開高健『オーパ!』紹介
「ベトナム戦記や」「夏の闇」等、ベトナム戦争の最前線での取材経験による作品が有名な、開高健さんの作品です。
開高さんの作品は大まかに、初期の「社会の矛盾を突く作品」、中期の「戦争の現実と人間」、後期の「人の生きることの原点、感動」だと感じます。
終生共通しているのは、何事も徹底的に突き詰める姿勢でしょう。
繊細で神経質な性格もあり、生涯独楽のように回り続けていた人だと感じます。
『オーパ』とはブラジルで、人が驚いた時に発する言葉です。
作品の内容はアマゾン河水系での釣り紀行ですが、読むと上辺の知識と現実の差に驚かされます。
河口にある島の面積が九州とほぼ同じであり、河口の川幅が330㎞もあることには呆然となります。
世界最大級の淡水魚ピラルクや、黄金の魚ドラド等の釣りにも驚かされます。
また、単に大物の釣りだけでなく、アマゾン河やブラジルの広大さ、大自然、ジャングルの中に突然見えてくる最先端の都市の存在、人々のおおらかな生き方は、人間と自然の関係や国民性の違いの要因を考える際のヒントにもなりそうです。
この記事では、開高健『オーパ』のあらすじ、解説、感想までをまとめました。
『オーパ』あらすじ
この作品は、アマゾン川水系での釣りの話ですが、3.000トンの船で河口の都市ベレンを上流へ向けて出航するところから始まります。
地球の反対側の途方もなく広い国ブラジル、その大河で釣りをするわけですから、事前の準備や情報、資金の確保が大変です。まずその経緯からです。
1.975年、開高さんにブラジルの日系人団体関係者から、ブラジルへの釣り旅行の招待文が届きます。
開高さんの釣り紀行「フィッシュ.オン」を読んで、舞台となったアラスカにライバル心を燃やし、それなら我がブラジルが、アマゾンが、となったようです。
開高さんは筆が進まない時は、釣りや海外旅行に逃げるのが常でしたから、渡りに船でしょう。
このプランを男性月刊誌編集長に売り込み、アマゾン河での釣り紀行が実現します。
実行の時期は乾季の1.977年の8.9月と決まります。人員は現地ガイドも含めて5.6名ですが、開高さんの人選基準は「どこでも寝られる、何でも食べられる、助平である」です。「逞しく、好奇心のある人物」ということでしょう。
8月18日の夜間に河口の都市ベレンを出港します。日本から見れば、アマゾン河もブラジルもとんでもなく広く大きい存在です。本流に入れば、右も左も岸辺は見えず黄濁した水と水平線が見えるだけです。
旅の楽しみの一つは「食」ですが、この国は日本人から見れば「どれもこれも大味」です。素材は良いが、大味を唐辛子の調味料と、ファリーニャというでんぷんの粉を降りかけてごまかしており、それがブラジル全土で共通です。
8月21日未明、中流のサンタレンの港に着きます。
これから後は基本的に、眠るのも釣り船の中になります。入国からここまで、12日経過しており、ブラジルの途方もない広さが理解できます。
ブラジル人が生涯にマゾン川を見るのは、10人中1~2人とのこと、日本で富士山を見る者の割合はそれよりは高いでしょう。
サンタレンの日本人会で交歓会が開かれます。
移民時等の苦労話は一切控えて、アマゾン川流域の鳥獣虫魚について話を聴きます。
この手の話になると皆童心に帰り、次々に情報が集まります。カンジェロという魚の話になります。
この魚は人が川遊びをしていると、人の穴から潜り込み喰らいつくという恐ろしい魚です。
地元の人の情報では、何処でも幾らでも採れるとのことでしたが、試しに漁をしてもらうとそうでもありません。
通念と事実が異なる事項はこの後も出てきます。
肉食魚として恐れられているピラニアについても、先駆者の記録を参考に観察しています。
歯の鋭さの報告に疑問を持った開高さんは、実際に内部を観察しています。
「ピラニアの歯が鋭いのはその通りだが、先人の報告通りではない」が、とりあえずの結論のようです。
試しに日本のハヤ位の大きさの魚を、生きたまま餌にして投げ込み5分程して引きあげたら、肉は全て無くなっているが魚は生きていた。ピリピリと体を震わせていたのには一同声もありませんでした。
その他、ピラニアは種類も多く思いのほか美味。
年を経ると歯の再生力が衰えるのか若魚との差があり、誰にも弱点がある事に悲しみも感じさせられる。既報でも観察でもピラニアは気まぐれであり用心が必要との結論です。
情報のあった場所に釣りに行くのですが、1週間はかかります。
寝るのも釣るのも船の中であり、その度に水や食料の調達、釣道具やカメラ機材等の積み込みが大変です。
苦労して出かけた挙句、丸坊主の時はがっくりきます。
また、ジャングル、熱帯とくれば虫や蚊が付き物で、一同ダニには悩まされます。
現地ではムクインというのですが、木の葉などに群れており、人間にとりついたら陰部へ潜り込む。
2.3日の潜伏期間がありその後本格的に活動を開始します。飲み食いして体が温まると、あちこちの陰部が痒くてたまらず、掻くと一層痒くなる。
悪循環ですが、薬も万能ではなく現地流で1週間程度我慢するしかない。
開高さんはその姿を「動物園のサルのノミとりとそっくりの猫背」と表現しています。いじけた、辛い気持ちが伝わってきます。
現地の日本人森氏と親しくなり、同乗してもらいます。
この人は東京都庁勤務に物足らず、ブラジルに移住し成功した人です。
子供の教育のため妻子は河口のベレンに残し、自分は900㎞も離れたサンタレンで野菜の卸商をしています。
熱帯地方を旅する際の注意事項に「水」があり、「生水は飲むな」が常識になっています。
すっかり現地の人となった森氏は、アマゾン河の濁った水を平気で飲んでいます。
また、優秀なカメラマンほどタフで助兵とされている高橋氏も続きますが、勿論、他のメンバーはそんな勇気はありません。
高橋カメラマンが、その後もアマゾン川の水を飲み続けて、腹も壊さなかったというのは、偶然か、免疫力が強いかのどちらかでしょう。開高さんのベトナム体験でも、地元の人は生水を飲まないとのことです。
森氏の情報で、トクナレを釣りに行く事になり、案内をしてくれる漁師を探しに行きます。
でも日本人が考えるように簡単にはゆきません。現地の人は時間を守らない、約束を守らない。森氏によれば「筋金入りの怠け者」という見立てですが、現地人の側にたてば「必要のない仕事はしない」という事でしょう。
この後、滅多にないトクナレの爆釣に出会います。トクナレは、ハタとスズキの混血のような姿、美味、猛烈なジャンプ、最大50cmオーバーという誠に魅力的な魚です。
広大な湖から流れ出している支流があり、水中に立っている木の枝の下を狙いスプーンを打ち込むと、ワンキャスト、ワン.フィッシュで釣れました。
この際と思い、知っている、持っている道具のすべてで試したが、何匹か釣れてその影響でプラグの動きがおかしくなると食いが止む、魚の反応にもルールがあるようです。
この魚は現地のガイドにプレゼントしたのですが、誤ってスクリューでミンチ状にしてしまいます。ガイドも他の現地の人も誰も、それに怒らないのには驚かされます。
この後は、世界最大級の淡水魚ピラルクの登場となります。
アマゾンの本流と支流に多く住み、最大5m200kgにもなるとのことであり、小型の鯨並の大きさです。
本職の漁師は、延縄や置き網、銛等でとるのですが、そこはアマチュア釣り師の矜持、ある国の70歳になる釣り好きの大統領が、この魚に竿釣りで挑んで破れたという話を聴き、同様にチャレンジすることを決心し準備しています。
ところが、トローリングでいくら頑張っても、餌のイワシがピラニアに齧られてしまいます。
代替方法は、ピラニアに齧られても針外れせず、かつピラルクが好む餌しかありません。
即見つかるはずもなく、やむなく木に登り、上から銛で突く方法に変更します。
じっと待つこと2時間、目の下を大物が通ったのに気づかず、近くの木にいた漁師が銛を投げます。取り逃がしましたが、この後も含めてまる半日木に登って、濁った水面を見つめるだけでした。
アマゾン河にはいろんな不思議があります。
川水が逆流するポロロッカという現象、河口から2千kmの上流でも海の生き物が住んでいること、5.6月頃のアンデスおろしという寒風。でもこの頃も「今年は天候がおかしい、いつもと違う」という話しが出ています。
次は大湿原でのドラド狙い。クイヤバ経由で大湿原を目指します。
道はジャングルの中を真っ直ぐに開発したものですが、高低差など考慮しておらず、山あり谷あり小川ありです。こんな所でも中継地には赤い灯りや、日本人が経営する店もあったりします。
そして、ジャングルを野焼きする光景も目に入ってきます。
野焼きの面積も広いがジャングルの面積はさらに広いので、どう考えてよいのかわからないほどです。
途中でホテルについて驚愕します。超高層の建物が林立し、立体交差道路が通っており、ジャンボジェット機の利用可能な飛行場もある超近代的な街です。
ホテルの階段は大理石造り、ボーイはそろって金ボタン。
勿論ここは、首都ブラジリアですが、途中の光景とのあまりの差に一同声がありません。
サンタレンからクイヤバまで約4日、そこからボートでドラドを探しますが空振り続きです。
案内役の漁師も嫌気がさしているように感じられますが、サン.ロレンソ河の支流で突然にドラドが釣れました。
ドラドと分かると、仲間が駆け寄り竿を投げ捨て、お互いの手を取り合って踊ります。その後もドラドは釣れました。
釣り紀行は終わり、とりあえず目的はほぼ果たしました。後は帰国ですが、空港に着いたとたんに肩を殴られたような衝撃が走ります。
これは開高さんが晩年悩まされた「バックペイン」と呼んでいる症状でしょう。
身もふたもない言葉で言えば「年寄りの肩こり、プラス神経症」でしょう。ブラジルへ着いた時に消えたはずですが、日本へ帰るとなるときちんと復活します。
余程この旅が印象的だったのか、最後にブラジリア在住の日本人全員を対象に粋なプレゼントをします。
150kgの若牛1頭を購入し串を通して丸焼きにし、ビールと共に振舞いました。
お客さんが持参するのは肉を切り取るナイフだけです。占めて15万円とのことであり、半世紀前の大卒の初任給が10万円と少しであった記憶していますので、驚くほど格安です。
『オーパ!』解説
この作品が生まれた背景と、主題について考えてみます。開高さん58年の人生で作家人生は約40年ですが、大まかに、初期、中期、後期に分けられるでしょう。
そしてこの作品は、自伝「耳の物語」や他の釣り紀行文と共に後期のものです。
作家の作風も、人生経験の積み重ねと共に変化すると思います。
開高さんは、繊細で神経質な性格に加えて、戦時体制や中学生の時の父の死去による貧困の生活を経験しています。
そんな中でも向学心、物事を突き詰めることは人一倍であったようです。
学業よりも仕事、勤労動員の中で、大人の世界、社会の矛盾等を感じ取っていたと思います。
終生共通しているのは、徹底的に取材し突き詰めること。
ベトナム戦争では最前線まで取材に赴き、ベトコンの待ち伏せ攻撃にあい、カメラマンと二人して遺影を撮りあったという話があります。
中期の作品、戦争取材から、自伝、釣り紀行作品への移行の経緯については、以下のように推測しています。
開高さんは語彙や文章を選び抜く故に遅筆であり、その時は釣りや海外旅行で心のモヤモヤを晴らしていた。
それが次の作品にも繋がってもいる。
また、極めて現実主義者でもあったと思います。
「ベ平連」の活動でも、ニューヨークタイムズの一面に反戦広告を載せるという、社会に大きな影響を与える方法を思いつき実行していますが、一方で現実を見ようとしない人達との意見の相違で、袂を分かっています。
戦争取材から釣り紀行文等への移行は、ある程度は現実的な考えもあるでしょう。
妻子は当然の事反対でしょうし、体力的にもいつまでも出来るものではない。
取材し発表すれば反響はあるが、おいそれとは世の中変わらない、外に書きたい分野もある、という流れだと考えています。
背景の一つとして、開高さん自身の成熟もあるように感じています。
開高さんのそれまでの人生経験の中から、遊び,息抜き、休息、感動等の必要性を感じていたのだと思います。
ベトナム戦争取材の後半では,恐る恐る釣り竿を持参しています。
少しでも非難されたら竿を折る決心であったのが,皆に歓迎されたといいます。
どんな時にも、原点に帰る、子供心を忘れない、心を安らげることは人間の生きる上での必須項目なのでしょう。
後期の作品では、多分開高さんのテーマであった「生きることの原点」について、開高さんなりの結論が出ているように感じています。
それは「現実を見つめ、原点を忘れず、人生を謳歌する」ことだと感じます。
その姿勢が、借り物も含め残された数々の名言に現れています。
私が感銘するのは「人の一生の本質は25歳までの経験と思考が決定する」と、「明日世界が滅びるとしても、今日君はリンゴの木を植える」です。最初の言葉は自分の実感でもあります。
開高さんの人見知りの性格も同様だと感じます。後の言葉はマルチン.ルターの言葉らしいですが「やりたい事、しなければならない事は年齢に関わらずできるし、しなさい」との意味だと捉えています。
この作品は釣り紀行作品ですが、かなり本格的な釣りです。
舞台は地球の反対側ブラジル、それも大河アマゾン河、狙いは世界最大級の淡水魚ピラルクや黄金の魚ドラド等、装備も費用も情報の収集も大変です。
これをクリアできたのは、開高さんだからできた面が強いでしょう。
きっかけは、開高さんの著書「フィッシュ.オン」を読んだブラジルの日系関係者からの招待で、情報も全面的に協力してくれる約束です。残るは人と資金ですが、開高さんはサントリーでのサラリーマン経験もありその方面の知恵もあったでしょう。
付き合いのある出版社に売り込み資金面は無事解決します。1年間の準備の末に、2ケ月間の釣り紀行が決定しますが、結果的にこの作品もかなり好評で、さらにモンゴルや南北大陸を釣りながら縦断する企画まで拡大します。
アマゾン河での釣りは想像するのも困難ですが、まず体力面は重労働でしょう。ただ、精神面は大いに洗われ、すっきりするように思います。
この作品の見所は、開高さんの畳み掛けるようなテンポの良い文体は勿論ですが、魚も含めて、アマゾン河やブラジルの大自然、そこに住まう現地の人の気質と、同じくそこに住んでいながら気質の異なる日系人との対比、気質の根拠等でしょうか。
アマゾン川の河口の川幅が330kmで、河口にある島の面積が九州とほぼ同じというのにまず度肝を抜かれます。本流へ入れば両岸とも岸は見えず、水平線しか見えないのはうなずけますが、計器のない小船はどうなるのか心配になります。
また、3ケ国に跨る大湿原の面積が日本の1.5倍の面積、2mのミミズの存在、この時からすでに始まっていたジャングルの乱開発や、人間に有用な魚の激減等に着目していることにも驚かされます。
最後にもう一つ、日本を出国後ブラジルへ着くと、心身の不調がすっきりと取れ、釣りが終わり帰る段になると、再び体の不調と憂愁が襲ってくるのは、現役時代の辛さを思い出します。
『オーパ!』概要
主人公 | 開高健 | 筆が進まず、ブラジル在住のファンの招待でアマゾン川の釣りを決意する。 |
脇役1 | 高橋カメラマン他同行者 | 選考基準は「どこでも寝られる、何でも食べられる、かつ助兵衛」 |
脇役2 | ブラジルの日系人の人達 | 苦労はしたが、今は成功している。但し日本人の気質は抜けていない。 |
脇役3 | ブラジルの現地の人々 | 日本人から見れば、時間にルーズでかつ怠け者。ただ、彼らなりの哲学がある |
舞台1 | アマゾン河の魚 | 巨大なピラルク、黄金のドラド、人食い魚カンジェロ、ピラニア他無数にいるが性質についての定説は無い。海の魚も多数。 |
舞台2 | ブラジルの大自然 | アマゾン河口の川幅330km、3ケ国に跨る大湿原の面積が日本の1.5倍、一方乱開発の気配もある。生涯でアマゾン河を見る人はブラジル人の1~2割。 |
『オーパ!』感想
「人はパンのみで生きるにあらず」と言います。
キリスト教での本来の意味は「パンの他に神の教え」とのことですが、ここでは「精神の安らぎ、お祭り」としておきましょう。
開高さんは作家の中でも、特に遅筆で有名であったようです。
夜中に一人で机の前に座っても何も浮かばない、筆が進まない。
ウイスキーをチビチビ飲みながら考えても同じこと、溜まる一方のストレス解消は、海外旅行と釣りであったようです。
釣りと海外旅行で英気を養い、ネタを仕入れていたようです。
そして「フィッシュ.オン」等いくつかの釣り紀行作品を発表し好評でした。
この作品は釣り紀行作品ですが、かなり本格的な釣りです。
舞台は地球の反対側ブラジル、それも大河アマゾン河、狙いは世界最大の淡水魚と言われるピラルクや黄金の魚ドラド等、装備も費用も情報の収集も大変です。これをクリアできたのは、開高さんだからという事でしょう。
まずブラジル在住の日系人読者からの招待と、情報提供の申し出、開高さんはサラリーマン経験もあり、スポンサーの獲得やその交渉力もあっただろうこと。
アマゾン河での釣り紀行作品となると、写真も重要になります。これは、ベトナム戦争取材時当時から、カメラマン諸氏とは付き合いがありました。
結果的にこの作品もかなり好評で、さらにモンゴルや南北アメリカ大陸を釣りながら縦断する企画まで拡大します。
私もこの作品は、自分が現役時代に繰り返し読んでいました。
成長期のブラック企業勤務でしたから、ストレス満載の頃でした。仲間との酒は束の間の対策にしかならず、釣りの方がより効果があったからです。
海釣りや磯釣りは波や風、日差しの中での釣りですが誠に気持ち良く、余計なことは考えません。疲れているので、釣果が無くても夜一杯やればぐっすり眠れます。
アマゾン河での釣りは想像するのも困難ですが、まず体力面は重労働でしょう。
でも釣りは重労働でも精神面は洗われ、すっきりするように思います。
この作品の見所は、開高さんの畳み掛けるようなテンポの良い文体は勿論ですが、魚も含めて、アマゾン河やブラジルの大自然、そこに住まう現地の人の気質と、同じくそこに住んでいながら気質の異なる日系人との対比、気質の根拠等だと思います。
ブラジル人の気質は,おおらかで怠け者という評価があるようです。金を摘まれても今日、金に困ってなければ働かない人が多いのを指しての評価のようです。
ただ、この本やその他の情報から考えると、余計に働かないのが当然という事ではないかとも思います。
日本では労働は美徳、キリスト教圏では「神の与えた苦役」、ブラジルでもキリスト教徒が大半のようです。ただ、2億人近い人口と世界中から集まった人たちで構成する国ですから、日系人が勤勉で働き者と評価されるようにそれぞれの母体により違いはあるのでしょう。
ブラジルに住む人の気質はさらに「時間にルーズでフレンドリー」と続き、また別の人は「秩序ある無秩序を好む」と評しています。
大自然の恵みで生きてゆくだけの最低限の食べ物は皆手に入る、暮らせるだけの金があればそれで良い、と考えるのは当然ではないかとも思います。
日本は、そこまで大自然に恵まれておらず、皆が協力して働かなければ食べて行けないから、勤勉で労働が美徳とされるようになったのだと考えれば、納得ができます。また世界中の人種が集まっているのですから、自分から働きかけないとスムーズに事は運ばない。
細かい違いを気にしても仕方がない、ということになるのでしょう。
最後に、釣師には有名な中国初の諺を考えてみます。
「1時間幸せになりたかったら酒を飲みなさい。3日間幸せになりたかったら結婚しなさい。
1週間幸せになりたかったら豚を殺して食べなさい。
永遠に幸せになりたかったら釣りを覚えなさい。」中国なりの誇張は感じますが、釣師の端くれとしては、酒よりも、豚よりも、釣りの幸せが長続きします。
開高健の人生
開高さんは、中学生の時に父が死去し、長男として一家の家計がのしかかってきました。
貧困生活や戦時体制で、授業よりは勤労動員や軍事教練、仕事の毎日であった中でも、向学心を忘れず、現実を見つめていた人だと思います。
中学生時代から大人の世界を覗き、大人の世界の矛盾点を感じ取ったのだと思います。
学生結婚と共に無職で父となるも、奥様の育児退職と引き換えにサントリーに職を得て、コピーライターとして活躍しています。
ベトナム戦争の取材では各国、組織、現地の人達の現実や矛盾、生きる事を学んだのだと感じます。
社会や組織の矛盾を突いた芥川賞受賞作「裸の王様」から、ベトナム戦争の取材を基にした「夏の闇」、そこから自伝や食などのエッセイ、釣紀行作品への変化は成程と思わされます。
そんな作家人生の中で行き着いたのが、「人間の原点」でありまた、「感動」であったのだと考えます。
開高さんの残した言葉の中に「人の一生の本質は25歳までの経験と思考が決定する」があります。
私も自身の経験から全面的に賛同できます。
さらに思う事は、繊細で神経質な開高さんが、中学生時代から貧困生活や大人の世界の矛盾点を見つめてきた。
その結果、その後のサラリーマン生活や、べトナム戦争の取材でも人間には「休息、感動」が必要であることを痛感するようになったのだろうという事です。
「感動を求めていた。或いは無理にでも感動を感じていた」気がしています。
そのあたりも念頭に読んでみれば、より興味が湧くと思います。
世界中どの国にも、大自然に感謝し重労働の日々の疲れを癒す、祭りや休日があります。
科学、技術が発達し人間は重労働から解放されつつありますが、科学技術の発達は、世の中の仕組みを変え新しいストレスも発生、増加しています。
また「人が生きる意味」は不変の命題であり、その一つの回答として「感激、感動」があります。
勿論、アマゾン河での釣りともなれば、誰でも経験できるものではありません。
でも読者は、自宅の居間で窓を開けて風を入れ、この本でアマゾン川の大自然の雰囲気に浸ることが出来ます。
以上、開高健『オーパ』のあらすじ、解説、感想でした。