『小公子』の紹介
『小公子』はイギリス生まれの作家フランシス・ホジソン・バーネットによる作品で、1886年に出版されました。
アメリカとイギリスで人気を得た後、様々な言語に翻訳され、今なお世界中で読み継がれている児童文学です。
日本でも明治に翻訳されたのをはじめ、さまざまな出版社から発売されており、80年代にはテレビアニメ化もされました。
ここでは『小公子』のあらすじ・解説・感想までをまとめました。
『小公子』ーあらすじ
アメリカ・ニューヨークで母親と暮らす7歳のセドリックは、かわいらしい容姿と人を疑わない素直な心、優しく思いやりに溢れた性格で周囲の誰からも好かれていました。
食料品店を営むホップス氏や靴磨きのディックと仲が良く、つつましいながらも幸せな日々を過ごしていました。
ある日、イギリスからハビシャムと名乗る弁護士がやってきて、セドリックがイギリスの貴族ドリンコート伯爵の跡取りであることを告げます。
セドリックの亡き父が伯爵の三男で、長男と次男も相次いで亡くなったためでした。セドリックは悩みましたが、母親とともにイギリスへ渡ることになりました。
祖父ドリンコート伯爵は、大変な癇癪持ちで傲慢な性格であったため、周囲の人からは好かれていませんでした。
また、セドリックの母エロル夫人のことを、息子をそそのかしたアメリカ女だと思い込んで嫌っていました。
そこで伯爵は、ドリンコート城とは別の場所に彼女を住まわせることにし、セドリックはドリンコート城でフォントルロイ卿として教育していこうとしました。
そのことを知らないセドリックは、持ち前の無邪気な純真さでドリンコート伯爵を慕い、徐々に伯爵の心を変化させていきます。
ある時、伯爵の亡き長男ビービスと結婚したという女ミンナが男の子トムを連れて現れ「自分の子こそがフォントルロイ卿である」と主張しました。
姿はきれいだけれど下品で学のないミンナと、上品なエロル夫人の違いから、伯爵はセドリックがあのような立派な子になったのはエロル夫人のおかげであったと気付き、初めて彼女の元を訪れるのでした。
この跡継ぎ争いの一件はアメリカの新聞でも取り上げられ、ホップス氏から新聞を渡されたディックがミンナの正体に気付きます。
実はミンナは、ディックの兄ベンの元妻で、子どもはベンの子どもであるというのです。
ディックとホップス氏は旧友セドリックを救うべく弁護士にこの件を報告し、兄ベンとともに密かにイギリスへと渡りました。
ディックとベン兄弟の登場によって真実が明らかとなり、ミンナは逃げ、ベンとトム親子はアメリカへと帰り、セドリックは再びフォントルロイ卿となりました。
そしてエロル夫人と和解した伯爵は、彼女をドリンコート城へ迎え入れることにしたのでした。
『小公子』ー概要
主人公 | セドリック(フォントルロイ卿) |
主な登場人物 | ドリンコート伯爵(祖父) エロル夫人(母) ホップス(食料品店の主人) ディック(靴磨き) ハビシャム(弁護士) |
主な舞台 | ニューヨーク→ドリンコート城 |
時代背景 | 19世紀 |
作者 | フランシス・ホジソン・バーネット |
『小公子』ー解説(考察)
小公子と翻訳
小公子(原題:Little Lord Fauntleroy)がアメリカで出版されたのは1886年ですが、日本で発表されたのはいつ頃だったのでしょうか。
実はアメリカ出版の4年後、1890年(明治23年)にはもう「女学雑誌」という雑誌に連載が開始されたのだそうです。
翻訳を手がけたのは若松賤子(わかまつしずこ)という女性でした。
彼女は、後にフェリス女学院となる英語塾の出身であり、13歳でキリスト教の洗礼も受けた人物でキリスト教文学の紹介者でもありました。
女性の翻訳家というと『赤毛のアン』の村岡花子が有名ですが、若松賤子はそれより30歳ほど年上の大先輩です。
この若松賤子が訳した『小公子』は、それまでの翻訳ものとは違ってとても読みやすく、当時の文学者などから賞賛されたといいます。
当時、出始めたばかりの「言文一致体」で書かれていた点が読みやすさの一因でしょう。(言文一致体の先駆け『浮雲』が1887年なので『小公子』はその3年後。)
読みやすいとはいえ、令和を生きる私たちが読むには旧仮名遣いに苦戦しそうですが、現代の訳と比べてみるのも面白いかもしれません。
そして今回、私が参考にしたのは新潮社の川端康成訳『小公子』です。
川端康成の名前が訳者として入った『小公子』は多くの出版社から出ています。
これらの川端訳は、文学者で編集者でもあった野上彰との共訳、またはそれを土台にした訳文だろうと思われます。
明治の若松賤子訳『小公子』は、昭和の川端・野上共訳の時代にはすでに古典作品だったろうと思いますが、古典として風化させず昭和に新訳で出すほどの魅力が『小公子』にはあったのでしょう。
子どものための文学として
では、この作品の魅力とは何なのでしょうか。
川端康成は自身が訳した『小公子』を収録した子ども向け文学全集の巻頭に、以下のような文を寄せました。
この物語は、ただおもしろいというだけではありません。美しく、あたたかい人間の心が、あのよいかおりのするばらの花のように、この物語全体を包んでいるのです。(中略)日本の少年少女たちの多くが、必ず一度は手にして、清く心を育てる本とされて来た、この物語が、あなたがたの成長にも楽しく役立つことを、心から願っています。
『小公子』新潮社/川端康成・訳/P306~307「この物語を読む前に」より
また、原作者バーネットは『小公子』を自分の子どもたちに読み聞かせては、子どもたちが喜ぶよう書き直しをしていたようですし、最初の翻訳者・若松賤子も3児の母であり、子どもたちが読みやすいよう意識していたであろうと思います。
原作者も翻訳者も、作品から伝えたかったことは、以下の内容に尽きるのではと私自身は考えます。
セドリックのやさしい心が、みんなの気持ちを明るくしているのであった。(中略)本当に、世の中で、親切な心ほど強いものはない。その親切を、子どもの心は、かわいくすっぽりと包んでいるのだ。
『小公子』新潮社/川端康成・訳/P146
『小公子』は終始、セドリックの無邪気な優しさが伝染して、人々を明るくしていくお話です。
ドリンコート伯爵にしても、ホップス氏にしても、損得勘定なしで素直に向かってくるセドリックに癒され、それを読んでいる読者もまた同じように癒されていきます。
この作品に対して穿った見方をすれば、実際にセドリックのような「良い子」はいないでしょうし、跡継ぎ争いの相手がたまたま旧友の知った人物だったというのも都合が良すぎる、ということはあるでしょう。
しかし、この作品が19世紀から今まで読まれてきたのは、誰の中にも良い心はあって、セドリックと共鳴できるからではないでしょうか。
かつて子どもだった人は共感でき、今の子どもたちが健やかに成長することを願う、そんな子どものための文学が『小公子』ではないかと思います。
『小公子』ー感想
たまたま本屋で見かけた『小公子』に川端康成の名前が入っていたことがきっかけで、私はこの本を手に取りました。
『雪国』などの川端作品を好んで読んでいたにもかかわらず、共訳で児童文学を発表していることは知らなかったのです。
児童文学自体も好きですし、川端作品も好きでしたが、この二つが重なるとは思っていませんでした。
実際に読んでみて、最初の感想は「できすぎた話だなぁ」というものでした。
文章はさすが川端康成で、とても読みやすいのですが、どうにもセドリックがいい子すぎて信じられないと感じてしまったのです。
しかし巻末の解説を読み、作者バーネットについて知り、最初の翻訳家・若松賤子について知っていくにつれ、不思議と見方は変わっていきました。
決定打となったのは上記解説に引用した川端康成の「この物語を読む前に」の文面です。
この作品には、子どもの健やかな成長を願う大人の思いがつまっているのだと感じ始めたのです。
私自身も2児の親でありますので、子どもたちが心身共に健やかに成長することを願う気持ちはよくわかります。
そういった目でこの物語を見てみると、とてもセドリックが愛らしく見えてきます。
セドリックは人の持つ「良心」を表現しているのであって、子どもならばそれを素直に受け入れられるでしょう。
大人になって初めてこの物語を読み「できすぎた話だ」などと感じた私は、良心が削られていたのでしょうか。お恥ずかしい限りです。
これから読む方は、ぜひ子どものころのような素直な心で『小公子』に触れてみてください。
きっと優しく満ち足りた読書体験になるはずです。
以上、『小公子』のあらすじ、解説、感想でした。
<参考文献>
『小公子』新潮社/川端康成・訳