『琵琶伝』の紹介
『琵琶伝』は、明治29年(1896年)、雑誌『国民之友』に発表された泉鏡花の短編小説です。
日清戦争に徴兵された男と引き離された女との悲恋物語で、明治時代の「許婚」という習慣に対するアンチテーゼとしての「恋愛」がテーマになっています。
ここではそんな『琵琶伝』のあらすじ・解説・感想をまとめました。
『琵琶伝』─あらすじ
陸軍尉官・近藤重隆に嫁いだお通は、初夜の床で「節操を守るか」と問われて「出来さえすれば破ります」と答える。
実家で暮らしていた従兄の相本謙三郎と恋仲だったお通は、「重隆の父への面目のため、許婚の近藤重隆に身を任せてくれ」という遺言に従い、嫁入りしたのだった。
重隆はお通に節操を守らせるため、彼女と共寝せず、会いもしないまま、老僕・三原伝内に見張らせていた。
戦地への出征を控えた謙三郎に、お通の母は「一度だけでも娘に会いに行ってくれ」と頼む。
軍を脱走し、お通に会いに行った謙三郎は、伝内を殺して小屋に踏み込んだが、捕らえられる。
謙三郎が脱走と殺人の罪で銃殺された後、実家に帰ったお通は「ツウチャン」と呼ぶ声に惹かれて陸軍の墓地へとさまよってきた。
謙三郎は恋人と会う折、「琵琶」という名の鸚鵡に「ツウチャン」と呼ばせるのを習慣にしていたのだ。
謙三郎の墓を蹴り、唾を吐きかける重隆を見たお通は彼に襲いかかった。
重隆は猟銃でお通を撃つが、咽喉を喰い破られて倒れる。
口を血に染めたお通が「謙さん」と呼んで倒れたあと、鸚鵡の琵琶は「ツウチャン、ツウチャン」と名を呼ぶのだった。
『琵琶伝』─概要
主人公 | お通 |
重要人物 | 相本謙三郎、近藤重隆、三原伝内 |
主な舞台 | 不明 |
時代背景 | 明治27年夏 |
作者 | 泉鏡花 |
『琵琶伝』─解説(考察)
さまざまな愛のかたち
『琵琶伝』は、さまざまな愛のかたちを描いた小説です。
一本の短編小説の中に、男女の愛、親子愛、主従愛といった要素が詰まっています。
愛について、いろいろな方向から考えさせてくれる小説だと言えるでしょう。
・男女の愛─お通と謙三郎
お通は謙三郎と恋仲でしたが、父の遺言により、許婚の重隆に嫁がざるを得なくなりました。
良人に対し、お通は「節操を守らねばなりませんという、そんな、義理はございませんから、出来さえすれば破ります!」と宣言し、謙三郎への愛を誓いました。
謙三郎も出征する前に「逢いたくッて」軍を脱走するほど、お通を愛していました。
実際、お通に逢うためだけに、老僕・伝内を刺し殺すという行動にも出ています。
これほどに想い合っていた二人ですが、謙三郎は捕縛され、お通は重隆によって、謙三郎が脱走と殺人の罪で銃殺されるところを見せつけられました。
その後、近藤の家では尉官夫人として振る舞っていたお通も、実家へ帰ると「あどけなきものとなりて、泣くも笑うも嬰児のごとく、ものぐるおしき体」となってしまいます。
恋人が自分を呼ぶ時に使っていた鸚鵡の「ツウチャン」という声にさまよい出たお通は、重隆の咽喉を食い破り、自らは銃弾に倒れました。
彼女はもとから重隆を嫌っていましたから、謙三郎を殺されてからは、より大きな恨みを抱えていたに違いありません。
良人の咽喉を食い破るほどの憎しみと恨みは、彼女の心身を大きく蝕んでいたことでしょう。
愛する人の墓標の前での仇討ちは、物語の主軸となる悲恋にふさわしい終末といえます。
男女の愛─重隆
お通に「節操を守るつもりはない」と言われた重隆は、初夜の日から一年以上ものあいだ、彼女を遠ざけ、小屋に閉じ込めていました。
謙三郎と逢わせないようにするだけではなく、自らもお通と逢おうとはしなかったのです。
重隆はお通のことを本気で愛していたがゆえに、「きっと節操を守らせるぞ。」と嘲笑い、小屋に閉じ込めて見張りをつけ、自分に対する節操を守らせたのです。
親の決めた許婚と結婚するのが当たり前の時代、重隆はお通が何と言おうと、彼女を自分の好きなように扱うことができました。
自分の欲望を抑える必要などなかったのです。
しかし、重隆は、謙三郎に対する節操を守らせるように、自分からお通を遠ざけました。
お通と謙三郎の「恋愛のいかに強きかを」知って、「嫉妬のあまり、姦淫の念を節し、当初婚姻の夜よりして、衾をともにせざるのみならず、一たびも来りてその妻を見しことあらざる」という行動に出たのです。
重隆はお通に触れることで、彼女と謙三郎との絆を直視してしまうのが怖かったのです。
遠ざけていれば、二人の恋愛については無視し、「自分に対する節操を守っているお通」の存在だけを感じていられます。
お通に謙三郎の銃殺を見せつけることで、ようやく重隆は少しだけ安心しました。
お通はもはや、重隆に対する節操を「破ろうにも破られません」となったからです。
最後、お通に襲われた重隆は「殺す!吾を、殺す!!!」と絶叫しました。
重隆のお通に対する思いは、最後の最後で愛情から恐怖に変わったのです。
これによって、物語に残る恋愛関係はお通と謙三郎のものだけになり、悲恋の幕引きができることになりました。
親子愛─お通の母
お通の母、つまり、謙三郎の叔母は、娘を大切に思うあまり、謙三郎に「脱営でも何でもおし」と、お通に逢っていくことを強要しました。
謙三郎自身は、「叔母さんに無理を謂って、逢わねばならないようにしてもらいたかった」と述べ、叔母の気持ちを利用したことを言い遺しています。
「私にどんなことがあろうとも叔母さんが気にかけないように」とも言っているので、娘のお通だけではなく、甥である謙三郎のことも大切にし、愛情をこめて接してくれていた女性なのだろうと想像できます。
家同士の約束や面目を守るための「許婚」制度は、お通と謙三郎の恋愛だけでなく、子どもたちを愛しく思っていた一人の母親の心をも傷つけ、甥を死に追いやるような科白を言わせました。
作者は、世間に浸透していた家制度や許婚の慣習とは万能のものではなく、母が子を思う心によって否定される可能性があることを、お通の母をとおして示唆したのです。
主従愛と同情─三原伝内
老僕・伝内は三代前から近藤家に仕えており、重隆の命令を絶対と心得ているので、お通の見張り役として小屋に置かれています。
伝内は、お通を一年あまり家から出すことなく、忠実に見張りを続けていました。
しかし、軍を脱走してきた謙三郎が三日間も小屋の周囲をうろつき、それを知ったお通は、なんとしても逢いたい、無理ならせめて食事を届けてくれと懇願を始めました。
「修容正粛ほとんど端倪すべからざるものありしなり」という様子だったお通が、謙三郎の声を聞いて泣き出し、果ては「イ、一層、殺しておしまいよう」と言い出すのですから、伝内が困惑しても無理からぬところです。
結局、伝内は「一か八かだ、逢わせてやれ。」と小屋の戸を開けました。
ずっとお通を見ているうちに、伝内の胸中に彼女への同情や共感が起きていても不思議はありません。
その気持ちと重隆に対する忠義がせめぎ合った結果、伝内は戸を開けたうえで「この邪魔者を殺さっしゃい」と謙三郎の前に立ちはだかり、刺し殺されました。
この時の伝内の科白に「もうお前様方のように思い詰りゃ、これ、人一人殺されねえことあねえ筈だ。」とあります。
伝内は二人の愛の強さをはっきりと感じ取り、本人たちですら気づいていなかった、愛を貫きとおすために必要な強さや自己中心的な行動を、まさしく体を張って伝えてくれました。
二人の恋愛は伝内にとって、自分が重隆に対して抱いている忠義と同じように大切なものだと感じられたのでしょう。
こうして、忠義もまた、さまざまな愛の形のひとつとして描かれたのです。
「ツウチャン、ツウチャン、ツウチャン」
鸚鵡の琵琶は、謙三郎の出征の際、お通の母によって鳥籠から出されました。
自由になった「ツウチャン」の声は、実家に帰ったお通を陸軍の墓地まで導き、仇討ちを果たさせたのです。
それが本当に琵琶の鳴き声だったのか、死んでしまった謙三郎の書斎で彼を想うお通の脳内でだけ響いた声だったのかは、はっきりと書かれていません。
物語を通して語られる「愛のかたち」という観点から見れば、琵琶が自分を可愛がってくれた二人への愛を「ツウチャン」という声にして届けたのだとも受け取れます。
最後の場面で「琵琶はしきりに名を呼べり。琵琶はしきりに名を呼べり。」と繰り返されるのは、「ツウチャン」の呼び声が全ての愛のかたちの原点と位置づけられているからだと考えられます。
琵琶は、お通と謙三郎との恋愛に始まり、二人に関わる人々がさまざまな愛のかたちを創っていくのを見守っていました。
だからこそ、「ツウチャン」の声によって物語の幕が引かれるのです。
『琵琶伝』─感想
愛の歪み
お通は重隆の許嫁でしたが、父親(清川通知)の遺言によって、それを知らされました。
また、遺言には、お通がずっと重隆を嫌っていたとあります。
なぜ重隆が嫌われていたかは言及されていませんが、妻を閉じ込めて何が何でも節操を守らせようとするなど、嫌われても無理のない人物として描かれていることは確かです。
しかし、そこまで重隆の愛が歪んでしまったのは、お通の態度のせいでもあるのではないでしょうか。
遺言から察するに、近藤家と清川家には先代から交流があったようですし、重隆がお通の家を訪れることもあったでしょう。
年回りが合うなら、親しい家の娘を嫁にしたいと望んでもおかしくありません。
けれど、謙三郎に恋をし、彼しか見えていなかったお通は、重隆の好意をうまく受け流せなかったのではないかという気がします。
年頃の娘らしい潔癖さで、結婚という具体的な目的を持って自分を見てくる重隆に嫌悪感を覚え、それを態度に出していたのかもしれません。
父の遺言によって嫁いでしまってからも、うわべだけでも素直に言うことを聞いておけば良いものを、あくまでも重隆を拒絶しました。
重隆にしてみれば、結婚してしまえば何とかなるという気持ちがあったでしょうし、お通が妻として振る舞うことを約束してくれれば、監禁まがいのことをしてまで縛りつけようとはしなかったのではないでしょうか。
そう考えると、重隆はお通たちの恋愛による被害者とも言えます。
もちろん、愛し方をこじらせたのは重隆自身の性癖や考え方のせいでしょうけれど、お通みずからがきっかけを作ったのも一つの要因ではないかと思うのです。
リマ症候群
重隆の老僕・伝内は、ずっとお通を見張っていました。
その一年あまりのお通の様子に伝内が心酔していったことは、彼の科白の随所に出てくる褒め言葉から解ります。
「お前様は、えらい女だ」とも言っていますし、年若の奥様に恋愛感情を抱いてもおかしくはなさそうですが、それよりも「リマ症候群」に近いものではないかと私は思いました。
リマ症候群とは、誘拐や監禁といった事件の際、監禁者が被監禁者に対して同情してしまい、友好的な態度を取るようになる現象のことで、ペルーのリマで起きた「在ペルー日本大使公邸占拠事件」の犯人たちの行動から名づけられました。
『琵琶伝』は、この事件よりも70年ちかく前に書かれています。
登場人物が監禁される内容の文学作品は古典から辿れば皆無というわけではないでしょうが、監禁者の心理まで描写しているものは頻繁にあるでしょうか。
実際に監禁事件があったとしても、『琵琶伝』の時代では、監禁者の心理が経過時間につれてどう変化するかなど、データとして報道されるとは思えません。
つまり、泉鏡花という作家の目は人間の本質を観察して、心の動きを読み取り、その変化を明瞭に描写したのです。
鏡花が「観念小説」の代表的作家とされるのは、そうした鋭い観察眼の持ち主だったためもあるのではないでしょうか。
だからこそ、『琵琶伝』のような短い小説のなかに、これほど多様な愛のかたちを盛り込んで編み上げることができたんだろうな、と思うのです。
以上、『琵琶伝』のあらすじ、考察、感想でした。