は三月なんて言われている。
実際、素人同然のにわか船頭の操る舟など危なっかしくて、なかなか仕事を任せてもらえない。
船頭にはなったものの、徳さんは退屈しきっていた。
夏の盛り、浅草観音様の四万六千日の縁日、柳橋の船宿になじみの客が友人を連れて二人でやってきた。
あまりの暑さにもう歩き疲れた、舟で大桟橋まで運んでもらいたいと言う。
しかし、この日は舟宿の稼ぎ時。
新米の徳さん以外の船頭はみな出払っていて、誰もいない。
ところが、なじみ客は廊下の柱にもたれかかって居眠りしている徳さんを見つけ、舟を出してくれるようにと直接話しかけた。
船頭の腕を磨く絶好の機会だと思った徳さん、もう大張り切りだ。
なじみ客に二つ返事で舟をこぐ約束をしてしまった。
船宿のおかみさんは不安になって、前のめりになっている徳さんをいさめた。
「徳さん、お断りしてください。おなじみのお客さんに、もし間違いがあったら困ります」 何を言われても徳さんは能天気だ。
「大丈夫ですよ、おかみさん。今日、あたしは気が張っていますからね、この前みたいに舟がひっくり返るようなことはありません」 この会話を漏れ聞いていたなじみ客の友人の顔が引きつった。
「怖いよう。俺、舟に乗りたく無くなった」 なじみ客は友人をなだめ、その場をとりつくろった。
「舟は無理なことやってもひっくり返らないようにできているんだ。大丈夫だよ」ともあれ、舟を出すことになったが、肝心の徳さんがどこかへ行ってしまった。
客二人が待ちくたびれていると、ようやく現れた徳さん「ちょっとヒゲが伸びてましたんで、剃ってまいりました」と言っただけ。
客のことをまるで考えていない徳さんに、客もおかみさんもあきれるばかり。 前途が思いやられる出発となった。
徳さん張り切って舟を出すが、なにせ慣れていないことばかりでおぼつかない。
舟はグルグル回るし上下に揺れる。橋の上から舟の様子を見ていた竹屋のおじさんが心配して声をかけた。
「お~い、徳さ~~ん。ひとりでやってるのか~い? 大丈夫かあ~~~」 「おい、あんなこと言ってるぞ~」 客の顔が青ざめた。
それからも、 徳さんは棹を流してしまったり、目に汗が流れ込んだりとトラブル続きで、うろたえるばかり。
とうとう、舟は石垣に近づいたまま動かなくなってしまった。
「すいません、お客さんのこうもり傘で石垣を突いて舟を押し出してください」と頼む徳さん。
言われたとおりに客が傘で突くと、石垣に傘が挟まってしまい、そのまま舟が石垣から離れ始めた。
「あっ、傘が残ったままだ。舟を戻してくれ!」と客が叫んだが、徳さんは「この舟はもう戻れません」とそっけない返事。
その後、徳さんは疲労困憊して舟を全く操れなくなってしまった。
他の舟と接触しそうな危険な状態が続いたが、舟は運よく浅草の川岸近くの浅瀬に乗り上げる。
しかたなく、客の一人がもう一人を担いで浅瀬に入って歩いて岸へと向かった。
「お~い、船頭さん、あんたは大丈夫かい? これからどうするつもりなんだい?」、「お願いがあります。岸へ上がりましたら、船頭をひとり雇ってください」
『船徳』―概要
主人公 | 若旦那の徳さん |
重要人物 | 船宿の親方、船客二人 |
主な舞台 | 江戸時代 |
時代背景 | 夏真っ盛りの七月十日は、浅草寺の観音様から特にご利益が得られるという「四万六千日」の参詣日。多くの人が船に乗って隅田川を渡り、浅草寺に集まった。 |
出典 | 林家正蔵と読む落語の人びと、落語のくらし(岩崎書店) |
『船徳』―解説(考察)
面白さ
噺の中にたくさんの笑いネタがちりばめられているのが「船徳」の特徴です。
例えば、船宿のおかみさんが「今日、船頭は出払ってしまって誰もいません」と断る場面では、客が柱に寄りかかって居眠りをしている徳さんを見つけます。
すると、おかみさんは「この人は家の中で“舟をこぐ”のが好きなんです」と話しました。
以下、特に面白いところを三つ挙げました。
1.とんでもないことを平然と言う徳さん
とんでもないことを平然と言う徳さん徳さんは、船頭になって舟を操っているのに、人の命に関わることにも無自覚・無責任です。
徳さんのあきれ果てるほどのとてつもない言動が、笑いを誘います。
- 「間違いを起こすと皆さんが心配してくださる」と話す徳さん。客は心配になって「どんな間違いだったのか?」と尋ねます。徳さんの返答は「大したこっちゃないんです。赤ん坊おぶったおかみさん、川の中へ落っことしちゃった」 これを聞いて、客は怖くなって青ざめてしまいました。
- 客が気づいて「徳さん、舟が流れてるよ」と言うと、徳さんは「汗で目が開けられなくなりました。あたし、目をつぶったまま力任せにこぎますからね、向こうから舟が来ましたら、よけてください」 客は開いた口が塞がらなくなりました。「冗談言っちゃあいけないよ」
2.フラフラと流されたままの舟に乗っているのに、その場を楽しむ二人の客
ひどく揺れる舟の中で、なじみ客の友人がたばこを吸いたいと言い出しました。
もうなるようにしかならないから、今のひと時を楽しみたいというのです。
「ひどい舟に乗っちゃったよ、だからあたしは舟がいやだと言ったんだ」と友人。
なじみ客が「うるさいね、お前は。落ちついてたばこでも吸いなよ」ともちかけると、「吸おうと思ってあたしが口を出すと、舟の揺れにつられてお前さんが火箱を引っ込めるんだもの、火がつかないよ」とぼやく友人。
なじみ客が笑いながら「両方でお辞儀のけいこやっているようだなあ」
3.「舟徳」のサゲ
「岸へ上がりましたら、船頭をひとり雇ってください」がよく使われるサゲです。
このサゲには、「今はまだお前が船頭だろう、最後まで仕事しろ!」とツッコミを入れたくなります。
見どころ
ぎこちなく舟をこいでいる徳さんと怖がる客の、ずっこけた会話
にわか船頭の徳さんが繰る舟はフラフラしてゆくえが定まりません。
徳さんは棹を流してしまったり舟を石垣にぶつけそうになったりと、危険極まりない状態が続きます。
それでも徳さんはのんきに「この舟は石垣が好きなもんで」と言う始末。
「カニだよ、それじゃ」とツッコミを入れる客の方も、この辺りまではどことなくおおらかでした。
実のところ、二人の客は徳さんのひどい振る舞いには怒りを通り越して、もうあきれかえっていました。
危うい状況に怖さを感じながらも舟中で交わされる陽気な会話が、この噺を楽しいものにしています。
演者の仕草や表情
「船徳」では、高座で演者が扇子を棹や櫓に見立てて、徳さんの舟をこぐ動きを表現しています。
それに合わせて演者の表情の移り変わりも見応えがあります。
動画で見た古今亭志ん朝師匠の仕草は絶品。動きがきれいで品がありました。
一生懸命に舟をこいでいる気持ちが伝わってくるのは柳家小三治師匠の演技です。
演者によって所作が異なりますので、寄席や動画で見比べるのをおすすめします。
現代では理解しにくい点&小ネタ
四万六千日(しまんろくせんにち)
「四万六千日」とは、浅草寺観世音菩薩の縁日で旧暦の七月十日。
この日にお参りすれば四万六千日分の功徳があるとされています。
江戸時代の庶民はこの日にこぞって参拝し、雷除けの赤とうもろこしや盆の草飾りを買って帰りました。ほうずき市も同時開催され、現在も様々な屋台や出店で賑わっています。
小ネタ
「船徳」には次の慣用句が出てきます。
棹は三年、櫓は三月
棹の使い方を覚えるには三年かかり、櫓の使い方を覚えるには三ケ月かかるということで、櫓の使い方に対して、棹の使い方の難しいことを意味する言葉です。
同じようなものであっても難易度が違うため、習得にかかる時間には差があります。
板子一枚下は地獄
船乗りの仕事は、常に危険と隣合わせであるという意味で使われています。
「船徳」では、船宿にやってきたなじみ客の友人が「あたしは舟が苦手なんです。板子一枚下は地獄ですから」と話すと、なじみ客は「舟なんてものは、めったに沈むものじゃない。それに、海じゃない、川なんだからね、板子一枚上は極楽ですよ。ス~~っと水の上を滑るように行くんだ。思っただけだって涼しいよ」と言って友人を説得しています。
『船徳』―感想
船徳は現在も多くの演者が高座にかけている人気の演目です。
演者が人物描写やアクションに工夫を凝らす余地も多分にあり、これからも色々な船徳を聴いていきたいと思います。
演者の技量に左右されますが、舟に乗っているの人と橋の上にいる人など遠く離れた人同士で大きな声で会話するところは、情景が頭の中によく浮かびました。
以上、「船徳」のあらすじ、考察、感想でした。