『葉』の紹介
『葉』は太宰治の初期作品で、『晩年』という15の作品を収録した太宰治の創作集の中の1つの作品です。
のちの『晩年』について、という自伝にて、こうつづっています。
「晩年」は、私の最初の小説集なのです。
もう、これが、私の唯一の遺著になるだろうと思いましたから、題も、「晩年」として置いたのです。
太宰の生涯から、精神的に苦しいことが多く、“死”が身近にあったことはとても有名な話です。『晩年』を発刊する前に自殺未遂もしていました。
ここで“唯一の遺著”と言っていることから、太宰は執筆した27歳のこの時も“死”を意識して執筆活動をしていました。
これから紹介する『葉』を含め、太宰の死生観を垣間見るとろが多いです。
「死のうと思っていた。」という衝撃的な一言で始まる本作に戸惑った記憶があるひともいるのではないでしょうか。
ここでは、そんな『葉』のあらすじ・解説・感想までをまとめました。
『葉』ーあらすじ
『葉』の特徴は「話に脈絡がない」ことです。
理由は、たくさんの要素を継ぎはぎした作品となっているからです。
この作品は“断片集”となっており、作品とまではいかないもの、1つの作品にまではならなかった文章をつなぎ合わせて『葉』という作品にしています。
太宰のネタノート、という解釈もできるでしょう。
中にはワンフレーズで終わるものもありますが、どれも太宰らしさが滲む文章で、太宰を好きな人にはたまらないものになっています。
一貫したストーリーがないのでここではあえて“あらすじ”は“ない”ものとし、いくつかの記載部分をピックアップしながら、解説と感想を中心に書きたいと思います。
『葉』―解説(考察)
ここでは、以下の2つに焦点を当てて考察・解説をしていきます。
- 太宰と死
- 『哀蚊』に関して
太宰と死
太宰が玉川上水に入水して自殺したのは39歳のことでした。
この作品はそこから12年も前のものですが、昔から太宰にとって死が身近にあったことは周知の事実です。
実際に断片小説のこの作品にも死の描写はかなり多く出てきます。
ここからは、『葉』に登場する『死』の描写を抜き出してそれぞれについて考察していこうと思います。
死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。
太宰治『晩年』(葉)新潮文庫
ヴェルレーヌの詩の引用の後にあるこの1つの話は、まさに太宰にとって“死”がどの程度のものなのかを測れるものだと思います。
「もらった着物を着るまでは死ねない」などという話、現代ではそこまで珍しい言い回しではないように思います。
ただ、この時代の人の死生観と比較すると、現代人並みに実に軽やかに死を描いている描写のように感じます。
また兄は、自殺をいい気なものとして嫌った。けれども私は、自殺を処世術みたいな打算的なものとして考えていた矢先であったから、兄のこの言葉を意外に感じた。
太宰治『晩年』(葉)新潮文庫
処世術、とは「世の中でよく暮らしていく方法」のことをさします。
これを「よりよく暮らすために損得を考えること」ととらえると、この“私”にとって自殺とは、自殺する側の人間にとっては一般の人の処世術と同じように損得を得られる行為なのだと解釈していると考えられます。
なんでも青井の家に小作争議が起ったりしていろいろのごたごたが青井の一身上に振りかかったらしいけれど、そのときも彼は薬品の自殺を企て三日昏睡し続けたことさえあったのだ
この文章では小早川、青井という2人の人物が出てきます。その中で上記のような描写がああります。
太宰の身の回りの人物で“服薬自殺”で思い浮かぶのは、芥川龍之介です。
太宰は直接会ったことはないとされるものの芥川龍之介の大ファンでした。
時系列でみてみると、本作執筆の10年ほど前に芥川は自殺をしていますが、その時の太宰の年齢は18歳です。
自分がファンだった相手が自殺を図ってこの世を去って、衝撃を覚えないわけがありません。
そして、この部分の登場人物、小早川と青井の会話の続きには“死”を否定するものと“死”を肯定する側の口論の様子が描かれています。
「死ねば一番いいのだ。いや、僕だけじゃない。少くとも社会の進歩にマイナスの働きをなしている奴等は全部、死ねばいいのだ。それとも君、マイナスの者でもなんでも人はすべて死んではならぬという科学的な何か理由があるのかね」 「ば、ばかな」 小早川には青井の言うことが急にばからしくなって来た。 「笑ってはいけない。だって君、そうじゃないか。祖先を祭るために生きていなければならないとか、人類の文化を完成させなければならないとか、そんなたいへんな倫理的な義務としてしか僕たちは今まで教えられていないのだ。なんの科学的な説明も与えられていないのだ。そんなら僕たちマイナスの人間は皆、死んだほうがいいのだ。死ぬとゼロだよ」
太宰治『晩年』(葉)新潮文庫
社会の進歩にマイナスの働きをなしている奴等は死ねばいい、という青井の主張は太宰の心のうちを示しているのではないかと思います。
本作を書き上げるまでに太宰は親戚、兄弟の死を見届け、挫折、周囲の裏切りも味わってきました。人より生に関する欲が欠落している状態でもおかしくないと思います。
これはそんな自分の胸の内と周囲からよく聞く“正論”をぶつけ合ったものではないかと思います。
そして太宰の死生観にも直結しているであろう卑屈さ、自己肯定感の低さと紐づけられる1節が、下記のものだと考えます。
叔母の言う。 「お前はきりょうがわるいから愛嬌だけでもよくなさい。お前はからだが弱いから、心だけでもよくなさい。お前は嘘がうまいから、行いだけでもよくなさい」
太宰治『晩年』(葉)新潮文庫
太宰は乳母がなくなってから叔母さんに育てられた過去があります。
その際に実際に言われた言葉の可能性が高そうだな、と思いました。
叔母からすると、太宰のマイナスな性質をカバーして生きていけるようにやさしく諭しているのかと思います。
叔母のいうことを忘れないよう、走り書きをしたのか、パッと昔を思い出して書き留めたのか、真相はわかりませんが、このマイナスな性質を言葉にされたときにすこしショックを受けていそうだな、と私は感じています。
安楽なくらしをしているときは、絶望の詩を作り、ひしがれたくらしをしているときは、生のよろこびを書きつづる。
太宰治『晩年』(葉)新潮文庫
これは、不安観に付きまとわれて生きてきた人間にありがちな感覚なのではないか思います。
マイナスな感情のほうが通常すぎて、自分が幸せなところに身を置いていると余計不安になってしまう、という経験のある人もいるのではないのでしょうか。
幸せを手放した時の喪失感は考えただけでもつらいです。太宰も同じ感覚をもっていたのかもしれません。
ざっと本作における「死」の描写を追ってきました。
本作は、断片集として太宰の思いついたフレーズ、話をいくつも載せている作品であり、 個人的には“人に読ませる”ことを放置している感じがあります。
読んでもらうのではなく、ただただ太宰の脳内・心情にあるものを文字に起こしたものだと思いますので、より太宰の思う“死”がどんなものかを他作品より感じ取れるように思います。
次に、この断片集の中でも1番長い物語である『哀蚊』に関してすこし解説してみたいと思います。
哀蚊に関して〜なぜ婆様は「物足りな」かったのか〜
哀蚊とは、この話に登場する婆様の説明によると
秋まで生き残されている蚊を哀蚊と言うのじゃ
とのことです。
読み方は「あわれが」になります。
もともとある言葉ではなく、太宰が作品を作るために創った言葉とされ、夏から秋にかけすこし元気のなくなった、でもまだ生き残っている蚊を刺すものです。
このお話は語りである「私」と婆様を中心とする話しです。話は私が、「おかしな幽霊を見た」過去についての語りから始まります。
二人の関係性はというと、婆様は「私」にとって、とても美しい女性であり、自分のことも大切にしてくれているがゆえにかなり婆様に懐いていました。
姉さまが祝言を上げた日に幽霊を見ており、その日の出来事を「私」は鮮明に語っています。その際、婆様がお話しした「哀蚊」と幽霊だけは夢物語ではないと確信しています。
そんな中で、『哀蚊』について婆様が語った日は「私」にとって衝撃的な日でした。
婆様は寝ながら滅入るような口調でそう語られ、そうそう、婆様は私を抱いてお寝になられるときには、きまって私の両足を婆様のお脚のあいだに挟んで、温めて下さったものでございます。或る寒い晩なぞ、婆様は私の寝巻をみんなお剥ぎとりになっておしまいになり、婆様御自身も輝くほどお綺麗な御素肌をおむきだし下さって、私を抱いてお寝になりお温めなされてくれたこともございました。それほど婆様は私を大切にしていらっしゃったのでございます。
太宰治『晩年』(葉)新潮文庫
ここで、婆様と「私」の周囲から見たら少し異常にさえ感じてしまう事実がわかります。
「私」の寝巻も婆様の寝巻も脱いで、裸同士で布団にくるまって暖をとっているというのです。
はたから見たらかなり驚きますが、主人公の「私」はそれを婆様が自分を温めるためにやっていることとプラスに解釈しているので、当時の「私」の純粋さがうかがえるシーンとなっています。そしてこの行為が最後のシーンの伏線になっているとも考えられます。
婆様の御返事がございませんでしたので、寝ぼけながらあたりを見廻しましたけれど、婆様はいらっしゃらなかったのでございます。心細く感じながらも、ひとりでそっと床から脱け出しまして、てらてら黒光りのする欅普請の長い廊下をこわごわお厠のほうへ、足の裏だけは、いやに冷や冷やして居りましたけれど、なにさま眠くって、まるで深い霧のなかをゆらりゆらり泳いでいるような気持ち、そのときです。幽霊を見たのでございます。長い長い廊下の片隅に、白くしょんぼり蹲くまって、かなり遠くから見たのでございますから、ふいるむのように小さく、けれども確かに、確かに、姉様と今晩の御婿様とがお寝になって居られるお部屋を覗いているのでございます。幽霊、いいえ、夢ではございませぬ。
太宰治『晩年』(葉)新潮文庫
これは婆様がお布団を抜け出して、姉様とお婿様のお部屋をのぞき見していた、それを幽霊と見間違えた、というお話です。祝言の晩ということは初夜の日。
婆様はそれを除き見していたことになります。
ここから、婆様が何を物足りないと感じ欲していたのかが感じられると思います。
まず『哀蚊』を滅入るような口調でお話したことは、なんとなく生き残ってしまい、残り幾何もないかもしれない命の中で、婆様は「女性」としての欲求を捨てきれずにいたことに葛藤を抱いていたからだと解釈しました。
そんな自分が、秋になって生命力が弱っても人の血を欲しがる哀れな蚊と似ていると思ったからではないでしょうか。
当時小学生の時のことを大人の「私」が回想していく中で、小学生当時はわからなかった婆様の抱えていた『性』に対する欲求を理解することができ、
幽霊、いいえ、夢ではございませぬ。
太宰治『晩年』(葉)新潮文庫
というまるで最後のピースがはまったかのような、言いまわしを経てこの話は終わります。
『葉』作品の中でも1番読み応えのある作品と思いますので、ぜひほかの皆様の解釈も聞いてみたい作品です。
『葉』―感想
本作の特性を知らずに1つの物語読むと『なんだこれは?』というのが率直な感想になると思います。私自身も最初はどう読んでいいかわかりませんでした。
ただ、これを断片集なのだな、という理解をした状態で読んだとき、その1つ1つの小ネタに、より太宰の心の奥が映し出されているように感じて、太宰ファンの中には代表作のよりも、好きな方がいらっしゃるのではないかと感じました。
『太宰と死』の解説部分でも少し触れましたが、読ませるものというよりも、太宰の脳内や胸の内からぱっと出てくる考えをそのまま文字に起こしているような内容になっているので、『太宰のネタ帳を見ている』と考えるとすごく貴重な1作に感じます。
そしてなにより、そうしたネタの中にもいろんな『死』があったことから、太宰は身の回りの出来事からして、死について考えさせられる機会が人よりも多かったんだろうなと感じました。
個人的には下記の一文が、上で述べたような解釈をしたこともあってすごく心に刺さりました。
安楽なくらしをしているときは、絶望の詩を作り、ひしがれたくらしをしているときは、生のよろこびを書きつづる
太宰治『晩年』(葉)新潮文庫
皆さんも是非、このお宝的断片集『葉』の中で、自分の好きなフレーズ、お話を見つけてきてください。
以上、『葉』のあらすじと解説・考察と感想でした。