『草の花』について
福永武彦は1918年生まれの作家です。
数多くの海外文学を翻訳し、フランス文学者としても活躍しました。
『草の花』は、そんな福永武彦の失恋や療養生活をもとにした長編小説です。
ここでは『草の花』のあらすじ・解説・感想をまとめました。
『草の花』のあらすじ
かつて〈私〉は、東京郊外K村のサナトリウムで療養生活を送っていました。
この話は、今から5年ほど前、〈私〉がサナトリウムに来てから2回目の冬のことです。
汐見茂思と〈私〉は、1年足らずの間、隣り合ったベッドで暮らしていました。
汐見と〈私〉は親しくしていましたが、その親しさのなかにも彼が孤独を抱えていることに、〈私〉は気が付いていました。
けれど、汐見は自身の過去を話そうとはしませんでした。
ある日〈私〉は、過去に汐見が自殺未遂騒動を起こし、その直後に洗礼を受けたことを、他の患者から知らされます。
やがて汐見は難しい手術に志願し、帰らぬ人となります。
〈私〉はその手術こそが、洗礼のため自殺できなくなった汐見の、間接的な自殺だったのではないかと思うのです。
〈私〉は手術の前に、汐見から2冊のノートの存在を知らされていました。
汐見の死後、〈私〉は霊安室で、そのノートを読み始めます。
1冊目には、美貌の天才少年・藤木忍との失恋と死別が、2冊目には、藤木の妹である千枝子との失恋が告白されていました。
〈私〉は2冊のノートを読み終え、千枝子へ汐見の死を伝えました。
春が終わりに近づくころ、ようやく千枝子から返事が届きます。
千枝子は、けして汐見を愛していなかったわけではありませんでした。
手紙には、汐見の理想や兄の影を恐れ、汐見を受け入れられなかったこと。そして、汐見のことは忘れられないが、自分は自分の人生を選び取って生きていることなどが書かれていました。
『草の花』ー概要
物語の主人公 | 私 |
物語の重要人物 | 汐見茂思 |
主な舞台 | 東京郊外K村のサナトリウム |
時代背景 | 戦前~戦後 |
作者 | 福永武彦 |
『草の花』の解説
・「草の花」とは何か
ひとりの男の孤独と死の物語に、なぜ『草の花』というタイトルがつけられたのでしょう。
それは、「草の花」が汐見が失った幸福の象徴であり、物語を貫くテーマであるからです。
『草の花』は、以下のエピグラフから始まります。
”人はみな草のごとく、光栄はみな草の花の如し”
ペテロ前書、第一章、24『草の花』福永武彦
タイトルの『草の花』は、このエピグラフに由来します。
人はみな草のように弱く名もなき存在で、その光栄もまた、草に咲いた花のようにささやかなもの。
それに対し、理想を愛する汐見はこう言います。
”「自分の内部にあるありとあらゆるもの、理性も感情も知識も情熱も、すべてが燃え滾って充ち溢れるようなもの、それが生きることだ。」” (冬)
”人生というのはもっと別のものだ、もっと明るい、もっと実のある、もっとBrillantなものだ”(第一の手帳)『草の花』福永武彦
「第二の手帳」の後半、汐見と千枝子は林の中を散策します。
千枝子の手紙では、ここで汐見の愛を確信し、汐見を心身ともに受け入れても良いと考えていたことが明かされています。
しかし、いざ千枝子が覚悟を決めた瞬間、汐見は怯むのです。
”僕が感じていたものは、愛の極まりとしての幸福感ではなく、僕の内部にある恐怖、一種の精神的な死の観念からの、漠然とした逃避のようなものだった。”(第二の手帳)
『草の花』福永武彦
千枝子は汐見のこの一瞬のためらいを察知し、汐見から離れていきました。
これが決定打となり、二人は破局を迎えます。身体を離した二人の周囲には花が散らばり、千枝子はそれを必死に集めていました。
散策のあいだ、千枝子は花を摘んでいました。
その花が千枝子の手のうちにある時には、「草花」「摘んだ花」と表現していた汐見でしたが、散らばってようやく、その花が”撫子やたかねすみれやりんどう”であったことを記しています。
質素な「草の花」にもそれぞれ名前があり、色彩があったのです。
そしてそれは、汐見が現実的な幸福を永遠に逃してしまったことを象徴しているのでしょう。
汐見は一面に雪が積もった冬の夜、死んでいきます。ささやかな花の彩りもなく、真っ白な死でした。
・受容の物語
『草の花』は受容の物語なのではないかと思います。
- ありのままの相手の姿
- 相手の意思
- 何者にもなれなかった自分
- 思い通りにいかない人生
こういった物事を受け入れた先に、「草の花」を咲かせることができるのです。
高い場所ばかり見つめていると、足元に咲いた小さな花に気が付きません。それどころか、踏み散らしてしまう可能性もあります。
「春」の大部分は、現在の千枝子からの手紙が占めています。汐見との破局ののち、彼女は兄の友人と結婚し、一児の母となっていました。
”現在のこうした暮らしかたがまるで間違っているのではないかと、たまらなく心の空しく感じられる時がございます。”(春)
”庭の樹々は若葉をもやし、藤やつつじも今を盛りと咲き誇っておりますが、用もないのに庭の隅に出て、言いようもなく胸の締めつけられるのを覚えながら、いつまでもぼんやりと佇んでいる時もございます。”(春)『草の花』福永武彦
もしあの時、汐見と離れなかったら…?千枝子は時々自分の選ばなかった道を想像しながら、夫の洋服を片付けたり、娘にお人形あそびをさせたりなどして、生活を続けます。
この手紙は、千枝子が汐見のノートの受け取りを拒否して終わります。
”どうぞわたくしをおゆるし下さいませ。”(春)
『草の花』福永武彦
自分の選んだ人生を受け入れた千枝子。
彼女は今後も、小さな花を見付けながら生きていくことでしょう。
『草の花』の感想
・”自由なる死”か否か
〈私〉の前に彗星のように現れ、2冊のノートを残して死んでいった汐見。
彼がサナトリウムで何を考えていたのか、誰にもわかりません。
「冬」と「春」は〈私〉から見た汐見の姿、「第一の手帳」と「第二の手帳」は汐見が過去を振り返ったものであるため、〈私〉と過ごしていた汐見の内面はどこにも描写されていないのです。
その空白が、彼の死を掴みどころのないものとしています。
汐見の死について、真相は書かれていません。
汐見は「第一の手帳」の冒頭で、自分は間違っていなかったかと内省します。
愛する人から受け入れられなかったのは、自分の魂の弱さだけが原因だったのか。自分は傷つけられた被害者ではなかったのではないか…。
その直後、彼はノートに過去を記すこと、過去を記すことで過去を生きなおすことを決め、このように続けます。
”僕が僕の生を肯定することが出来るならば、僕は僕の死を自ら肯定し、ニイチェの謂わゆる自由の死を選びとることも出来るだろう。”(第一の手帳)
『草の花』福永武彦
ニイチェの自由の死とは、おそらく『ツァラトストラかく語りき』に出てくる「自由なる死」のことだと思われます。
本文は長く難解であるため、訳者の注釈から一部を引用します。
”真の死ーよく生き、よく働き、よく闘った者が、その完成の頂上に於て自ら選んで死ぬる死は、祝祭というべきだ。之を最もよく祝うべく学ばねばならぬ。”
”死は生への絶望であってはならぬ、生の是認であるべきだ。死こそは生の最高揚であるべきだ。成熟した魂は之を肯定するであろう。”ニーチェ、竹山道雄・訳『ツァラトストラかく語りき(上)』,新潮社
手術室に入るとき、汐見は笑っていたといいます。
理想どおりの人生ではなかったし、理想どおりの自分でもなかった。そんな現実を受け入れ、絶望して死んでいったのか、肯定して死んでいったのか。
私は、汐見が自身の人生を肯定的に受け止めるため、その総仕上げとして死を選んだのだと思います。
汐見は「第二の手帳」で、自分が書いていた小説について残しています。
その小説はソナタ形式で、第一主題(孤独)と第二主題(愛)とが絡み合う、結末という結末のないものでした。
また、「冬」のなかに、〈私〉が汐見に何を書いているのかと訊ね、汐見が「小説のようなものだ。」と答えるシーンがあります。
彼は2冊のノートをソナタ形式のノンフィクション小説として書き、その最終章に自身の術中死を置いた。それこそが、彼の人生が「理想どおりでないもの」から「芸術作品」に変容する最後の切り札だったのです。
”「生きることが芸術でありたいと願った。(略)で、僕はそのように生きたのだ。」”(冬)
『草の花』福永武彦
・汐見を見送った日
若いころ、私たちは愛や人生について理想を描き、大成する自分を信じて生きていました。
けれど、何者かになれた人は、全体のどのくらいの割合なのでしょう。
汐見茂思は、いつか私たちが手放した理想そのものではないでしょうか。
何者にもなれず、それでも生活の中に幸せを見出していく。そのために、私たちは自分の中の汐見を殺しました。現実を生きていくには、そうするしかなかったのです。
この物語は、どうしようもない感傷と、甘さと、身を切るような冷たい孤独とに彩られています。
〈私〉に汐見の死が告げられた、冬の夜の冷たい廊下。私もかつて、そこで誰かを見送ったことがある気がするのです。私がこれからも生きていくために。
『草の花』が胸に迫るのは、すでに別れたはずのかつての自分の姿を、そこに見るからです。
・苦しみの昇華
冒頭で、『草の花』は著者・福永武彦の体験をもとにした小説であると書きました。
福永武彦は学生時代、一学年下の男子生徒に憧れ、失恋しています。
その憔悴ぶりは目にあまるものであったらしく、福永が自殺するのではないかと周囲は心配していたそうです(※1)。
この解説では物語を物語として捉えましたが、実体験という部分に焦点をあてるならば、汐見茂思=福永武彦なのです。
しかし福永武彦は生き、1979年に61歳で亡くなりました。
福永武彦の息子に作家の池澤夏樹さん、孫に声優の池澤春菜さんがいらっしゃいます。
もし汐見が生きていたならば、このような未来もありえたのかも知れません。
福永武彦は『草の花』の元となった失恋事件を、『草の花』以前の他の作品にも繰り返し登場させています(※2)。それだけ福永の心に傷を与えた出来事だったのでしょう。
『草の花』を物語として読んだときに感じるのは、途方もない孤独感やヒリヒリするような感傷です。
ところが、私小説として読むと、『草の花』は苦しみの昇華の物語であると受け取ることが出来るのです。
いま何かに深く傷ついていたとしても、少しだけ待ってみる。
そうすると、福永武彦がこの小説を書いたように、その経験が美しい花を咲かせる日がきっと来るように思います。
以上、福永武彦『草の花』のあらすじ・解説・感想でした。
参考文献
※1 『新潮日本文学アルバム50 福永武彦』新潮社,1994
※2 田口耕平『「草の花」の成立 福永武彦の履歴』翰林書房,2015