『時そば』の紹介
『時そば』は古典落語の演目の一つ。鑑賞の際は、噺家が扇子を用いてそばをすする演技も見どころです。
原話は(坐笑産)ざしょうみやげ(1773年)にあります。明治中期に、3代目柳家小さんが『時うどん』を江戸へ持ってくるために改作したといわれています。『夜鷹そば』ともいわれています。
当時の蕎麦屋は屋台のようなものではありません。
町中に桶を担ぎお客がいたらその場でそばをゆで、器やお箸を渡します。忙しくなってくると、そばを提供し、器を後で回収することもあったとか。
そばは二八そば、二割がうどん粉、八割がそば粉でした。お代も十六文と覚えやすいですね。
ここでは、『時そば』のあらすじ・解説・感想までをまとめました。
『時そば』ーあらすじ
芯から冷えるような晩だった。男は暖を取るために熱いそばを食べることにした。
男は蕎麦屋にあるものを何から何まで褒めた。器、店の看板、箸、出汁、そば、そばに入ったちくわにいたるまで、とにかく褒めちぎった。入店してから、そばを食べ終わるまで終始褒めた。
肝心のお勘定になったとき、男はこういった。
「おれはあいにく細かいお金しか持ってない。お前さんの手の甲の上に1枚ずつ載せていくから、一緒に勘定してくれるかい。」
店主は「あい、わかった。」といい、一緒に一文銭で勘定をする。
「ひぃー、ふぅー、みぃー、よう、いつ、むう、なな、やあ」
8文まで数えたときに、男が、「いま、(何時)なんどきでぃ?」と店主に確認する。
「へい、ここのつ(九)、でい」
「とお、じゅういち、じゅうに、じゅうさん、じゅうよん、じゅうご、じゅうろく。じゃあごちそうさん!」と、退散していった。
これをそばでぼうっと見ていた町の男が、翌日この客の真似をして、別の蕎麦屋にそばを食べにいく。男は試してみたくて仕方がない。昨日よりうんと早い時間に蕎麦屋にむかう。
男の真似をして終始褒めようとするが、別の店。褒めることすべてが裏目に出て、嫌みのように聞こえてしまう。
さぁいざ勘定のとき、昨日見た光景を再現すべく、
「細かいお金しか持ってない。お前さんの手の甲の上に1枚ずつ載せていくから、一緒に勘定してくれるかい?」
「ひぃー、ふぅー、みぃー、よう、いつ、むう、なな、やあ」
「いま、(何時」なんどきでぃ?」
「へい、四つでい」
「いつ、むぅ、なな・・・」
『時そば』ー概要
主人公 | 町の男 |
重要人物 | 褒めちぎってそばを食べた男 |
主な舞台 | そば屋 |
時代背景 | 明治時代・深夜帯に出歩く娼婦を客とする屋台や振売りが多くいた。 |
出典 | 「軽口初笑」の「他人は喰いより」 |
『時そば』―解説(考察)
・そば屋のなにもかもを褒めちぎる男
褒めちぎる男はどうしてこんなに商品やお店の中を褒めるのでしょうか。
酒に酔っていたのか、お気に入りの女性との逢瀬が待っているのでしょうか。それにしても深夜というのは、みんな寝静まっている時間です。起きている人は気持ちがどうにもそわそわします。
そばが来るまで男は店構え、器、箸、出汁、ちくわ、そばにいたるまですべてを褒めていきます。また噺家の褒め方の上手なこと。ついつい聞き入ってしまいます。人物の演じ分けも、聞いていて大変面白いです。
しかし、ほめるにしては、至極シンプルなそばです。具材はちくわの一品だけです。
当時はそばの値段が急騰したこともあり、1杯16文です。この男は今までもこのように町で二八そばを食べたことがあったのでしょう。
その時の経験を交え、器、箸、そば、あらゆるものを褒めます。
最初から、どうしたら安くそばを食べることができるのか、計画を立てていたことがうかがえます。用意周到ですね。
・店主と一緒に勘定をする
冒頭の男は、ひぃー。ふぅー、みぃー、と、店主と一緒に1文銭を数え、ちょうどよい頃合いで、店主から
「九つ!(現代の午前0時)」
を引き出さねばなりません。
ただそばを食べているのではあっという間に食べ終わってしまいます。
時間稼ぎのために手当たり次第にたくさん褒めちぎっていたのでしょう。
また、他にお客が来て、自分の勘定のことなど忘れてもらえたらそれはそれでラッキーです。とにかく時間を稼ぐためにできることをやっていたのでしょう。
一方、店主からしてみれば、店のことを褒められたのであれば、悪い気はしません。少々気持ちもよくなって、他の客と比べたらちくわも厚切りになっていたのかもしれません。
また、この男の、手の甲に勘定の一文銭を載せていく、というスキルも巧妙です。
手のひらの上に載せていくのであれば払われたお金を指で握りしめて、次の動作にすぐ取り掛かれます。
しかし褒めちぎったこの男は店主の動作を遅らせるため、手の甲に一文銭を置きます。
そうなると手の甲にあるお代をどこか一か所にまとめておきたくなります。あくどいですね。
まさか、店主がごちそうさん!と出ていった男を追いかけようものなら、手の上の一文銭は町のそこかしこに散らばってしまいます。
・真似をする町の男
ぼうっと二人のやり取りを見ていたこの男。まんまと勘定をごまかした男のさまを振り返ります。褒めちぎっていた男はそばの代金を十五文しか払っていません。
十六文のそばを十五文で食えるとなれば、男はうれしくなります。
これはいい考えだ!自分にもできるだろうと、昨晩の男がやったように、振り返りながら、失敗するといけないので、少し早めの時刻に自分も蕎麦屋に向かいます。
器、箸、店構え、そば、ちくわ、出汁、昨日の蕎麦屋で見た光景を思い出しながら、同じように褒めますが、どうも嫌みに聞こえてしまいます。
しまいにはそばを早く出せとせかしてしまう始末です。
・勘定をするタイミング
勘定のとき。昨日の男のようにカウントします。
しかし、男がそばを食べに来たのは、昨日よりも少し早めの時間、よつどき(22時ごろ)です。
男「ひぃー、ふぅー、みぃー、よつ、いつ、むう、なな、やあ。ところで今なんどきでぃ?」
店主「よっつ(22時)です。」
男「いつ、むう、なな、やぁ」
時間のことまで考えていなかったこの男は、たいして豪華なわけでもない質素なそばを食べるのに、二十文も払うことになるのかもしれません。
時刻のことまで考えていなかったのでしょう。
この落語の中では、実際に二十文払ったのかは、明確にされていません。
『時そば』はいろいろな見方ができます。
序盤に蕎麦屋全体を褒めちぎる男が登場します。
また、値段の割には質素なそばを少しぼんやりとした町の男の様子を通して16文も出す価値があるのだろうか、と問題提起しているようにもとらえられます。
また、ぼんやりとした男を通して、蕎麦屋の不衛生な部分や、薄く切ったちくわ等、この蕎麦屋のせこい様子を揶揄しています。
この二八そばは16文ですが、それ以前は1杯6文ほどで食べることができていたそうです。
享保の改革のため、当時6文だったそばが16文に値上がり、この町の男がそばを食べに行くときには、20文になるのではないか、という皮肉も、この落語を通して表現されているのかもしれません。
『時そば』ー感想
・そばの価値
急な値上げにより、そばの具材は変わらず、図らずとも値上げをしなくてはならなかったこの時代。
今までと何ら変わらないそばに、おかみのお達しで今まで以上払わなければいけません。
この男2人を使って、値段と価値にそぐわない『そば』を上手く批判するのが『時そば』という落語です。
登場人物を通して行政や町の様子を面白おかしく毒づくのは、落語独特の表現ですね。
噺家のそばをすする所作、音も、聴きどころです。そばを本当に食べているかのような表現力は、修行のたまものです。ぜひ機会があれば一度聞いてみてください。
以上、『時そば』第一夜のあらすじと考察と感想でした。