泉鏡花『夜行巡査』あらすじ&解説!観念小説の意味からラストまで!

  1. HOME >
  2. 日本文学 >
  3. 泉鏡花 >

泉鏡花『夜行巡査』あらすじ&解説!観念小説の意味からラストまで!

『夜行巡査』の紹介

『夜行巡査』は、明治28年(1895年)4月、「文藝倶楽部」に発表された泉鏡花の短編小説で、「観念小説」の代表作とされています。

「観念小説」とは、明治20年代末期、具体的には日清戦争(1894~1895)直後に流行したジャンルで、現実の社会に対して、作者が「観念」として抱いている問題点や疑問点を主題とする作品を指します。

泉鏡花の作品では、『夜行巡査』のほか『外科室』が観念小説の代表作として知られています。

ここではそんな『夜行巡査』のあらすじ・解説・感想をまとめています。

『夜行巡査』─あらすじ

交番勤務の八田義延巡査は、職務に忠実で、規則に違反する者を見逃すことがなく、老いた車夫や宿無しの母子をきつく咎めながら、深夜の巡回をしていた。

そんな八田巡査の行く手を、お香とその伯父が歩いていた。

お香の母親に惚れ込んでいた伯父は、両親を亡くしたお香を引き取って育ててくれたが、その理由は母親を手に入れられなかったがゆえの執着だった。

お香と八田巡査は恋仲であり、伯父の反対によって仲を引き裂かれていたのだ。

お香への執着をひたすらに話し続ける伯父の態度に耐えられなくなった彼女は、いっそ身を投げようと堀端の土手へと走った。

それを引き戻そうとした伯父は、足を滑らせて堀に落ちてしまう。

駆けつけた八田巡査は、お香の懇願を振り払い、「殺したいほどの老爺だが、職務だ」と堀へ身を躍らせるが、泳ぎを知らなかったため、そのまま死んでしまった。

人々は、そんな八田巡査を「仁なり」と称したのだった。

『夜行巡査』─概要

主人公 八田義延
重要人物 お香、お香の叔父
主な舞台 東京、お堀端
時代背景 明治27年12月10日(この年の4月日清戦争終結)
作者 泉鏡花

『夜行巡査』─解説(考察)

・『夜行巡査』の「観念小説」とは?

『夜行巡査』は「観念小説」の代表作です。

「観念小説」とは、「実社会の矛盾・暗黒面に対する作者の観念を問題意識として提出した小説」(『デジタル大辞泉』より)のことです。

では、『夜行巡査』における、作者が問題提起したかった「観念」とは何でしょうか。

作者は、問題提起の舞台として「八田巡査とお香の悲恋」を選びました。

お香の母親への恋情から、孤児になったお香を引き取って育てた伯父は、母親そっくりに美しく成長したお香に執着し、育ててやったという恩を錦の御旗に、彼女を自分のもとに縛りつけています。

伯父の主張は、「お香の両親が想い合ったがために、自分は事業も名誉も家も捨てた。自分の幸福と希望とを奪ったお香の母親に思い知らせてやりたいが、死んでしまったから、代わりにお香に思い知らせてやる」というものでした。

一方的に惚れ込んだ女性が亡くなったからと、その娘に執着し、結婚も許さないという姿勢は人道的に許されるものではありません。

しかし、八田巡査はそんな男を救おうと堀に飛び込みました。

自分を酷い目に遭わせた人間、誰が聞いても人の道に悖る行為をした人間であっても、自らを犠牲にして救わねばならないほど、警官の「職務」は大切なものなのでしょうか。

作者は小説の最後に、「はたして仁なりや」という一節を用いて、問題提起をしています。

この問題提起こそ、『夜行巡査』が「観念小説」とされる所以です。

・「仁」とは何か?・

作者は「はたして仁なりや」と読者に問いかけました。

ここで言う「仁」とは儒教の道徳である五常(仁・義・礼・智・信)のうち、最も重要とされる事柄です。

儒教を説いた孔子自身は「仁」について弟子たちから尋ねられても、はっきり答えたことはなかったと云います。

『論語』に残された文章をもとに、弟子たちや後世の思想家たちは、「仁」とは万人を愛する思いやりの心である、と定義しました。

八田巡査が命がけでお香の伯父を救おうとした行為は、確かに「仁」──人を愛することの体現に見えるかもしれません。

しかし、小説の前半、八田巡査は「自分の職務に忠実で、規則を破る者に対して非情な人物」として描かれています。

規則を盾にして、弱い立場である老車夫を震え上がるほどに脅しつけたり、行き場もなく、軒下で寒さをしのぐ母子を追い立てたりといった行為をしているのです。

この事実を見るかぎり、八田巡査の内に「仁」があるとは思えません。

では、彼の行為が意味するものは何だったのでしょうか。

・八田巡査の行為とは?

規則に則って弱者を虐げる行為と、人を救うために自らを投げ出す行為は相反した行動ですが、八田巡査の内には矛盾なく存在しています。

八田巡査の救命行為は、溺れかけている相手への思いやりや自己犠牲の精神に起因するものではありません。

人命救助が警官として当たり前の行為だったため、八田巡査は自分が泳げないことなど無視し、恋人の懇願をも振り払って、冷たい堀に飛び込みました。

自らの「当たり前」のために、彼は生命を捧げたのです。

相手を救うこともできず、自分が命を落としてしまったのですから、ひどく愚かな行為でさえあったのです。

それでも、「社会は一般に八田巡査を仁なりと称」しました。

それに対して、作者は「はたして仁なりや、しかも一人の渠が残忍過酷にして、恕すべき老車夫を懲罰し、憐むべき母と子を厳責したりし尽瘁を、讃歎するもの無きはいかん」と疑問を投げかけたのです。

・物語のラスト「はたして仁なりや」

物語の最後に提示された作者の疑問の後半、「八田巡査の持つ酷薄な面のことを嘆く人がいないのは如何なものか」という問いかけは、物事を一方向からだけ見ることの危うさを示しています。

同時に、物事の意味とは単純に判断できるものではなく、相反する幾つもの意味合いを持ちうる可能性があるとも述べています。

作者はそうした自分の考えを述べたうえで、八田巡査を「仁の人」とするか否かの判断を読者の手に委ねました。

八田巡査の行動は、読者が「矛盾を内包する様々な物事」を受け入れられるかどうかという試金石であり、同時に、作者自身が自己の内面を覗いて自分の持つ「観念」の在り様を分析するための道具でもあります。

この判断に正解はありません。

読者一人一人の判断が正解であり、間違いでもあるのです。

その矛盾こそ、作者が最初に抱いた疑問であり、持ち続ける「観念」の正体であると言えるでしょう。

『夜行巡査』─感想

・お香の悲しみ

八田巡査の恋人であるお香は、伯父の執着に縛られ、彼との仲を引き裂かれてしまいます。

現代の女性ならば、自分の人格を否定するような伯父の執着から逃れようと様々な手段を講じるところでしょうが、明治の半ばに生きるお香は、逃れることなど考えもしなかったと思います。

結果として、恋人を失うという悲劇に遭ったお香にとって、生涯いちばんの悲しみが何であったかを考えると、非常に興味深いものがあります。

恋人が目の前で死んでしまったことは、もちろん悲しかったでしょう。

また、伯父が自分に執着していた理由を聞いたときも悲しかったに違いありません。

育ての親である伯父の愛情を一身に受け、厳しさもまた愛ゆえだろうと思っていたのに、母の身代わりから始まった歪んだ愛の対象に過ぎなかったと知ったことは、彼女にとって絶望とも言える悲しみだったと思います。

しかし、何よりも悲しかったのは、もう逢えないと思っていた恋人にようやく縋り着くことができたのに、その手を振り払われたことだったのではないでしょうか。

自分たちを別れさせた人物を助けるための拒絶だったのですから、お香の心がどれだけかき乱されたことか、想像に難くありません。

八田巡査が職務に忠実で、真面目すぎるほど真面目だということは、お香も承知しています。

そのうえで、職務より自分のほうを優先してほしいというのが、恋人であるお香の正直な気持ちだったでしょう。

したがって、伯父を助けようとする八田巡査の行為は、お香にとって自分たちの恋に対する裏切りでしかありませんでした。

わずかな躊躇はあったものの、八田巡査は、二人の未来を閉ざした伯父を助けるために彼女を振り払ったのです。

明確な行動を伴った裏切りは、お香の心を深く傷つけ、他とは比べものにならない悲しみとなったのではないかと思います。

お香がこの事件のあと、どうしたかは書かれていませんが、おそらくは伯父も溺れ死んでしまい、一人取り残されたのではないでしょうか。

大切な人を一度に二人も亡くしたお香が、伯父の菩提を弔うのと同じように恋人を悼むことができたかと聞かれたら、私は「無理だと思う」と答えます。

伯父の死と引き換えに自由な暮らしを手に入れたはずが、恋人は自分を裏切ると同義の行為の果てに死んでしまいました。

伯父からの執着愛はいつか家族愛へと昇華できるかもしれませんが、恋人の裏切りを許すことはできないのではないかと思うのです。

心の底から好きだった人を許すことができない、悼むことができない──もしかしたら、それがお香のいちばんの悲しみなのかもしれません。

以上、『夜行巡査』のあらすじ、考察、感想でした。

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
Avatar photo

みやこ

月に10冊ほどのペースで、かれこれ半世紀以上さまざまな本を読んできました。どんなジャンル、作家の本であっても、食わず嫌いはせずに一度は読んでみるようにしています。還暦を目の前にした今でも、日ごと新しい面白い本に出会えるのを楽しみに過ごせることがありがたいです。好きな作家は、福永武彦、吉川英治、池波正太郎、清水義範、宇佐見りん。「自分が読みたい文章を書く」ことを念頭に記事を執筆しています。