『夢十夜』(第一夜)の紹介
『夢十夜』は夏目漱石著の短編小説で、明治41年から朝日新聞で連載されました。
第一夜から第十夜までの不思議な10の夢を書き綴った作品で、第一夜・第二夜・第三夜・第五夜の「こんな夢を見た」という書き出しが有名です。
ここでは、『夢十夜』第一夜のあらすじ・解説・感想までをまとめました。
『夢十夜』(第一夜)ーあらすじ
こんな夢を見た。
腕組をして枕元に坐っていると、仰向きに寝た女が、もう死にますと云う。
女はまたこう云う。
「死んだら、埋めて下さい。真珠貝で穴を掘って。そうして星の破片を墓標に置いて下さい。そうして墓の前に待っていて下さい。又逢いに来ますから」
自分が、何時逢いに来るのかと女に尋ねると、女は「百年待っていて下さい」と云う。
女が死ぬと、女が云ったとおりに墓を作って待った。
日が出て沈むのを一つ二つと勘定するが、それでも百年がまだ来ない。
しまいに、自分は女に騙されたのではないかと思い始めた頃、石の下から自分の方に青い茎が伸びて来て、真白な百合が咲いた。
自分は首を前に出して、白い花びらに接吻した。
百合から顔を離す時に空を見たら、暁の星がたった一つ瞬いていた。
「百年はもう来ていたんだな」とこの時初めて気が付いた。
『夢十夜』(第一夜)ー概要
主人公 | 自分 |
重要人物 | 女 |
主な舞台 | 不明 |
時代背景 | 不明 |
作者 | 夏目漱石 |
『夢十夜』(第一夜)―解説(考察)
・生と死の描写
『夢十夜』第一夜は、「女」の生死にまつわる夢の話です。
この「生と死」のイメージは、女の死という現象だけでなく、第一夜全体を通して様々な表現の中に散りばめられています。
すなわち、『夢十夜』第一夜は、全体を通して生と死が表裏一体で表現された作品だと見ることができます。
まず、女に関する描写を抜粋します。
女は長い髪を枕に敷いて、輪郭の柔らかな瓜実顔をその中に横たえている。
真っ白な頬の底に温かい血の色が程よく差して、唇の色は無論赤い。(中略)
死にますとも、と云いながら、女はぱっちりと目を開けた。
大きな潤いのある眼で、長い睫毛に包まれた中は、只一面に真黒であった。夏目漱石『文鳥・夢十夜』(夢十夜),新潮文庫,30頁
「もう死にます」と言う女は、言うまでもなく「死」のイメージです。
しかし、女の外見についての描写は、一般的な「死」のイメージとかけ離れています。
「温かい血の色」「唇の色は無論赤い」「大きな潤いのある眼」など、これらは「生」のイメージが強い表現です。
死にゆく女が、死と遠い言葉で表現されている様子は、まさに「生」と「死」が表裏一体である様を示しています。
また、女とは直接関係していない部分で、〈生と死〉を類推させるような表現を、以下のような印象的なキーワードに読み取ることができます。
- 真珠貝
- 天から落ちて来る星の破片
- 月の光
- (白百合についた)露
女の墓を掘るために使う真珠貝は、死んだ貝殻です。
天から落ちて来る星の破片は、流星、すなわち空に輝く星の死です。
一般に、太陽が生命を象徴するのに対し、月は死を象徴します。
露の命という言葉があるように、露もまた、消えやすい命・儚い命を連想させる言葉です。
これらの言葉が、作品上における「生と死」のイメージ構築の一助となり、第一夜はより夢らしい、幻想的な雰囲気を持つ作品として成立しています。
また、上記のキーワードは、決して不気味な死のイメージを与える表現ではありません。
夜の闇の中に浮かぶ真珠貝、丸く滑らかな星の破片、真珠貝の裏にきらきらと差す月の光、白い花びらの上の冷たい露——これらはむしろ、「死」の儚い美しさのようなものを連想させます。
第一夜では、この生と死=命の持つ儚い美しさが、作品全体を通して印象的に綴られ、これによって一層幻想的な雰囲気を強くしている作品だと見ることができます。
また、〈生と死〉に関する表現は、『夢十夜』第二夜以降のいくつかの作品でも見ていくことができます。
これについては、『夢十夜』第二夜以降のそれぞれの解説の中で触れていきたいと思います。
・「百合の花」・「暁の星」が象徴するもの
前章で挙げたキーワード以外にも、『夢十夜』第一夜には印象的なキーワードが登場します。
ここでは「百合の花」・「暁の星」というについて詳しく考察を進めていきます。
結論を言うと、
を象徴していると考えます。
それぞれ順に考察を進めます。
・「百合の花」について
そもそもなぜ百合の花であるかという問題に対して、「百年後にあう」から「百合」という解釈や説明をしばしば見かけます。
この説明以外に、百合の花にシンボライズされるものが何か読み解くために、漱石の他作品との比較検討を進めます。
百合の花は、『夢十夜』第一夜以外に、『それから』という作品に登場しています。
※『それから』とは
明治42年に朝日新聞に連載された夏目漱石の小説です。
漱石の前期三部作の一つとして知られています。
定職に就かず親の金で暮らしていた主人公・代助が、友人の妻・三千代と生きることを決意するまでを描いた作品です。
『それから』では白百合が二度登場しますが、いずれも代助と三千代の間にある愛をにおわせる場面です。
真っ白で純潔なイメージを持ち合わせながらも、甘く強い香りを放つ百合の花は、美しくも情熱的な男女の愛を表すアイテムとして用いられていることが窺えます。
・「暁の星」について
暁星は明けの明星と言い換えることができます。
明けの明星はすなわち、金星を指しています。
一般に、金星は愛や美を象徴する星です。
「百合の花」と「暁の星」は、愛を象徴している点で共通しており、第一夜の「自分」と女を結ぶ関係は愛であると読み取ることができるでしょう。
『夢十夜』第一夜は愛の物語であるとよく言われますが、二人の関係性についての詳細や、愛を語る台詞は登場しません。
しかし、このようなキーワードの意味を考えてみても、「自分」が女に対して愛という感情を抱いていることは間違いありません。
命の美しさを背景とした、幻想的な雰囲気の中で展開されていく二人の愛の夢——第一夜を一言でまとめるならば、このように言うことができるでしょう。
・夜の描写と色彩表現
『夢十夜』の10の夢は、それぞれ独立して無関係の話のように思われます。
しかし、いくつかの話の中で、繰り返し描写されるものがあります。
それは、以下のとおりです。
- 〈生と死〉に関する表現
- 夜の闇
- 印象的な色彩表現:赤色
第一夜の〈生と死〉については、既に説明していますので省略します。
第一夜では、死んだ女を埋葬する場面が印象的に描かれていますが、月の光や星の破片というキーワードから、時間軸は夜であろうと推測できます。
また、印象的な色彩表現として、赤色の表現に注目してみたいと思います。
女の唇の色は赤で表現され、女を百年待つ間に赤い日が何度も繰り返し登場します。
赤は血の色であり、ここでは人の命を象徴しているものと考えます。
これらの表現については、『夢十夜』第二夜以降の解説の中でも触れていきたいと思います。
『夢十夜』(第一夜)ー感想
・ハッピーエンドかバッドエンドか
『夢十夜』第一夜は、「自分」と女の死別が描かれた物語ですが、果たして二人の再会まで描かれているのかというと、この答えはよくわかりません。
死んだ女が百合の花に生まれ変わって男に逢いに来たと捉えると、ハッピーエンドのような気もしますが、真偽について本文中では一切触れられていません。
また仮に、百合の花が女の生まれ変わりであったとして、百年待った末に逢いに来た女が、長年待っていた元の女の姿ではなかった場合、これはバッドエンドのような気もします。
まさに、『夢十夜』第一夜の結末は、読者の想像にお任せしますと言われているようで、解釈も多岐に渡る作品であると言えるできるでしょう。
また、『夢十夜』の10の夢は、一見すると、それぞれが独立した作品のように感じられるとは既に述べました。
その10の夢の中でも、特に幻想的な印象の強い夢を第一夜として持ってきているところに、『夢十夜』をより幻想的な、夢らしい作品にしようとした作者の狙いが見えるような気もします。
結末をどのように捉えるかはさておき、繊細で美しい表現や、『夢十夜』という作品を代表する幻想的な雰囲気、これらは第一夜の魅力たるものであると思います。
以上、『夢十夜』第一夜のあらすじと考察と感想でした。