開高健『日本三文オペラ』紹介
「ベトナム戦記」、「夏の闇」などの戦場取材体験を基にした作品や、芥川賞受賞作の「裸の王様」、釣り紀行作品「オーパ」などで知られている開高健さんの初期の作品です。
この作品『日本三文オペラ』は、29歳の時の作品で、自分の生まれ育った大阪が舞台です。
戦後の混乱期に実際にあった話が基になっています。
作品を読んだ親分の一人が「違う部分が多い」と言ったという話があります。
戦後の混乱、貧困や差別、当事者の目、作家の目も合わせて考えると、より興味が湧いてくると思います。
この記事ではそんな『日本三文オペラ』のあらすじ、解説、感想を紹介します。
『日本三文オペラ』あらすじ
舞台は戦後の大阪、大阪駅から電車で5.6分の低湿地帯にある通称「アパッチ部落」。
この地区には前科者、密入国者、無戸籍者他、行くあての無い底辺の人達約800人が、土地を不法占拠して小屋を建て住んでいました。
この部落のすぐ近くに、爆撃で廃墟となった兵器工廠跡があり、そこは財務局の管理地で警察が監視をしています。
もっとも現場や夜間の監視は、臨時職員で、当時「にこよん」と呼ばれた日給240円の日雇い労働者です。
部落の人達は、「違法とは知りながら生活のために」盗掘をして金に換えます。
違法ですから、財務局も警察も放置できません。
部落民、財務局、警察、それぞれの組織の立場や判断、各人の心の動きが、ここに流れ着き窃盗団の一員となったフクスケの目を通して描かれます。
まず、主人公フクスケが2.3日食事にもありつけず、飲み屋街をうろついています。
それを見つけた女に飯をおごられて、「飯付き、宿泊付き、制服貸与」条件ですスカウトされます。
他の道の選びようもなく、グループでの夜間作業に付き従い日当を貰います。
そして、とりあえず生きてゆくために仲間になります。
初仕事の明け方、薄明りの中でフクスケが見たのは、面積約35万坪と広大な元大阪陸軍砲兵工廠の跡地です。8月14日の爆撃により壊滅し、貴重な屑鉄等を抱えたまま眠っており「杉山鉱山」と呼ばれていました。
この廃墟の中を鉄道が走り、周囲には運河がある、さらにもう一つ運河が交差し、ガス管が通っている、そして警官や守衛が監視している正門へ通じる橋がある。運河の一つは急斜面で、もう一つは底なしの泥沼状態になっている。
そんな条件下で部落民、警察、守衛等の戦いが展開します。
最初は偶然の鉄屑発見から始まり、やがて部落民全体に広がります。
盗難を正当化するために誰かが言いだした「無主物占有:誰のものでもない物を専有することで、自己の所有とする」の観念を持ち出します。
財務局の要請を受けて警察の摘発も厳しくなると、はじめは個人単位であった部落民も、組織化しそれぞれの適性に応じて役割分担を果たします。
部落には5つのグループがあり、フクスケの組の親分はキムで手下14名、手下のための下宿屋も構えています。
利益の配当から仕事の教育訓練迄条件を明示し、出入りも自由とのことです。
金属屑の掘り出しは重労働ですが、女、子供、老人にも役目があります。昼
間の単独行動でめぼしい候補地を探しておく、夜間や昼間に警官や守衛、機動隊の動きを偵察する、動きがあった場合の電話連絡等々、皆何らかの役割を果たします。
この町に流れ着いた指が無く動作の鈍い老人も、作業現場の者に一升瓶の水を売る役目を得ます。老人は字が書けませんが、自分なりの記号等で売り上げ先と数量が分かるようにしています。
その他、積み過ぎ等で転覆し、運河へ沈んだ金属を引き上げるために、ドブ川に潜り縄を仕掛ける者まで登場します。
警察も負けてはいません。
引き上げたと見せかけて一部を草叢に残しておいたり、警官が日雇い労働者に化けたり、アパッチの方がそれをやり返したり、守衛を買収したりと終わりはありません。日雇いの守衛の中にも『悪法も法』と買収になびかない人も存在します。
当局側の取り締まりが厳しくなり、騒ぎが大きくなると新聞報道で杉山鉱山とアパッチ部落のことが外部に知られます。すると、外部からの新規参入者も増えてきますが、ルールは守られなくなり混乱の度合いが増してゆきます。
キムは度々部落の親分他関係者を集め、対策を練りますが、効果はなく徐々に弱体化してゆきます。
検挙者が増え、犠牲者も出ます。ある時は、警官の裏をかいて鉄道の線路を利用したのはいいが、鉄道を止めてしまい一層騒ぎが大きくなります。
当局も本格的な対策に動き出します。
運河に木杭を植えて船が入れなくする、アパッチがそれを引き抜く、当局が鉱山に有刺鉄線を張り巡らす。
部落民を懐柔し情報提供者に仕立てる。「貧すれば鈍する」で部落民の中でも騙し合いや裏切りが発生します。
ある時会社の変圧器を盗んだが金にならず、それに失望した一部の者がアルミのインゴットを盗み出します。
これにはキムだけでなく、多くの者が怒り出します。明らかに窃盗で金額も大きい、部落の崩壊が確実に見込まれるからです。
この時は、部落民ほぼ全員の総意で元に返しています。
その後も失敗は起こります。
作戦が失敗し当局に押収された箱の中身が銀だといううわさが流れ、それは大半の部落民には「真実」と確信するほどに膨張します。
銀地金50㎏4本を取り戻す作戦を実行しなければ納まりがつかなくなり、苦労の末の作戦を実行するが失敗します。
キムと共に作戦を主導していたラバが犠牲となったが身元は誰にもわかりません。
事後に冷静に考えれば、銀の話しは信憑性が無かったのに警察も部落民も壮大な無駄をしました。
新聞報道では警察側の動員数180人であり、それまで部落民をあからさまに悪者にはしなか新聞も「組織的犯罪集団」との報道に変わりました。
財務局はブルドーザーを使い整地を始める、部落民も疲弊し抜ける者も出始めます。
鉱山で警官に追われ死亡する者も増え、争いによる死者も増えます。
キム他朝鮮人は土葬の習慣ですが当時の大阪は火葬です。
そんな食い違いも出始めます。思い余ったキムは、警察や市役所や職業安定所に部落民と共に交渉に出かけます。
当時の日本は、部落民の要望に応えられるだけの余力はありません。
鉱山の整備は必要なはずであり、その事業と、それに部落民を使ってもらうよう提案しますが、受け入れられません。
市役所では、たらい回しの末に老人が出てきます。部落の歴史や、窮状の現実等は誠に理解しているのですが「ここは実行機関ではありません」が最終回答です。
フクスケの仲間にもここに見切りをつけて、転出する者が出ます。
皆は黙って見送るだけです。フクスケ他3名の残った者で、これ迄禁じ手であった工場(アルミの地金を盗んだが全部元に戻した会社)を襲いますが、失敗します。
仲間の2名はそのまま行方不明になります。
最後は少なくなったキムの仲間の一人が、部落を出てゆく場面で終わります。
見送るキムが「便りを」と言うと、返事は「新聞見とれ」です。「新聞見とれ」の意味は、事件を起こして死亡したら新聞へ出るから見とれ、の意味でしょう。
『日本3文オペラ』解説
まず以下の3項目について考えてみます。
- 時代背景
- 本作品発表時の作者の年齢と人生経験
- その他、当局、新聞
1.時代背景
この作品は開高さんが29歳の時の作品で、前年には現地取材をしていることより1.960年前後の大阪の姿でしょう。
作品の舞台の一つ「大阪砲兵工廠」は大阪城の東側に隣接しており、作品に書かれているように川や運河に囲まれた地域です。
数度爆撃被害を受けていますが今も、一部建物や、爆撃でずれた石垣や、荷揚げ場所等が残っており盗難する側の大変さも伝わってきます。
この当時は所謂戦後の復興期ですが、まだまだ日本は貧しい時代でした。
現皇太后美智子様のご成婚ブームなど明るい話題の一方で、第一次安保反対闘争などもありました。
私は1960年には8歳でしたが、まだ昼の弁当を持ってこられない者が1割位ありました。
生活保護制度は1950年に始まっていますが、「世間様に恥ずかしくないように」との意識が強く、また田舎ではその知識も世話をする者も不在という状況がありました。
職を求めて都会への人口集中が始まっていた時期でもありますが、全体的に見れば「落ちこぼれ」も多く、役所もそこまで手が回らない時期でもあったようです。私の田舎でも、高圧線工事後の銅線の切れ端や、鉄屑を集めて小遣いにした記憶があります。
アパッチ部落は、大半が不法占拠の土地として描かれています。
住民は騙されて対価を支払っていますが、似たようなことは全国的にあったようです。
私は四国在住ですが、終戦後から意図的、或いは知らずに、或いは止む無く不法占拠を続けていた例を見ています。
生活のための飲み屋街、露天商の市場、住宅等です。
解決は理屈だけでは無理であり、説得する人材がおらず、永年掛かって結局税金で代替措置を講ずる形で解決しています。
田舎では隣近所の目があり、犯罪者や無戸籍者等には住みにくいでしょう。
都会の、それも吹き溜まりのような場所は、ある意味安全ではあります。
しかし、外部からの干渉が少ない代わりに、役所の援助も受けにくい面があると思います。
貧困と差別があり、団結してそれに耐えてゆくしかないでしょう。
この少し後1.970年代の京都の朝鮮人部落を舞台にした映画「パッチギ」も同じ匂いを感じました。興味のある人はもう一度鑑賞してください。
2.本作発表時の作者の年齢と人生経験
人の一生にはそれぞれの時期があり、均等に成長してゆくわけではありません。
木の年輪のように、冬の寒さで少ししか成長しない時期や、春夏になり水や栄養分日当たりが良好になると、急激に大きくなる時期もあります。
木にとって年中春や夏が良いかと言えば、そうでもありません。
冬を経験せず夏ばかりでは、柔らかすぎて使い物にならない木になるからです。
開高さんの作家人生は、幼少期からの向学心と何事も突き詰める性格、膨大な読書量、同人誌の集いなどで基礎ができていたように思います。
加えて中学生の時、父の死により一家の家計のため働かざるを得なかったが、そこで見聞きした大人の社会の現実と矛盾も糧になっていると思います。
学生結婚をして一女の父になったが無職の有様、子育てのため退職する奥様と入れ替わりに現サントリーへ入社、コピーライターの先駆者としてサラリーマン生活を送っています。
開高さんは人一倍人見知りであったようで、サラリーマン生活の中ではストレスのたまる場面もあったでしょうが、それも後々の糧になっているように感じます。
作品は世の中に認められてこそ、作品と言える面があります。まことに厳しい世界ですが、多くの作家は世間の傾向に迎合することは望まないでしょう。
開高さんも同人誌の時代にはまだ自分のスタイルを確立できず、外国文学の翻訳から始めたようです。
この作品はサントリーで生活費を稼ぎながら、物書きを目指す2足の草鞋時代の3作目、29歳の時のものです。この作品は実在のモデルがあり、前年には大阪で取材をしています。
私も古希を過ぎた今思うのですが、取材する側もされる側も年齢や人生経験により注目するポイント、知りたいポイントが異なると思います。
開高さんの知りたいのはまず事実でしょう。
そこから後は、年齢や人生経験等により違ってくるように思います。
取材される側も、その人がベテランか、若手かで影響があるだろうし、聴き方の優劣でも影響は出ると思います。
そこの当たりも考えながら読んでみては如何でしょう。
3.その他、当局、新聞
役所は基本ラインがあり、原則そこから踏み出さない、新聞社も同様だが新聞記者個人の記事は原則尊重するのだと受け止めています。
担当者や上司、決済権者の考え方で大きく変わることはないでしょう。
時代劇に出て来る大岡裁きのような対応を期待したりしますが、それにはかなりの勇気と行動力と決裁権者の決断が必要です。
被差別部落の公的な住宅資金の延滞を、役所全体で永年放置していた例も聞いていますが、信念と思いやりを持って行動する事は誠に難しいことです。
新聞記者も作家と同様で、人生経験で書きたいポイントが異なってくると思います。
最後に、部落のことです。
人間は一人では生きてゆけないので群れる、貧困生活の中でも酒や歌や祭りや心の休息は必要です。
心身が丈夫で、他の地でも生きてゆく術のある者は、より良い場所を求めて出てゆきます。出てゆけない多くの者はひっそりと生きてゆくしかないのでしょうか。
開高健『日本三文オペラ』概要
舞台1 | 戦後の大阪アパッチ部落 | 無戸籍者等底辺の部落民 |
舞台2 | 上記の近く、杉山鉱山 | 爆撃で壊滅した旧軍事工廠、鉄屑など価値ある物が眠っている |
主人公 | フクスケ | 放浪者、アパッチ部落の親分の妻にスカウトされ組入りする |
金属泥棒の親分 | キム他 | 5組あり部落でほぼ共通したルールがある。ただ部落を崩壊させる程でなければ自由に振舞える |
杉山鉱山の取り締まり側 | 警察官、日雇いの守衛等 | 警察官は正規の公務員、守衛等は日雇い労働者 |
市役所、財務局 | 老人 | 行き詰まったキムが、合法的な救済案を依頼するがたらい回しにされる、最後に対応した老人はすべてを理解しているが「ここは実行機関ではない」との回答 |
開高健『日本三文オペラ』感想
「日本三文オペラ」のタイトルを考えてみます。
「オペラ」ではなく「日本三文オペラ」ですから、いわば安物、まがい物のオペラということでしょう。
歴史をさかのぼれば、その名にふさわしい出来事は存在すると思います。
ただ、デビューから間もない2足の草鞋を履く若手作家が書くべきは、自分の脚で納得ゆくまで調べたものが必要なのでしょう。
世の中の、人間の矛盾や生き方、それを描くには自分でも間接的に経験した戦争、その負の遺産でもある底辺の部落が選ばれたのだと考えます。
人の心は各人が置かれている状況で変わることがあります。
鉱山の金属屑をくすねて部落民全員が食べられる時は、各人がルールに従っていました。
違反するよりは、従う方が安全だからでしょう。
また、一応のルールがあるとはいえ、部落を根本的に壊さない程度の自由は黙認であったようです。
当局の取り締まりが厳しくなり、拘束される人が増え、金が入らなくなり生活が厳しくなると、各人が自分なりの対策を講じます。
条件の良い組に移る、自分が主導して引き抜きをする、偽情報を流す、守衛を買収する等、考えられる限りあらゆる策を実行します。
戦国時代の駆け引きや「敵の敵は味方」「己を知り相手を知る」という言葉を思い起こします。
アパッチ部落民は、大半の者がここでしか生きてゆけません。
ただ自分で生きて行ける者は、当然条件の良いところに移ってゆきます。
残された者は、底辺部落でじっと耐えながら生きてゆくしかないのでしょうか。いつの時代にも底辺と頂点は存在します。
最近はニュースを聞かないのですが、大阪駅の近く西成地区は同じ様な事情の町でしょう。
人が生きてゆくにはパンのみではなく、心の安心、安らぎ、息抜きのような物が必要です。
厳しい重労働ばかりでは心身が壊れてしまいます。個人や家族では、それが酒であったりしますが、地域や集団になるとお祭り等、日常を忘れられるものになります。希望もその中の一つでしょう。
警察に押収されたが銀板50kgの箱4つがあったという話が出回ります。
あやふやなままに事態は膨張しますが、当然銀は出ません。犠牲が増え、新聞にたたかれ警察側の取り締まりがより厳しくなるだけです。
うまい話はないと分かっていながらも、それに縋り付かざるを得ない人間の性があります。
時代背景や貧困、差別については若い人、多分1970年代以降の人には理解しにくい面があると思います。
被差別部落について、1952年生まれの私の経験からお話しします。
被差別部落の発生等の詳細については「不明」のようです。
明治時代になって「平民」となり形の上では解決しましたが、実際は明らかに残っていました。
結局人間の心の弱さによるものでしょうが、私の現役時代にも結婚、職業等で明らかな差別がありました。
国の制度支援で経済面や住環境の改善が図られました。
表面的な部落差別はなくなりましたが、今も年齢層により、人により残っているように感じます。
いわれはなく、理不尽なものである事は確かでしょう。
同じく民族差別もあります。
私の幼少時代には、明らかに朝鮮人差別がありました。
大陸帰りの元軍人の差別発言は、子供心に不思議でしたが、ガキ大将はそれを真似していました。
今は在留韓国人や、韓国の地位が向上し、若い人には差別意識はないと思います。
1970年前後、京都駅の南にある朝鮮人部落を舞台にした映画に「パッチギ」があります。
朝鮮高校の女生徒と日本人高校生の恋を柱に、当時の朝鮮人部落の人達の生活と学園紛争の名残等を描いています。
まだ差別の残る時代であり、その雰囲気が分かる作品だと思います。
因みにパッチギとは「頭突き」の意味です。作品の内容を暗示させるタイトルです。
人間は弱いもので、自分に悪影響が無ければ世間の風潮に流され、よく考えずにそれに従います。
この作品を読んだ親分の一人が「違うところが多い」と述べたらしいですが、それは無理の無い事だとも思います。
心は各人違うし、小説にはできない、文章では表現できない面もある、作家の目もあると思います。
世界の人口は約80億人です。米国並みのカロリーを消費すると定員は20億人弱らしいです。
計算上は人口を抑制するか、食料を増産するか、カロリーを減らすかということになります。温暖化の問題も同じです。
地球の上で共に暮らす人類の譲り合いと協力が無ければ人類は生きてゆけないはずですが、人類は進歩せず今も戦争が続いています。
「実行機関」でなくとも、各人が人と人、個と全体の在り方を考えることが必要です。
そのためには丁度良い作品でしょう。
開高さんの結論も「各人が考えろ」だと思います。