『夢十夜』「第八夜」|「床屋」「白い男」の象徴とは?

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『夢十夜』「第八夜」|「床屋」「白い男」の象徴とは?

『夢十夜』(第八夜)の紹介

『夢十夜』は夏目漱石著の短編小説で、明治41年から朝日新聞で連載されました。

第八夜では、何かを暗示しているようなものが次々と登場し、不思議で奇妙な感じに拍車がかかっています。

ここでは、そんな『夢十夜』第八夜のあらすじ・解説・感想までをまとめました。

『夢十夜』(第八夜)ーあらすじ

床屋の敷居を跨いだら、白い着物を着た三四人が、入らっしゃいと云った。

腰を卸すと、鏡に映る自分の顔の後に窓が見え、往来の人の腰から上がよく見えた。

女を連れた庄太郎や豆腐屋、芸者等次々と映っていく鏡を見ていると、白い着物を着た大きな男が来て、自分の頭を眺め出した。

「さあ、頭もだが、どうだろう、物になるだろうか」と自分は男に聞くが、白い男は何も答えない。

白い男は、「表の金魚売を御覧なすったか」と云った。

自分が見ないと云うと、白い男はそれぎりで、鋏を鳴らしていた。

突然大きな声であぶねえと云ったものがある。

鏡の中には自転車と人力車が映っていたが、白い男に頭を横へ向けられて見えなくなった。

栗餅屋の声が聞こえて、自分が鏡を見ると、帳場格子の裏に一人の女が坐って札の勘定をしている。

白い男が「洗いましょう」と云ったので、立ち上がって振り返るが、格子のうちには女も札も見えなかった。

代へ払って表へ出ると、門口の左側に金魚が沢山入った桶が五つ並べてあって、その後ろに金魚売がいた。

自分はしばらく金魚売を眺めていたが、その間、金魚売はちっとも動かなかった。

『夢十夜』(第八夜)ー概要

主人公 自分
重要人物 白い着物を着た大きな男
主な舞台 床屋
時代背景 不明
作者 夏目漱石

『夢十夜』(第八夜)―解説(考察)

・「床屋」、「白い男」とは?

『夢十夜』第八夜は、なんとも分かりくい夢です。

次から次に、何かを象徴させるような人物や物が登場していきますが、これらをどのように理解するかで、話全体の解釈が変わってきます。

本解説では、それらのいくつかに焦点をあて、何を象徴しているか考察を進めていきたいと思います。

まず「床屋」と「白い男」についてですが、これらは

● 日本の近代化、西洋化を象徴するキーワード

であると考えられます。

具体的には、次のように捉えることができます。

  • 床屋:近世から近代への移り変わりを象徴
  • 白い男:西洋の象徴

まず、床屋について考察を進めます。

明治時代の床屋とは、日本の文明開化において重要な意味を持つ場所だと考えられます。

「ざんぎり頭をたたいて見れば文明開化の音がする」とは、明治初期に用いられた歌の一説です。

歴史の教科書で見覚えのある方も多いかと思います。

ざんぎり頭は、西洋風に短く切った髪のことです。

近世から近代に時代が移り、ヘアスタイルも髷からざんぎり頭に変わっていきました。

床屋という場所は、このヘアスタイルの変化を思わせる場所で、近世から近代への移り変わりを象徴する場所であると言えます。

次に、白い男について考察します。

作中では「白い着物を着てかたまっていた三四人」、「白い着物を着た大きな男」とも表記されています。

近代への移り変わりを象徴する床屋で、髪を作る白い男たちは、白人、つまり西洋を表していると考えられます。

白い着物を着た大きな男は、西洋の力の大きさを意味していると言えるでしょう。

・鏡を通して見る世界

床屋の席に座った「自分」は、鏡に反射する往来の景色を観察しています。

床屋=近代化・西洋化していく明治社会に足を踏み入れた時点で、床屋の鏡を通して、近代化を反映したものしか見られなくなっているのです。

様々な人が外の往来を通っていく様子が見えますが、彼らは腰から上しか鏡に映っていません。

すなわち、足は見えない状態——文字通りの意味で、地に足がついているのか分からない状態です。

地に足がつかないということは、浮足立って冷静さを欠いた状態のことを指します。

鏡に映る明治期の日本は、バタバタと近代化・西洋化を急いでいるように見えているということを示します。

また、鏡に映るものの中で、特に注目しておきたい光景があります。

以下に抜粋します。

すると突然大きな声で危険と云ったものがある。
はっと眼を開けると、白い男の袖の下に自転車の輪が見えた。
人力の梶棒が見えた。
と思うと、白い男が両手で自分の頭を押えてうんと横へ向けた。
自転車と人力車はまるで見えなくなった。

夏目漱石『文鳥・夢十夜』(夢十夜),新潮文庫,55頁

自転車と人力車があわや接触しそうになったのを目撃しますが、その光景は白い男によって隠されてしまいます。

自転車は、19世紀始め頃、ドイツで考案された乗り物です。

自転車が日本に初めて持ち込まれた時期は、はっきりとしていないようですが、少なくとも明治維新前後には、日本での自転車制作も開始されていたと見られています。

一方の人力車について、記録上では日本の和泉要助、高山幸助、鈴木徳次郎らが発明したと明治政府から認定されています。

つまり、西洋から入ってきたものと、日本で生まれたものが衝突しそうになる光景と言い換えることができます。

日本を西洋化させようとしている白い男は、西洋化が進むことで生じる伝統との衝突など、その危険性を日本人に知られたくありません。

危険性が伝わり、西洋化への流れに反発されては困るからです。

だから、白い男は、この光景を「自分」に見せないように動いたのだと考えられます。

このように、鏡を通して見る世界は、近代化を急ぐ明治社会の様子であったり、近代化が日本にもたらした影響を映したものと言えるでしょう。

そしてそれらは、白い男=西洋によって、見られてもよいもの・見られてはまずいものに分けられ、コントロールされているのです。

・「金魚売」とは?

白い男は、「自分」の問いかけにも答えず、黙々と髪を切っていきます。

その白い男が唯一気にかけた様子なのが、「表の金魚売」です。

結論から言うと、金魚売とは

● 世界の象徴

であると考えられます。

代を払って表へ出ると、門口の左側に、小判なりの桶が五つばかり並べてあって、その中に赤い金魚や、斑入りの金魚や、痩せた金魚や、太った金魚が沢山入れてあった。
そうして金魚売がその後にいた。
金魚売は自分の前に並べた金魚を見詰めたまま、頬杖を突いて、じっとしている。
騒がしい往来の活動には殆ど心を留めていない。

夏目漱石『文鳥・夢十夜』(夢十夜),新潮文庫,55頁

沢山の金魚が入れられた桶は五つあります。

これは人間が暮らす五大陸の暗喩であると考えられます。

様々な人種、個性が人間にあるように、金魚も様々な見た目をしています。

騒がしい往来の様子を気にも留めず、じっと金魚を見詰める金魚売は、近代化に揺れ動く人や国も関係なく、ただただ人類を上から眺めている存在と言えます。

これを、全能の神と表現すべきか、地球の意志と表現するべきか、適当な言い方は見当たりませんが、少なくとも人間存在からは離れた何か——世界そのものを象徴するような、大いなる存在であると言えるでしょう。

近代に入ると、西洋は世界中に勢力を拡大していきます。

勢力拡大に動く西洋=白い男は、近代化に揺れ動く日本の様子は既に注視しておらず、その眼中には世界=金魚売しか入っていないのです。

『夢十夜』(第八夜)ー感想

・現代社会に近づいていく夢

『夢十夜』第八夜は、意味深ワードがてんこ盛りの夢です。

割愛しましたが、作中に出てくる他のやり取りや光景も、一つ一つその意味を考えていくことができます。

例えば、「自分」が白い男に対して、「さあ、頭もだが、どうだろう、物になるだろうか」と問うシーンは、「自分」が作者漱石を投影していると考えるならば、強大な西洋に向けて、頭=自分の頭脳、またはそこから生み出した作品等が世界で通用するか問うているように考えられます。

他にも、床屋の鏡に映るいつまでも札を勘定する女は、近代化によってもたらされた資本主義と関係しているように思えます。

このように、第八夜は非常に解釈しがいのある面白い作品なのです。

また、第八夜は、人力車や十円札など、文明社会を思わせる物が全体的に多く登場しています。

第六夜からのテーマが、近代社会に絡んだ内容に変化してきていることと合わせて、『夢十夜』という作品の関心が、後半にかけてどんどん現実社会に近づいてきていることを示しているように感じられます。

以上、『夢十夜』第八夜のあらすじと考察と感想でした。

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yumihara

文学部出身の主婦です。文学の魅力が少しでも伝わるような、わかりやすい解説・感想を心がけていきたいです。