林芙美子『清貧の書』実話に基づいた物語!「流浪の性」とは何か?

  1. HOME >
  2. 日本文学 >
  3. 林芙美子 >

林芙美子『清貧の書』実話に基づいた物語!「流浪の性」とは何か?

『清貧の書』紹介

『清貧の書』は林芙美子の短編小説で、193111月『改造』に掲載されました。

本作は、元夫の暴力から逃れ、三人目の夫と貧しい新婚生活をはじめた主人公・加奈代の侘しさが、徐々に夫への信頼と安心に変わっていくまでの道のりが描かれています。

作中の与一は芙美子の内縁の夫・手塚緑敏がモデルになっており、本作は実話に基づいたフィクションとされています。

ここでは、『清貧の書』のあらすじ・解説・感想までをまとめました。

『清貧の書』あらすじ

加奈代は打擲をくりかえす二人目の夫と離縁した後、平凡で誇張のない男・与一と三度目の結婚をしました。

過去の二人の夫は金がなくなると暴力をふるったため、加奈代は貧しい新婚生活のなかで与一がいつ心変わりするか怯えながら過ごしており、生活苦の不安や実家からの無心のことを打ち明けることができずにいます。

彼女の不安を知った与一は、ペンキ屋の日雇いの仕事をはじめたり兵役のあいだの給料をすべて送金したり、金銭的な不安を取り除きながら絶えず加奈代の無事を気にかけてくれました。

過去の男たちには見出すことのできなかった深い愛情に胸を打たれ、加奈代は、自分がいつしか孤独のままにひねくれていたのだと気づきます。

与一の愛情を信じられるようになった加奈代は、日々にかつてなかった楽しさを見出し、朗らかな気持ちで与一の帰りを待ちわびるのでした。

『清貧の書』概要

主人公

加奈代:四年前に上京し、二度の離婚を経て与一と三度目の結婚をする

重要人物

小松与一:加奈代の三人目の夫。
魚谷一太郎:加奈代の二人目の夫。金がなくなると、加奈代を打擲した
加奈代の母:北九州の田舎で義父と行商を営みながら、貧しい生活をおくる

主な舞台

東京

時代背景

19201930年代

作者

林芙美子

『清貧の書』解説(考察)

本作は、両親とも疎遠で頼るもののない加奈代が、暴力をふるう元夫の幻影から逃れ、与一という新しい伴侶との生活に安心を見出すまでの物語です。

ここでは加奈代の憂鬱の本質とは何なのか、彼女に安心をもたらす足がかりとなったものは何なのか、「流浪の性」をキーワードに読み解いていきたいと思います。

頼るもののない心細さ

まずは、加奈代が抱える憂鬱の本質とは何なのか、丁寧にみていきたいと思います。

彼女の憂鬱の要因は、大きく下記の3つに分けられます。

  • 古里の家族とは疎遠で、頼れないこと
  • 二人の元夫から蔑ろにされてきた過去
  • 与一との貧しいその日暮らし

これらはすべて頼るもののない心細さにつながり、加奈代を憂鬱にしているのです。

疎遠になってしまった両親

加奈代の憂鬱の原因の一つ目は、頼れる肉親がいないということです。

加奈代は古里の家族と疎遠になっているうえ両親も貧しい生活を送っていることから、精神的にも金銭的にも頼ることのできない心細さがあります。

たとえば冒頭の描写では、家族と疎遠になってしまった侘しさが「真白いまま」の戸籍で表現されています。

 私はもう長い間、一人で住みたいと云う事を願って暮した。古里も、古里の家族達の事も忘れ果てて今なお私の戸籍の上は、真白いままで遠い肉親の記憶の中から薄れかけようとしている。

林芙美子『ちくま日本文学020 林芙美子』(清貧の書),筑摩書房, 84

加奈代は過去に二人の男と結婚・離婚を繰り返しているため、家族とは戸籍が分かれてしまっているのです。

さらに北九州と東京、気軽に帰省できる距離ではなく、かろうじて手紙のやりとりをしている母以外、家族との交流は絶たれています。

その一方で、加奈代は貧しい両親から四年間で「弐拾円ばかり」送金してもらっています。

そうした後ろめたさや、早く身を落ち着けなければ、という焦りが、ますます加奈代の心を古里から遠ざけているのではないでしょうか。

加奈代にとって家族とは、安心ではなく後ろめたさや不安をかき立てられる存在でした。

愛する存在だからこそ、無理に頼りにすることも蔑ろにすることもできない苦しさがあったのでしょう。

元夫からの打擲と暴言

加奈代の憂鬱の原因の二つ目は、二人の元夫から蔑ろにされてきた過去のトラウマです。

彼女は過去の二人の夫から、打擲されたり罵られたり酷い扱いを受けてきました。

(前略)別れた二人の男達も、あれでもない、これでもない、と云って、金があると埒もなく自分だけで浪費してしまって、食えなくなるとそのウップンを私の体を打擲する事で誤魔化していた。

林芙美子『ちくま日本文学020 林芙美子』(清貧の書),筑摩書房, 100

加奈代にはこうした過去があるからこそ、今はやさしい与一もまた、いつか自分を打擲するのではないかと怯えています。

さらに加奈代を追い詰めるのは、たとえ打擲されたとしても男から逃れることができない自身の執着心でした。

彼女は、暴力をふるう二人目の夫・魚谷と二年ものあいだ連れ添っています。

さらに、肋骨を蹴られて逃げ出した後も「殴らなければ一度位は会いに帰ってもよい」という手紙を送っており、蹴られてもなお男と離別する決心のつかないさまが垣間見えます。

加奈代にとっては、夫から酷い扱いを受けるのと同等に一人になることが恐ろしいのです。

与一との結婚を決めたときも「私はあれほど、一人でいたい事を願っていながら、何と云う根気のない淋しがりやの女であろうか」と自身を嘆いています。

頼れる肉親もいない加奈代は、必死に男との生活や愛情に縋ろうとしていたのでしょう。

しかし、穏やかな夫婦生活を熱望する一方、それに失敗した過去二度の結婚がトラウマとなり、三度目の与一との新婚生活にも希望よりも不安を強く感じているのです。

貧困への恐怖と疑い

加奈代の憂鬱の原因の三つ目は、与一との貧しいその日暮らしです。

なぜなら、加奈代にとって貧困とは、夫婦生活の破綻につうじるものだからです。

過去二人の夫は、金がなくなると機嫌を損ねて加奈代を打擲しました。

だからこそ、米を買うため貯金箱を割り、帯や靴を売ってようやく明日の食い扶持をまかなうような生活のままだと、いつか与一は自分を殴るだろう、と加奈代は怯えているのです。

さらに、その怯えが疑り深さとなって加奈代を苦しめています。

「僕はとてもロマンチストなんだからね、だが、君のどんなところに僕は惹かされたンだろう……
そうむきになって云われると、私はまだ泪ぐまずにはいられなかった。「またこの男も私から逃げて行くのだろうか」(後略)

林芙美子『ちくま日本文学020 林芙美子』(清貧の書),筑摩書房, 100

(前略)「私は道のない絵が好きなんだけれど」そうも言ってみた事があるけれど、与一はむきになって、茶色の道を何本も塗りたくって、「君なんかに絵がわかってたまるもンか」と、与一はそう心の中で思っているのかも知れない。

林芙美子『ちくま日本文学020 林芙美子』(清貧の書),筑摩書房, 104

加奈代は、与一のささいな言動から心変わりを疑いつづけます。

唯一頼れるはずの夫にも、捨てられるかもしれない、という根拠のない不安から頼ることができず、加奈代は抱えている憂鬱や不安を一人で抱え込むことになっているのです。

「流浪の性」からの脱却

これまでに解説してきた加奈代の憂鬱は、すべて彼女の生まれ持った「流浪の性」を表しているものです。

そして、この「流浪の性」からの脱却できたからこそ、彼女は心穏やかに与一の帰りを待つことができるようになったといえます。

ここからは、この「流浪の性」とは何なのか、そして、その脱却の足がかりとなった石油コンロと与一の不在について、くわしくみていきたいと思います。

加奈代の「流浪の性」

作中、加奈代は母からよく「お前も流浪の性じゃ」といわれていたことが語られます。

この「流浪の性」とは、加奈代のモデルである著者・林芙美子自身の生い立ちを知ることで、より深く理解することができるでしょう。

福岡県門司市に生まれた林芙美子は、七歳のころ、父に愛想を尽かした母とともに家を出ます。

その後、母の再婚相手である義父と三人で下関に渡り、行商を営みながら木賃宿を転々とする放浪生活をつづけていました。

一度は尾道に定住するものの、十九歳で上京してからは職を転々としたり、婚約を解消されたり、再び尾道へもどったり、やはり落ち着かない日々を過ごしています。

彼女は、まさに「流浪の性」に生まれついたというほかありません。

そして、加奈代もまた、作中で北九州の行商人の娘であったことが語られています。

 私は、長崎の石畳の多い旧波止場で、義父が支那人の繻子売りなんかと、店を並べて片肌抜いで唐津の糶売りしているのを思い出した。黄色いちゃんぽんうどんの一杯を親子で分けあった長い生活、それも、道路妨害とかで止めさせられると、荷車を牽いて北九州の田舎をまわった義父の真黒に疲れた姿、――私は東京へ出た四年の間に、もう弐拾円ばかりも、この貧しい両親から送金を受けている。

林芙美子『ちくま日本文学020 林芙美子』(清貧の書),筑摩書房, 122

本作の加奈代の生い立ちが芙美子自身の経験がもとになっているとすれば、彼女は幼少期から定住の家を持たず、放浪の生活を送っていたことが推測されます。

さらに、二度の離婚を経験している加奈代は、そのたびにまた引越しを繰り返しています。

 引越した初めというものは、妙に淋しく何かを思い出すのだ。私は何度となくこのような記憶がある。別れた男達と引越しをしては蕎麦を配った遠い日の事、――もう窓の外は暗くなりかけている。(後略)

林芙美子『ちくま日本文学020 林芙美子』(清貧の書),筑摩書房, 98-99

加奈代は著者・林芙美子と同じく、実家においても夫婦関係においても、一つの土地に安住した経験がほとんどないのです。

この「流浪の性」は住むところに限った話でなく、心の拠り所をもたない、という点にもつうじています。

心を休められる居場所をもたないこと、それが加奈代の「流浪の性」なのです。

石油コンロの慰め

そんな加奈代が「流浪の性」から脱する一つの足がかりとなったのは、石油コンロでした。

彼女が石油コンロの存在に心を慰められたのは、それが定住を象徴するものだからです。

与一との引越しの際、ふたりの持っている家具はわずかに「ビール箱で造った茶碗入れと腰の高いガタガタの卓子」だけでした。

そのほかの荷物も「蒲団に風呂敷包みに、与一の絵の道具」程度であり、加奈代にいたっては調理器具などを帯の結びめに挟むほどの身軽さです。

これらは、加奈代の「流浪の性」を端的に象徴しているといえます。

しかし、新居に越してきた後、なけなしの金で加奈代は石油コンロを購入しました。

 石油コンロを置いて朴が帰ると私はその灰色の石油コンロを、台所の部屋の窓ぎわに置いて眺めた。家具と云うものは、どうしてこんなに、人間を慰めてくれるのだろう。

林芙美子『ちくま日本文学020 林芙美子』(清貧の書),筑摩書房, 113

「流浪の性」を背負い身軽にならざるを得なかったからこそ、彼女は定住の一つの証ともいえる石油コンロという重たい家具に心惹かれたのではないでしょうか。

石油コンロは、その存在そのものが加奈代にとって安住を約束してくれるような、安心の源だったのです。

与一の不在がもたらした安心

「流浪の性」脱却のもう一つの大きな契機となったのは、与一の不在でした。

兵役中の与一から絶えず送られつづけた手紙から、加奈代はようやくこの家が「帰る場所」であることを認めることができるようになったのです。

加奈代が与一との暮らしに抱えていた不安は、主に下記の二つでした。

  • 明日は食っていけるか、という金銭的不安
  • 明日も棄てられずに済むか、という精神的不安

与一は、これらの不安を取り除こうと懸命に励んでいます。

加奈代が一人で米を買いにいったのを知ると、与一は翌日からペンキ屋の日雇いの仕事をはじめ、兵役で得た収入も「生きるようなものは食っている。困らない」と伝えて全額、加奈代に送金しました。

働きに出たいという加奈代の申し出も受け入れ、二人で協力して貧しさから脱しようとする姿勢がみられます。

一方で、金に執着しすぎることもありません。

加奈代の両親への送金については、「そんな事を僕が怒ると思ったら、君は僕の事について認識不足だよ」と伝え、加奈代を安心させています。

加奈代が働きに出るにあたって、女給の仕事には反対したのもその現れです。

当時のカフェの女給とは、給仕だけでなく男性の接待もおこなう仕事でした。(※1

学歴やスキルを問わず高収入を得られましたが、二人目の男と別れた後にカフェの女給をしていた加奈代は「早く女給のような仕事から足を洗わねばならぬ」と考えていることから、彼女の趣向として好ましい職業ではなかったことがわかります。

「女給には反対」ときっぱり告げたのは、収入が低くても加奈代が精神的に無理をしない仕事がよい、と思う彼なりのいたわりだったのです。

与一は、兵役に出てからも家にいたころと変わらず、そうした真摯ないたわりをつづけます。

自分がいないあいだの加奈代の身を案じ、元気でいるように、と何度も言葉をかけるのです。

加奈代は離れていても変わらぬ与一の誠実さに心を打たれ、ようやくその優しさを素直に受け止めることができるようになったのでしょう。

 紅もなければ白粉もない、裸のままの私に、大きい愛情をかけてくれる与一の思いやりを、私は、過去の二人の男達の中には探し得なかった。それに子供の頃の母親の愛情なんかと云うものは、義父のつぎのもののようにさえ考えられ、私は長い間、孤独のままにひねくれていたのだ。

林芙美子『ちくま日本文学020 林芙美子』(清貧の書),筑摩書房, 129

それは「孤独のままにひねくれて」いた加奈代が、ようやく心の拠り所を見出した瞬間でした。

そして、与一の帰ってくる場所を守ることで、この家が二人の揺るぎない居場所になるのだということを認めることができたのです。

身も心も移ろってばかりだった加奈代は、貧しく心細い生活を脱し、ついに安住できる家という場所、つらいときに遠慮なく寄りかかれる存在を得たのでした。

『清貧の書』は、「流浪の性」の宿命を背負い、頼るもののない心細さを抱えて生きてきた加奈代が安寧を見出すにいたるまでの物語といえるでしょう。

感想

『清貧の書』は実直な愛の文学

『ちくま日本文学020 林芙美子』の解説には、こんな話が紹介されています。

あるとき、吉屋信子、岡本かの子、林芙美子、三人の女流作家の座談会がありました。

その帰りのこと、雨のなか、岡本家の手前の道に傘を持った老婢が立っており、それをみた信子は、長いこと待っていたのだろう、と感心します。

すると、かの子は「愛があるからよ、あのひと(老婢)はわたくしを愛しているのよ!」と言って、車を降りてゆきました。

(前略)そのあと、林芙美子はいきなり信子の肩をポンと叩いて、「愛があるからよ、わたくしを愛しているのよ」と口真似をして、凡そおかしくて面白くてたまらぬように小さい身体をゆすって高い笑い声をあげ、かの子のことを、
「あのひとはなんていつまでお嬢チャンなんですか!」
と「また笑った」と信子はしるす。信子のほうは、かの子の唇からこぼれた言葉は真実の花びらのようにうけとられたのだが、「幼少から険しい苦難辛苦の生を経てわが道を開いた林さんには、そのゆたかな詩情をもってしてもそれは理解の外にあったのも無理がない」。(後略)

林芙美子『ちくま日本文学020 林芙美子』,筑摩書房, 463

林芙美子と岡本かの子という二人の作家には、色恋沙汰の多さや周囲を巻き込んでいく奔放さという点で、どこか通ずるところも感じられます。

しかし、この二人の絶対的なちがいは生家の裕福さにありました。

大家のお嬢様として何不自由のない裕福な家庭で育ったかの子に対し、芙美子は木賃宿を転々とする貧しい幼少期を過ごしました。

一杯のちゃんぽんを家族三人で分け合うような貧しさで、行く先の学校でも同級生にうまく馴染めなかった芙美子が、かの子のような天真爛漫さをもって無償の愛を信じられないのは当然のことでしょう。

だからこそ、芙美子は男の愛に必死に縋りつづけたし、男の愛を執拗に疑いつづけたのではないかと思います。

そんな芙美子の強さと弱さが惜しみなく表現されているのが、本作『清貧の書』でしょう。

目の前の生活のことも、遠く離れて暮らす両親のことも、なるべく自分の力で済ませようと尽くす加奈代のたくましさは、不器用さの裏返しでもあります。

過酷な少女時代を過ごした加奈代は、言葉だけで与一を信じようとはしませんでした。

手の内に現金を握らせてもらい、絶えず届く手紙を何度となく読み返し、ようやくかれの愛情を本物と信じることができるようになるのです。

毎日、一つひとつの愛情を手で確かめていくような加奈代と与一の夫婦生活は、その不器用さが涙ぐましくもあり、微笑ましくも感じられます。

育ってゆくトマトの苗、石油コンロの唸り、熱い茶をすする瞬間、日々の小さな出来事に喜びを表す、林芙美子の文学性はこの実直さにこそあるという気がします。

以上、『清貧の書』のあらすじ、考察と感想でした。

【参考】

※1 和樂web大卒の8倍稼げる&有名人に口説かれまくり?!昭和初期「カフェーの女給」お金事情・恋愛ゴシップ大調査【妄想インタビュー】

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
アバター画像

キノウコヨミ

早稲田大学 文化構想学部 文芸・ジャーナリズム専攻 卒業。 主に近現代の純文学・現代詩が好きです。好きな作家は、太宰治・岡本かの子・中原中也・吉本ばなな・山田詠美・伊藤比呂美・川上未映子・金原ひとみ・宇佐美りんなど。 読者の方に、何か1つでも驚きや発見を与えられるような記事を提供していきたいと思います。