坂口安吾『白痴』を解説!戦争で人間を崩壊させたモノはなにか?

『白痴』の紹介

『白痴』は坂口安吾による1946年の小説です。

知的障害者が「白痴」と呼ばれた戦中。あるアパートを背景に、人間の偏見や差別に対する世の中の在り方や、人の生命の尊さが描かれています。

ここではそんな『白痴』のあらすじ・解説・感想をまとめました。

『白痴』のあらすじ

主人公の伊沢は、大学を卒業し、新聞記者や演出などの仕事をしているまがいなりにも知識のある人間です。

彼がアパートで暮らしていたところ、隣人に気違いと白痴の夫婦がいました。

伊沢には、彼らと周りの人との違いが分からずにいます。

ある日、白痴の女が伊沢の部屋の押し入れに忍び込んでいました。

伊沢は彼女をむげにもできず、怯えているその女と、周囲に気づかれないように暮らす事にします。

爆撃機が街中に焼夷弾を落とす戦中、いつしか伊沢は、恐怖心から人間に対する感情を無くすようになります。

「白痴の女が死んだとしても土に帰るだけだ」

しかし、アパートに火の手が上がると、彼は彼女を引っ張り出し、一緒に避難します。

空襲警報が鳴り響く中、伊沢は戦争が人の全てを奪うことを知ります。

群衆から運と決断によって逃げる際、伊沢は白痴の女にこう言います。

「死ぬ時は一緒だよ。俺達の一生の道はこの道だ」

『白痴』ー概要

物語の主人公 伊沢
物語の
重要人物
気違いの夫、白痴の妻、隣人の母親、仕立て屋の夫婦
主な舞台 東京
時代背景 第二次世界大戦中
作者 坂口安吾

『白痴』の解説

戦争という社会現象

戦争による民衆の精神的な負担。そこから湧き上がる人々の深層心理。日常的に起こる人の死。

焼け焦げた死体の山を見る事が精神の崩壊を招きます。

爆弾や焼夷弾を落とす軍機から逃げる際、落ちる方向へ歩いて行く白痴の女を人の流れの中に引き戻す伊沢。

精神が少しずつ崩壊していき、人を助けていくら逃げても落ち着く場所は無かったのです。

穴蔵に隠れ、夢も希望もなく、ただ追われ逃げ惑うしかありませんでした。

戦争という社会現象が収束する希望も持つことはなかったのでしょう。

この物語では「差別」というものにデリケートに接しており、米国に対する批判がありません。

全ては爆弾、焼夷弾というものの怖さで戦争を表現している。

それは、人種差別の問題に提起することを主としているからで、国内での偏見差別につながるからでもあったと思われます。

戦争で人間を崩壊させたのは、国や人ではなく、武器弾薬なのかもしれないということが、『白痴』からは読み取れます。

 『白痴』からみる障害者差別

『白痴』には、周囲の差別についてこうあります。

気違いと常人とどこが違うというのか。彼らは本質的には人から絶縁しようと腐心している

坂口安吾『白痴』

世の中の誰もが周囲との違いに苦しみ、人を遠ざけることで自身を守っているのです。

それは、己の弱さを人にさらさない行為であり、誰しもが持っている自己の尊厳を主張する行為でもあります。

人間には理知がある。理知も抑制も抵抗もないことがこれほど浅ましいこととは

坂口安吾『白痴』

上の文章は、知的欠如に対して、一般的な人々が思う気持ちを表しています。

これは、会ったことの無い人間に対して、固定観念が崩されたくないという抵抗でもあると考えられるでしょう。

・「白痴」という言葉の体

言葉が何物であろうか、何ほどの値打ちがあるだろうか、生の情熱を託するに足る真実なものが果たしてどこにあり得るのか、全ては虚妄の影だけだ。

坂口安吾『白痴』

知識豊富で饒舌に話していても、その人の心の中にあるものが真実であり、言葉に誠はないと語り、「白痴」という薄弱な言葉で人は判断してはいけないと語っています。

つまり、「常人」や「白痴」というものは言葉の体であり、その人となり自体には関係の無いものとしていることが、『白痴』からは読み取れます。

心身の変化を描写し、空襲の怖さの表現する

生命の不安と遊ぶ事だけが毎日の生きがいだった。警報が解除になるとガッカリして絶望的な感情の喪失だけがまた始まるのだった。

坂口安吾『白痴』

この文章からは、空爆が日常の一部と化してしまった様子が分かります。

戦時中、避難が最大の仕事であり、命を奪われないように必死で生きていた伊沢の心中を良く表した文章でしょう。

女の姿を捨ててみても何処かの場所に何か希望があるのだろうか、どこに住む家があるのだ。眠る穴ぼこがあるのだがそれさえも分かりはしなかった。

坂口安吾『白痴』

空襲により全てが焼き尽くされ、生きる場所がなく絶望という世界の終わりを、女性にさえも感情がない様で表しています。

其れでも空襲が止むと冷静さを取り戻し、一緒に逃げる白痴の女と一生を捧げる覚悟を決めるのです。

坂口安吾の『白痴』は、このような心身の壮絶な変化を表すことで、空襲の怖さを巧みに表現しています。

『白痴』の感想

白痴の時代と現代

時代背景が戦時中である事から、まだノーマライゼーションには至っていません。

「気違い」も「白痴」も現代では障害者として認知されています。

本文中にもあるように、何がどうして常人と区別されるのか、伊沢のようにその人物をよく理解しようという人間は皆無だったでしょう。

爆弾や焼夷弾から逃げて自分の命を守る事しかない時代に、全ての人に対して深く理解しようという考えなど、人には出来なかったのではないでしょうか。

この『白痴』は、現代にも繋がる福祉問題に言及しています。

戦後の日本の障害者への対策は、閉じ込め主義からほんのわずかしか進んでいません。

ノーマライゼーションの実現は、形ばかりの対策では不可能でしょう。

今でも他国の人間を外人と呼ぶ人の数はこの国にどれだけいるのか。健常、障害を区別しなければならないのは何故なのか。

日本とアメリカ、そこに住むのは同じ人間だと認識させない理由はなにか?

今からできることは、人を人と思うことではないだろうか。そのようなことを、『白痴』を読むと考えさせられます。

・白痴の女に対する伊沢の心理

知識人である伊沢から見る気違いや白痴は、周囲とは違う観点を持っています。

「言葉」を否定する事で、白痴の女といる自分を決して卑下せず、彼女を愛おしく思い、二人の一生は同じ道をと諭すようになるのです。

そして、偏見や差別という社会性が空爆によって壊れたとき、彼は本当の命というものを知る事になります。

今の時代、何にしても困ることが無く人の命も金で動かせるような時代で、本当の「人間」に気づかずに生きています。

社会の壊滅という経験を元に、

先の見えないトンネルをただ歩いて進むことで何かにたどり着く

と考えた伊沢の心理は、無気力に似た無欲と言えるように思います。

「差別偏見」が起こる条件

気違いがゲタゲタ笑うというだけで人々は違う人種だと思っていた。

坂口安吾『白痴』

『白痴』のこの一文からは、人種差別が日常に浸透している様子が読み取れます。

白痴の女はただ立っているというだけでみんな近所のものがしてくれるのだ。気違いの女房ですもの白痴で当然、その上の慾は言ってもいけますまい

人権を無視したこうした文章は、今の世の中でも同じようなところが見受けられるでしょう。

人は言葉であり、知識であるとする世の中の考え方に相違ないとしているのです。

社会の人々は「同じレールを回っている」とすることで、レールに沿わない人間に対しては排除する行動を取ると書かれています。

爆撃の中の白痴の苦悶は人間のものでもなく虫のものでもすらなく醜悪な一つの動きがあるのみだった

爆撃の中、伊沢は心身共疲れ切り、横にいる白痴女を怖さの代償に自分から排除しようと懸命にこき下ろします。

また「白痴の女が焼け死んでも土から作られた人形が土に帰るだけだ」と、自分には関係無い者としているのです。

空襲で気が狂いそうになっている『白痴』の描写からは、

  • 差別偏見はある種、人が狂った時に起こりうる

ということを表しているようにも読み取ます。

以上、『白痴』のあらすじ・解説・感想でした。

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