『銀河鉄道の夜』について
『銀河鉄道の夜』は宮沢賢治の生前、未発表の作品です。何度も作者自身で書き直された未完成の作品でもあります。
宮沢賢治自身が作った造語や、独特な比喩表現を交えた文章で紡がれる物語は少しばかり難解です。
しかし、読んでいると特有の幻想的な世界観に惹き込まれてしまいます。
ここではそんな『銀河鉄道の夜』のあらすじ・解説・感想をまとめました。
『銀河鉄道の夜』のあらすじ
主人公の少年ジョバンニは、学校に通いながら貧しい家庭のために大人に混じって働き、家の手伝いをして、忙しい日々を送っていました。
意地悪な態度のザネリや同級生にからかわれて輪に入れず、昔仲の良かったカムパネルラともめっきり遊ばなくなった彼は孤独でした。
ケンタウル祭の夜、祭りに向かう子供達を横目にジョバンニはひとり牛乳を母のために取りに牧場へ向かうと、道すがらザネリを含んだ数人の同級生に、意地悪な言葉を言われてしまいます。
その輪の中にいたカムパネルラも、ジョバンニを気にしながらもただ笑うばかりで、そのまま祭りへ皆と行ってしまいます。
ジョバンニは寂しい気持ちのまま、牧場の裏にある丘の頂上まで走り、天気輪の柱の下で眠ってしまい、そこで銀河鉄道の夢を見ます。
銀河鉄道にはカムパネルラも乗っていて、2人は一緒に天の川銀河を汽車で旅します。
旅をする中でずっとカムパネルラと一緒乗って行きたいと願いますが、夢から覚めた後にはカムパネルラの死という残酷な現実が待っていました。
『銀河鉄道の夜』ー概要
物語の主人公 | ジョバンニ |
物語の重要人物 | カムパネルラ(昔仲の良かった友人) ザネリ(主人公に意地悪な態度をとる同級生で、カムパネルラと仲がいい) ブルカニロ博士(やさしいセロのような声で語りかけてくるおとなの男性) |
主な舞台 | 田舎町 |
時代背景 | 大正時代あたり |
作者 | 宮沢賢治 |
『銀河鉄道の夜』の解説
・ジョバンニを蝕む自己犠牲的な考え
貧しい家庭を支えるため懸命に過ごす主人公ジョバンニは、弱音を他人に打ち明けることがありません。
病気の母のために献身的で健気だと感心できる反面、自分の本音や本心を隠したまま、誰かの為に生きるということは、即ちそこに自己はないのです。
つまり、ジョバンニには自己犠牲的な気質があり、それが彼自身を蝕んでいることに気づいていません。
そんな彼の隠れた内情と人となりがよくわかるのが、「鳥捕り」とのやりとりです。
鳥捕りの第一印象
《8章 鳥を捕る人》で、鳥捕りというぼろぼろの外套を着た赤髭の人物がジョバンニの隣に座ります。
ジョバンニが彼を見たときの第一印象は次の通りです。
なにかたいへんさびしいようなかなしいような気がして
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』岩波書店,p167
このように感じた理由は、恐らく同情心からと考えられます。
なぜなら、ジョバンニ自身貧しい家庭で育ち、貧しさの辛さをわかっているからです。
そして、いかにも貧しい身なりの鳥捕りを見て哀れみを感じるということは、自分自身も哀れみの対象だとすることになります。
貧しい身なりの自分も同じように可哀想な奴だと思うことは、自己評価を下げるだけの辛い自傷行為です。
鳥捕りに対して生まれた同情心と嫌悪感
《9章 ジョバンニの切符》では、鳥捕りと過ごすうちに、ジョバンニは鳥捕りに対して自分と似た所を感じ、同族嫌悪しているようにみえる場面が続きます。
ジョバンニの鳥捕りに対する心情は次の通りです。
にわかにとなりの鳥捕りが気のどくでたまらなくなりました。さぎをつかまえてせいせいしたとよろこんだり、白いきれでそれをくるくるつつんだり、ひとの切符をびっくりしたように横目で見てあわててほめだしたり、そんなことをいちいち考えていると、もうその見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニのもっているものでもたべるものでも何でもやってしまいたい、もうこの人のほんとうのさいわいになるなら、じぶんがあの光る天の川の河原に立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がして
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』岩波書店,p178
出会ったばかりの鳥捕りに対して、ここまで同情し自己犠牲的に献身したいと考えるのは、かなり違和感があります。
鳥捕りがせわしなくサギを捕まえる仕事をし、ジョバンニの持つ切符を羨む感情を隠して、気を遣って大したもんだと褒める様子に、せわしなく仕事をして、周りの子どもたちが星祭りを楽しむのを羨む気持ちや、意地悪を言われて傷つく心を全て隠して、まるで気にしていないように取り繕っていたジョバンニ自身が重なったのかもしれません。
抑えきれない同情心を抱き、どう声をかけようか迷っている間にいなくなってしまった鳥捕りに対して、
ぼくはどうして、もうすこしあの人にものをいわなかったろう。
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』岩波書店,p179
と、すぐに声をかけられなかったことを悔やみ、さらには、
ぼくはあの人がじゃまなような気がしたんだ。だからぼくはたいへんつらい。
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』岩波書店,p179
と、鳥捕りのことを親身には思わなかったことを吐露します。
むしろ邪魔だったというのは、やはり自分と重なる部分をもつ鳥捕りへの嫌悪感があったのか。
あるいはただ単純にカムパネルラとの時間を邪魔されているようで、気まずく思っていたのかもしれません。
なんでもしてやりたいとまで思う一方で、鳥捕りのことを邪魔だと感じてしまった自分に自己嫌悪するというチグハグさは、冒頭で述べた自己犠牲的な考えが原因だと考えられます。
鳥捕りにすぐに声をかけられなかったのは、日頃から自分の考えを隠し続けた結果、自分の考えが浮かんでも自信が持てず、言葉を発することが難しくなっているからです。
それに、邪魔とまで思う鳥捕りに声なんて本当はかけたくない筈なのに、自己犠牲の考えからすると、声をかけなくては何かしてあげなくてはと思い、その相反する感情がぶつかった末、迷って声をかけるのが遅れたとも考えられます。
これが彼を蝕む自己犠牲の気質で、
他人の為に自己を犠牲にする
↓
自分の考えに軸がない・優先順位も決められない
↓
そのせいで考えが纏まらないから自信を無くす
↓
自信のない思考を行動まで移すことが容易にできない
↓
結果何も出来ずに終わり、自分自身を嫌悪したり、何故できないのかと考え込んだりしている
このように悪循環な考え方に陥っているのです。
上記のような考え方を、物語の冒頭で、授業中に受け答えが出来なくなる場面でもしていると考えられます。
・夢と現実
カムパネルラの死
銀河鉄道の夢では、現実のカムパネルラの死を示唆する発言が出てきます。
《6章 銀河ステーション》でジョバンニが銀河鉄道の夢の中に入り目を覚ますと、前の席にカムパネルラがいることに気づきます。
カムパネルラはジョバンニをみて、
みんなはね、ずいぶん走ったけれどもおくれてしまったよ。ザネリもね、ずいぶん走ったけれども追いつかなかった。
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」岩波書店,p153
ザネリはもう帰ったよ。おとうさんが迎いにきたんだ。
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」岩波書店,p153
と青ざめた顔で話します。
現実では、ザネリが舟の上から川に落ちてしまい、それを助けるためにカムパネルラは飛び込み、ザネリのみ助かります。
「ザネリもずいぶん走ったけど追い付かなかった」「ザネリはもう帰ったよ」という発言は、ザネリも危ないところだったけど、生き残ったということを指しています。
また、「みんなはずいぶん走ったけどおくれてしまった」の部分は、みんな懸命に川に落ちたカムパネルラを探したけど、見つからなかったことを表現してます。
さらに、車窓から初めに見える景色が天の川銀河の水が流れる河原であることも、川に落ちて死んだことを示唆していると考えられます。
銀河鉄道とは何か
銀河鉄道は、死んだ後に乗ることのできる汽車だと考えられます。
根拠としてまず亡くなったカムパネルラがいること。
《9章 ジョバンニの切符》では、背の高い青年と少女かおる、その弟のタダシが鉄道内に現れます。
青年が汽車にくるまでの経緯を説明するのですが、そこで船が沈んでここに来たと説明します。
また姉弟達の母はすでに昔に亡くなっていて、これから向かう天上で待っているとも言っています。
これらの発言から3、人は船の事故で死んでいると予想できます。
4人もの乗客の共通点が死者であることから、銀河鉄道に乗るには、死者であることが条件だと考えられるでしょう。
銀河鉄道は天の川の上を走っています。もしかすると、天の川を三途の川に見立てているのかもしれません。
ジョバンニにとっての銀河鉄道とは?
銀河鉄道はジョバンニの夢として現れます。
夢には、本人の精神性が現れるものです。
ですので、ジョバンニにとって銀河鉄道での体験は、精神的な内面の成長に大きく関わるものになります。
そもそもジョバンニは死んでいません。それなのに銀河鉄道に乗っています。乗
客はそれぞれ行き先の違う切符を持っていて、ジョバンニだけは他とは違う特別な切符を持っていました。
このことからもジョバンニはイレギュラーな存在だとわかります。
ブルカニロ博士の実験 ~博士は何を伝えたかったのか?~
ジョバンニが死者じゃないのに銀河鉄道に乗れたのは、ブルカニロ博士の実験のおかげでした。
自分の考えを遠くにいる人に伝える実験をするため、わざわざジョバンニの夢に出てきたのです。
博士はジョバンニに、現実で生きるために必要な考え方を諭し、そして自分の切符をなくさないようにもっていなさいと伝えてきます。
おまえはおまえの切符をしっかりもっておいで。そして勉強しなきゃいけない。(中略)ほんとうに勉強して実験でちゃんとほんとうの考えと、うその考えとをわけてしまえば、その実験の方法さえきまれば、もう信仰も化学と同じようになる。
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』岩波書店,p215
「おまえの実験は、このきれぎれの考えのはじめからおわりすべてにわたるようでなければならない。」
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』岩波書店,p217
博士がカムパネルラがいなくなり、泣くジョバンニに話す場面。
この後も繰り返し自分の切符をもつように言います。
ここで博士のいう切符とは、自分の軸となる考えだと思います。
博士はジョバンニに、
- 自分の軸をしっかりと持った上で、自分の考えを明らかにするために学び実験していきなさい
- それをしながらあらゆる人々の幸福を探すようにしなさい
と伝えています。
ジョバンニがしていた自己犠牲の考えには自分の軸はなく、ただ周りの要望に応えていただけでした。
ですが、それだと学びはなく答えも得られないままでした。
現実の世界は、思想や情報が入り乱れ、考え方や価値観は皆違っていて、時間と共に変化していきます。
その中で、自分や他人の幸福を探すためには、自分の軸をしっかりと持って生きていくことが大切です。
そのことを博士はジョバンニに伝えたかったのでしょう。
ジョバンニは博士の言葉を素直に受け取り、今度は真っ直ぐに進んでいけると言いながら、現実に帰ります。
博士は、ジョバンニを銀河鉄道に乗せて、現実で生きるために必要な考え方を伝えることにより、ジョバンニの内面の成長に多大な影響を与える重要な人物だったのです。
・人の死に向き合う
カムパネルラの死に向き合うジョバンニ ~カムパネルラが銀河鉄道に乗った理由~
カムパネルラは、終始ジョバンニに死を明言することはありません。
ですが、自身の死を仄めかすような発言はしています。
《7章 北十字とプリオシン海岸》では、泣き出しそうな顔で思いきったというようにカムパネルラは言います。
「おっかさんは、ぼくをゆるしてくださるだろうか。」
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』岩波書店,p158
だれだって、ほんとうにいいことをしたら、いちばんさいわいなんだねぇ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるしてくださると思う。
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』岩波書店,p159
ここで、おそらく自分の死について話しています。
命を落としたことで親に対する申し訳なさはありつつも、自分の死は友人を助けた結果であり心から正しいことをしたのだと述べています。
唐突に、しかも夢を見ている間に友人が亡くなったジョバンニに対して、カンパネルラは、ザネリを、誰かの幸せの為を想って自ら進んで助けたこと。その結果命を落としたのだと夢の中で伝えてくれています。
ザネリを恨むことがないように、カムパネルラと疎遠のまま離れ離れになったことをジョバンニが後悔しないように話がしたくて、カムパネルラは銀河鉄道の中でジョバンニのことを待っていたのだと思います。
ジョバンニ≒宮沢賢治
誰かのために献身する性格の部分において、ジョバンニと作者宮沢賢治は似ています。
ジョバンニが特別な友人カムパネルラを失うように、宮沢賢治も唯一の理解者だと大切にしていた妹のとし子に先立たれています。
このことからも、ジョバンニは宮沢賢治自身を投影するように作られたキャラクターのように感じます。
裕福な家庭に生まれてきた宮沢賢治は、お金に執着せず、質素な暮らしを理想として心がけていました。
貧しくも懸命に生きるジョバンニは、賢治自身の理想像でもあったのかもしれません。
『銀河鉄道の夜』の感想
・宮沢賢治と『銀河鉄道の夜』
『銀河鉄道の夜』は、宮沢賢治自身がよく表れている作品です。
ここからは宮沢賢治にもフォーカスを当てながら、作品の感想を書いていこうと思います。
宮沢賢治の経歴
地質学研究の学校を卒業後、教師を経て、理想としていた百姓の生活をしながら「羅須地人協会」を設立します。
その協会では園芸、科学の講義を行い地質学や肥料の話をし、芸術講座を開いては海外作家の詩や定義農民詩について語りました。
時にみんなで楽器を弾いて、演奏会をしたこともあったそうです。
宮沢賢治が愛した音楽
彼は海外から輸入されたレコードを買い漁るのが趣味で、自身でも楽器セロ(今で言うチェロ)を弾き、持ち前の文才を活かしてさ作詞、作曲なども行いました。
特にセロの音色を愛したことは、『銀河鉄道の夜』でセロのような声をもつブルカニロ博士を登場させていることからも伝わります。
他の作品では『セロ弾きのゴーシュ』を挙げてもよいでしょう。
銀河鉄道の旅の中では、
- 306番の賛美歌
- 新世界交響楽、
と音楽がたびたび流れてきます。
ツィンクル・ツィンクル・リトル・スター(twinkle twinkle little star 日本語だと『きらきら星』)の童謡の名前も出てきます。
自身でも童話を書き、海外の音楽や詞を好んだ彼の音楽愛がよくわかります。
・科学者と百姓
宮沢賢治は小学生の頃から鉱物が好きで、山に登り、地質や農芸に興味を示していき地質研究に熱心に取り組みました。
そうした科学者として、また百姓として生きてきた彼を、作中でもかなり感じられます。
科学者としての宮沢賢治
《6章 銀河ステーション》では、目の前がパッと明るくなる情景を鉱物で表現しています。
「ダイアモンド会社で、ねだんがやすくならないために、わざととれないふりをして、かくしておいた金剛石を、だれかがいきなりひっくりかえして、ばらまいたといふう」
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』岩波書店,p152
また、カムパネルラの持っているまあるい地図は「黒曜石」でできています。
《7章 北十字とプリオシン海岸》では「白鳥の停車場」にジョバンニとカムパネルラが降ります。
降りた先には水素よりすきとおった川が流れ、河原の砂は「水晶」でできています。
川上には、大学士の男が数人に指示を出し、つるはしやスコップを使い、地層から「けものの骨」などを掘り出していました。
このように、鉱物名や水素、学者といった科学を連想させる単語が出てきて、さらに、カムパネルラの父とブルカニロの2人とも博士として出てきます。
科学者としての一面がキャラクターの特徴にも表れているように感じました。
百姓としての宮沢賢治
カササギは田んぼにはよく現れる鳥です。
作中にはカササギの他に、「さぎ」や、名前だけですが「白鳥」や「つる」、「がん」などたくさんの鳥が出てきます。
また、りんごを食べたり、星座盤がアスパラガスの葉でかざられていたりと、植物の描写があります。
百姓として生きたからこそ、暮らしの中に根付く動植物を生き生きと描写できたのではないでしょうか。
『銀河鉄道の夜』は、まさに宮沢賢治の人生全てを詰め込んだ作品と言えます。それゆえに、複雑な世界観が出来上がっているのです。
まとめ
『銀河鉄道の夜』は、銀河鉄道の旅を通した主人公ジョバンニの内面の成長物語だと思います。
銀河鉄道の経験がなければ、この先も考え方を変えず苦しみ続け、カムパネルラの死を受け止めきれなかった筈です。
そして物語を通して読者に伝えたかったことは、世界にたった一つしかない自分軸の考えという切符をしっかりと持って、各々が自分自身を信じて現実を生きて欲しいというメッセージだと思います。
いつか銀河鉄道に乗る時まで、自分の切符を大切に持っていたいものです。
『銀河鉄道の夜』は発表もされず、未完成のまま宮沢賢治はこの世を去りました。
彼もまたカムパネルラたちと同じように銀河鉄道に乗って、天の川銀河を隅々まで見て周ったあと、20歳の時から篤く信仰し続けた妙法蓮華経に導かれるままに次の生へ、またその次の生へと渡っていったのかもしれません。
ー参考文献ー
東光敬『「銀河鉄道の夜」をつくった宮沢賢治ー宮沢賢治の生涯と作品ー』ゆまに書房,1998年6月
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』岩波書店,2020年4月