夏目漱石『明暗』のあらすじ!作品の主題から未完の続きまでを解説!

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夏目漱石『明暗』のあらすじ!作品の主題から未完の続きまでを解説!

『明暗』の紹介

『明暗』は、大正5年5月26日から朝日新聞に連載された夏目漱石の長編小説です。

同年12月まで連載されましたが、胃潰瘍に伴う体内出血のため、執筆途中で作者病死となり、未完となりました。

漱石作品史上最長の作品で、晩年の漱石が追求した、エゴイズムの問題を扱っています。

ここでは、そんな『明暗』のあらすじ・解説・感想までをまとめました。

『明暗』ーあらすじ

津田由雄には、勤務先の上司・吉川の仲介で結婚したお延という妻がいました。

周囲からは幸せな新婚夫婦と思われている二人ですが、津田はお延のことを心の中ではそれほど愛していません。

しっかり者のお延は、その事実に気が付いているものの、自身の結婚の判断が間違えていたと認めたくない虚栄心から、津田に愛されようと必死でした。

ある時、津田が痔の手術で入院します。

治療費の工面にあたって、津田と津田の妹・お秀が衝突しますが、お延の叔父・岡本が用立ててくれたお金で、金銭上の問題はひとまず解決します。

お秀と衝突した翌日、津田の上司の妻・吉川夫人が見舞いに訪れます。

吉川夫人は、津田がお延を大事にしない理由を、昔の恋人・清子に未練があるからだと指摘します。

清子は、津田がお延と結婚する前に交際していた女性でしたが、突然津田の元から去り、今は別の男性と結婚していました。

津田は清子の存在を、お延に秘密にしていました。

吉川夫人は、清子に会いにいくよう津田に勧め、津田は清子が湯治している温泉へ一人で向かいます。

訪れた温泉宿で、津田は清子と再会し、二人はたわいのない会話をします。(未完)

『明暗』ー概要

物語の重要人物 ・津田由雄:主人公。30歳。会社勤め。半年程前にお延と結婚した。
・お延:津田の妻。23歳。裕福に育った。
・お秀:津田の妹。お延の一つ上。既婚者で子供が二人いる。
・吉川夫人:津田の勤務先の上司の妻。かつて津田に清子を紹介し、後にお延を紹介した。裕福で世話好き。
・清子:津田の元恋人。関という男性と結婚している。
主な舞台 東京
時代背景 近代
作者 夏目漱石

『明暗』―解説(考察)

・津田とお延の人物像

『明暗』は、津田とお延の不安定な家庭生活を軸に、様々な人間関係を描いた小説です。

津田とお延の人物像についてまとめると、下記のような特徴が挙げられます。

  • 津田=損得利害に敏感で打算的。合理主義。個人主義。虚栄心、自尊心が強い。
  • お延=技巧的。理想主義。主体的で行動的。虚栄心、自尊心が強い。

 

己の虚栄心を満たすことを優先する二人は、我執の人であり、ある意味では極めて近代的な夫婦だと言うことができるでしょう。

この二人の人物像は、他登場人物と相対的に見ることで、特徴がより際立ちます。

例として、『明暗』に登場する主要な女性との比較で考えたいと思います。

①お秀、吉川夫人との比較:〈近代的⇔前時代的の構図〉

お秀と吉川夫人は、前時代的な考えが強い女性です。

お秀は、古くからの家制度的考え方を重視しており、男女差別的な生活をも許容する人間です。

それは以下のお秀の発言などから明らかです。

◆お秀と津田が衝突するシーンより(お秀が津田に対して発言)

「(中略)兄さんは嫂さんに自由にされています。お父さんや、お母さんや、私などよりも嫂さんを大事にしています」

夏目漱石『夏目漱石全集9 明暗』,昭和63年,ちくま文庫,328頁

◆お秀とお延の対峙シーンより(夫から精一杯の愛を受けることを理想とするお延に対して、お秀が反論)

「あなただけを女と思えとおっしゃるのね。そりゃ解るわ。けれどもほかの女を女と思っちゃいけないとなるとまるで自殺と同じ事よ。もしほかの女を女を思わずにいられるくらいな夫なら、肝心のあなただって、やッぱり女とは思わないでしょう。自分の宅の庭に咲いた花だけが本当の花で、世間にあるのは花じゃない枯草だというのと同じ事ですもの」

夏目漱石『夏目漱石全集9 明暗』,昭和63年,ちくま文庫,422頁

血縁や、家父長たる夫を優先し、それに従うことに何の疑問も抱かないお秀は、「自分の主人公」と表現されるお延と対照的です。

同時に、合理的で個人主義な津田とも対照的だと言えるでしょう。

次に、吉川夫人について。

津田の上司の妻・吉川夫人は、夫の権力と財力を得て、津田やお延より強い立場にある人です。

そして、非常にお節介な人でもあります。

これは、津田視点の吉川夫人評からも明らかです。

時間に制限のない彼女は、頼まれるまでもなく、機会さえあれば、他の内輪に首を突ッ込んで、なにかと眼下、ことに自分の気に入った眼下の世話を焼きたがる代りに、到るところでまた道楽本位の本性を露わして平気であった。(中略)鼠を弄そぶ猫のようなこの時の態度が、たとい傍から見てどうあろうとも、自分では、閑散な時間に曲折した波瀾を与えるために必要な優者の特権だと解釈しているらしかった。

夏目漱石『夏目漱石全集9 明暗』,昭和63年,ちくま文庫,427~428頁

吉川夫人は、清子に会いにいくよう津田に勧め、津田が不在の間に、お延のことを教育しておくと請け負います。

その時の会話で、吉川夫人は津田に向けて、以下の発言をしています。

「そんな事はあなたが知らないでもいいのよ。まあ見ていらっしゃい、私がお延さんをもっと奥さんらしい奥さんにきっと育て上げて見せるから」

夏目漱石『夏目漱石全集9 明暗』,昭和63年,ちくま文庫,464頁

「あの方(※あの方=お延)は少し己惚れ過ぎてるところがあるのよ。それから内側と外側がまだ一致しないのね。上部は大変鄭寧で、お腹の中はしっかりし過ぎるくらいしっかりしているんだから。それに利巧だから外へは出さないけれども、あれでなかなか慢気が多いのよ。だからそんなものを皆んな取っちまわなくっちゃ……」

夏目漱石『夏目漱石全集9 明暗』,昭和63年,ちくま文庫,465頁

お節介を通り越して、もはや何様かという吉川夫人の発言は、主体的で自立したお延の性格を全否定しています。

吉川夫人もまた、夫の後ろを歩く妻を良しとする、古い日本の価値観を持った人だと言えるでしょう。

お秀・吉川夫人のような前時代的な女性が描かれることで、津田とお延の近代的な考え方・言動が一層際立ち、二人の新時代的夫婦像がより印象を強くしています。

②清子との比較:〈打算的・技巧的⇔自然の構図〉

終盤でようやく名前が明かされた清子ですが、登場シーンもそんなに多くありません。

しかし、その数少ない登場シーンの描写からは、清子と他登場人物(※特に津田、お延)との大きな違いを読み取ることが可能です。

清子だけが唯一、明確に、『明暗』の中で自然の人として描写された人物です。

温泉宿での津田と清子の再会は、津田が宿の廊下で迷子になっていたところに、偶然清子が現れるという展開でした。

翌日、改めて会談した津田と清子ですが、そこでの会話にも、清子の技巧のない自然な性格が表れています。

津田はそれでも構わずに後を続けた。
「昨夕そんなに驚いたあなたが、今朝はまたどうしてそんなに平気でいられるんでしょう」
清子は俯向いたまま答えた。
「なぜ」
「僕にゃその心理作用が解らないから伺うんです」
清子はやっぱり津田を見ずに答えた。
「心理作用なんてむずかしいものは私には解らないわ。ただ昨夕はああで、今朝はこうなの。それだけよ」

夏目漱石『夏目漱石全集9 明暗』,昭和63年,ちくま文庫,632~633頁

清子は計算で動いているところがありません。

ありのままに生きている、ただ「それだけ」の女性です。

逆に、主人公・津田は、旧友の小林から、「君ほどまた損得利害をよく心得ている男は世間にたんとないんだ」と評される程、打算的で虚栄心が強い人物です。

『明暗』では、登場人物達のやり取りが、視点を変えながら様々に描かれ、内心の思惑や腹の探り合いが複雑に交錯していきます。

そんな中で、清子のような自然の人は、非常に異質な存在です。

清子の存在は、主人公夫婦の人物像と対照的で、清子が存在することによって、津田・お延の人物像がよりはっきりと見えてくるのです。

また、余談になりますが、「清子」という名前からは、漱石の初期の作品『坊っちゃん』に登場する「清」という下女が連想されます。

坊っちゃんに無条件の愛を与えた清もまた、裏表を感じさせない人物です。

晩年の漱石が、「清」という名がつく女性を再び登場させた狙い・意味については、まだまだ私も勉強不足ですが、ただの偶然の一致ということはありえないでしょう。

・『明暗』の主題

『明暗』は、作者病死により未完の絶筆となったため、結末は誰にも解りません。

そのため、主題を捉えるのが非常に難しい作品でもあります。

様々な可能性が考えられる『明暗』の主題ですが、ここでは冒頭シーンに注目し、推察をしていきたいと思います。

結論から言うと、『明暗』の主題・テーマとは、

自己本位に生きる近代人の精神更生

だと推察します。

これを説明するために、『明暗』の冒頭、一章と二章の内容について、詳しく見ていきたいと思います。

『明暗』は、痔の治療のために病院を訪れた津田と、医者の問答から話が始まります。

医者は探りを入れた後で、手術台の上から津田を下した。
「やっぱり穴が腸まで続いているんでした。この前探った時は、途中に瘢痕の隆起があったので、ついそこが行きどまりだとばかり思って、ああ云ったんですが、今日疎通を好くするために、そいつをがりがり掻き落して見ると、まだ奥があるんです」
「そうしてそれが腸まで続いているんですか」
「そうです。五分くらいだと思っていたのが約一寸ほどあるんです」

夏目漱石『夏目漱石全集9 明暗』,昭和63年,ちくま文庫,9~10頁

ここで登場する医者は、作者・夏目漱石自身の投影です。

漱石の後期作品では、人間のエゴイズムの問題が繰り返し追求されてきました。

後期三部作最後の作品『こころ』では、罪の意識に苦しむ近代知識人が、孤独の果てに自死という結末を選び、漱石のエゴイズムの追求は、行きつくところまで行ってしまったように見えました。

ところが、『こころ』の次に執筆された『道草』では、夫婦関係や金の問題をめぐる人間関係に翻弄される主人公が、「世の中に片付くなんてものは殆んどありゃしない」と苦々しく吐き出して、作品が完結します。

問題はそう簡単に片付きません。

エゴイズムの追求は不十分で、まだまだ続きがあったのです。

「腸まで続いているとすると、癒りっこないんですか」
「そんな事はありません」
医者は活撥にまた無造作に津田の言葉を否定した。併せて彼の気分をも否定するごとくに。
「ただ今までのように穴の掃除ばかりしていては駄目なんです。それじゃいつまで経っても肉の上りこはないから、今度は治療法を変えて根本的の手術を一思いにやるよりほかに仕方がありませんね」
「根本的の治療と云うと」
「切開です。切開して穴と腸といっしょにしてしまうんです。すると天然自然割かれた面の両側が癒着して来ますから、まあ本式に癒るようになるんです」

夏目漱石『夏目漱石全集9 明暗』,昭和63年,ちくま文庫,10頁

エゴイズムに囚われるようになった近代人ですが、孤独や破滅という未来しか残されていないわけではありません。

より徹底的にエゴイズムの問題を追求し、人の心にメスを入れ、その内側を丸裸にしてみせることで、人と人との結びつきは復活し得るのです。

続く二章では、津田は自分の身に起こった病の疼痛を振り返りながら、思案を重ねていきます。

「この肉体はいつ何時どんな変に会わないとも限らない。それどころか、今現にどんな変がこの肉体のうちに起りつつあるかもしれない。そうして自分は全く知らずにいる。恐ろしい事だ」
ここまで働らいて来た彼の頭はそこでとまる事ができなかった。どっと後から突き落すような勢で、彼を前の方へ押しやった。突然彼は心の仲で叫んだ。
「精神界も同じ事だ。精神界も全く同じ事だ。いつどう変るか分らない。そうしてその変るところをおれは見たのだ」

夏目漱石『夏目漱石全集9 明暗』,昭和63年,ちくま文庫,13頁

津田の思案の焦点が、肉体の問題から、精神の問題へスライドする点でも、『明暗』冒頭の問答が、単なる痔の病状説明ではないということが分かります。

医者は津田に、肉体的苦痛の原因が、思っていたよりも深いところにあり、切開が必要であると告知しました。

「精神界も全く同じ事」なのです。

近代人のエゴイズムに関する精神的問題も根が深く、これを良くするために心理の解剖を行うと、漱石は『明暗』冒頭で予告しているのです。

そして、以上のように主題を捉えると、『明暗』の結末の大まかな方向性も自ずと推理できます。

根本的手術によって精神更生を図り、精神的苦痛からの解放がなされるとすれば、例えば『こころ』のように、三角関係の縺れの果てに誰かが死ぬ、なんてことはなく、心の距離があった津田とお延が「天然自然割かれた面の両側が癒着して来」るように、一緒になるのが自然な流れのように思います。

・漱石が掲げた「自己本位」

ここまで、主人公夫婦の人物像についてまとめ、その自己本位な精神の更生が主題であるということを考察してきました。

以上の流れを見ると、漱石が「自己本位」に否定的で、前時代的な考えや自然体な生き方を推奨していたと思うかもしれません。

実際には、漱石は「自己本位」に肯定的です。

これは、大正3年の漱石の講演などから明らかです。少し長いですが引用します。

私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。彼ら何者ぞやと気慨が出ました。今まで茫然と自失していた私に、ここに立って、この道からこう行かなければならないと指図をしてくれたものは実にこの自我本位の四字なのであります。
自白すれば私はその四字から新たに出立したのであります。そうして今のようにただ人の尻馬にばかり乗って空騒ぎをしているようでははなはだ心元ない事だから、そう西洋人ぶらないでも好いという動かすべからざる理由を立派に彼らの前に投げ出してみたら、自分もさぞ愉快だろう、人もさぞ喜ぶだろうと思って、著書その他の手段によって、それを成就するのを私の生涯の事業としようと考えたのです。(中略)

いろいろの事情で、私は私の企てた事業を半途で中止してしまいました。私の著わした文学論はその記念というよりもむしろ失敗の亡骸です。しかも畸形児の亡骸です。あるいは立派に建設されないうちに地震で倒された未成市街の廃墟のようなものです。
しかしながら自己本位というその時得た私の考は依然としてつづいています。否年を経るに従ってだんだん強くなります。著作的事業としては、失敗に終りましたけれども、その時確かに握った自己が主で、他は賓であるという信念は、今日の私に非常の自信と安心を与えてくれました。私はその引続きとして、今日なお生きていられるような心持がします。

夏目漱石「私の個人主義」,青空文庫

ここで漱石が述べた「自己本位」とは、

自分の考え方の基準を、他者に置くのではなく、自分自身に置くこと

を意味する言葉だと考えます。

自我が強い、自我が確立している、自己中心的である、とも言い換えられる言葉です。

ただし、漱石は同講演の中で、次のようにも主張しています。

近頃自我とか自覚とか唱えていくら自分の勝手な真似をしても構わないという符徴に使うようですが、その中にははなはだ怪しいのがたくさんあります。彼らは自分の自我をあくまで尊重するような事を云いながら、他人の自我に至っては毫も認めていないのです。いやしくも公平の眼を具し正義の観念をもつ以上は、自分の幸福のために自分の個性を発展して行くと同時に、その自由を他にも与えなければすまん事だと私は信じて疑わないのです。我々は他が自己の幸福のために、己れの個性を勝手に発展するのを、相当の理由なくして妨害してはならないのであります。

夏目漱石「私の個人主義」,青空文庫

漱石が推奨する「自己本位」とは、自分自身の自我を強く持つという意味に止まりません。

そこから発展して、他者の自我を認めるということでもあり、自分自身・他者を問わず、それぞれの「自己」を尊重することを指しています。

そのような新しい「自己本位」の思想が、幸福な生き方に繋がると漱石は説いているのです。

自分だけを良しとする単純な自己本位は、他者との隔絶をもたらし、孤独や破滅という暗い未来に繋がります。

一方で、漱石が理想とした自分と他者の自己を平等に尊重する新しい自己本位は、幸福や発展という明るい未来に繋がっていきます。

まさに明暗併せ持つ自己本位の思想。

『こころ』に至るまで、自己本位によって陥る〈暗〉の部分を主に書きぬいた漱石は、次のステップとして、精神の根本的治療を施し、〈明〉の部分に到達しようと試みたのではないでしょうか。

・『明暗』と「則天去私」

夏目漱石という作家について調べていくと、「則天去私」という成語に辿り着きます。

この言葉は、晩年の漱石が理想とした境地を表していると言われ、新潮社の『大正六年文章日記』の一月の扉に、漱石が揮毫したものが残っています。

「則天去私」とは、天に則って、私を去ること。小さな私にとらわれず、天然自然に身を委ねて生きること

上記を意味する漱石の造語と言われています。

インターネットで『明暗』を検索した時、「則天去私」と絡めた説明もよく目にします(例えばWikipediaの『明暗』の項目には、「則天去私の境地を描こうとした作品とも解されている」と記されています)。

しかし、注意しておきたいのは、漱石の著作及び日記や書簡、創作メモの中で「則天去私」に関する記述は一切存在せず、『明暗』が「則天去私」の心境を書き上げたものだと断定するのは難しいということです。

この「則天去私」については、大正4年11月の木曜会で漱石が語ったとも伝えられています。

 

※木曜会とは

漱石の家で開かれていた会合のこと。
漱石を慕う多くの門下生が集まって、様々な議論を交わしたと言います。
毎週木曜日に開かれたので、「木曜会」と呼ばれるようになり、会合には学生時代の芥川龍之介らも参加していたそうです。

 

久米正雄、松岡譲など、木曜会に参加していた漱石の門下生らが残した談話に、漱石が「則天去私」を語ったエピソードが見られます。

しかし、これらの談話の多くが、漱石の死後書かれたもので、情報の確実性については正直疑問が残ります。

したがって、漱石の門下生らの記録があるからといって、『明暗』と「則天去私」の関係を絶対とするのは早計でしょう。

『明暗』執筆の時期から見て、『明暗』と「則天去私」が全くの無関係とは私も思っていませんし、「則天去私」に触れずに漱石を語ることはできないとさえ思っています。

が、「『明暗』は漱石の晩年の境地を描いた作品だ!」という先入観で読み進めると、情報の確実性に欠く以上、内容理解のミスリードを招きかねませんし、何より、視野が狭まって純粋な読書の楽しみが奪われかねません。

『明暗』と「則天去私」の関係についても様々な解釈があるようですが、敢えてある程度切り離してみるのも、一つの読み方としてアリなのではないでしょうか。

『明暗』ー感想

・夏目漱石という作家

漱石の作品を通して読んでいくと、非常に実験的な作品が多いということに気が付きます。

猫の視点で人間観察をする、非常にユーモラスな小説『吾輩は猫である』。

美しいものをただ美しく描こうとした低徊趣味の小説『草枕』。

まるで演劇のような『虞美人草』を発表したかと思えば、次作『坑夫』は真逆のルポルタージュ的作風。

愛をめぐる『三四郎』『それから』『門』、エゴイズムに迫った『彼岸過迄』『行人』『こころ』……。

毎回、テーマも違えば、手法もがらりと異なっていて、これらが全て一人の作家の作品ということに驚きを感じます。

作品ごとに、何かしら新しい取り組みがされていて、『明暗』では初めて女性の視点(お延)で書かれていたり、どの作品を読んでも新鮮な感じがあります。

漱石は、最期まで実験的姿勢を持ち続けていたのでしょう。

そして、更に驚くのは、その作家人生の短さ。

1905年(明治38年)に『吾輩は猫である』を発表し、1916年(大正5年)に亡くなるまで、その期間わずか10年余り。

晩年こそ胃潰瘍などで作品の間隔が空きましたが、たった10年余りの期間で、コンスタントに、これらの名作を発表していた事実に、驚きを通り越して震えが走ります。

漱石の頭の中はどうなってたんだろう…としみじみ思うばかりです。

(ちなみに、漱石は亡くなった後に解剖されていて、漱石の脳は今も東京大学医学部に保存されているそうです)

・『明暗』の続き

何度も触れましたが、『明暗』は作者病死のため、未完の絶筆です。

このため、文学研究史上でも作品論が非常に多岐に渡っており、様々な解釈ができる作品です。

今回の私の解説も、あくまで一考察であり、正解不正解はありません。

『明暗』がどのような結末を迎えるのか、大まかな方向性についても簡単に検討しましたが、これも様々な可能性が考えられると思います。

水村美苗の『續明暗』他、他の作家が漱石の『明暗』の続編として書いた小説も多数出版されていますから、それらに目を通してみるのも面白そうです。

『明暗』は、未完であるからこそ、続きを自由に想像できる楽しみがある作品です。

そして、その楽しさを吹き飛ばすほどに、中絶への無念の気持ちが抑えられない作品です。

文豪・夏目漱石の軌跡は『明暗』半ばにして途絶えましたが、死後100年を超えても、作品の素晴らしさは色褪せることがありません。

『明暗』もまた、漱石の魅力がたくさん詰まっていて、未読の方にも是非一読をおすすめしたい作品です。

以上、夏目漱石『明暗』のあらすじ・解説・感想でした。


【参考】
夏目漱石,「私の個人主義」,青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/772_33100.html

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yumihara

文学部出身の主婦です。文学の魅力が少しでも伝わるような、わかりやすい解説・感想を心がけていきたいです。