開高健『フィッシュ・オン』紹介
ベトナム戦争の取材を基にした「ベトナム戦記」や、「夏の闇」等で知られている開高健さんの作品です。
タイトル通り、釣り紀行作品で、開高さんの作家人生後半のものです。
この記事では、『フィッシュ・オン』のあらすじ、解説、感想までをまとめました。
『フィッシュ・オン』あらすじ
戦争取材との並行もあり、釣りができなかった国や漁期でないため,釣れなかったケースもあります。以下の10ケ国での釣り模様であり、順に紹介します。
- アラスカ、キングサーモン
- スウエーデン
- アイスランド、北極イワナ
- 西ドイツ、マス
- ナイジェリア
- フランス、パリ セーヌ川での釣り
- ギリシア
- エジプト
- タイ
- 仕上げに日本、イワナ
1.アラスカ:キングサーモン
巻頭にロダンの言葉「都会は石の墓場です。人の住む所ではありません」が載せられています。
私なりに「人は一人では生きて行けない。多くの人が住むには都会が便利であるが人間の原点は都会ではない、大自然である」と解釈しています。
その意味でアラスカは人の住む原点の一つでしょう。
狙いはキングサーモン、大きさは最大で40~50kgにもなり、強烈な引きで釣り人を魅了します。
場所はアラスカ半島の根のあたり、ブリストル湾の地区の村で、湖から流れ出しているナクネク川、川幅は300mもある荒野の川です。
総戸数が20戸程度、教会も店も宿泊施設も各1戸という程度です。アラスカは、幹線道路はあるも細かな支線道路はなく、この村に行くには小型飛行機か船しかありません。
木造の古い木賃宿ともいえるような建物、それでも寒冷地であるから暖房だけは効いています。
ここでの釣りは、腰まであるゴム長を履いて、冷たい川の中で終日竿を振ります。
釣場の保護の制度が厳しく、ルアーの鉤は1本のみです。川水も冷たく、釣り人は時々岸に上がりウヰスキーで体を温めます。
ボートで流れながら釣る方が有利ですが、開高さんのポリシーで岸からの釣りで狙っています。
ガイドと3人、ルアーも色々と変えて竿を振るのですが、1日目は全員アタリなし。大物のマスが見えたので、ルアーをマス用に変えますが見向きもしてくれません。
こんな日は、一度に疲れが出るもので、早く帰ってシャワーでも浴びて酒でも飲んで、となるのでしょう。
翌日は、マスの見えた場所で非常時の釣り方、餌釣りで65cmのマスをしとめます。そして、逃がし方をガイドに教わり放流します。
ポイントは、魚が力を取り戻すまで支えること、エラを強く押さえては駄目、とのことです。
この後、開高さんの竿に突然大きな引きが来ます。竿が水面に着きそうになる、リールがきしむ、糸が走ります。
残念ながら秋元カメラマンとは距離があり、気づきません。孤軍奮闘する中で、近くの若者が手鉤で取り込んでくれました。
84cm.9kgのキングサーモンです。
この日は何が良かったのか、開高さんにさらに2度アタリが来ます。残念ながら取り込めなかったのですが、その後サーモン釣りは全く初心者の秋元カメラマンに、大物の当たりが来ます。
手におえず「変わってくれ」と依頼されますが、掛けた本人が最後までやり遂げるのが釣り師のルールです。最後の最後、網に入れるのに失敗し逃がしますが、ガイドによれば11kgだろうとのことです。
夕方、レアの大盛ステーキで祝杯を挙げていると、2人の子連れの父が話しかけてきます。
秋元氏に向かい、大物を逃した残念と、それ迄の闘い方に敬意を表します。子供達もそれをじっと聞いています。
開高さんの釣ったサーモンは、ガイドの上司に進呈して、この後スモークして全員に振舞われ、宴会になるようです。
開高さんの釣りには、本も持参しています。鳥獣虫魚や、シャーロックホームズなど、いわば子供が夢中になれる本が多いようです。
ここでは、合間に読んだ本の中で、レイチェル.カーソンの「沈黙の春」を挙げています。
この本は、残留化学農薬の危険性を世界で初めて訴えた本で、1.962年に出版されています。
アメリカ、日本に限らず、人間の欲望や無関心で多くの植物、動物を死に追いやっていますが、この当時、約半世紀前に、人間にも害が及ぶ新たな危険性に気づき、それに警告を発する人がいました。
2.スウエーデン
スウエーデンにアブ社という世界的な釣り具メーカーがあります。
日本でも愛用者は多い筈ですが、丈夫、長持ち、高性能,そのせいか価格は高目だが使ってみれば納得するという製品です。
開高さんも愛用しており、東京及びアンカレッジから工場の見学も含め取材を依頼します。
首尾よく受け入れられ、南部にあるアブ社の社有地にある別荘に招かれます。
王室の利用もあるVIP用の別荘で、数日間を過ごします。付近は森で,釣り専用の川はすぐ下、製品テストの意味もあり本社、工場、バルト海もすぐ近くです。
ここでは釣りも食も環境も良く、ゆったりと交流できました。
3.アイスランド
アイスランドは元デンマークの植民地でした。
1944年、デンマークがナチス、ドイツの占領地になった時に独立しています。人口約20万人、火と氷の国とも言われており、国土の大半は荒れ地です。
国の収入源は海産物の売り上げと、軍事基地の賃貸収入です。当時のソビエトに海産物を輸出し軍事基地はアメリカに貸してバランスを取り、生き永らえています。
その厳しい自然条件のなか、荒れ地の中を流れる川の入漁料は貴重な外貨獲得手段でしょう。
すぐ近くの農家が釣り場を管理していますが、釣場を長らく安全に管理するためか、規則は非常に厳しいものになっています。
特定の国で使用した竿は消毒をしないと使用できず、漁の許可が得られません。
ここでの狙いはアトランチィック.サーモンです。
バンガローに泊まり釣りを開始しますが、まだ可憐ともいえる少女が世話をしてくれます。
釣り場は2Kmの間が8区画に分かれており、許可証に区画の指定と時刻の指定が記述されています。
どうも、すべての釣り師の条件を同じにするための配慮のようであり、これには驚かされます。
2年物の小型ですが、首尾よく狙いのアトランチィック.サーモンを釣り写真に収め放流します。
新たに地元の漁船員2人が来ました。トロール漁船の漁が終われば毎年来ているとのことで、2人とも大酒飲みです。
「釣り師と話をする時は、両腕を縛っておけ」といいますが、双方譲らず、たまらずに隙を見て逃げ出します。
少女の英語のボキャブラリーは10語ほどしかなく、「ミミズ」他です。
毎回ミミズの心配をしてくれるので、原則を破りミミズでマスを狙います。秋元カメラマンと二人、まずまずのサイズの物を釣り写真も撮り、放流します。
宿に帰ると、大酒飲みの2人の姿が見えません。
少女に「キャプテン」と尋ねると、しばらく考えた後「ドリンク」と返ってきました。宿に見当たらなかったから尋ねたのですが、どこかで大声で話しながら飲んでいるのでしょう。
4.西ドイツ
(この当時、ドイツは東西に分かれていました)ビアフラの内紛取材の前に、西ドイツに立ち寄っています。
場所はオーストリアとの国境周辺、チロルの近くの高原です。
開高さんは前年も釣りに訪れていますが,川幅3m程度の小川で秋元カメラマンが思わず「ここで釣る?」というほど長閑な場所です。
川が小さく曲がっておりルアーでは釣りにくい為、非常手段でイクラを餌にします。
秋元カメラマンに皮肉られながらポイントを解説し、撮影の準備を指示します。
首尾よく釣れたマスは、残念ながら確保サイズに1cm足らない25cm、放流します。
釣りと放流を繰り返し、疲れて木陰で休息です。浅瀬で冷やした葡萄酒を飲みながら、二人で美食談義です。
牧草に寝そべり、飲んだり喋ったりしてひと時を過ごします。帰り際に残った3粒のイクラを秋元氏に渡すと、夕食のご馳走にもなる30cm前後のマス2匹を釣ってきました。
この夜、ふとしたきっかけで女性物下着会社「トリンプ」の副社長と出会います。
この人も釣りキチですが、飲みながら、時に真面目に、時に不真面目に話をしているうちに気に入られ、彼の所有する湖での釣りをロッジ、ボート、使用人含めて許可されます。
日暮れまでの2時間ほどの合間を見て、トローリングでのパイク釣りを勧められます。
この釣り方は開高さんからすれば「非常手段」ですが、そこは招待された者の礼儀でしょうか。
秋元カメラマンが1匹のパイクを吊り上げ夕食のご馳走になります。
翌日は二人だけ、湖を貸し切り状態で釣りを楽しみます。
朝から風と雨がありましたが、釣果もありました。何より今後は、ベトナムやナイジェリア、中東等厳しい地域が待っています。
「揚げヒバリはうたい、神は空にしろしめし、世はなべてこともなし」とブラウニングの詩が浮かびます。
5.ナイジェリア
ビアフラの内戦の状況取材が主目的ですが、紛争地へのビサが入手できません。
救援機が政府軍により撃墜されたこともあり、見通しは立ちません。ビアフラの内戦は2年を過ぎて続いており、軍事的には優勢な政府軍側も含めて、飢餓や貧困が大きな課題です。
ビサを待つ間に釣りをすることになり、現地駐在の日本人商社マンの情報を得てバラクーダや、タイなどを狙うことにします。
1日ボートを借りてラゴス湾で、ルアーや餌での流し釣りに挑みますが、突然にエンジンが停止しました。
沖へ流されたのですが、かろうじて他の舟に救出されました。若い船頭は、自分の首切りを確信してうなだれています。
妻子持ちの身で、しかもこの国で新しい職を得るのは困難でしょう。
6.フランス.パリ
ビアフラ内戦の取材のため、開高さんなじみのパリにいます。
ナイジェリアに入国するのは、イタリアかスイスのビサが必要でしたが、それは取得できませんでした。
そんな中、なんとか釣りに行くべく情報を集めます。エッフェル塔近くの水族館は貧弱過ぎて問題になりません。
フランスの釣りでは、ノーザン.パイクが狙い目ですが、漁期やポイントまでの距離の関係で諦めざるを得ませんでした。
市内のセーヌ川の釣りで、憂さを晴らそうということになりました。
釣り場所はセーヌ川の真ん中に設けられている、区割りの筏のような場所です。トイレは無く、近くに管理人がおりアルコールでも餌でもすぐに間に合います。
でも朝から晩まで粘って2人で釣れたのは小魚4匹、小さすぎてカメラにも入りきりません。
開高さんは前年に、「5月革命」の取材で訪れていますが、その時との落差に驚いています。
僅か1年前にはセーヌ川左岸一体でデモが繰り返され、デモ隊の叫び声や機動警官隊との衝突、こん棒、催涙弾の響き等が全く無くなっていたのです。5月革命、大学改革は何だったのかと、地元の人達に尋ねます。
答えは、「弾圧されたから消えた」、「フランス人は熱し易く冷め易い」、「フランス人は永遠に不満を持つ」、「景気の問題」等でした。
7.ギリシア
開高さんには2度目のギリシアです。
中東紛争取材のためカイロに行く途中に寄っています。ギリシアの厳しい状況を素直に吐露しています。
エーゲ海巡りに出ますが、エーゲ海の青さには感動しています。でもその他は、疑問、嘆きです。
まず、木が殆ど無い、気候のせいもあるだろうが,元は木が生い茂っていたはず、という思いがあります。
雨が少なく、夏は酷暑であり、農業で生きてゆくのも難しい状況です。
バカンスの季節にパリに残っているのはギリシア人が多い、ギリシアでは暮らせないという厳しい現実があります。
果ては、ギリシア彫刻での男の力強さ、女の美しさと今のギリシア人の落差を嘆きます。
8.エジプト
中東紛争の取材が主目的でしたが、取材も釣りもできませんでした。
カイロは汚い町、言論の自由はなく、外国人記者の原稿は検閲がある、ナイル川で釣りをしようとしても警官の同行が条件です。(勿論当時の話です。)
9.タイ、バンコック
バンコックでの主目的は、戦争取材のためにベトナム、サイゴンに入国することでした。
しかし、ビサの取得等が上手くゆかず入国は叶いませんでした。
タイトなスケジュールですが、動物園の池の大ナマズからロシアの大ナマズの話になります。
ロシアのナマズは環境が良いせいか、体長が2~3mにもなるといわれます。
釣り方は、アヒルに大きな鉤を背掛けにし、道糸はロープを用います。ナマズがアヒルを一飲みにすると、ロープを木に巻き付けてナマズが弱るのをじっと待つそうです。
サイゴン行きも睨みながら、釣り情報を集めますが、どうしても集まりません。
理由は、この国には職業漁師が存在しないことです。加えて、この国の仏教の教えが関係しているかもしれません。
雨季には農地が広範囲に浸水し、魚も散らばり、小魚でよければ誰でも、何処でも採れるから職業漁師は不要らしいです。
水産試験場の職員でも、釣りをしないのでポイントは知りません。
職員から現地駐在の日本人海外技術協力官、さらにそこから元王族で、真珠養殖や、材木、熱帯魚を日本向けに出荷している人物を紹介してもらいます。そして氏が所有するアンダマン海の島の別荘を拠点に、釣りを楽しみます。
タイを始め多くの魚が釣れるのですが、国による事情の違いもあります。地元の人から見れば、日本人釣師開高さんは馬鹿だという見方になります。
竿など無くても釣れるのに竿を使う、高い金を使ってモーターボートを借りながら釣った魚を逃がす、という点です。開高さんは素直に獲物を漁師にプレゼントする事にします。
多分、開高流の釣りのポリシーを説明しても、理解してもらうには時間がかかりすぎるからでしょう。
氏は元王族と言うだけでなく、博学であり開高さんも日頃の疑問点を投げかけます。
タイは、アジアでは日本と共に西洋の植民地化を避けられた国です。
本格的な戦争もせずに植民地化を回避した知恵、外交術等を知りたくてあれこれとやり取りしますが、肝心な点は語られません。
氏の回答としてタイの諺を貰います。
曰く「毒蛇は急がない」、双方とも説明はありませんが、私見です。「大国も、侵略者も相手が弱ければ一飲みにする、でも手ごわい相手であれば、じっくりねちねちとかかる、決して諦めない」という事だと解釈しています。
今のロシアのウクライナ侵略を見れば尚のこと、そう思います。
10.日本
釣り紀行の最後は日本、というのは当初からの予定であったようです。
新潟県の銀山平、銀山湖と言えば渓流釣り、イワナを目指す人には聖地の一つでしょう。
奥只見ダムのダム湖であり、水量は今でも日本有数のはずです。イワナは川の最上流部に住む魚ですが、水量が豊かなダム湖は餌も多い事からか、魚体も大きくなります。
数軒ある宿の内、開高さんがよく利用する杉村小屋には60cm65cmの魚拓が幾つかあります。通常は大きいもので30㎝程度ですから,そのすごさが分かります。
開高さんはバンコックで転落し骨折したのですが、治癒迄には4ケ月はかかる,釣り紀行の仕上げもしなければならない。
釣りもできる、落ち着いて執筆も出来る、誰でも行けるところということでこの場所になっています。
銀山平はこの当時、まだ電気もなく、ガス、水道もない。
食料は街まで買い出しに行かねばならないが、1年の半分は雪で覆われている。
その環境が気に入り、夏の間執筆をしようと決心しました。この時に書きたいものが2題あり,おぼろげながら輪郭が見えていました。余分なものを排して、ここで形にしたいと思ったのだが、残念ながらここでも全く進みません。
釣りは好調、ルアーの操作の一つの形を習得したのか、狙い通りの操作で立て続けにイワナを釣ります。
秋元カメラマンが、この作品に60cm強のイワナの写真を載せるのだといって、駆けつけてくれたのですが、残念ながら大物は釣れませんでした。雪が解けると、日本人釣り客が押し寄せてきますが、とたんにゴミが散乱する様を嘆いています。
『フィッシュ・オン』解説
開高さんは子供の頃から釣りに親しんでいたようです。
戦前戦中の貧しい時代でしたから、小川での鮒釣りや川遊び程度のものでしょう。
このような体験は、当時の少年には共通であったと思います。
作家になってから釣りを再開した理由を、この本の後記に述べています。
最大の理由は体力面、健康の面。作家の常として、運動無し、酒たばこ愛用なので体に良い筈がありません。
もう一つは、開高さんの遅筆と息抜き、リセット方法です。行き詰まると海外旅行や釣りなどで息抜きをして、充電を繰り返していたようです。
生涯で訪れた国は50ケ国を越えているはずです。
そんな中、ルアー釣りを西ドイツの釣具店主から教わります。
釣りキチは世界中に存在しますので、国内も含め旅行をしていれば必ず出会うものでしょう。
何事も突き詰める性格の人ですから、始めたらすぐに本格化します。やがて仕事になり、範囲は日本を越えて最後には、南北アメリカを釣りながら縦断するところまで拡大します。
開高さんは繊細で神経質、かつ人見知りで、特に初対面の人との付き合いは苦手だったらしいです。
でも、この作品でも随分多くの人と交流しています。
釣りの情報を得るのに現地の人と交渉し、文学論や人生論まで含めて知識人とのやり取りで気に入られて、厚遇を得る場面が多くあります。
これは、少年時代からの貧困生活や学生結婚、その後のサントリーでのサラリーマン生活の経験、何より徹底した現場主義と知的好奇心の結果でしょう。
サントリー退社後も、佐治社長との付き合いは有名で、別の釣り紀行ではスポットでのスポンサーになってもらっています。
この釣り紀行文は、約半世紀前.1.970年頃の状況であり、その後かなり事情が変わっていることがあります。
例えば、当時ドイツは東西に分かれていました、パリの街やセーヌ川は非常に汚く描かれていますが、私が昨年末に訪れた体験ではそれ程ひどくありませんでした。
セーヌ川河畔で立小便をしている人はおらず、猫や犬の死骸も流れていませんでした。水の色は開高さんが描いた通り汚い色でした。読む前に役に立ちそうな予備知識を、以下に挙げておきます。
- この半世紀で変わっていること
- 戦争、紛争について
- .釣りの豆知識
1.この半世紀で変わっていること
西ドイツ;当時は東西ドイツに分かれていましたが、ソビエト連邦の崩壊によりドイツは一つの国になっています。
2.戦争、紛争について
ベトナム戦争
先の戦争で日本が敗北すると、北ベトナムは独立を宣言します。
しかし旧宗主国フランスは再び植民地化を目論み戦争になり、ベトナム側が勝利します。
共産圏の増加を嫌うアメリカはフランスに変わり、南ベトナムを支援し南北間の戦争になります。
アメリカは北爆等大掛かりな作戦を展開しましたが、最終的には北側の勝利に終わりました。
戦争はアメリカが介入を開始した1961年から、北側の勝利に終わる1975年まで続きました。
中東戦争
1948年から1970年代にかけて、中東のアラビア半島からエジプトにかけての地域で起こった計4回の武力衝突で、関係国はイスラム諸国とイスラエルです。
パレスチナ地域はイスラム教徒にもユダヤ教徒にも、聖地エルサレムがある事より、不可分の領土でありいまだに解決していません。
軍事面で優勢なイスラエルが主導権を握り、それにパレスチナ側が反発する構図が続いています。
ビアフラ内戦
1.967年~1.970年の間のナイジェリアでの内戦。
イボ人を主体とした東部州が、ビアフラ共和国として分離.独立を宣言した事より内戦となった。
ナイジェリア全体が貧しい国であり、内戦により食料や物資の供給が止まり、飢餓が国際的な問題になった。最終、ビアフラ側が無条件降伏した。
5月革命
1.968年5月、フランスのパリを中心に発生した反体制運動。
学生運動が労働運動と結びつき、ゼネストにまで発展し社会危機となった。
議会解散総選挙で与党が圧勝し収拾。取り締まりが強化され、勢力が弱体化したドゴールが引退。
3.釣りの豆知識
釣り方あれこれ
餌釣り;ミミズ、エビ、子魚等、狙う魚の食性に応じて餌を選ぶ。
疑似餌;生餌以外、餌に似せて木や金属、プラスチック、鳥の羽根、糸等で作る。日本ではアユの毛針(虫に似せている)等、ルアーは魚が飛びつきそうな形のものが無数にある。
その他:開高さんは釣りを「スポーツ、魚との勝負」と、とらえているようで生餌で釣りは原則封印、ルアーで釣ります。
場所にもよるのですが、川では狙ったポイントに正確に打ち込む事、ルアーを巻くスピード、誘い方他、腕により釣果に差が出ます。
開高さんは、日本でのルアー釣りと、キャッチアンドリリースの先駆者と言われます。
釣りの規則
各国で異なりますが、日本は比較的緩いようです。半世紀前から殆んど変わってないようですが、川での規則です。
殆どの河川に漁業協同組合があり、漁には許可と入漁料が必要です。
その他漁業規則がありますが、外国に比べ非常に緩く感じます。
四国の山村の川の例ですが、金突き使用禁止、アユなどの漁期の定め程度です。河川の基礎的条件の差が大きいのかと思います。
この本の中で、レイチェル.カーソンの沈黙の春という本が出てきます。
世界に残留農薬の危険性を警告した最初の本と言われています。この作品が書かれた時代から既に公害が問題になっていました。
開高さんの作品では他にも、乱開発等に疑問を投げかける場面が多くられます。
オーパではアマゾン流域の開発について、別の本では「水俣病について「その会社があと少し注意し溢水防止策を講じておれば防げた」との記述があったと記憶しています。徹底した現場主義の開高さんたる所以でしょう。
釣りキチは、世界中に存在するようです。
この本を読んだ、ブラジルの日系人からの招待で、アマゾン川水系での釣りが「オーパ」として作品になっています。
ベトナム戦争取材の最後の方では、釣り竿を持参して、地元民に歓迎されたと言います。釣りは人間の本能でもあるのでしょう。
『フィッシュ・オン』概要
内容 | 釣り紀行 | 運動不足解消、筆の進まない時の息抜きの釣りが、いつの間にか作品になる。 |
主人公 | 開高健 | 持前の好奇心で、釣りだけでなく、世界の釣りキチや酔っぱらい、VIP との交流を楽しむ。 |
随行員 | 秋元カメラマン | ベトナム戦争取材時からの腕利きの戦友 |
提供 | 週刊朝日 | 体験型アウトドアのレポートで新分野の開拓を目指す |
舞台 | 日本含め10ケ国 | アラスカでのキング.サーモンから古都パリ、他世界中に展開、VIPの招待からエンジンの故障であわや遭難の事態も |
『フィッシュ・オン』感想
開高さんの釣り作品は数多くあります。
「私の釣魚大全」「フィッシュ.オン」そして「オーパ」と続き、オーパの続編「オーパ、オーパ」では世界中に飛び出しています。
これは私の推測ですが、釣魚大全は筆が進まない時に息抜きに出かけた時の経験談が中心、フィッシュ・オン以降は週刊誌とのタイアップになっています。
勿論釣り師、開高さんの意見は尊重されているようですが、どうしても読者狙いで大物や珍しい魚、大都会ニューヨークでの釣り等、読者の興味が優先されるでしょう。
この時期、1970年頃は開高さんが30歳代後半、まだベトナム戦争が続いており、その他の紛争も取材をしていた多忙な時期です。
ベトナム戦争取材時の関連会社からの依頼ですから、当然開高さんで新分野を展開する狙いがあったでしょう。
それは、釣りの面白さ、大自然の情景だけでなくそれに付帯して、作家なりのプラスアルファを期待していると思います。
この作品での、元タイ王室末裔とのやり取り、自然破壊の前兆への気づき、巻頭に書かれているロダンの言葉「都会は石の墓場です。人の住むとことではありません。」等にその気配や、開高流を感じます。
人が釣りをする理由は割合単純です。
これは昔も今も変らないと思いますが、一番に魚が釣れると面白い、魚とのやり取りが好き、ストレスの解消、海、自然と遊ぶのが好きといった辺りでしょう。
ストレス解消について、この作品で興味ある部分がありました。
アラスカ編ですがウォルトン卿の言葉「おだやかになることを学べ」を引用している辺りです。
「本人の皮膚を剥いでみると―省略、焦燥と倦怠がかわるがわる明滅して、煮えたみたいになっているのである。―省略、釣りとは関係のない妄想の類がわらわらとこみ上げ―省略、メデューサの蛇のようになっている。釣りをしている間に私の心に浮沈した言葉や情念を絵にしたら、思わず目をそむけたくなるだろう。」
繊細で神経質、多忙で遅筆の作家とサラリーマンでは事情が異なりますが、釣りの最中に考えることは同じなのだと感じました。
日頃の上司への不満、現場の事情の無理解や己のことしか考えていない上司への怒り、何時までも成長せず同じミスを繰り返す部下への嘆き等、その他自分でもよくわかりませんが、多分まともなことは考えていません。
でも、舟釣りならば波の音や風、船の揺れ、暑い日差し等のため深くは考えられず、諸々の汚い言葉やイライラは、そのまま波間に消えてしまいます。釣れなくても良く、釣れるとなお良いものです。
夜は昼間の疲れでぐっすり眠れます。酒のストレス解消効果はその場限りですが、釣りの効果は私の場合1週間は続きました。
開高さんも、子供の頃から釣りには親しんでいたようです。
私は開高さんの約20年後の生まれですが、唱歌「故郷」の情景が残っていた時期であり、子供は大抵の者が釣り好きでした。
だから健康と運動のため解禁すると、「現場主義」の開高さんはたちまち本格的にのめり込んでしまいます。
ただ、キングサーモンは釣師の夢としても、最大級の淡水魚ピラルクや、イワシのお化けのようなターポンまで拡大すると、これは楽しみよりも「苦役」の面も出てきます。
30歳代後半だからできた事でしょうが、一般人にはとても無理です。
出来ることなら、ドイツやスウエーデンでの釣りのように冷暖部完備のロッジ、個人所有の湖等でゆったりと、と思いますが、開高さんのような知識や交渉術はありません。
また、大物を釣り上げるだけでなく、それを言葉と文章で表し読者に感動を与えなければならないのですから、二重に苦役でしょう。
勿論それを承知で、全力を尽くし、全力で釣り、全力で楽しんだ、そして文章を組み立てるのに苦しんだのだと思います。
開高さんが58歳と若くして亡くなったのも、そんな性格、生活が影響していると思います。
最後に、日本を含め10ケ国での釣り情報を受けての感想です。
釣りキチはどの国にも存在する、人間には休息が必要、時に原点に帰ることも必要。
学んでおれば、世界中の人とある程度は分かり合える。どの国も人間が自然破壊の元凶である。
釣りはある意味人間の原点、それぞれの国情により安心して釣りができない国も多い。
世界中の人が安心安全で、自然と調和しゆったりと平和に暮らせる時期は、はるかに遠い。
釣り友はいつの間にか多くの者が消え、また体を壊してリタイアしました。
私も老化のせいか、病気のせいか「アームチェア.フィッシャーマン」になりました。
それでも、読み応えのある多くの釣り紀行作品を残してくれた開高さんに感謝です。
開高健の作品分野の変遷
開高さんの作品分野の変遷を見ると、初期は芥川賞受賞作「裸の王様」のように、組織と人間、組織や社会の矛盾を描いた作品が中心です。
中期はベトナム戦争の取材を基にした「夏の闇」等戦争と人間に関する作品、そして後期が釣り紀行作品、その他食、酒、街等に関するエッセイになります。
変遷の要因としては、開高さんの繊細な性格、知的好奇心、中学生の時に父を亡くして以降の貧困生活、戦時体験、学生結婚の苦労やサラリーマンと作家の2足の草鞋他の強烈な人生経験があるでしょう。
徹底的に現場で取材し、真実を求める「リアリズム」は終生不変であったと思います。
真実を求める姿勢が小説から、戦争の最前線での取材になった。
戦争の取材の中で人間の多様な面を学び、感じ取りエッセイに軸足が移っていった。
「成熟」と捉えても良いと思います。
別の作品では、家族に向けて「戦争取材はもう止める」と宣言する場面があります。
勿論家族のこともある、体力面もある、戦争のレポートを書いても人が、指導者や国が変わらなければ戦争は無くならない。
開高さんはベトナム戦争取材の後期には、釣り竿を持参しています。
それを地元の人に大いに歓迎されたといいますが、そんな経験も関係しているように感じます。
この作品も、戦地の取材と釣りの両面が仕事になっています。
釣り紀行作品には時代の要請もあったようです。
週刊誌からの依頼で、釣り紀行の仕事が増えてきます。
最初、内容は指定、軌道に乗ってからは、お任せになります。このフィッシュ・オンは「私の釣魚大全」に続く釣り紀行作品で、最後の日本を含め10ケ国での釣りが描かれています。
割愛されていますが、中東、ナイジェリア,ベトナムの戦争、紛争取材と並行しているのは、行動派の開高さんらしいでしょう。
釣りにもいろんな釣り方、各人のポリシーがあります。
大物釣りを目指す人、数を目指す人他様々です。
開高さんのポリシーは、漁ではなく勝負、が基本です。そのため、餌釣りは原則不可、ルアー等で狙う。
原則キャッチアンドリリースです。
同じ魚でも、国や川の環境により差があります。
自然保護の考え方も国により違います。アラスカの川で釣れるキングサーモンは最大で50kgにもなるようですが、日本のサケは最大で10kg迄でしょう。
風や陽光の中で釣り糸を垂れて鳥の声を聴くのも良いし、大物を狙うのも良いでしょう。
また、大物がかった瞬間の興奮、一日中冷たい川の中で竿を振り空振りに終わる辛さ等も味わえます。
また、この作品がブラジルの読者を刺激して、ブラジルへの招待が実現し、オーパ、さらにオーパ、オーパと世界中での釣りに拡大します。
以上、開高健『フィッシュ・オン』のあらすじ、解説、感想でした。