『死の島』について
『死の島』は福永武彦の長編小説です。
物語の主軸である現在の出来事以外に、過去の回想、2人の独白、3つの作中小説から構成されています。
さらに物語の主軸にも3種類の結末が用意されており、読み応えのある複雑な作品です。
『死の島』のあらすじ
・物語の主軸
相馬鼎(そうまかなえ)は出版社に勤める編集者。
小説家になることが夢で、現在は3作を並行して執筆中です。
彼には親しくしている2人の女性がいます。
気難しい画家の萌木素子(もえぎもとこ)と、優しく良家の子女然とした相見綾子(あいみあやこ)。
2人は血縁関係ではありませんが、同じ家で暮らしています。
1月23日のことです。相馬鼎の勤務中に、2人の下宿先の大家から電報が届きました。
素子と綾子が広島で心中したというのです。
大家の代わりに、東京駅から鉄道で広島へ向かう鼎。
移動中にまた1通、電報が届きます。そこには、1人は死に、1人は息を吹き返したと書かれていました。
1月24日の早朝、相馬鼎が広島の病院に駆けつけたとき、
(1)生きていたのは相見綾子でした。綾子は人が変わったようになり、「素子は気が違っていた」と次々に冷たい言葉を吐きます。鼎は綾子から人を愛する心が失われてしまったこと、彼女との関係も終わるだろうことを悟ります。
(2)生きていたのは萌木素子でした。しかし彼女は正気を失い、訳の分からないことをつぶやき続けます。「ワタシガ見テイタノハ白イ太陽ダッタ……。」素子は翌日、精神病院へ送られることとなりました。
(3)息を吹き返した1人も鼎の到着を待たず急変し、2人とも帰らぬ人となっていました。彼女たちの亡骸を見つめ、鼎は人生とは虚無なのではないかと感じます。
・過去の出来事
相馬鼎が2人と出会った1953年3月29日から1954年1月22日までの、鼎視点での回想です。
相馬鼎はある展覧会で、ベックリンの『死の島』を彷彿とさせる『島』という絵を見つけます。絵に夢中になるあまり、鼎は女性とぶつかってしまいました。
出版予定の書籍の表紙を『島』の作者・萌木素子に依頼しようと考えた鼎は、素子の家を訪ねます。そこには展覧会でぶつかった女性・相見綾子の姿もありました。
2人と交流するうち、素子が広島での被爆者であること、綾子が悪い男に騙されて実家と絶縁状態であることを知ります。
正反対の2人に惹かれていく鼎。
素子と綾子、自分はどちらを愛しているのだろう。
・萌木素子の独白
相馬鼎や相見綾子に対する、素子の独白です。
途中でフラッシュバックのように、被爆当時の凄惨な体験が挿入されます。
物語の最後に置かれた独白には、何も書かれていません。
・或る男の独白
女性をたぶらかし、女性に養われながら暮らす、渡り鳥のような男の独白。
或る男は綾子の元恋人であり、素子が勤めるバーの客でもあります。
綾子の過去を知ることができる、唯一のパートです。
・作中小説
『恋人たちの冬』
鼎が綾子を題材に書いている小説。A子とKとの恋愛と破局が描かれています。
『トゥオネラの白鳥』
鼎が素子を題材に書いている小説。広島で被爆したM子が上京するまでが描かれています。
『カロンの艀(はしけ)』
鼎が綾子と素子を題材に書いている小説。A子とM子の出会いが描かれています。
『死の島』ー概要
主人公 | 相馬鼎 |
重要人物 | 萌木素子,相見綾子,或る男 |
主な舞台 | 東京・広島 |
時代背景 | 1954年1月23日未明~24日未明 |
作者 | 福永武彦 |
『死の島』の解説
・なぜ1954年1月23日なのか
『死の島』は長編小説ですが、作品の多くは過去の回想や独白、作中小説で占められています。
物語の主軸は、わずか1日の出来事です。
では、なぜその1日が、1954年(昭和29年)1月23日なのでしょう。
福永武彦は『福永武彦全小説 第11巻』の序文で、『死の島』の序盤で相馬鼎の見る夢が物語の要約であり、核であると述べています。
『死の島』は、相馬鼎の夢から始まります。
異様な形をした動かない何か、焼け焦げた樹々、ひんまがった鉄骨。
鼎は自分が水爆の被害にあったのだと悟ります。
生きているのは自分だけ、けれど自分も間もなく死に、すでに死んだ人々の記憶と一体化していくだろう…。
夢であることはわかっているのに現実のような、死の予感を孕んだ夢でした。
1954年1月23日である理由。それは物語の核が「戦争」と「大勢の死」であるからだと思います。
この核を効果的に表すために『死の島』では「橋」と「雪」が効果的に使われており、そのどちらにも縁が深い日が、1954年1月23日なのです。
・橋から落ちていく人
『死の島』の冒頭、新聞の日付から、この日が1月23日であることがわかります。
しかし何年であるかということは示されておらず、鼎が「今月の始めに二重橋事件があった」と回想する場面で、この年が1954年であることがわかります。
二重橋事件は、1954年1月2日に発生した事故です。
皇居の一般参賀に向かった人々が二重橋で将棋倒しとなり、16名が亡くなりました。
また、小説家志望の鼎が目指している小説が、ワイルダーの『サン・ルイ・レイの橋』です。
実際に起こった橋の事故が元となった作品です。
1714年、ペルーで橋が落ち、5人が墜落死しました。
この事故での死者に関する調査と、死者のこれまでの人生についての3つのエピソードから成る『サン・ルイ・レイの橋』。
橋で複数人が死亡するエピソードは、二重橋事件と似ています。
また、3つの作中小説(エピソード)で死者を語る構成は、『死の島』で用いられています。
相馬鼎は西洋絵画やクラシック音楽に造詣が深く、高い水準の教育を受けた人物です。
出版社に勤め、小説家を目指している点から、洋の東西を問わず文学にも通じていることでしょう。
そんな鼎が目指す小説が、なぜ『サン・ルイ・レイの橋』なのでしょう。もっと有名な小説でも良いはずです。
文学に通じているからこそ、誰もが知っている小説以外の作品にも精通しているのかも知れません。
しかし鼎の理想が『サン・ルイ・レイの橋』であるからこそ、『死の島』の構成・テーマが強調されるのです。
・川に降る雪
『死の島』の舞台が1954年であるもう一つの理由が「雪」です。
1954年1月23日は、東京で記録的な大雪が降りました。
『死の島』でも、或る男が大雪の中を歩き回り、素子の家を探す場面があります。
『死の島』の登場人物たちは、それぞれ雪のエピソードを持っています。
相馬鼎は北海道出身で、イプセンやムンク、シベリウスなど、北方的な文化を愛しています。
雪は身近な事象だったことでしょう。
或る男は雪深く貧しい村の出身です。
雪が降る夜に母の隣で絵本を読んでいた自分の姿や、雪女の言い伝え、綾子と見た神田川の雪を懐かしく回想しています。
綾子は或る男と見た雪の情景について、素子にこう話します。
”「あたしは黒い河の表面に雪が降るのを見たことがあるけど、あれは悲しいものね、(略)、空から雪が次から次に落ちて来て、どれもこれもすうっと水の中に吸い込まれる、それを見ていると人生なんてみんな儚いものだって気がしちゃう。」”
素子は心中する直前に、広島で雪を見ます。
しかし2人が心中したのは1月22日の夜。広島ではまだ雪が降っていません。
それでは、素子が見たものはなんだったのでしょう。
素子は被爆した際、顔と背中にやけどを負っていたものの、軽傷でした。
彼女は広島の惨状をしっかりと目撃し、自ら進んで医者の手伝いをしています。
大勢の死者を積み上げて焼き、その骨を拾う。
その過程で彼女は火葬の灰を浴びたでしょうし、原爆投下後の「死の灰」も見ているはずです。
自分はあの日に死んでいるのだ、と常々言っていた素子。
彼女の心は今の広島ではなく、あの日の広島にあるのです。
彼女が見ていたものは雪の幻ではなく、灰の幻です。
1954年3月1日、第五福竜丸が水爆実験の死の灰を浴びます。
福永武彦はここからも灰の着想を得たのでしょう。
・膨大な数の”ひとりの死”
作中小説である『トゥオネラの白鳥』のタイトルは、『カレワラ』というフィンランドの民族叙事詩から取られています。
『トゥオネラ』は死の国で、黒い地獄の河が流れているそうです。
広島でも、川の中で多くの人が亡くなったといいます。大
勢が亡くなった広島の川のように、『サン・ルイ・レイの橋』で橋から墜落死するように、暗い川面に消えていく雪は、大勢の死の象徴なのです。
素子は原爆投下後の惨状を目にしました。
彼女はそこで「物」と「人間」を区別します。
人間の姿を残さずに物のように死んだ人、まだ人間として生きている人。
『サン・ルイ・レイの橋』では、死んだ人に罪はなく、それぞれに墜落死までの人生があったことが描かれています。
『死の島』で心中を図った素子と綾子。3つの結末が示すとおり、2人が同時に亡くなる結末はありません。
片方の死、もしくは時間差での死があるばかりです。
また、素子の心には広島での体験があり、綾子の心には或る男との失恋の傷がありました。
たった2人での心中であっても、同時に死ぬことはなく、心に抱えているものも、これまでの人生も異なります。
大勢が亡くなったからと言って、一人の死、その死がもつ人間の尊厳が軽んじられていいはずがありません。
しかし、それが起こってしまったのが原爆であり、戦争であるのです。
『死の島』では実在の芸術作品が数多く登場します。
大勢亡くなったうちのひとりひとりの人生も、『サン・ルイ・レイの橋』という前例があるとおり、尊い芸術のひとつなのです。
福永武彦は「戦争」と「大勢の死」を描くために「橋」と「雪」というモチーフを使った。
そのために1954年1月23日という日時を設定したのです。
さらに、冒頭の鼎の「夢だとわかっているのに現実のような」水爆の夢。
これは同年3月1日の第五福竜丸の事件で正夢となります。
現実のような夢で始まる物語のあとには、悪い夢のような現実が待っていたのでした。
『死の島』の感想
・『カロンの艀』
『死の島』の作中小説のうち、『カロンの艀』は実際に福永武彦が発表した小説です。
『福永武彦全小説 第11巻』には、
”『死の島』 初出「文学界」昭和二十八年十一月号(原題「カロンの艀」)”
と記載されています。
『カロンの艀』は単なる作中小説ではなく、『死の島』の基盤となった作品なのです。
そこで実際に、当時の文学界を取り寄せ、『カロンの艀』を読んでみました。
相見綾子は相川綾、萌木素子は佐伯悠子という名前で、2人が同棲するまでの経緯が描かれています。
『死の島』では完成しなかった『カロンの艀』。
文学界版では悠子(素子)は綾(綾子)とともに暮らすことを幸せに思い、2人で生きていこうと決心して終わります。
『死の島』は2人の心中で幕を閉じましたが、素子と綾子が同棲を始めたとき、素子はこんな気持ちだったのかもしれません。
『カロンの艀』は彼女たちの前日譚のような味わいがあり、2作をあわせて読むと、より一層『死の島』の結末に胸が締めつけられます。
・戦争との距離感
「文学界」昭和28年11月号の表紙を開くとすぐ、映画の広告が目につきます。
監督・小林正樹、脚本・安部公房の『壁あつき部屋』という作品で、BC級戦犯となった人々の手記を映画化したものだそうです。
「あれから七年…」という文字にドキッとします。
もう1ページめくると、今度は洋画の広告があらわれます。こちらは『地上より永遠に』。
真珠湾攻撃直前のハワイでの物語だそうですが、作品紹介文の「今次大戦直前」という表記に、またしてもドキッとします。
現在なら「第二次世界大戦直前」と書くでしょう。「今次」という書き方から、まだ戦争から日が経っていないこと、心理的にも「ついこの間の出来事」という認識であることが伝わってきます。
『死の島』と同じく広島の原爆を扱った小説『屍の街』。
その作者である大田洋子は、昭和25年、『屍の街』の序文にこう書いています。
”私は屍の街にひっからまって、身うごきが出来なかった。”
大田洋子『屍の街・半人間』,講談社文芸文庫
戦争も長かったけれど、その後の人生はもっと長かったはずです。
『死の島』の舞台となった1953年~1954年を生きた人にとって、戦争はついこの間のこと。
素子が被爆から8年以上経って自殺したように、戦後という名の戦争の延長を生きていた人も多いのではないかと思います。
悲しみに時効はないのです。
・モスラの思い出
福永武彦と水爆との関係で避けて通れないのが、「モスラ」です。
私は平成生まれですが、1961年の映画『モスラ』が好きで、よく観ていました。
小美人(ザ・ピーナッツ)が歌う「モスラの歌」を、今でも口ずさむことが出来ます。
映画『モスラ』の原作は、福永武彦と中村真一郎、堀田善衛の合作『発光妖精とモスラ』。
物語に登場する新聞記者「福田善一郎」は、この3名の名前から作られています。
「ロシリカ国」の水爆実験がもとで誕生したモスラ。
子どもの頃は、モスラの愛らしさと小美人の歌声に魅了されていましたが、大人になって時代背景を知ると、考えさせられる映画です。
大きな目とふわふわの身体が愛くるしい彼が、今後も誕生しないことを祈るばかりです。
参考文献
・ワイルダー作,松村達雄訳『サン・ルイス・レイ橋』,岩波書店
・中村真一郎,福永武彦,堀田善衛『発光妖精とモスラ』,筑摩書房
・福永武彦『福永武彦全小説 第11巻』,新潮社
・大田洋子『屍の街・半人間』,講談社
・『文學界 昭和二十八年十一月號』,文藝春秋新社