『キリマンジャロの雪』あらすじ&感想!豹が表現する暗示とは何か?

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『キリマンジャロの雪』あらすじ&感想!豹が表現する暗示とは何か?

『キリマンジャロの雪』紹介

作者ヘミングウエイは1999年生まれ。1925年26歳の時に短編集「われらの時代」で文壇デビュー、この『キリマンジャロの雪』を発表したのは1936年彼が37歳の時です。

この間彼はイタリア戦線にアメリカ赤十字の要員として従軍、重傷を負い、その療養中に芽生えた恋を基に後に『武器よさらば』を発表しています。

カナダ、スペイン、パリ等と生活拠点を変え、作家生活上のスポンサーや新しい恋の相手も現れます。世界恐慌もありました。

新しい恋の裏に恋人との別れ等ストレスも多い。

作家として十分な名声を得ていても、何時も順調に構想が熟成し、作品を発表できるものでもない。

従来の貯えを清算し、或いは否定して、再生を目指していた時期の代表的な作品がこの『キリマンジャロの雪』と言われます。

あらすじはシンプルです。

作家ハリーが夫婦でアフリカ旅行中に壊疽にかかり、死が間近い。妻と言いあって気分を紛らし、夢の中でこれまでの生活や構想していた筋立てを想う。翌朝彼は死去するが夢の中、飛行機でキリマンジャロの頂上を目指している。

冒頭にさり気なく載せられている言葉があり、その大意は「キリマンジャロの西の山頂はマサイ語で神の家と呼ばれている。その近くに一頭の豹の屍が横たわっているが、誰も豹が何を求めていたのか知らない」です。

以下『キリマンジャロの雪』のあらすじ、解説、感想をまとめました。

『キリマンジャロの雪』あらすじ

作家ハリーが「己の精神にこびりついた脂肪」をそぎ落とすために妻ヘレンと共にアフリカのサバンナへ旅行に来た。

脂肪とは己の怠惰の産物か才能不足か、恋の駆け引きで手に入れた虚栄の垢か、そんな諸々だろう。

怪我の手当てが悪く足が壊疽となり、救助が間に合いそうになく死がほぼ確実な状況になっている。

ハリーは日陰でベッドに横になり、妻は隣で必死に励ましている。しかしハリーの心に浮かんでくるのは時に死の予感、臭いや禿鷹の出現、ハイエナの声も聞こえてくる。

ハリーは、あれこれ浮かんでくるままに妻にイライラをぶつけ気を紛らしている。

夢の中でこれまでの場面が浮かんでくる、恋の駆け引きのこと、戦争、紛争体験のこと、温めているが完成していない作品の断片のこと。

妻は裕福で有名誌にも掲載される最高の女で経済的な援助も受けてきたが、それに甘んずることなく大金持ち連中の虚栄の実像を作品にしてやろうと思っていた。

しかし煮詰まらず援助に甘んじている自分が腹立たしい。

人生の最後を悟り、象徴的な言葉が出る。

「一つだけ、俺が絶対に失わなかったのは、好奇心だな」

死期を悟ったハリーは妻の口述筆記で断片的にでも構想を纏めようとするが、そこまでの体力、気力は残っていない。

そして翌朝、ハリーは誰にも看取られることなく死んでいった。

夢の中で彼は救援の飛行機に乗り、キリマンジャロの山頂を目指して飛んでいた。冒頭に以下の暗示的な文言がある。

「アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロの西の頂はマサイ語で「神の家」と呼ばれている。その近くに豹の屍が横たわっているが6000mの高地で豹が何を求めていたのか、誰も説明できない。」

『キリマンジャロの雪』概要

主人公 作家ハリー
共演者 妻ヘレン
舞台 アフリカ、サバンナ
状況設定 心の洗濯に来たが、ケガから足が壊疽となり死が免れない状況。妻と言い争い、うなされながら夢の中で自分の半生を振り返っている。
主題を暗示する存在 マサイ族が「神の山」と呼ぶキリマンジャロ山頂で死んでいる豹

『キリマンジャロの雪』解説

ヘミングウエイは1925年26歳の時に「我らの時代」で文壇にデビュー、61歳で自死するまで35年間の作家人生でした。

作品を考える時には、作者の情況を考慮することは非常に大切だと考えます。

第一次、二次世界大戦やスペイン内戦に従軍し、恋多き男として4回の結婚をし、狩猟や大物釣りのアウトドアライフが似合う「ハードボイルド作家」のイメージがあります。

それを維持するべく大型クルーザーも購入し飛行機も愛用しました。

交通事故や飛行機事故、従軍での負傷も数多く経験しました。

裕福な女性との結婚やその一族からの援助等もあり、表面的には彼の生活は順風満帆に見えたかもしれません。

彼はそんな体験の中から時々に作品を発表しましたが、自分が書きたいもの、書くべきもの、その為に必要なものは何か!と考えてゆくと必ずしも理想的な状況ばかりではなかったでしょう。

彼の書きたいテーマ、世間的なイメージを保つこと、その為に必要な環境、自分の精神と体調、それが交通事故や航空機事故の後遺症等で少しずつ狂って、やがて自死に繋がったのだと考えます。

1926年『日はまた昇る』刊行。1929年、フランス、スイスで過ごし、『武器よさらば』刊行。1937年37歳の時スペイン内戦取材、『キリマンジャロの雪』を刊行。1940年『誰がために鐘は鳴る』刊行。

彼の35年間の作家人生の中で12年目、充分な名声は得ているが自分の書きたい構想が煮詰まらない。

裕福なスポンサーとも言える妻やその一族の援助、それに甘える自分の姿、理想と現実のギャップの中で苦しんでいた時期であったようです。

それを打破するべくこれまでの自分を破壊し、再出発を目指した。

この『キリマンジャロの雪』は、ヘミングウエイの置かれていた境遇そのままであり、作家としての、そして自分の理想とする己の在り方とのギャップを修正するべく書いたのだという見方に賛同します。

人間には欲と好奇心が必要だと思います。

人間が生きてゆく上での基本的なキーワードは、ゴーギャンの「我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処へ行くのか」、ダーウインの「生き残る者は変化する者」だと思います。

それが、何時の世でも人を進歩させる、先頭に立つ人に共感を持ち全体の進歩に繋がるのだと思います。

アメリカ人は特にヒーローが大好きなようです。

映画では正義の見方、弱者の味方がいざという時には現れて助けてくれます。

でも実際には、人間界にそんなスパーヒーローは存在しません。

「ミスタープロ野球」長嶋さんの言葉で忘れられない話があります。長嶋さんが親しい人に思わず「長嶋茂雄を演ずるのも大変だよ」と漏らしたという話です。

またもう一つ、これは国連も手を出しにくいような紛争の当事者間を取り持つ「国際交渉人」島田久仁彦氏の言葉です。

彼は交渉にかかる時に「一人でも世界は変えられる」と言い聞かせるらしいです。

そしてキーワードは「始めるには勇気がいり、進むには仲間が必要で、そしてやり遂げるには信念が欠かせない」です。

頂点を目指してチャレンジする、それは科学者であれ、技術者であれ、作家であれ同様でしょう。

中でも作家は不健康で体や心を壊す人が多いように感じます。

規則正しい生活ではアイデアは浮かばないのでしょう。

ヘミングウエイや日本のヘミングウエイとも言われた開高健さんも、外見は狩猟や釣り好きの外交的な人でしたが、実際はそうではなかったようです。

開高さんは、人見知りで知らない人との付き合いは、一日一人が限度だと自分のエッセイで書かれていました。

部屋にこもってじっと作品のことを考えていると、神経性の下痢に悩まされるので、渓流釣りを覚え、多分あまり飲めない酒も覚えたようです。

ヘミングウエイのアウトドアライフや恋多き男も完全な実像ではなかったようです。

それでも、その理想に向けて、夢を実現しようとする、その努力が人を向上させ、人類を向上させるのだと思います。

この話の主人公ハリーは、そしてヘミングウエイは望む通りの姿を実現できたか否かということになります。

読者なりの、各人なりの受け止め方で良いのだと思いますが、私の見方は「二人ともこれで良い」のだと思います。

その理由は「二人とも、ベストを目指してともかくも努力した」ということです。

評価は時代とともに変わる、後からついてくるものです。

ヘミングウエイはこの後、従軍体験からの作品『誰がために鐘が鐘は鳴る』などの作品を著し、やがて『老人と海』でノーベル文学賞を受賞しています。

この作品の主題は「人間はどこまで進歩できるのか」「人間とは何か」だと考えています。

そして、その象徴的な言葉が終盤の「一つだけ、俺が絶対に失わなかったのは好奇心だな」だと思います。

『キリマンジャロの雪』感想

この本を最初に読んだのは学生時代、多分二十歳前後で,約半世紀も前のことです。

物思う時期で、ヘミングウエイや島崎藤村、その他ランボー、ホイットマン、リルケ、ハイネの詩集等を乱読した覚えがあります。

その中で今も覚えているのは『武器よさらば』の最終場面と『老人と海』で浮かんできた影像的なイメージのみです。

半世紀ぶりに読んで気付いたことが幾つかあります。

多分私が古希になり、平凡ながらも人生経験を重ねて、世の中や人生に対する見方、考え方がそれなりにできてきた、若しくは変わったということでしょう。

まず、短編で単純なストーリーの中によくこれだけ、それまでの作家の生活や経験等の主題を濃縮して詰め込んであること。

次に作家も他の人々と同じく、目指す所があり大いに悩み努力しているのだということ。

作家というのは誠に体力知力をすり減らす業種であり、自分の心身を削って作品を作っているらしいこと。

最後が多分この小説のテーマであろう所の「キリマンジャロ頂上の豹」の意味でしょう。

短編小説というのは、一つの主題があるだけのシンプルなものだと思っていました。

この話は、ストーリーはシンプルだが主題と思われる部分が満載です。

主題はキリマンジャロ山頂で死んでいる豹からイメージされるように「人間はどこまで進歩できるか」「人間とは何か」だと考えます。

主人公ハリーは、最大限の努力をして、それなりの地位を得ます。

スポンサーも得た、何人かの女性との恋も得た、世界中を回りいろんな体験もした。書きたい題材もあるが、もう一つ纏まらない。

金持ちの妻の援助に甘んずることなく富裕層の実態と虚構を作品にしようと思うが構想のみで、逆に援助に甘え堕落してゆく自分がある。

そんな情況から脱皮したい自分があるのでしょう。

ともかくも、これ迄の生活が濃いからこれだけ濃縮されているのでしょう。

作家は「自営業」と言われます。営業方針も方法も全て自己で決定します。

多数を占める会社員は、会社の方針、上司の指示に従って働き給与を得ます。会社の方針、上司の方針に納得できれば良いのですが、多くの場合差異があり我慢を強いられます。

会社員が必要な資質に我慢と人付き合いの上手さもあります。

最近でこそ会社員も自分の希望する職種を選べるようになりつつありますが、国や国民が貧しい段階ではとにかく「稼げるところ」が第一の選択で「我慢」は当たり前でした。

作家は、一体何を求めて作家,物書き業になりたいのか、何を書きたいのか、どんな人生を送りたいのか知りたくなります。

平凡な人生、平凡な人間では物語も面白くなく読者に共感してもらえないだろうし、流行の最先端を行く生活や文化も経験できれば良いのだがそんなに簡単ではない。

そこから自己の得意分野、人々の未開拓の分野を目指すのでしょうか。

基本的には人間の真善美、反対に虚悪醜、要は人間の真実を探りたいということでしょう。

作家の書くエッセイでその作家の素顔を垣間見ることがあります。

日本のヘミングウエイと言われた故開高健さんは、人見知りで人付き合いが苦手、書斎でじっとしていても筆が進まず神経性の下痢になる、そこでリフレッシュのために人に会わなくてもよい渓流釣りに出ていたようです。

ベトナム戦争に従軍した時は、ベトコン側の待ち伏せに会い同行のカメラマンと二人、死を覚悟しお互いに遺影を撮ったと言います。

幸いにも二人とも生き残り以降、毎年その日を記念日として大酒を飲む日としたらしいです。

戦争従軍も異常な経験でしょうが何がそうさせるのか知りたくなります。

その体験を題材にした小説がありますが、テーマが重苦しく未だに読む勇気がありません。

人間も時代と共に変わるでしょう。

貧困からの脱出、豊かになることが人間の目標であったが先進国から変わりつつある。

地球に成長の限界はあるし定員はあります。

現在世界の人口は80億人、全員がアメリカ並みのカロリーを消費すれば30億人弱が限界だと言います。

そんな時代に人間の生き方は当然変わる、どう変わるのか、芸術は人間の在り方はどうあるのか、是非知りたいです。

そんな課題を突き詰めた一人がヘミングウエイだと感じています。

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supamari

ポスト団塊の世代で、4人男ばかり兄弟の末っ子、親も心配するほどの引っ込み思案な子供でした。小学入学前から高学年になるまではエジソンや一休さん,源氏物語や今昔物語、グリム童話等20冊程度でしたが、繰り返し読んだので今でも覚えていることが多々あります。以降乱読の時代を経て、エッセイの時代。最近は、ノンフイクションや遺伝子関連、池上彰さんの解説本、地政学、現代の知の巨人と言われるAPU(立命館アジア太平洋大学学長)出口氏の本当が中心になっています。出口氏の「物事の判断は、縦横算数、歴史、世界、データ、で考えろ」という意見に成程と思いました。地元の新聞への投稿等もしていますが、世界の課題、テーマが重く後回しにしてきた作家(開高健)等をじっくりと読み、またまとめてみたく思います。