『夢十夜』「第七夜」「大きな船」の象徴とは何か?

『夢十夜』(第七夜)の紹介

『夢十夜』は夏目漱石著の短編小説で、明治41年から朝日新聞で連載されました。

第七夜では「自分」は大きな船に乗っています。

この「船」が何を象徴しているのか、解釈が分かれるところです。

ここでは、そんな『夢十夜』第七夜のあらすじ・解説・感想までをまとめました。

『夢十夜』(第七夜)ーあらすじ

何でも大きな船に乗っている。

この船は毎日毎夜絶間なく黒い煙を吐いて進んで行くが、何処へ行くんだか分らない。

只波の底から太陽が出て、帆柱の真上にしばらくかかっているかと思うと、何時の間にか船を追い越して、波の底に沈んで行く。

船は凄じい音を立ててその跡を追掛けて行くが、決して追附かない。

ある時自分は、船の男を捕まえて「この船は西へ行くんですか」と聞いた。

「何故」と問い返す男に、「落ちて行く日を追懸る様だから」と答えると、男はからからと笑った。

自分は大変心細くなった。

一層身を投げて死んでしまおうかと思った。

また、船には乗合が沢山居た。

一人でしきりに泣く女や、天文学の話をする偉人がいた。

或時のサローンでは派手な衣装を着た若い女がピアノを演奏し、背の高い立派な男が唱歌を歌っていた。

益々つまらなくなった自分は、とうとう死ぬ事を決心し、ある晩海の中へ飛び込んだ。

ところが、自分の足が甲板を離れた刹那に、急に命が惜しくなった。

次第に水に近附いて来る。

そのうち船は通り過ぎてしまった。

何処へ行くんだか判らない船でも、乗っている方がよかったと悟りながら、後悔と恐怖を抱いて黒い波の方へ静かに落ちて行った。

『夢十夜』(第七夜)ー概要

主人公 自分
重要人物 船の乗合
主な舞台 大きな船
時代背景 不明
作者 夏目漱石

『夢十夜』(第七夜)―解説(考察)

・「大きな船」の象徴

第七夜では、「自分」はどこへ行くのかも分からない「大きな船」に乗っているところから話が展開されます。

この船が何を象徴しているのかという問題については諸説あります。

例として、船を人生の象徴だとする考え方もあります。

しかし、ここでは、第七夜の船とは

● 明治期に入り、急速に西洋化していく日本国家

を象徴していると考えます。

これを説明するために、第七夜に登場するモチーフが、それぞれ何を象徴しているか順に考察していきたいと思います。

①「西」について

船はすこしの絶間なく黒い煙を吐いて波を切り、凄じい音を立てて西へ沈む太陽の方角に進んでいきます。

明治時代に突入した日本は、西洋近代文明を積極的に取り入れていくことで、近代国家への道を歩み出していました。

一心不乱に西へ西へと進んでいく船は、近代化・西欧化を急ぐ当時の日本国家を表していると言えるでしょう。

これは、次に抜粋する文章からも読み取ることができます。

只波の底から焼火箸の様な太陽が出る。
それが高い帆柱の真上まで来てしばらく挂っているかと思うと、何時の間にか大きな船を追い越して、先へ行ってしまう。
そうして、しまいには焼火箸の様にじゅっといって又波の底に沈んで行く。(中略)
すると船は凄じい音を立ててその痕を追掛けて行く。

夏目漱石『文鳥・夢十夜』(夢十夜),新潮文庫,50頁

ある時自分は、船の男を捕まえて聞いてみた。
「この船は西へ行くんですか」
船の男は怪訝な顔をして、しばらく自分を見ていたが、やがて、
「何故」と問い返した。
「落ちて行く日を追懸る様だから」

夏目漱石『文鳥・夢十夜』(夢十夜),新潮文庫,51頁

船が西へ沈む太陽を追いかける様子について、地の文では「追い掛ける」という字が用いられていますが、「自分」の台詞の中では「追い懸ける」という字に変更されています。

直前では、一般的な「掛ける」が用いられていたので、作者のミスや癖というわけではなく、狙って変更されたものでしょう。

「懸」という漢字には、心にかけるという意味があります。

例として、懸想という言葉で「懸」が使われていますが、この言葉は、思いをかけること・恋い慕うことなどの意味を表します。

「自分」にとって、日本が西洋化を急ぐ様は、まるで日本が西洋に盲目的な恋をしているように見えたが故に、明確なビジョンも何もなく猛進していく船に、不安を抱かざるを得なかったのでしょう。

②「船の男」・「水夫」について

西へと進む船=西洋化を急ぐ明治国家に乗る船の男や水夫は、近代化を推し進める政府の人間、政府の近代化政策を信じて疑わない多くの日本国民を表しています。

落ちて行く日を追いかけているようだから、船は西へ進んでいるのかと「自分」が尋ねた後、次のような描写が続きます。

船の男は呵々と笑った。そうして向うの方へ行ってしまった。
そうして向うの方へ行ってしまった。
「西へ行く日の、果は東か。それは本真か。東出る日の、御里は西か。それも本真か。身は波の上。檝枕。流せ流せ」と囃している。
舳へ行って見たら、水夫が大勢寄って、太い帆綱を手繰っていた。

夏目漱石『文鳥・夢十夜』(夢十夜),新潮文庫,51頁

からからと笑って、身は波の上と囃す水夫と、大勢で一致団結して船を西へ進めていく水夫達は、近代化を急ぐ日本に不安を覚える「自分」とは真逆の立場にいます。

③「乗合」について

船には乗合が沢山いて、彼らの多くは異人のように見えます。

乗合は、「自分」と同様に、近代化という世界的な時流に何かしらの影響を受けている人々だと考えることができます。

作中では三組の乗合が登場します。

一番目に登場するのが、更紗の様な洋服を着ている一人の女です。

女はしきりに泣いていて、「自分」はそれを見て「悲しいのは自分ばかりではないのだと」気がつきます。

注目したいのが、女が着ている更紗のような洋服です。

更紗とは、インドが起源の布製品です。

女はアジア人で、日本と同じく西洋化の時流に圧倒されている立場にあると考えられます。

二番目に登場するのは、天文学と神の話をして聞かせる異人です。

西洋天文学は、明治維新以降に日本に本格的に導入された学問です。

近代化に進む明治国家を象徴する船の中で、天文学の話を持ち出してくる異人は、西洋人を表していると考えられます。

三番目に登場するのが、サロンにいる二人の男女です。

派手な衣装を着た若い女と、背の高い立派な男は、自分たち二人以外の事に頓着していない様子です。

世界で勢力を拡大し続けるヨーロッパは、裕福で豪奢で巨大なイメージです。

世界の中心にいる彼らは、彼らが蹂躙していく他の国々の様子を歯牙にもかけません。

二人の男女は、そのようなヨーロッパの様子を象徴していると考えられます。

以上の三つのモチーフが示す意味からも、船=近代化・西洋化を急ぐ明治国家の象徴だと考えるのは自然です。

そして、「自分」はそのような船に乗っていることで、心細さやつまらなさを感じています。

この心細さやつまらなさとは、何を原因としているのか?

この問題について、作者夏目漱石の日本近代化に対する考え方と照らし合わせながら、考察を進めたいと思います。

・漱石が抱いた明治国家への懸念

船に乗る「自分」は、船がいつ陸に上がれるのか分からないことや、どこへ行くのか分からないことで、大変な心細さを感じています。

船がいつ陸に上がれるのか分からないということは、言い換えるならば、地に足がついていない、浮足立って冷静さがない状態が継続するということを意味します。

船がどこに行くのか分からないということは、前述の考察で触れたように、西洋化に猛進する日本が最終的に目指すビジョンが分からないということを意味します。

これらの懸念は、明治44年に夏目漱石が和歌山でおこなった講演『現代日本の開化』の中にも読み取ることができます。

長くなりますが、いくつかこれに該当する箇所を以下に抜粋します。

西洋の開化(すなわち一般の開化)は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である。ここに内発的と云うのは内から自然に出て発展するという意味でちょうど花が開くようにおのずから蕾が破れて花弁が外に向うのを云い、また外発的とは外からおっかぶさった他の力でやむをえず一種の形式を取るのを指したつもりなのです。(中略)

(中略)鎖港排外の空気で二百年も麻酔したあげく突然西洋文化の刺戟に跳ね上ったぐらい強烈な影響は有史以来まだ受けていなかったと云うのが適当でしょう。(中略)

これを前の言葉で表現しますと、今まで内発的に展開して来たのが、急に自己本位の能力を失って外から無理押しに押されて否応なしにその云う通りにしなければ立ち行かないという有様になったのであります。(中略)

これを一言にして云えば現代日本の開化は皮相上滑の開化であると云う事に帰着するのである。(中略)

今言った現代日本が置かれたる特殊の状況に因って吾々の開化が機械的に変化を余儀なくされるためにただ上皮を滑って行き、また滑るまいと思って踏張るために神経衰弱になるとすれば、どうも日本人は気の毒と言わんか憐れと言わんか、誠に言語道断の窮状に陥ったものであります。(中略)

ではどうしてこの急場を切り抜けるかと質問されても、前申した通り私には名案も何もない。ただできるだけ神経衰弱に罹らない程度において、内発的に変化して行くが好かろうというような体裁の好いことを言うよりほかに仕方がない。

夏目漱石『現代日本の開化』,青空文庫

漱石は、明治期における日本の開化を、外発的で無理押しに押されて否応なしに進められたものだと捉えています。

明治国家が進める近代化・西洋化政策に疑問を持っている立場です。

しかし、この疑問、あるいは不安感を解決する名案は何もないとも考えています。

第七夜の結末部分で、「自分」は、このまま船に乗り続けることよりも死ぬことを選び、海の中へ飛び込みますが、船から身体が離れた途端に、よせばよかったという後悔に駆られます。

死を選んだところで何も問題は解決しないという宙ぶらりん状態に陥ってしまうのです。

これは、西洋化を推し進める明治国家に懸念を抱きつつ、それを解消する手だてがないとする漱石自身の心の葛藤が投影されていると読み取ることができるでしょう。

『夢十夜』(第七夜)ー感想

・第七夜の主題

『夢十夜』第七夜では、「自分」は最終的に死を選んで海に飛び込みますが、どんどん海面が近づいてくるものの、身体はなかなか着水しません。

一見、第一夜~第五夜のように、生死を連想させる話のようにも思われます。

しかし、海に落ちていく途中で完結すること、死そのものよりも落ちていく際の後悔や恐怖に焦点があてられていること、何より明治国家を象徴する船についての描写が圧倒的ボリュームを占めていることから、第七夜の主題は、第六夜と同様、生と死ではなく近代批判にあると思われます。

第六夜に続いて近代に焦点をあてた第七夜は、『夢十夜』の作品後半にかけて、明らかなテーマの転換が起っていることを読者に示す作品のようにも感じられます。

以上、『夢十夜』第七夜のあらすじと考察と感想でした。


【引用URL】
夏目漱石『現代日本の開化』,青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/759_44901.html

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yumihara

文学部出身の主婦です。文学の魅力が少しでも伝わるような、わかりやすい解説・感想を心がけていきたいです。