『伊豆の踊子』の紹介
『伊豆の踊子』は大正15年の作品で、日本人初のノーベル文学賞作家である、川端康成の初期の短編小説です。
川端康成自身、学生時代の大正7年、19歳の時に伊豆に1人旅をしており、そこで出会った旅芸人一行との思い出をもとに書かれた作品です。
川端康成は伊豆の湯ヶ島温泉に長逗留しており、その時に書かれた『湯ヶ島の思い出』の中から抜粋したものを『伊豆の踊子』として出版しました。
以下、『伊豆の踊子』のあらすじ、解説、感想をまとめました。
『伊豆の踊子』―あらすじ
主人公の「私」は二十歳、高等学校の制帽をかぶり、紺飛白の着物に袴をはき、学生カバンを肩にかけ、朴歯の高下駄で天城を登っていました。
1人で伊豆を旅して4日目、修繕寺温泉に1泊、湯ヶ島温泉に2泊して、天城を超えて湯ヶ野温泉に向かう途中でした。
大粒の雨に打たれながらも、私は1つの期待に胸をときめかせて急いでいました。
旅の途中に出会った踊子に惹かれ、天城の山道で旅芸人の一行に追いつけるだろうと期待して、山道を急いできたのでした。
その期待は見事に的中して、峠の茶屋で一行に追いつきます。
その後、一行の中の24歳の男(栄吉、踊子の兄)と話すうちに親しくなった「私」は、旅芸人の一行と一緒に旅をしたいと申し出て、下田に向けて旅を供にします。
踊子に惹かれていた「私」は、踊子が夜に座敷に呼ばれるのを見て、踊子が汚れるのではないかと、悶々と眠れぬ夜を過ごします。
しかし翌朝、共同湯から自分を見つけ裸で手を振っている踊子を見て、まだ14歳の子供だと知り、「私」はほっとして、「ことこと」と笑うのでした。
踊子が美しい髪をして娘盛りに装っていたので、17.18歳の年頃の娘に見えていたのでした。
旅芸人は、この当時は身分が低く、同じ温泉場でも木賃宿という安い宿に泊まり、「私」とは別々の宿に泊まっていました。
旅芸人への差別や軽蔑もなく、彼等が旅芸人という種類の人間であることを忘れてしまったかのような「私」の好意は、旅芸人一行の心にも沁みこんでいきます。
「いい人ね」「ほんとうにいい人ね。いい人はいいね。」と踊子たちが自分のことを話しているのを聞いて、私自身も自分をいい人だと素直に感じることができるようになります。
20歳の「私」は、自分の性格が孤児根性で歪んでいると厳しい反省を重ね、その息苦しい憂鬱に堪えかねて伊豆の1人旅に出て来たのでした。
世間一般の意味で自分がいい人に見えるのはとても有難いのでした。
踊子は、下田に着いてから「私」に活動(映画)に連れていってもらえると楽しみにしていましたが、おふくろ(栄吉の嫁である千代子の母)が「私」と踊子1人で行くのに反対したので行くことができずに、元気をなくしてしまいます。
さらに「私」の旅費も底をついてしまい、学校の都合で帰ることになった、と言って旅芸人の一行と別れます。
出立の日、栄吉に見送られ下田の港に行くと、踊子が1人見送りに来ていました。
踊子は元気がなく、話かけても頷くだけで言葉を発しません。踊子は船がずっと遠ざかってから白いものを振り始めました。
「私」は鉱山で働く土方風の男に、息子夫婦が病気で亡くなり、小さい孫を3人連れた可哀そうなお婆さんを、東京まで連れて行ってほしいと頼まれます。
「私」は船の中で1人の少年と一緒になります。
頭が空っぽで時間というものを感じず、涙がぽろぽろとこぼれます。
少年の海苔巻きの寿司を食べ、少年のマントにもぐり込み、少年の体温に温まりながら涙を出まかせにします。
どんなに親切にされても、それを大変自然に受け入れるような美しい空虚な気持ちでした。
お婆さんを上野駅まで連れていき、水戸までの切符を買ってあげるのも至極当たりまえのことであり、何もかもが1つに融けあって感じられます。
「私」は、頭が澄んだ水になってしまっていて、それがぽろぽろ零れ、その後には何も残らないような甘い快さでした。
『伊豆の踊子』― 概要
主人公 | 私 (20歳の学生で1人旅をする) |
主な登場人物 | ・旅芸人の一行(5人) 踊子 (14歳、名前は薫、見た目は17-18歳) 栄吉(24歳、踊子の兄、千代子の旦那) おふくろ(40代、千代子の母) 千代子 (19歳、栄吉の嫁、旅先で早産する) 百合子 (17歳、百合子だけ親族ではなく雇われの身) ・茶屋のお爺さん、お婆さん(天城の休憩茶屋) ・お婆さん(孫3人連れて東京へ行く) ・少年 (東京行の船で一緒になる) |
主な舞台 | 伊豆(天城峠~湯ヶ野温泉~下田) |
時代背景 | 大正時代 |
作者 | 川端康成 |
『伊豆の踊子』― 解説(考察)
『伊豆の踊子』は川端康成の初期の作品ですが、川端文学における重要な主題が、この初期の代表作にも描かれています。
その主題とは、
- 社会的地位は低いが一生懸命に生きる女性像
- 自身の生い立ちに根差した「孤独感、孤児意識」
上記の2つです。
ここではその2つの主題にそって、私の考察を述べたいと思います。
また踊子と「私」の関係がどのようなものであったかについても触れていきます。
社会的地位は低いが一生懸命に生きる女性像
川端作品には、よく社会的地位の低い女性が取り上げられています。
これは川端康成自身が、貧しく社会的地位は低いが、その中で一生懸命生きていく女性像に惹かれ、非常に関心を持っているのが分かります。
また大正時代~昭和初期という時代背景も、現代とは大きく異なり、「男尊女卑」的な考えがまだ根強く残っています。
この『伊豆の踊子』の中にも、そのような場面がいくつもでてきます。
昭和4年に出された『温泉宿』という作品では、温泉宿で働く女中や曖昧宿(売春宿)で働く娼婦の流転が描かれています。
貧しく子供の頃に虐待を受けながらも、温泉宿で女中として働く「お滝」や「お雪」、曖昧宿で働き体を壊して死んで行く「お清」や根からの娼婦である「お咲」など、社会の底辺で必死に生きていく女性像が、妖艶な描写で描かれています。
同様に、『伊豆の踊子』に出てくる踊子も、旅芸人一行も、この作品が描かれた当時は社会的地位も低く、差別や軽蔑されている箇所がたくさん出て来ます。
「私」が天城の茶屋で旅芸人の一行に追いついた時も、茶屋の婆さんに「あの芸人はどこで泊まるのでしょう」と尋ねますが、婆さんは甚だしい軽蔑を含んでこう答えます。
「あんな者、どこで泊まるやら分かるものでございますか、旦那様。お客があればあり次第、どこにだって泊まるんでございますよ。今夜のあてなんぞございますものか」
川端康成「伊豆の踊子」 新潮文庫 11頁
また湯ヶ野温泉や、下田で宿泊した時も、旅芸人達は木賃宿という安い宿に泊まりますが、「私」は旅芸人達とは別のきちんとした宿屋に泊まります。
「私」は芸人達と同じ宿に泊まれるものとばかり思っていましたが、旅芸人の社会的身分が低いため、同じ宿に泊まることすらできません。
そして栄吉と一緒に自分の宿で過ごした時も、純朴で親切そうな宿のおかみさんでさえ、「あんな者に御飯を出すのは勿体ない」と忠告してきたのです。
旅の途中、ところどころの村の入り口には下のような立札がありました。
「物乞い旅芸人村に入るべからず」
旅芸人は、物乞いと同じ扱いで、中に入ることさえできない村がたくさんあったのです。
それ程までに旅芸人は社会的地位が低かったのです。
しかし「私」はそのような旅芸人達にも一緒に旅をしたいと申し出て、温かく交流していきます。
「好奇心もなく、軽蔑も含まない、彼等が旅芸人という種類の人間であることを忘れてしまったような、私の尋常な好意は、彼等の胸にも沁みこんでいくらしかった。」
川端康成「伊豆の踊子」 新潮文庫 28頁
自身の生い立ちに根差した「孤独感、孤児意識」
川端康成自身、幼少の2歳、3歳の時にご両親を、7歳で祖母を、そして15歳までにたった一人の姉と祖父を亡くしています。その孤独感はいかばかりであったでしょう。
そしてその作者自身の孤独感はこの作品にも大きな影響を及ぼしています。
「二十歳の私は自分の性質が孤児意識で歪んでいると厳しい反省を重ね、その息苦しい憂鬱に堪え切れないで伊豆の旅に出て来ているのだった。だから、世間尋常の意味で自分がいい人に見えることは、言いようなく有難いのだった。」
川端康成「伊豆の踊子」 新潮文庫 34頁
「私」は自分の性格が孤児意識で歪んでいると反省し、その息苦しい憂鬱に堪えかねて伊豆の1人旅に出たのでした。
しかし、踊子や旅芸人の一行と旅を共にしていく中で、私の息苦しい憂鬱は徐々に溶けてゆきます。
そして踊子と千代子が自分の歯並びが悪いことを話しているのを聞きますが、それを聞いても苦にならないし、聞き耳を立てる気にもならないほどに、「私」は親しい気持ちになっています。
踊子たちが自分のことを「ほんとうにいい人ね。いい人はいいね」と言われるのを聞いて、私自身も、自分のことを「いい人」だと素直に感じることができるようになります。
そして最後には、東京行の船の中で、頭が空っぽに感じて、涙がぽろぽろと流れますが、それを見られても平気であり、少年のどんな親切も大変素直に自然に受け入れるほど、美しい空虚な気持ちになります。
可哀そうなお婆さんを上野駅まで送り届けるのもすごく当たりまえのことであり、何もかもが1つに融けあって感じられるのでした。
「私は非常に素直に言った。泣いているのを見られても平気だった。私は何も考えてはいなかった。ただ清々しい満足の中に静かに眠っているようだった。」
川端康成「伊豆の踊子」 新潮文庫 40頁
「真っ暗ななかで少年の体温に温まりながら、私は涙を出委せにしていた。頭が澄んだ水のようになってしまっていて、それがぽろぽろ零れ、その後には何も残らないような甘い快さだった。」
川端康成「伊豆の踊子」 新潮文庫 41頁
踊子や旅芸人の一行と旅を一緒にすることによって、自分で歪んでいると思われていた内面が癒されていき、素直に他人の親切も受け入れることができ、満ち足りた気持ちへと変わっていったのでした。
踊子と「私」の関係
では踊子と「私」の関係はどのようになっていったのでしょう。
初めて出会ったのは、「私」が湯ヶ島温泉に行く途中、修繕寺温泉に向かう旅芸人一行と橋の近くですれ違います。
その時「私」は太鼓を提げて歩いて来る踊子を何度も振り返り、振り返り眺めます。
「私」が一目見た時から踊子に惹かれたのがよく分かります。
また踊子は17歳くらいに見えて、美しい髪をしていましたが、「私」から見た踊子の描写でもその美しさがよく描かれています。
「踊子は十七くらいに見えた。私には分からない古風の不思議な形に大きく髪を結っていた。それが卵形の凛々しい顔を非常に小さく見せながらも、美しく調和していた。髪を豊かに誇張して描いた、稗史的な娘の絵姿のような感じだった。」
川端康成「伊豆の踊子」新潮文庫,9頁
踊子の後を追いかけて、期待通リに天城の茶屋で追いついた「私」ですが、先に述べた、茶屋のお婆さんの旅芸人を侮蔑した言葉を聞いた「私」は「それならば、踊子を今夜は私の部屋に泊まらせるのだ」という妄想を煽り立てられます。
湯ヶ野温泉に宿泊した時も、座敷に呼ばれた踊子が気になって仕方がありません。悶々として眠れぬ夜を過ごします。
「太鼓が止むとたまらなかった。雨の音の底に私は沈み込んでしまった。やがて、皆が追っかけっこをしているのか、踊り廻っているのか、乱れた足音が暫く続いた。そして、ぴたっと静まり返ってしまった。私は眼を光らせた。この静けさが何であるかを闇を通して見ようとした。踊子の今夜が汚れるのであろうかと悩ましかった。」
川端康成「伊豆の踊子」 新潮文庫 17頁
しかし翌朝、共同湯から真裸で、両手をいっぱいに伸ばして自分と栄吉に何かを叫んでいる踊子を見て、踊子がまだ子供であることが分かり、「私」の昨夜の悩ましさは拭い去られます。
美しく装わせていたので年頃の年齢に見えていたが、まだ14歳だったのです。
「若桐のような足のよく伸びた白い裸身を眺めて、私は心に清水を感じ、ほうっと深い息を吐いてから、ことこと笑った。子供なんだ。私達を見つけた喜びで真裸のまま日の光の中に飛び出し、爪先で背一ぱいに伸び上がる程に子供なんだ。私は朗らかな喜びでことこと笑い続けた。頭が拭われたように澄んできた。微笑がいつまでもとまらなかった。」
川端康成「伊豆の踊子」 新潮文庫 19頁
しかし、踊子がまだ子供であると分かってからも、まだ「私」の中で美しい踊子に惹かれている部分は残っています。
湯ヶ野温泉を出立する予定の朝、「私」が迎えにいくとまだ芸人達は布団で寝ていましたが、その時の布団での踊子の描写や、「私」が踊子に講談本を読んであげる場面での描写を見ても、それが分かります。
「昨夜の濃い化粧が残っていた。唇と眦の紅が少しにじんでいた。この情緒的な寝姿が私の胸を染めた。」
川端康成「伊豆の踊子」 新潮文庫 22頁
「この美しく光る黒眼がちの大きい眼は踊子の一番美しい持ち物だった。二重瞼の線が言いようなく綺麗だった。それから彼女は花のように笑うのだった。花のように笑うと言う言葉が彼女には本当だった。」
川端康成「伊豆の踊子」 新潮文庫 27頁
また踊子も初めの頃は「私」を見て真っ赤になりながら、お茶を畳にこぼすなどしていたことからも、多少は意識していたのでしょう。
踊子がお茶をこぼした際に、おふくろさんが「まぁ!厭らしい。この子は色気づいたんだよ。」と眉をひそめます。
下田についてから2人きりで活動に行くのに、おふくろさんが反対したのも、「私」が踊子に惹かれているのに気が付いていたからだと思います。
最後に下田の港で踊子は「私」を見送りにいきますが、元気はなく一言もしゃべりませんでした。
きっと踊子も「私」と別れてしまうのがとても寂しかったのでしょう。
『伊豆の踊子』― 感想
川端康成と言えば代表作『雪国』や「ノーベル文学賞」というイメージが強いですが、短編小説の名手としても有名です。
現代の優れた短編小説に「川端康成文学賞」が贈られるのもその所以です。『伊豆の踊子』はその代表作と言ってもいいでしょう。
また川端康成は女性を描く名手でもあります。川端作品には多くの女性が登場します。
先に述べた『温泉宿』の女中「お滝」や「お雪」、『雪国』に出てくる芸者「駒子」、『禽獣』に出てくる元娼婦の踊子「千花子」など、多くの女性が妖艶に描かれています。
『伊豆の踊子』は初めの紹介にも書きましたが、作者自身の伊豆の一人旅での、旅芸人一行との出会いを元に描かれた作品です。
湯ヶ島温泉で執筆され、その温泉宿にも10年間通い続けたとも言われています。
川端康成は、温泉宿での自身の経験や芸者、踊子、女中さんなどとの交流を通じて多くの作品を書いたと思います。
初期の代表作『伊豆の踊子』は、そのような川端文学の原点ともいうべきエッセンスがぎゅっと濃縮された作品であると言えます。
以上、『伊豆の踊子』のあらすじ、考察、感想でした。