『平林』の紹介
『平林』は古典落語の演目の一つ。『字違い』『名違い』という題名で演じられることもあります。
東京でも大阪でも演じられる噺ですが、江戸落語では『ひらばやし』上方落語では『たいらばやし』として演じられることが多い演目。
江戸落語では平河町、上方落語では本町が舞台です。
10分程度の短い演目ですが、多くのくすぐりが入っていて噺のテンポもよく、前座噺としても知られています。
『放浪記』は、林芙美子著の自叙伝です。第一部・第二部の原型となる『放浪記』『続放浪記』は1930年に刊行、第三部はそれから17年後の1947年に発表されました。 続きを見る
林芙美子『放浪記』三部構成で読む『放浪記』の進化
『平林』ーあらすじ
舞台は江戸時代。寺子屋で読み書きそろばんは習っていても、難しい漢字は苦手という人も多かった時代の噺です。
商家で丁稚奉公をしている定吉は、主人にお使いを頼まれます。
「定吉や、この手紙を横丁のお医者さんのひらばやしさんに届けておくれ。中を読んでいただいて返事をもらってきてくるんですよ。」
「へい、わかりました!行ってきます」
元気に店を飛び出した定吉。行き先を忘れないように「ひらばやし、ひらばやし・・・」ぶつぶつ言いながら歩きますが、途中猫に気を取られて行き先を忘れてしまいます。
手紙の表書きに「平林」と書いているのを見つけた定吉ですが、定吉は漢字を読めません。
困った定吉は通りかかった人に読んでもらいます。
「これは『たいらばやし』と読むんですよ」と言われた定吉。読み方が違うような気はしましたが「たいらばやし、たいらばやし・・・」と言いながら歩きだします。
道がわからなくなった定吉は、また通りかかった人に「すみません、『たいらばやし』さんのお宅はどちらでしょうか?」と聞きますが要領を得ません。
そこで手紙の宛名を見せると「これは『たいらばやし』じゃないよ。平は「ひら」で林は「りん」だから『ひらりん』さんの家に行くんじゃないかい?」定吉はお礼を言って立ち去りました。
そしてまた通りかかった人に「すみません、『ひらりん』さんのお宅はどちらでしょうか?」と聞きましたが、聞かれた人は訝しそうな顔。
そこでまた封筒の宛名を見せると「ああ、これは『ひらりん』じゃないよ。『いちはちじゅうのもくもく(一八十の木木)』と読むんだよ。『いちはちじゅうのもくもく』さんの家を探してごらん。」と言われます。定吉はお礼を言って立ち去りました。
今度は『いちはちじゅうのもくもく』さんの家を探しますが、そんな家はありません。
困った定吉はまた人に聞いてみることにします。
すると今度の人は「この字は『ひとつとやっつでとっきき(一つと八つで十っ木っ木)』だよ。
『ひとつとやっつでとっきき』さんの家を探してごらん。」と言われます。
定吉はまたお礼を言って立ち去りますが、聞く人聞く人みんな違う「平林」の読み方。
やけくそになった定吉は教えてもらった名前を全部繋げて大声で言い、道を歩いている人の反応を見ることにしました。
「たいらばやしかひらりんか、いちはちじゅうのもくもくにひとつとやっつでとっきっき!」
何度も言ううちにリズミカルになっていきます。
「たいーらばやしかひらりんか、いっちはっちじゅうのもくもくに、ひとつとやっつでとっきっき!」
「たいーらばやしかひらりんか、いっちはっちじゅうのもくもくに、ひとつとやっつでとっきっき!」
道を往く人が何事かと定吉の方を見ます。
ちょうど顔見知りの植木職人が通りかかり、定吉に声をかけます。
ホッとした定吉は思わず泣いて植木職人のそばに駆け寄ります。
「おい、定吉。道でなに騒いでるんだ?祭りばやしの練習かい?」
「いいえ、祭ばやしではなくて『ひらばやし』です。」
『平林』ー概要
主人公 | 丁稚の定吉 |
重要人物 | 漢字の読み方を教えてくれる町人達/植木職人 |
主な舞台 | 江戸の平河町/大阪の本町 |
『大山詣り』―解説(考察)
『平林』の面白さ
色々な読み方ができる漢字の煩わしさ
日本人の名字の読み方は、同じ漢字でも複数ある場合があります。
例えば「堀田」さんは「ほった」さんとも「ほりた」さんとも読めます。
「神谷」さんになると読み方は本当に多く「かみたに」「かみや」「こうや」「じんたに」・・・と18通りの読み方があるそう。
同じ漢字の名字なのに複数読み方があると、その都度確認しないといけないので面倒くさいですね。
「平林」でも同じように、いろんな読み方ができるため丁稚の定吉が困ってしまう、という噺。
普通「ひらばやし」か「たいらばやし」だと思いますが、定吉に読み方を教えてくれる人は斜め上をいっている方たち。
いろんな「平林」の読み方を教えてくれます。
「平林」さんの読み方がわからない定吉は、本当は「ひらばやし」さんのお宅へ伺わないといけません。
しかし、通りかかった人に「平林」という漢字を読んでもらうと「たいらばやし」さんと教えられます。
「たいらばやし」さんなら現実にいてもおかしくありませんね。
ただ「たいらばやし」さん以降は「本当に真面目に教えてくれたの?定吉をからかったんじゃない?」と言いたくなるような名字の読み方になります。
みんな真面目に教えてくれていたんですけどね。
2番目に読み方を教えてくれた人は「ひらりん」さんだと教えてくれます。
「平」という字は「ひら」、「林」は「りん」で「ひらりん」さん。
3番目に読み方を教えてくれた人は「いちはちじゅうのもくもく」さんだと教えてくれます。
これは「平」という字を分解して「一・八・十(いちはちじゅう)」、林を分解して「木・木(もくもく)」。
漢字を分解する、という発想が面白いですが、おそらくこの人、「平」「林」という漢字を読めなかったのではないでしょうか。
そこで自分の知っている漢字でなんとか読んでみたらと、「いちはちじゅうのもくもく」になったのではないかと思います。
4番目に読み方を教えてくれた人は「ひとつとやっつでとっきき」さんだと教えてくれます。
こちらも「平林」を分解して「一・八・十・木・木」にする点は「いちはちじゅうのもくもく」と同じですが、読み方はエキセントリックです。
「一(ひとつ)と八(やっつ)で十(とっ)木(き)木(き)」だと教えてくれています。「ひらりん」や「いはちじゅうのもくもく」の上をいく読み方ですね。
次々と、前の「平林」さんの読み方を上回る面白い読み方に変化していく「平林」さん。
このリズムのいい変化が「平林」の面白さの一つです。
「祭りばやしではなく・・・」
「たいーらばやしかひらりんか、いっちはっちじゅうのもくもくに、ひとつとやっつでとっきっき!」
ここの言い方は噺家さんによって違います。
とぼけた定吉、という設定の噺家さんは楽しそうに言いますし、いろんな名前を教えられて腹が立ってしょうがない!という定吉の場合は怒鳴り立てます。
困ってしまって泣きべそをかきながら、という定吉もいます。
その声を聞きつけた、顔見知りの植木職人の男に声をかけられます。
「祭りばやしの練習かい?」と聞かれます。
祭ばやしはお祭りを盛り上げる、独特の節回しの歌のようなものです。
植木職人の男は定吉が祭ばやしの練習をしている、と思ったようです。
「祭ばやし」という言葉から、定吉は「平林」の読み方を思い出します。
「いいえ、祭ばやしではなくひらばやしです」
「祭りばやし」と「ひらばやし」をかけていますね。ここがこの噺のサゲとなります。
このサゲは噺家さんによって異なり、
「たいーらばやしかひらりんか、いっちはっちじゅうのもくもくに、ひとつとやっつでとっきっき!」
と叫んでいる定吉の周りに野次馬が群がり、その中の1人に定吉は名前を聞きます。
「あなた様のお名前はなんですか?」
「私の名前かい?ひらばやしだが・・・」
「ああ、ひらばやしですか。似てるけどちょっと違う」
など様々なパターンがあります。
『平林』ー感想
江戸時代、日本の識字率は世界トップだったと言います。
ひらがな、漢字も1000字程度は読める町人が多かったため、江戸では庶民も貸本屋さんで本を借りて読んでいました。
これは江戸末期に日本が開国し、外国人が初めて日本を見た時に驚いたことの一つです。
当時欧米では、庶民が本を読むということは珍しいことでした。
漢字1000字はおおよそ小学校6年間で習う漢字の数です。読み書きそろばんを、庶民は寺子屋で学んでいました。
今の学校のようにカリキュラムはなく、その子にあった内容を教えていたらしく、お商売人の子であればそろばんを重点的に教える、なんていうこともあったそう。
定吉は丁稚奉公です。丁稚奉公は10才前後で奉公に出ますから、まだ習っていない漢字もあったでしょうし、ひらがなや商人に必要なそろばんだけみっちり仕込まれたのかもしれませんね。
10才前後のまだあどけなさの残る定吉。
その定吉が字も読めず都会で迷子になり、
「たいーらばやしかひらりんか、いっちはっちじゅうのもくもくに、ひとつとやっつでとっきっき!」
と大声で叫び、植木職人に声をかけられ思わず泣いてしまうシーンはなんだかほろっとしてしまいますね。
テンポの良い「平林」。
前座であれば師匠に教えてもらったとおりに演じますので、その流派の噺が聞けます。真打ちも「平林」は演じます。
真打ちになれば自分でアレンジ出来ますので、いろんなサゲを聞くことが出来ますよ。
以上、落語『平林』のあらすじ、解説、感想でした。