『夢十夜』(第六夜)の紹介
『夢十夜』は夏目漱石著の短編小説で、明治41年から朝日新聞で連載されました。
第一夜から第五夜までは、生と死の契機が描かれますが、第六夜ではそれらをイメージさせるものは登場しません。
芸術にまつわる話であり、前の5話とは毛色が異なるように感じられます。
ここでは、そんな『夢十夜』第六夜のあらすじ・解説・感想までをまとめました。
『夢十夜』(第六夜)ーあらすじ
運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいると云う評判だから、行って見ると、もう大勢集まって下馬評をやっていた。
護国寺の山門は、松の緑と朱塗の門が互いに照り合って美事に見え、鎌倉時代と思われる。
ところが見物しているのは、みんな明治の人間である。
運慶は見物人の評判には委細頓着なく鑿と槌を動かしている。
自分はどうして今時分まで運慶が生きているのかなと思いながら、立って見ていた。
「能くああ無造作に鑿を使って、思う様な眉や鼻が出来るものだな」と自分は云った。
すると、運慶を見物していた一人の若い男が、
「あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。土の中から石を掘り出す様なものだから間違う筈はない」と云った。
自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思い出した。
それで自分も仁王が掘ってみたくなったから見物をやめて家へ帰った。
鑿と槌を持ち出して、積んである薪を片っ端から掘ってみたが、仁王は見当たらない。
ついに明治の木には到底仁王は埋まっていないものだと悟った。
それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った。
『夢十夜』(第六夜)ー概要
主人公 | 自分 |
重要人物 | 運慶 |
主な舞台 | 護国寺の山門 |
時代背景 | 明治時代 |
作者 | 夏目漱石 |
『夢十夜』(第六夜)―解説(考察)
・「明治の木には到底仁王は埋っていない」とはどういう意味か?
第六夜では、運慶が仁王を彫る様を見た「自分」は、同じように仁王を彫ってみようと試みます。
しかし、いくら彫れども仁王が出現しないのを「明治の木には到底仁王は埋っていない」という理由で結論づけてしまいます。
この「明治の木には到底仁王は埋っていない」という言葉が何かというと、
を意味していると考えます。
尚、ここでの文化とは、人間の精神的活動によって生み出される芸術や文学などを指しています。
この意味について詳しく説明するために、明治という時代について考察を進めます。
明治時代とは、1868年の明治新政府発足から、1912年までの44年間を指します。
江戸時代、鎖国下にあった日本は、明治維新・開国を経て、急速に近代化へ進みます。
その動きとして、資本主義体制の確立などが代表的ですが、文化の世界においても、近代化の影響は大きく現れています。
芸術の世界で見ると、文明開化による欧化主義の影響で、当初は洋風が流行し、しだいに国粋主義が起こって伝統芸術に回帰していった経緯があります。
また、文学の世界も同様に、明治10年代後半頃から西欧近代文学への理解が起こり、明治20年頃には欧化への反動として擬古典主義が生まれます。
そして日清戦争を契機として浪漫主義の誕生、更に明治30年代~40年代にかけての自然主義文学の隆盛、その自然主義文学に対して反自然主義文学が起こりました。
ちなみに、この反自然主義文学のグループの中に余裕派と呼ばれる流派があり、夏目漱石は余裕派に属する作家です。
各主義の説明についてはここでは省略しますが、つまるところ、明治期の文化とは、44年という短い期間でありながら、文明開化による近代化の影響を皮切りに、急激な変化を遂げていった文化ということが分かります。
ところが漱石は、この日本の開化について、外発的で上滑りだとして、批判的な目を向けています。(これについては、『夢十夜』第七夜の解説で詳しく触れていきたいと思います)
「明治の木には~」の表現について、ここでいう「木」とは物理的な木を意味しているのではなく、明治という時代の中で育っていった文化の比喩であるように思います。
様々な主義、流派に分かれていった明治文化は、まさに枝分かれしながら大きく育っていく木を連想させるようです。
日本の開化に対して批判的であった漱石は、外発的要因で急激に育った「明治の木」=明治文化に、運慶の仁王のような名作は二度と現れないだろうという失望感や落胆、あるいは自嘲の思いを込めて、第六夜を描いたのではないかと考えます。
・「運慶が今日まで生きている理由」とは何か
「自分」は明治の木に仁王が埋まっていないと悟ったことにより、「運慶が今日まで生きている理由」を解します。
「運慶が今日まで生きている理由」とは、
ということだと考えます。
運慶とは、平安後期から鎌倉初期にかけての仏師です。
運慶・快慶の東大寺南大門の金剛力士像と言えば、歴史の授業で習った覚えがある方も多いと思います。
金剛力士像は、阿形像と吽形像の二体で寺院の門などに安置されることが多く、仁王とは、寺院の門等に安置された金剛力士像のことを意味します。
運慶の作品に見られる、男性的な力強さ、ダイナミックでリアルな作風は、時代を超えて多くの人々を魅了し、近年でも国立博物館で特別展が開かれるほどです。
漱石は、『夢十夜』第六夜で、この運慶を登場させているわけですが、もちろん運慶が明治時代まで生存しているはずはありません。
前述したように、漱石が明治文化に批判的立場であったと考えるならば、仏教文化という古くから続いてきた歴史の中で作られた運慶の仁王像は、西欧化の影響を受けて急速に変わっていく文化の中では二度と再現できないであろう、昔ながらの日本の精神文化の象徴と捉えることができます。
すなわち、運慶の仁王像に並ぶ名作は明治文化の中では現れないであろうという諦め、またそれによって更に運慶の仁王像の芸術的価値が高まっていることを、運慶が明治時代で仁王像を彫っている姿に例えたのだろうと考えられます。
ちなみにですが、2017年に東京国立博物館などで開催された特別展「運慶」は、60万人超の来場者を記録しています。
漱石の言葉を借りるならば、運慶は明治をも超えて、現代でも生きているということが言えるでしょう。
『夢十夜』(第六夜)ー感想
・第六夜の主題について
第六夜も、残りの九扁と同じく、人によって解釈が分かれる作品です。
あくまで個人的な考えですが、前述の解説内容を踏まえて、第六夜の主題には近代批判が含まれているように私は思います。
近代批判というと理屈っぽい小難しいテーマのように思われます。
しかしそれを、わずか数ページの短編作品、しかも奇妙な夢の話という特殊な形式の中で見事にまとめ上げているところに、夏目漱石という作家の表現の巧みさを感じます。
またこれも余談ですが、夢の奇妙さという点に関して、夢らしい辻褄の合っていない感じは第六夜でも細部まで表現されています。
例えば、運慶が仁王を彫っている護国寺。
護国寺は江戸時代、第五代将軍徳川綱吉の頃に開創された寺です。
当然、護国寺の仁王像は運慶作ではありません。
江戸時代の建立ですから、明治に制作された像というわけでもないでしょう。
「自分」は運慶が明治時代に生きているのを不思議に思っていますが、そもそも舞台が護国寺というところにも、奇妙な印象を感じることができます。
以上、『夢十夜』第六夜のあらすじと考察と感想でした。