福永武彦『忘却の河』孤独を抱えた登場人物たち

『忘却の河』の紹介

『忘却の河』は福永武彦の代表作で、1964年に刊行されました。

7つの章から成り、中年の男、二人の娘、妻、娘に思いを寄せる男の独白で物語は進んでいきます。

ここではそんな『忘却の河』のあらすじ・解説・感想をまとめました。

『忘却の河』のあらすじ

「私」は戦時中に死んでしまった友人、結果的に見捨てることになった昔の恋人のことを忘れられずにいます。

妻からは、生まれてすぐに子供が死んだ時も涙を流さない冷たい人間だとなじられています。

母親の介護に追われる「私」の長女、美佐子。

彼女は、自分は捨て子だったのではないかという思いにとらわれます。

「私」の次女、香代子は演劇に夢中な学生。

充実した毎日を過ごしていますが、母親がうわごとで名を呼んだ「呉」という人物が気になっています。

香代子は、自分が母親と呉の間の子供ではないかと疑っているのです。

「私」の妻は病床で、戦時中に愛した呉のことを思い出します。

美佐子に淡い思いを寄せる美術評論家の三木。

彼は「私」との出会いを機に、美佐子への思いを見つめなおします。

やがて亡くなる「私」の妻。

香代子は「私」に疑問をぶつけ、美佐子は「私」の気持ちを知ります。

そうした関わりを経て、「私」と娘たちはお互いのことを少しずつ理解し合うのでした。

『忘却の河』―概要

物語の主人公 私(藤代)
物語の重要人物 美佐子、香代子、「私」の妻、三木
主な舞台 不明
時代背景 戦後
作者 福永武彦

『忘却の河』の解説

・孤独を抱えた登場人物

『忘却の河』の登場人物は、それぞれ孤独を抱えています。

主人公である中年の男性藤代は過去の出来事ばかり思い出しています。

彼が思い出す過去は、戦友とその家族のこと。

そして、彼の子を身ごもったまま自殺した昔の恋人のことです。

長女の美佐子は、自分は母親の介護をしなければならないと思い、お見合いを断り続けています。

次女の香代子は、先輩に言い寄られるものの、心が通い合っているとは感じられません。

さらには、かわいがってくれた母親を失い、孤独感は増していきます。

藤代の妻は、戦時中に思いを寄せた男性、呉のことを思い返す日々です。

現在に目を向けず、何かに縛られて生きています。

そして、お互いに分かり合えなさを感じているのです。

・主人公に訪れる変化

うちに籠っていた主人公に転機が訪れます。

それは大雨の日の女との出会いです。

冒頭、

私がこれを書くのは私がこの部屋にいるからであり、ここにいて私が何かを発見したからである

福永武彦『忘却の河』新潮社、8ページ

とあります。

この部屋の元住民である女と出会い、主人公は女を助けます。

やがて女は主人公に面と向かって挨拶をすることなく、去っています。

しかし、彼女との出会いが主人公の気持ちに変化をもたらします。

たとえば、

「思えば生きていることが罪であるような感じは、もうその頃から、私の心の奥深いところで疼いていたのだ」

福永武彦『忘却の河』新潮社、49ページ

と書かれています。

自分が抱える罪の意識が、幼少期からのものであると再発見したのです。

さらには、

女から寂しい人だと言われたことが私の頭の中にこびりついて離れなかった

福永武彦『忘却の河』新潮社、54ページ

と出てきます。

これもまた、女の言葉で自分がどう見られているのか、どんな言葉に反応するのか、を再発見したのです。

孤独から一歩踏み出し、他者と関わることで、再発見をする。

主人公はそうした経験を重ねていったのです。

「石」を投げ捨てる

主人公は「一章 忘却の河」のラストで石を掘割に投げ捨てます。

この石について、主人公は次のように考えています。

・「彼女と彼女の生むべき筈だった子供との唯一の形見」
・「私の罪であり、私の恥であり、失われた私の誠意であり、惨めな私の生のしるし」
福永武彦『忘却の河』新潮社、84ページ

一見すると、彼が過去と決別する意思があるように読み取れます。

けれども、後半の香代子とのやり取りで、主人公の考えが明らかにされます。

ただ私はね、いつでも喪中だというふうに考えるんだ。人間というのは、次々に誰かを、誰か身近な存在を、喪っているものさ、他人が死ぬから自分は生きている、つまり大袈裟に言えば、人生というのは自分が死ぬまで他人の喪に服しているのだと考えることもある。

福永武彦『忘却の河』新潮社、258ページ

つまり、過去の出来事を「罪」ととらえて自身を責め続けるのではなく、失った人の存在を心の片隅にとどめながら生きていこうと気持ちを変化させたと言えるでしょう。

・親子の距離が縮まる

また、彼の娘たちにも変化が現れます。

自分が母親と呉の子供ではないかと疑う香代子は、父親にその疑問をぶつけます。

父親がそれを否定することで、二人はこれまでのわだかまりが消え、親しさを増します。

同じく、自分が貰われてきた子供ではないかと疑う美佐子。

彼女の記憶の片隅にあった子守歌が、父親が歌ったものだとわかります。

それを知った美佐子は、父親にこう言います。

「わたし、そういうお父さんが好きよ(中略)本当はお父さんはずっと心のやさしい人だったのね。私たちがみんなそれを分らなかったのね」

福永武彦『忘却の河』新潮社、333ページ

心のうちをぶつけることで、親子の間の距離が縮まるシーンが続くのです。

・孤独からの出発

なぜ、このような変化が生まれたのでしょうか。

この背景には、福永自身の考えがあると言えるでしょう。

福永はエッセイ「失恋」で次のように述べています。

人が生に向って出発するのは常に孤独からなのだし、もし彼がその絶望に負けたきりにならないで、再び生に出発するならば、次の機会に愛を試みる時には、彼は愛が孤独の上に立脚するものであることを充分に理解しつつ、自己を投企することが出来るだろうから。

福永武彦『愛の試み』新潮社、152ページ

登場人物はそれぞれ孤独を感じました。

一時はその孤独の中に一人でこもっていました。

けれども、そこに拘泥することなく、相手と関わる・相手に思いをぶつけるという一歩を踏み出します。

その結果、自分自身を再発見したり、新たな関係を結んだりすることができたのでしょう。

・三木の存在

『忘却の河』の登場人物の中で、異質な存在と言えるのが三木です。

なぜならば、他の登場人物が愛について悩む中、三木は美佐子への愛を感じているからです。

しかし、三木は美佐子の父親と会うことで気持ちが揺らぎます。

もし今日、己が偶然彼女の父親に会うことさえなかったなら、己は今まで通り、彼女を愛し、その愛をもっと押し進めて行っただろう。しかし今は己のなかの愛が生命を失って、この硝子の城のように、ただ光を反射するだけになってしまった。

福永武彦『忘却の河』新潮社、250ページ

三木の中にあったはずの愛が消え、三木は単なる傍観者になってしまったのです。

なぜ、こうなってしまったのでしょうか。

彼は妻と子供と妻の母と暮らしています。

妻にもやもやとした気持ちは抱えつつも、家族を手放す勇気はありません。

そのため、美佐子に対しても積極的にデートに誘うわけではなく、のらりくらりとした関係を続けています。

孤独になる勇気もなく、中途半端な関係を続けていく。孤独を感じようとしない三木。

だからこそ、愛さえも失ってしまったのではないでしょうか。

ここにもまた、愛には孤独が必要という福永の考えが反映されていると考えられます。

『忘却の河』の感想

・不思議な夫婦

『忘却の河』で印象的なのは、主人公とその妻の関係です。

冒頭では、生まれてすぐに死んだ子供を巡って、主人公が妻になじられているシーンがあります。

その時の主人公の態度からは諦観が伝わってきます。

妻も一向に主人公の気持ちを理解しようとしません。

私はこのエピソードを読んで、お互いに理解し合えない夫婦という印象を受けました。

二人の子供たちも、両親の不仲に気づいています。

さらに妻の章に移ると、妻の気持ちが他の人に向いていることが明らかになります。

妻は主人公が戦地に赴いた後、近所に住む学生、呉を愛します。

そして、死ぬ間際まで、ずっと呉のことを思い続けます。

これは、主人公になじられても仕方がない行為です。

しかし、妻の過去を知った主人公は次のように考えました。

妻もまた一生愛というものを知らずに過ぎたとすれば、私は妻が可哀想でならない。せめてその青年を愛したことで妻は救われたと思うし、また彼女が救われたと思うことで、私もまた救われるのだ。

福永武彦『忘却の河』新潮社、310ページ

自分が愛のない、誠意のない結婚をしたことを悔やみ、妻に対して申し訳なく思う主人公。

だからこそ、自分以外の男が相手であったとしても、妻が愛を知ったことをうれしく感じています。

・意外な展開に

私は、不倫を知った主人公の妻への気持ちの変化に驚き、意外な展開だと感じました。

今まで散々妻からなじられていた分、言い返したり非難したりしてもおかしくありません。

なぜそうした行動をとらなかったのでしょうか。

私が思うに、これも主人公独特の愛ではないかと思ったのです。

相手から愛されることを求めるのも愛の形の一つでしょう。

けれども、相手からの愛は望まず、ただ相手の幸せを望むことも、愛の形と言えるのではないでしょうか。

福永武彦はエッセイ「統一」で、次のように指摘しています。

愛する二人というものは(中略)相手が完璧でないことを知り、それ故に、一層深く愛することが出来るというのでなければならぬ

福永武彦『愛の試み』新潮社、133ページ

妻が主人公を愛していたかは明らかではありません。

一般的な見方からすれば、夫婦関係はうまくいっていなかったと見ても差し支えないでしょう。

しかし、主人公は、妻が既婚者でありながら学生を愛したことを知り、安堵します。

妻への愛があったからこそ、安堵したのではないでしょうか。

妻に関心がなければ、何とも思わなかったはずです。

また、主人公が自分の保身を考えたりプライドが高かったりすれば、激怒したでしょう。

そうした行動をとらなかったことを考えると、主人公の態度は、無死とも呼べるかもしれません。

『忘却の河』には夫婦の愛、親子の愛、学生同士の愛など、さまざまな愛が描かれます。

そうした中でも、目を引く「私」と妻の愛の形。

愛の形は人それぞれだなと改めて実感しました。

以上、福永武彦『忘却の河』のあらすじ・解説・感想でした。

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