『玩具』の紹介
『玩具』は太宰治の書いた短編で、短編集『晩年』の中に収録がされている作品です。
本作の執筆は1933-34年のことで、太宰は当時24.5歳でした。発表は翌年の1935年に発表されました。
太宰にとって、24歳-26歳の年は、まさに波乱万丈の3年間でした。
人生に葛藤しながらも、多くの作品が生まれた3年間でもありましたが、ほかの『晩年』収録作品同様、自分の書く「小説」の在り方に迷いを持っていた時期でもありました。
今回ご紹介する作品も、そんな迷いが見える文章をしています。
この記事ではそんな『玩具』について解説・考察を行います。
『玩具』ーあらすじ(概要)
どうにかなると思いながら、どうにもならなくなってしまう場合もある「私」についてのどうにもならなくなった場合の状況説明から話が始まります。
どうにもならなくなった場合、東京から200里も離れた生家に静かに入ると、「私」が幽霊ではないと両親に察しつかれたとたんに父親は憤怒の鬼と化し、母親は泣き伏します。
そんな対応をされても「私」は不可解な微笑をするしかありません。
今年の夏も300円を得るため生家に行きます。生家に50円と現金がないことはわかってますが、土蔵に多くのお宝が隠されていることを知っているため、それを盗みに行くのです。
「私」はすでに3度盗みをしており、今回で4度目の盗みでした。
ここまでの文章には私はゆるがぬ自負を持つ。困ったのは、ここからの私の姿勢である。
太宰治『晩年』(玩具)新潮文庫
上記の文章がはいってきたことで、この冒頭の物語は「私」によって書かれた作品なのである、ということがわかります。
「私」は今、本作『玩具』を執筆している、という証明をします。
「私」は題目の小説に於いて、姿勢の完璧を示そうか、情念の模範を示そうか悩みます。
けれども、抽象的なものの言いかたを能う限り、果しがつかないためぎりぎりにつつしまなければいけません。
一こと理窟を言いだしたら最後、あとからあとから、まだまだと前言を追いかけていって、とうとう千万言の註釈に。
そうすると自責ばかりが残って、糞甕に落ちて溺死したいという発作にかられます。
「私」はこんな小説を書こうと思っています。
「私」という1人の男がなんでもない方法により、自分の1-3歳の間の記憶をよみがえらせます。
「私」はこの時の思い出を語りますが、必ずしも怪奇小説ではありません。
赤ちゃんの難解さに面白さを覚え、それを「私」は原稿に落とし込もうとしました。
だからある一人の男が1歳、2歳、3歳の時の思い出をだらだらと語ればそれでよいのです。
ただ執筆にあたり、姿勢の完璧を示そうか、情念の模範を示そうか、という問題がすでに起っています。
姿勢の完璧とは、手管(話の進め方)のことです。手管というのは、ひとりの作家の真摯な精進の対象であります。
「私」もまた、そのような手管は手法としていやとは思わず、この赤児の思い出話にひとつ巧みな手管を用いようと企てました。
ここで、「私」のウソが崩れそうになってきているので、「私」は自分の態度をはっきりさせる必要が出てきました。
「私」は、はじめに少し書きかけて置いた、ひとりの男が、どうしておのれの三歳二歳一歳のときの記憶を取り戻そうと思いたったか、どうして記憶を取り戻し得たか、その記憶を取り戻したばかりに男はどんな目に逢ったかというシナリオのすべて用意していました。
それらを赤児の思い出話のあとさきに附け加えて、そうして姿勢の完璧と、情念の模範と、二つながら兼ね具えた物語を創作するつもりでいました。
ただ、「私」はつもりではいたものの書きたくないのです。
そして、「私」の赤子のときの思い出だけでも良いのであれば書こう、と「私」の赤子の時の話をはじめます。
まず、「私」が生まれて初めて地べたに立った時の記憶を数行にわたって記載してくれましたが、これは全てうそで、ただ雨後の青空にかかっていたひとすじのほのかな虹を覚えているだけでした。
二つの時の冬、遠くを流れる水の音のみが聞こえますが、耳が聞こえなくなってしまいました。やがて目も痛み出し、色も変わりだしました。奇態なものがたくさん見えましたが、まるで「帝王」の喜びを感じていました。このときの経験を「いちど狂った」としています。
同じようなことは2度あり、「私」は時々玩具と会話しました。
「私」は、枕元のだるまに、「だるま、寒くないか。」と質問し、だるまは「寒くない。」と答えます。私はかさねても尋ねました。傍に寝ている誰かが私たち(私とだるま)を見て「この子はだるまがお好きなようだ。いつまでも黙ってだるまを見ている。」と笑います。
こうして「私」は誰にも知られずに狂っていき、誰にも知られることなくその狂いは治っていきました。
その経験よりもまだ小さかった時のこと、赤い馬と黒い馬に力を感じたので、「私」を放置しているという無礼に対し、不満を抱く余裕すらもありませんでした。
「私」の祖母が死んだのは、「私」が生後八カ月目のころのことでした。このときの思い出だけは、霞が三角形の裂け目を作って、そこから白昼の透明な空がだいじな肌を覗かせているようにそんな案配に記憶がはっきりしています。
当時「私」は祖母に抱かれていましたが、「あなや」と叫んで「私」を畳のうえに投げ飛ばしました。
ころげ落ちながら「私」は祖母の顔を見つめていましたが、祖母は下顎をはげしくふるわせ、二度も三度も真白い歯を打ち鳴らし、やがてころりと仰向きに寝ころがりました。こうして祖母はなくなりました。
いまもなお「私」の耳朶をくすぐる祖母の子守歌があります。
「狐の嫁入り、婿さん居ない。」その余の言葉はないほうがよかったかもしれません。
(未完)
『玩具』―概要
主人公 | 私(おそらく太宰) |
重要人物 | 特になし |
主な舞台 | 特になし |
時代背景 | 不明 |
作者 | 太宰治 |
『玩具』―解説(考察)
本作をメタフィクションと扱っていいのか?
同時期に描かれたほかの作品と同じように、本作品も『玩具』という作品を書いている「私」の主観が入り混じる構図、というものになっています。
「私」はこう書こうとした、「私」は現時点の原稿でこう感じている、といった筆者の主観が入る、こういった表現の手法は「メタフィクション」と呼ばれることが多いです。意味は以下の通りです。
メタフィクション(Metafiction)とは、フィクションについてのフィクション、小説というジャンル自体に言及・批評するような小説のこと(出典:フリー百科事典)
1回目を読んだときには「これは太宰のメタフィクション的な作品の1つだ」と位置づけ、考察をしようと考えたのですが、繰り返し目を通すうちに、本作を“メタ”と定義づけるのに違和感を抱きました。
そこでここでは『玩具』をメタフィクションとして扱ってよいのか、という観点で考察しようと思います。
結論からお伝えをすると、私はこの物語を読んで、本作を「メタフィクション」と定義づけるべきではないと考えています。
この定義づけのポイントになるのは、そもそも『玩具』という作品がフィクションとして成立しているとみてよいのか?という観点なのではないかと考えます。
冒頭から作品を見ていきましょう。
冒頭の「どうにかなる~私を信じなさい」までの文章は確実に『玩具』という題名のついた作品の文章ととらえられます。
その次の文に「私は今こんな小説を書こうと思っている(太宰治『晩年』(玩具)新潮文庫)」と続いているためです。
けれど、その先の文章はどうでしょうか。
小説のその先は、「私」というあるひとりの男が1-3歳の記憶をを蘇らし…と、先のあらすじを物語として書くのではなく、筆者の「私」の言葉で簡潔にまとめています。これは冒頭の作品の続きを実際に書いている、とはとらえにくいです。
しかも、その先のストーリーのすべてを自分なりに用意ができている状態であり、姿勢の完璧と情念の模範の2つを兼ね備えた小説に仕上げるつもりだった、と小説の裏話が付け加えられています。
そのうえで「私」はこの小説を“フィクション”として書きつづけることを放棄しています。
私は書きたくないのである。(太宰治『晩年』(玩具)新潮文庫)
ただ上記の言葉の後も、『玩具』の文章は続きます。
書こうか。私の赤児のときの思い出だけでもよいのなら(太宰治『晩年』(玩具)新潮文庫)
ここからは「私」の赤児の時の思い出を綴っています。
この「私」の赤児の記憶は実際に『玩具』の作品の題材としてのアイディアをそのまま原稿に落とし込んでみたもの、ととらえました。
冒頭のストーリーの続きではなく、頭の中で考えていたネタを原稿に書いてみた、という感じでしょうか。
つまり、この後半のストーリーは、「私」がもともと盛り込もうとした手管も入れずにアイディアのみを落とし込んだものであり、フィクションの作品として成立されてないと感じます。
本作は太宰の随筆(エッセー)
とすると、この『玩具』という作品はどう捉えればよいのでしょうか。
私は、本作は太宰の随筆(エッセー)であると捉えられると思います。
本作の流れを簡潔にしてみてみると下記のような構成になっていると感じます。
- とりあえず書けたフィクション作品の冒頭内容の記載
- 実際こんなことを書こうとしている、という太宰のつぶやき
- 書こうとした作品の構想メモ
- でも書きたくない、という感情の吐露
- 書く気力は失せたが、作品の続き要素の1部(赤児の思い出)を綴ろうという決心
- 赤児の思い出(続きのネタ)
最後、「未完」となっているのはこのように本作に小説としての要素を入れきることができず、小説として完成されていない状態だ、と太宰が判断したからではないかと考えます。
以上の考察より、『玩具』はメタフィクションとしての位置づけではなく、太宰自身が物語を執筆する際のネタやその時に感じたことを思うがままに綴った随筆、とみていいのではないかと考えました。
『玩具』―感想
『晩年』に収録がされている短編集は太宰の主観や小説に対する考え方、気持ちの吐露が原稿に書かれていることが多いです。
そんな作品の中で、自分で1つの小説を書きながら、その小説に対して突っ込みを入れるスタイル、小説の文脈を書こうとした時に「自分はこんな感覚でこれを書いた」と原稿に書き込むスタイル、などなど太宰の登場の仕方は多様にあります。
今回の作品も1度読んだときにはほかの収録の作品と同じメタフィクションの手法かと思いましたが、今回は読んでみて1つのフィクションとしてのストーリーが本作で完成してないところから、「メタ」というには違和感があったため、上記のように考察しました。
このころの太宰は“小説のありかた”というものにかなり悩んでいたためにこのようなメタ的要素が多くありました。
小説を書くということに悩んでいた背景を考えると、ところどころ作品のネタは浮かぶけれども、脱稿するまでの文章量は書けず、とにかく原稿を埋めるために自身の思いや苦悩を文字に落としているのかな、とも感じました。
他の長編作品と比較して、そんな太宰の苦悩が頻繁に見えるのが『晩年』の収録作品の魅力かもしれません。