『めくら草紙』の紹介
『めくら草紙』は太宰治の書いた短編で、短編集『晩年』の中に収録がされている作品です。
本作の執筆は1935年10月のことで、太宰は当時26歳でした。発表は翌年の1936年1月の『新潮』にて発表されました。
太宰の26歳は不幸なことがとても多くありました。
大学卒業も、就職活動も失敗。大学は未納金が発生し除籍処分になり、急性盲腸炎を患いその合併症で腹膜炎になったことでパビナール(鎮痛剤)の投与をはじめ、しまいにはその薬の中毒症状に苦しめられる、など1935年は太宰にとってなんとも悲惨な年でありました。
そんな26歳の年の後半は病気の療養時期だったこともあり、人生に葛藤しながらも、多くの作品が生まれた年でもありました。
今回はその作品のうちの1つである『めくら草紙』について解説・考察を行います。
『めくら草紙』ーあらすじ(概要)
冒頭は中盤に判明しますが、「私」の隣に住んでいるマツ子ということし十六になる娘に、私の独白を筆記させていました。
冒頭の原稿用紙5枚ほどはこのマツ子が筆記していました。
冒頭は「私」の理想とする小説について試行錯誤する話から始まります。
どういう小説があれば人工の極致と呼べるのか、小説らしい小説はどういうものなのか、一日一日痩せていく気がする友人に「おれは君のあの小説のために救われた」と言われたら、ためになる小説が書けたということにならないだろうか、と小説と向き合うものとして、思いを巡らせます。
そして清少納言の枕草子のページをめくり、自分流の言葉で綴ります。
心ときめきするもの。――雀のこがひ。児あそばする所の前わたりたる。よき薫物たきて一人臥したる。唐鏡の少しくらき見いでたる。云々。」私、自分の言葉を織ってみる。「目にはおぼろ、耳にもさだかならず、掌中に掬すれども、いつとはなしに指股のあひだよりこぼれ失せる様の、誰にも知られぬ秘めに秘めたる、むなしきもの。わざと三円の借銭をかへさざる。(われは貴族の子ゆへ。)ましろき女の裸身よこたはりたる。(生きものの、かなしみの象徴ゆへ。)わが面貌のたぐひなく、惜しくりりしく思はれたる。おまつり。」
太宰治『晩年』(めくら草紙)新潮文庫
ここまでがマツ子が私にお願いされてつづったところでした。
この先は私が自ら筆を執り綴るパートになり、このお隣りに住んでいるマツ子について語ります。
私が今の土地に越してきた昭和10年の7月でした。
その時に隣の庭に夾竹桃を譲ってほしいと頼むため、家人に実際に2円をもって隣に行かせます。
快く受け入れてくれたお隣さんのもとに夾竹桃を引き取りに行き、そこの奥様と16歳になる娘と知り合います。
それがマツ子でした。
マツ子と話をしたとき、私は本の二三十ペエジ目あたりを読んでいるような、at home な、あたたかい気がしていました。
マツ子はある日、私の家の郵便受けに
あなたは尊いお人だ。死んではいけません。誰もごぞんじないのです。私はなんでもいたします。いつでも死にます。
太宰治『晩年』(めくら草紙)新潮文庫
という四つ折りの西洋史を見つけ、毎日遊びに来るようにお隣につたえ、実際に遊びにくるようになります。
マツ子自身の容姿について、18歳になったら京都のお茶屋に努めることになったことなど話していると時を忘れる時間をすごしていました。
私はマツ子のことをいのちをかけて大切にしていると綴ります。
だからこそこれ以上この小説上にマツ子を登場させることに抵抗があり、これ以上書くのはいやだといいます。
しばらく、三日三晩私は眠れない日々を送っていました。
その中で毎夜眠れない間に夜の洪水のように流れてくる言葉を思い起こします。
そして具合の悪い朝に、お酒を飲みながら庭を眺めて、秋に家人に植えさせた草花の名前を、枕元にあったマツ子がつづった続きの原稿用紙に泣きながら書き綴ります。
この18枚の原稿用紙で綴った小説を当然の存在にするために、心にもなきふやけた描写を一句だにしなかったことを、高い誇りを以って言い得ます。
さらば、行け!「この水や、君の器にしたがうだろう。」
という読者への掛け声で、本作は幕を閉じます。
『めくら草紙』―概要
主人公 |
私(太宰) |
重要人物 |
マツ子 |
主な舞台 |
船橋(実際の太宰の所在地) |
時代背景 |
不明 |
作者 |
太宰治 |
『めくら草紙』―解説(考察)
【めくら草紙という題名】
『めくら草紙』が『枕草子』からきている題名であることは間違いありません。
実際、本編にも枕草子の言葉を自分流の言葉に置き換えるなどの描写があります。
『枕草子』とは、清少納言により執筆された平安時代中期の随筆です。
春はあけぼの、から始まるこの随筆は春夏秋冬の四季について、仕事について、植物、虫について、など身近なものを題材につづられていた作品でした。
『枕草子』の題名の所以は諸説ありますが、太宰の本作『めくら草紙』はどんな意味を込めてつけられたものなのでしょうか。
音を並べれば、完全に枕草子を文字っているものであるということは想像がつきます。
1つ1つ分解してみてみます。
まず「めくら」ですが、3つの意味があります。
めくら…
- 視力を失っていること。盲目。
- 文字を理解できないこと。
- 物事の筋道や本質をわきまえないこと。
(出典:デジタル大辞泉)
1に関しては、今回盲目の人が登場人物にいませんので、違うと思われます。
2に関しましても、今回の重要登場人物であるマツ子は実際原稿を書いていますので、違うと思われます。
すると、ここでの「めくら」は3の「物事の道筋や本質をわきまえないこと」を意味していると思います。
次に「草紙」ですが、これは『枕草子』の「草子」と感じは違えど同じ言葉で使われます。
草紙(草子)…
- 漢籍・和本などで、紙を綴(と)じ合わせた形式の書物。綴じ本。
- 物語・日記・歌書など、和文で記された書物の総称。
- 御伽(おとぎ)草紙・草(くさ)双紙など、絵入りの通俗的な読み物の総称。
- 習字用の帳面。手習い草紙。
- 書き散らしたままの原稿。
(出典:デジタル大辞泉)
『枕草子』は1,2の意味の『草子』と想像がつきますが、『めくら草紙』は皆さんどう解釈しますでしょうか。
本作の文章構成を見てみますと、最初に太宰の小説に対する理想が語られ、かと思ったら枕草子の文章を自分流に書くフェーズがあり、ここまでの話を原稿に書いていたマツ子との出会いや会話が描かれ、三日三晩眠れない私の夜の言葉の羅列があり、最後はいままで原稿に書いたこの作品をどうにかものにしようとする私の決意が書かれています。
私には、この話が、同じ『晩年』の中に収録されている『草』の作品のように、関係のないまったく違うフレーズや作品を詰めたものとまではいかずとも、一貫性のない作品のように思えました。
よって、ここでの『草紙』は5の書き散らしたままの原稿、の意味が当てはまると考えました。
この話は、「物事の道筋や本質をわきまえない、書き散らしたままの原稿」である、ということになります。
太宰も18枚の原稿が、そんな作品に完成したと感じたためにこう題したのでしょう。
『枕草子』は冒頭にも記載した通り、何か1つの物語を軸にしているものではなく、身近な出来事を書き綴った随筆です。
つまり、清少納言があれこれパッと思ったことが書き綴られており、感想や思想を綴ったものです。
この感想や思想というものには一貫性は特になく、思ったことをそのまま原稿に落としている様は、本作でも同じだといえます。
「私」が小説に対して思ったこと、マツ子都の出来事、その出来事のなかでの気持ちや言葉をかき集めています。
そんな自分の最近の作風が、枕草子を想起させるものがあったのかもしれません。
「私」は最後にこんな言葉を残します。
いま、読者と別れるに当り、この十八枚の小説に於いて十指にあまる自然の草木の名称を挙げながら、私、それらの姿態について、心にもなきふやけた描写を一行、否、一句だにしなかったことを、高い誇りを以って言い得る。さらば、行け!
太宰治『晩年』(めくら草紙)新潮文庫
太宰はこのころ、いろんなタイプの作品構成を綴っていました。
この様子はまさに小説を書く、ということに対し、試行錯誤していることが伺えます。
そしてその試行錯誤のタイプの多くは、メタ的に自分を登場させてその時の自身の葛藤を綴るのでした。
最後の1文はそんな自分の文才に対する劣等感を一掃し、高い誇りを持つ作品であると気丈にふるまう太宰の様子が見られます。
そして最後の「この水や、君の器にしたがうだろう。
太宰治『晩年』(めくら草紙)新潮文庫」
という言葉からも読み取れるように、その評価は、読み手である我々に託しているのです。
『めくら草紙』―感想
このお話は大きくとらえると私(太宰)とマツ子の2人を中心に描いたお話ととらえることができますが、一貫性があるかといわれるとそうではなく、太宰自身の小説への思いを綴ったところもあれば、実際に家人やマツ子と話している口頭の記述もあり、マツ子についての詳細も描かれていたりといろんな話が継ぎはぎに組まれている、とみられる作品です。
『晩年』の中に収録されている作品には小説の書き方、向き合い方に葛藤する太宰の様子がメタ的に描かれるものが多く存在し、本作もそんな作品の1つでした。
なにか伝えたいことがあったというよりかは、小説に対する焦りや葛藤を胸に、自分の中にあふれてくる言葉や思いをそのまま原稿に落とし込みながら、18枚分の原稿用紙を埋めていった作品、のような感じがしました。
冒頭マツ子に原稿を書かせた際、
私は、たった五枚か、とげっそりしていた。太宰治『晩年』(めくら草紙)新潮文庫
と語っていたところが、「小説を脱稿しなければならない」という太宰の焦りの言葉としてとらえられるものがあり、個人的にはとても印象に残りました。