伊藤計劃とは?
伊藤計劃は1975年に誕生し、2000年代のSF界をにぎわせた、知る人ぞ知るSF作家です。
2007年、デビュー作の『虐殺器官』にて「ベストSF2007」「ゼロ年代SFベスト」で1位をとり、デビューしてたちまち有名となります。
しかし、彼は大学生時代(武蔵野美術大学)から病と隣り合わせで生きており、『虐殺器官』執筆前から入退院を繰り返していました。
そんな過酷な闘病生活の中、様々な短編小説や、ゲームノベライズの『メタルギアソリッド ガンズ オブ ザ パトリオット』を書きながら、長編作品の『ハーモニー』を2008年に書き上げます。
書き上げた時にはすでに癌が体に様々転移しており、発刊の3か月後に伊藤計劃は34歳というあまりにも早い死を迎えました。
彼の死後、『ハーモニー』は「第30回日本SF大賞」、「ベストSF2009」、「星雲賞日本長編部門」、「フィリップ・K・ディック賞」を獲得します。
伊藤計劃を知るSF作家は口をそろえて「新作を読めないのは惜しい」と称するほど、逸材の作家でした。
伊藤計劃には常に病気という“死”が隣にありました。
彼は生前日記を書いていたのですがその日記によると、闘病生活の中様々な作品に触れる中で“死”“病気”について彼なりに考察することが多々あったようです。
彼のその経験が、短編小説や既刊長編作品である『虐殺器官』と『ハーモニー』を生んだ所以に少なからず、つながっています。
次に、そんな伊藤計劃の代表的な作品の中からいくつか紹介していきます。
伊藤計劃の作品一覧
- 『虐殺器官』
- 『ハーモニー』
- 『屍者の帝国』
- 『The Indifference Engine』 (短編集)
『虐殺器官』の簡単なあらすじ&紹介
本作は“暗殺”を専門とする特殊部隊に配属されたクラヴィス・シェパードが主人公です。
近未来のアメリカでは、同時多発テロ事件9.11を教訓に、厳しい管理体制のもと、国民の平和が保たれていました。
しかしその一方、たった半年でアメリカ周辺の後進国にて内戦や民族紛争が次々と起こり“虐殺”が繰り返されていました。
クラヴィスは本件の調査を任されます。
のちに、この事態はすべて1人の男の手によって起こされていたと判明。その正体は言語学者であった「ジョン・ポール」でした。
彼は自分が招いたジェノサイドは「虐殺の文法」を用いたからだといいます。
彼はどうジェノサイドを引き起こしたのか?どうして引き起こしたのか?彼の思想・考えの前にクラヴィスはどう決断するのか。
“言語”を“虐殺”とつなぎ合わせ、それをSFとして作り上げる彼の世界観に目が離せません。
『ハーモニー』の簡単なあらすじ&紹介
『ハーモニー』は「ある種、虐殺器官の続編的存在」とされている作品です。
『虐殺器官』の世界から半世紀先。虐殺器官の舞台当時、世界的に起こった「大災禍(ザメイルストロム)」は戦争と未知のウイルスの蔓延で多くの死者を出し、その被害は人類存続も危ぶまれるほどでした。
人類は生き残るために個々人が公共のリソースとされ、食事・衛生面・心までもすべて健全で健康的であれ、と国に管理された“やさしさ”でできた世界が訪れます。
舞台はそんな「管理社会」を基盤とし、究極の平和につつまれた日本。
主人公のトァン・友達のミァハ、キアンはそんな管理社会を嫌い、少女時代に一緒に自殺を試みますが、ミァハ以外の2人は自殺に失敗します。
トァンはその自責の念を抱きながら、母国日本を嫌いながらなんとなく生き続けていました。
大人になり、久々のキアンとの食事の際、キアンは突然、『ごめんね、ミァハ』という一言を残して卓上のナイフで首を掻き切り自殺します。
実は同時刻に、6583人の人間が大量自殺を図ったことが判明するのです。
これを政府は“生命主義”に対するテロ行為とし、国は調査に乗り出しました。
トァンも調査に加わりますが、途中でトァンは、死んだはずのミァハが事件にかかわっていると気付きます。
そんなミァハの目的は、人間の脳に埋め込まれた「ハーモニープログラム」という「調和の取れた意思を人間の脳に設定する」プログラムを発動させることでした。
このプログラムを発動させると、個人の自由意志は消え、プログラムに思考をコントロールされた人類が残ることとなります。
これはいずれ来てしまうかもしれない戦争、争いが起こってしまった時に、人類存続を守る保険として人間の脳に組み込まれたものでした。
ミァハの考えを聞いたとき、トァンは何を思うのか、そして最後の決断は。
平和とは何か、人類の理想郷とはなにか、思考とはなにか。概念のすべてを深く考えさせられる物語です。
『屍者の帝国』の簡単なあらすじ&紹介
こちらは2009年に亡くなった伊藤計劃の未完作品でした。
冒頭の30ページを残し、この世を去ってしまいます。その30ページの続きを書き継いだのが盟友、円城塔でした。
時代は19世紀末、産業革命後。『屍者(ゾンビのようなもの)』を労働や兵器として利用する世界の話。
主人公の医学生ワトソンは女王の諜報員として、記録専用に創られた屍者フライデーを連れて“屍者の王国”をつくろうとするカラマーゾフを追っていました。
屍者はあくまでも屍者であり、人間を超えることはないとされていたものの、調査していくにつれ、アフガニスタンで人間と同等の俊敏さを備える新型の屍者の存在を知ります。
これはカラマーゾフが屍者の最新研究を進めていることを意味していました。
ようやく屍者の帝国にたどり着き、カラマーゾフと対面したワトソン。
しかしそこで、屍者の創設者であるヴィクター・フランケンシュタインが最初に創った、人智を備えた屍者であるザ・ワンがまだ生存しており、その創成の秘密が記された「ヴィクターの手記」の追跡を依頼されます。
その後、ヴィクターの手記があるとされる大日本帝国に向かいました。
そこでは新型屍者の研究がかなり前進しており、殺戮兵器となった新型屍者や半分屍者となった人間もありました。
それはザ・ワンの協力によって成し得た技術。ザ・ワンが実在すると悟ったワトソンは、手がかりを得てアメリカを目指します。
ようやくザ・ワンと対面できたワトソンたち。ザ・ワンから屍者とはいったいなにか、ザ・ワンの目的とは何だったのか、その真相が明らかになります。
長編『虐殺器官』によって書かれた言語と人間の意識の相関性、長編『ハーモニー』による意識・無意識の世界観が入り混じる様子がうかがえること、それを“屍者”に集約させているところが、いかにも伊藤計劃らしい作品に仕上がったといえる作品です。
『The Indifference Engine』(短編集)の簡単なあらすじ&紹介
もともとはSFマガジンに短編として掲載されていた本作。
現在、こちらのタイトルを使用した9本の伊藤計劃のSFマガジンや個人同人誌掲載の短編、屍者の帝国の冒頭30ページ、解説を詰め込んだ1冊が発売されています。
本の収録内容は下記の9本。
- 「女王陛下の所有物(On Her Majesty’ s Secret Property)」
- 「The Indifference Engine」
- 「Heavenscape」
- 「フォックスの葬送」
- 「セカイ、蛮族、ぼく。」
- 「A.T.D : Automatic Death episode 0 : No Distance, But Interface.」(漫画)
- 「From the Nothing with Love.」
- 「解説」
- 「屍者の帝国」(遺稿)
ここではタイトルとなっている『The Indifference Engine』を紹介します。
主人公はゼマ族の少年兵士でかつてホア族と敵対し争っていました。
物語はその戦争が終結したところから始まります。
終戦後、主人公は更生施設に入れられ、そこで「注射」を打ちます。
これはナノマシンにより脳に影響を与えて、人種差を認識させないようにするもの。
この措置こそが、題名にもなっている、The Indifference Engine、公平化機関と呼ばれる医療的措置でした。
主人公はしばらく、一緒に施設で仲良くなった友人と平穏な日々を過ごします。
が、敵対していたホア族の人間であり、自分が参加した作戦で友人の家族が死んだこと、主人公の家族を惨殺し辱めた敵であることをお互い知ってしまいます。
そこで初めて、先進国による処置で頭をいじられた事実を知った主人公は施設を出ていきます。
そして今度は、公平化機関を施されたほかの少年たちとともにまた銃を握ります。
「戦争は終わってない、ぼく自身が戦争なのだ」と。同じ考えを持つ少年たちとともに、先進国への反逆を決行します。そこにはもうかつての種族差は関係ありませんでした。
ほかにも、伊藤計劃自身がファンであったゲーム、『メタルギアソリッド』のノベライズである『メタルギアソリッド ガンズ オブ ザ パトリオット』や、ゲームのその後を描いた『セカイ、蛮族、ぼく。』など、ほかにもいくつか短編小説をいくつか書いています。
そしてその短編小説の世界観には、長編の『虐殺器官』や『ハーモニー』と世界観が垣間見えるものがとても多いです。
伊藤計劃の短世と『死』『戦争』『殺人』『病気』『自意識』というテーマ
伊藤計劃の作家人生はかなり短いものでした。
病気さえなければ今も我々読者をゾクゾクさせてくれる、近未来の作品を書き続けてくれたのではないかと思います。
ただ、皮肉なことに、彼がよく題材にしていた『死』『戦争』『殺人』『病気』『自意識』これらの伊藤計劃の考察は自身が病と闘っているときにより明確化されたものです。
彼が死を迎えるまで書き続けた個人ブログには、その考察が多くちりばめられています。
現在、『伊藤計劃記録』として1冊にまとまった彼の記録がありますので、彼のより深い考察や考えが気になった人はぜひ読んでみてください。
そして私自身が今この現代に伊藤計劃に触れてほしい理由の1つには昨今の『新型コロナウイルス』があります。
2019年の終盤から騒がれだした新型コロナウイルス。この「2019年」はまさに伊藤計劃が『虐殺器官』の世界直後に起こった「大災禍」に設定した年でもありました。
コロナの時代になり、「病=悪」という認識がより強まったように見えます。
人口の少ない集落では感染したら村八分にされる、クラスターの起こる前の最初の感染者は後ろ指をさされるなど、まさに健康は、個人の幸福のためだけではなく、社会維持のために守らないといけないものに変わりつつある気がしています。
そして個人の自由行動はある一定基準を超えてしまえば社会に迷惑をかけるという認識が増し、昔と比べるとより基準が厳しくなっています。タバコ、お酒などはまさにそうです。
これが一気に加速し、個人の“健康”が社会維持に不可欠であるという認識がより強まったとき、それは伊藤計劃がゼロ年代に書いた『ハーモニー』の世界に1歩ずつ近づいていることだと思うのです。
当初に比べてコロナの報道も落ち着いてきたように見えますが、「アフター・コロナ」の世界がどれだけ伊藤計劃の脳内の世界観と重なっているのか、いち読者としては興味があります。
ぜひ、そんな伊藤計劃の作品を今だからこそ、読んでみてほしいです。