『長屋の花見』の紹介
『長屋の花見』は古典落語の名作の一つ。
上方落語「貧乏花見」を明治三十年代に二代目蝶花楼馬楽が東京に移し、江戸落語の型に仕上げたものです。
春の桜が咲く頃までの時期に盛んに高座にかけられるのが「長屋の花見」。
この噺は主に長屋の大家と住人たちとの会話で進行していきます。
どこか変だったり抜けてたりしている会話が盛り沢山で、可笑しさがこみあげてくる落語です。
ここでは、『長屋の花見』のあらすじ・解説・感想までをまとめました。
『長屋の花見』―あらすじ
貧乏長屋の連中に大家から呼び出しがかかった。
「どうせ店賃の催促だろう」と思い込んだ長屋の連中、話し合ってみると誰一人としてまともに払っていない。
十八年前にひと月分を払っただけ、親父の代に払ったきり、店賃って何だ?という者まで出てくる始末。
一同そろって大家の家へ恐る恐る顔を出したところ、大家は上機嫌。
「うす汚いボロ長屋の店賃を催促するつもりはないよ。みんなに集まってもらったのは、花見に行く相談をしたいからなんだ。」
大家の言葉に誰もがほっとした。
すると、月番がこの長屋がどれくらいオンボロなのか語り始めた。
「露はしのげるが、雨の時は家の中には居られない」「寝ながらにして月見ができる風流な家だ、これを月見長屋という」、「飯を炊くにも燃すものがないから雨戸をはずして燃料にした。戸が無いから、貧乏長屋の戸無し長屋」
長屋の悲惨な状況にうなずいていた大家が話しを切り出した。
「うちの長屋は世間から貧乏長屋と言われているのが悔しい。ひとつ花見でもして陽気にパーッと騒いで、貧乏神を追っ払いたいと思っているんだ。」
「今日はいい天気だ。みんなで上野の山へ花見に出かけようじゃないか」
花見には酒肴がつきものだが、酒、肴は全部大家持ちという。
大家はすでに酒は三升、肴には卵焼きと蒲鉾を用意していた。これにはみんな大喜び。
ところが、大家も金がないんで、酒は番茶を煮出して水で割って薄めたものだった。
そればかりか、卵焼きは沢庵、蒲鉾は大根の薄切りで全部まがい物だ。
ケチな大家にはガッカリしたが、お金をかけないで花見をやる方法はこれ以外には見当たらない。
長屋の連中、花見を楽しみたいのは大家も俺たちも同じだと思い直して、再びやる気を出した。
「ご馳走」を毛氈のつもりのムシロにくるんで棒に吊るし、月番二人が担いで元気よく出発。
「さあ、花見だ、花見だ!」、「夜逃げだ、夜逃げだ~!!」
花見客でにぎわう桜が満開の上野の山に着いた一行は、早速、毛氈代わりのムシロを広げて重箱をかこみ、酒盛りならぬお茶か盛りが始まった。
「さあ、みんな遠慮なくやっておくれ!」、「い~い酒です、渋口ですね」、「こりゃ宇治ですかあ?」、「この卵焼きは歯ごたえあるね」、「うまいね~、蒲鉾は練馬産にかぎる」・・・ 珍問答のような会話が飛び交う。
「お花見らしいことしたいねえ。向こうを見ろよ、甘茶でカッポレ踊ってる」「こっちは番茶でさっぱりだ」
「だれか~、もっと景気よく、唄でもやってくれないかい? 」、「では、俳句を。『長屋中 歯を食いしばる 花見かな』」
大家が月番に無茶振りする。「お~い、月番、酔っぱらえよ~。誰も酔わない花見じゃあ、恰好がつかねえ」、「俺は月番だ。ほら、酔ってるぞ~。でも、酔いから醒めるのも早いなあ」
大家と住人たちの会話は弾んでいく。
「おい、ごらんよ、風流だね、花びらが浮かんじゃったよ。これだよ、花見のいいところは」
「あっ、大家さん、近いうちに長屋にいいことがありますよ」「どうしてだい?」
「見てください。酒柱が立ってます」
『長屋の花見』―概要
主人公 | 大家 |
重要人物 | 長屋の月番・住人 |
主な舞台 | 江戸時代 |
時代背景 | もともと祓えの儀式だった花見も江戸時代になると庶民の間に広がり、もっぱら春の行楽となった。 |
出典 | 漫画で味わう古典落語の世界(INFOREST MOOK) |
『長屋の花見』の面白さ
「長屋の花見」のサゲ
長屋の花見の宴が盛り上がり、無理やり酔っぱらう者が出てきたところでこの噺は終わりとなります。
一般的なサゲは、一人が湯のみをじっと見て「大家さん、近々長屋にいいことがありますよ」、「そんなことがわかるのかい」、「ほら、酒柱が立ちました」というパターンです。
もう一つのサゲは、長屋の花見の宴によその花見客がなだれ込んできて、みんなで踊り狂って大盛り上がりして“ダジャレ落ち”で終わるパターンです。
「大勢の人が集まってきたねえ。こうじゃなきゃあねえ。これ、みんな本物だねえ」、
「いえ、これも、あらかた、サクラでございます」
瀧川鯉昇師匠がこのサゲを得意にしています。
私もみんなで踊り狂っていきなり結末を迎えるこのサゲパターンが好きです。
常識をはるかに超えた店賃の未払い
「長屋の花見」に登場する住人がどれくらい店賃を滞納しているかを集まった一人一人に月番が聞きだすシーンがあります。
一か月、一年とか言う者は誰もなく、十八年前に引っ越してきた時に一回払っただけ、亡くなった親父の代に払ったというひどい未納者ばかり。
そればかりか、店賃って何だ?いくらか貰えるのか?というわけのわからない住人まで現れました。
このような常識を超えたことまで含めて、自在な話しができる落語ってすごいですね。
わざと陰気な話しをして大家をからかう月番
大家さんは、花見へ行くんだから明るいことを言って歩けと、ムシロを前後でかついだ長屋の二人の月番に話しかけます。
しかし、「羅宇屋のじいさんが死んだとき、あのときも二人でかついだじゃあねえか」などと、月番の陰気な話しはやみません。
「今度はだれをかつぐのか楽しみだなあ」、そりゃ年の順で大家さんだろう!」、「お前ら、何いってるんだ!」 大家さんも話しのネタにされてしまいました。
「長屋の花見」の見どころ
バカバカしくも楽しい花見風景
大家さんが用意した珍妙な“ご馳走”をもとに、貧乏長屋の花見の宴が上野の山で繰り広げられます。
灘ならぬ宇治のお茶けで“お茶か盛り”が始まりました。
お腹に入れる渋くて冷たい飲み物と珍奇な食べ物には切ない気持ちになるものの、みんなで集まって冗談や軽口しゃべってワイワイ・ガヤガヤするのは楽しい。
だんだんとお互いの心が温まってきます。
大家や住人の話しはたわいのない冗談や軽口ばかりですが、上手な演者が話すのを聞いていると、多彩な登場人物の演じ分け、言葉遣いや声のトーン、間合いが絶妙で、ひとつひとつの話しに味があり飽きることがありません。
柳家小さん、柳家小三治、瀧川鯉昇各師匠の口演が特におすすめです。
見栄っ張りだけれども面倒見がいい大家
大家さんは、自分たちの花見がよその花見客からどう見られるかをすごく気にしています。
お茶を飲んでも酔えるはずはないのに、月番に「何としてでも酔っぱらえ」とメチャクチャな要求をしています。
花見らしくするには、酔っぱらいがいなくちゃいけないと思ったからでしょう。
その一方で、大家さんは店賃の未払いを大目に見てくれたり、住人たちにお金がないので花見の費用は全部大家さん持ちにしてくれたり、陰気な話しばかりしてグチをこぼすことが多い住民たちの話しをよく聞いてくれます。
親子同然と言われる長屋の大家さんと住人の間には温かい心の交流が感じられます。
(月番:長屋の共同便所、井戸端などの掃除や住人の世話役を一か月交代で担当する当番)
現代では理解しにくい点&小ネタ
庶民の花見は江戸時代から始まった
江戸時代の町人文化が栄えた頃から、身分の高い人だけでなく庶民もお花見を楽しむようになりました。
徳川家三代将軍の家光は上野に多くの桜を植え、後に八代将軍吉宗も飛鳥山や隅田川周辺を桜の名所とし、誰もがお花見に行けるようにしました。
このように、お花見は気軽に楽しめる春の娯楽として広まっていきました。
貧乏長屋の劣悪な住環境
貧しい人々が暮らす江戸の裏長屋は、一般的に一部屋が八畳程度と狭く、壁が薄くて物音が筒抜け。
すきま風も入るし、便所は共同で外にありました。「長屋の花見」では、住まいの話しも出てきます。
月見長屋という言葉も飛び出すくらいで、雨露をしのぐことすらまともにできていません。
大雨になったら家の中は土砂降りで外へ出るしかないとまで言っています。
住まいの悲惨な状況を江戸っ子らしく勢いよく明るい口調で語っていますが、ひどく劣悪な環境であったことがうかがわれます。
貧乏人だからこそ考え出せたアイデア(小ネタ)
長屋の住人たちの会話の中には、貧乏人の視点から思いついた金や物をゲットする方法がちりばめられています。
- 花を見るよりも、落ちてるガマグチでも拾おうかと思っている。
- 花見でムシロを敷く場所は、山のてっぺんよりも低いくぼ地のほうがいい。
→その心は「ゆで卵が転がり落ちてきたら、拾って食べたいから」
『長屋の花見』―感想
冗談を言い合える人間関係は大切
大家さんと住人たちの会話はほとんど冗談・軽口の連続で、冗談の中に本音も乗せて話が交わされています。
こんな風にお互いの気持ちの交流ができる関係を大切にしていきたいものです。
花見は多くの人が実際に体験しています。
体験していることが話しに出てくるとイメージしやすいので、「長屋の花見」は落語初心者にとってもわかりやすい演目だと思います。
以上、「長屋の花見」について述べました。