『そば清』の紹介
『そば清(そばせい)』は江戸落語の演目の一つです。
『そばの羽織(そばのはおり)』という演題で演じられることもあります。上方落語の『蛇含草(じゃがんそう)』は類噺のひとつです。
滑稽話。演者によっては落ちで不気味な雰囲気を出すこともあり、不条理ホラーの要素も含んでいます。
5代古今亭志ん生、10代金原亭馬生、8代古今亭志ん朝がそれぞれ、名演を残しています。
現代の落語家では、柳家さん喬、柳家喬太郎も演じています。
『そば清』ーあらすじ
江戸のある蕎麦屋でのこと。
1人の町人が勘定を済ませて帰るところでした。
「おいしゅうございました。また来ます」。
見ていた町内の若い衆2人。平らげたそばの枚数に驚きます。
「見たか、10枚食ったぞ」
「この店は、盛りの良さで評判なのに、10枚はすごいや」
「どうだい、次、見かけたら賭けをしねーかい」
若い衆は、20枚食べ切れるかどうかのそば賭けを持ちかけようというのです。
翌る日。
「どうも」とやってくるそば食いの町人。
若い衆2人が声をかけると、最近この近くに越してきて偶然この店を見つけた。そばが大好物だといいます。
若い衆が、そば賭けを持ちかけます。20枚見事に食べきったら若い衆が、食べられなかったら町人さんが1分支払うという賭けです。
「20も食べられるわけがないですよ」
といいながら、町人はしぶしぶ賭けを受けます。掛け金は1分(いちぶ・現在の32,500円くらい)。
結果、若い衆の思惑は外れ、町人は難なく20枚のそばを平らげてしまいます。
「体の調子が良かったので食べてしまいました」という町人。1分を手に帰ります。
悔しいのは、若い衆2人。
翌る日、30枚で2分の勝負を持ちかけます。
「30なんて無理ですよ」
といいながら、昨日よりも早いペースで、30枚もぺろっと平らげ、掛け金の2分を受け取ってにこやかに帰っていきます。
それを見ていた、あるお客さんが若い衆に話しかけます。
「あんたたち、あの人が誰か知っていて、そば賭けをしているのかい?」と。
「知らないよ」と2人。
「ああ、だからあんな無謀な賭けができるんだ」と客は腹落ちした様子。
「いいかい。あの人は、江戸で評判のそば食いで、そばの清兵衛、そば清と呼ばれていて、普段から40枚や45枚は平気で食っちまうんだ。そば賭けで家を3軒も建てたんだから」といいます。
悔しいのは2人。食べられないといいながら30枚程度は余裕の賭けだったのかと気づきました。
「次は、50枚で勝負したらどうだ」という算段をします。
そして、次に会った日、清兵衛さんに、50枚で1両の賭けを持ちかけます。
1両といえば、13万円ほどです。
清兵衛さんは、さすがに50枚は自信がないので日を改めて、といい残して帰ります。
そのまま清兵衛さんは商用で信州に出かけました。
信州はそば処です。大好きなそばを食べながら仕事をしていたわけですが、山奥に名店があると聞き歩いていると、大蛇が猟師に食い掛かり一飲みに飲み込んでしまうところに出くわします。
さすがの大蛇も人1人飲み込んで腹が膨れて苦しそうにしていましたが、近くの草を舐めると膨らんでいた腹が小さくなりました。
楽になった大蛇はそのままどこかに消えていきます。
清兵衛さんは、「大蛇の胃薬みたいな草なんだな」とその草を摘み、これを使えば50枚でも60枚でもいけると企みます。
江戸。久しぶりに清兵衛さんがそば屋に顔を出します。
顔をみた若い衆が、50枚の賭けの噺をすると、大蛇が消化に使っていた草を持っていることで気が大きくなった清兵衛さんは60枚を提案してきます。
60枚で3両、ということになり、真剣勝負が始まったわけです。
清兵衛さんは、今までにない勢いで、そばを次から次へ平らげます。
でもさすがの清兵衛さんも50枚を超えたあたりから苦しくなってきます。
あと3枚というところで、どうにも腹がいっぱいになった清兵衛さん。
「ちょっと表の風に当たってきてもいいですか」と言い、すっかりそばで重くなった体で表に出ます(奥の間にいくという演者も)。
そして、例の大蛇が使っていた草をペロペロと舐めます。これでそばが消化されると清兵衛さんは思います。
とたんに静かになった表。
「清兵衛さん大丈夫? 死んじゃいないかい?」
と、若い衆が、扉を開けて見てみます。
すると、そこには清兵衛さんの姿はなく、そばが羽織を着て座っていました。
※清兵衛さんが食べるそばの枚数や賭け金は、演者によって変わります。
『そば清』ー概要
主人公 | 清兵衛 |
重要人物 | 町内の若い衆2人 |
主な舞台 | 江戸時代 |
時代背景 | 大食い競争や、酒合戦などの娯楽が行われていたおおらかな時代 |
上方の類話 | 『蛇含草』 |
『そば清』の面白さ
考え落ち〜「そばが羽織を着ていた」
『そば清』の落ちは、最初意味がわかりにくいのですが、気づくと面白さがわかるという考え落ちです。
野暮ったく説明しますが、
「大蛇が食べていた草を、清兵衛さんは強力な消化薬でなんでも溶かすと思って使ったのだが、実は、人間を溶かす草だった。だから、清兵衛さんが溶けて、羽織を着たそばだけが残された」ということです。
それに気づいて、「はっ」とする瞬間が、この噺の面白さです。
実はこの噺、落ちの理由を説明する演者と、説明せずに「そばが羽織を着ていた」とストンと落とす演者に分かれます。
古今亭志ん生は、「そばが羽織を着ていた」の落ちをさらりと流し、その理由を第三者の視点で語ります。
落ちを説明して終わるのです。それは、志ん朝にも受け継がれ、志ん朝はよりわかりやすく説明しています。
視点を考えると「じゃあ、その説明をしているのは登場人物の誰なんだ」という問題が生じます。
清兵衛さんが草を食べたことも、大蛇がその草を使ったことも、そこにいる誰も知らないわけですから。
金原亭馬生は、説明しないで終わる型をとっています。柳家喬太郎、柳家さん生も説明しません。
粋に格好良く考え落ちを突き放しながら、ニヤニヤして終わりたいという噺家の性分と、でも客にわかるようにサービスしたいという気持ちの間で、分かれるところですね。
大食い、大酒飲みを競う大会があるほど、大食漢が大活躍の江戸
江戸時代には、現在の大食い系番組やYouTuberのように、大食い大飲みが流行していたようです。
江戸じゅうから大食い自慢が集まり、飯、酒、蕎麦など食べる量を競ったそうで。
酒合戦という名で、東西に分かれて飲酒量を競う大会もあったそうです。
蕎麦の部門では、57枚や60枚、67枚という記録を出した大食漢もいました。
醤油の飲み比べというのも部門も開催されていまして、1等は3升飲んで100両の賞金を得たと伝えられています。
もっとも、優勝したあとに亡くなってしまったそうですが……。
この優勝者は、この後しばらくの間「バカの番付」の筆頭に挙げられていたというのですから、江戸時代というのもおおらかなものですね。
そのような大食い自慢が理由こうしていた時代が『そば清』の背景にあります。
賭け好きの町人たち
この話のポイントは、賭けです。
1分、2分、1両、3両と賭けをするわけですから、おおらかで豊かではありませんか。
しかも1両負けてもけろっとしているのが元気でいいですよね。
演者は、この「賭け」とかけそばの掛けをかけて、
「どうだい賭けをしないかい」「盛りそばなのに、掛けですか」
というネタを入れる人もいます。
武家屋敷などで隠れて行われていた丁半博打で借金を作る職人なども落語にはよく出てきますし、職人など町人には賭け好きが多く、日常的に何かと賭けの対象にしていたという、どうしようもない「業」が表れています。
蕎麦をたぐる芸が見どころ
この噺は、そば食いの見事な演技を楽しむのもポイントです。
そばの落語では、『時そば』が有名ですよね。ただ『時そば』では、そばについての蘊蓄を語る部分はあるものの、そばをたぐる描写はそれほど重要ではありません。
江戸では、そばは「たぐる」といいます。そばちょこのつゆに、ちょっとだけ浸けて音をたてて啜るのが粋とされていました。
『そば清』では、清兵衛が20枚から始まり、30枚、60枚とそばをたぐるシーンが演者の芸の見せ所となっています。
志ん生は速語りの人だったので、そばをたぐる芸はしていませんが(演じたことがあるかもしれませんが)、志ん朝、馬生はリズミカルで粋なさすがの芸を見せてくれます。
20枚枚のときの速さと30枚、信州から帰ってきてからの60枚と、テンポと音がどんどん変化していくのが、面白さを倍増させます。
『蛇含草』との比較
上方落語の『蛇含草』は、『そば清』の元になった噺だといわれています。
こちらは、そばの大食いではなく、餅の大食いです。
大蛇が人を飲み込んだときに、人を消化するために使うといわれている蛇含草という草を隠居から分けてもらった男が、隠居さんに餅を大量に馳走になります。
『そば清』同様に全部食べきれないので、その蛇含草を食べました。
隠居が心配になって見てみると、餅が甚兵衛を着て座っていた。という噺です。
こちらは、男が餅を大量に食べるシーンの芸が面白さとなっています。
3代目桂三木助が東京でも得意として演じていたといいます。
『そば清』―現代の聞き手では理解しにくい点
賭け金の価値
噺の重要な筋であるそば賭け。いくらくらいの賭けなのでしょうか。
そばの値段を基準にした現代との比較では、1両が約13万円だと言います。
演者によっては、信州から帰ったあとのシーンでそば50枚の賭け金を5両とする人もいますので、その場合65万円という大金を賭けていたという感じですね。
最初に賭けた1分が1/4両ですので32,500円くらい。2分で65,000円。ちなみに、そば1枚は16文として約520円ということになりますね。
※江戸時代も時期によって大きく貨幣価値が変わりましたので、あくまで一例としてお考えください。
そば屋
江戸時代のそば屋は屋台型と店舗型とがありました。
屋台型は、時代劇などにも出てきますが2つのやぐらをつないだ移動式のもので、主に夜間に売り歩いたといいます。
狭いのに丼から材料までコンパクトに収められていました。
寅の刻といいますから午前3時から5時あたりまで商売していたようです。
まさに江戸のファーストフード。手頃な値段でちょっと食べるのに最適だったと思われます。
『そば清』ー感想
したたかな清兵衛と、懲りない若い衆。
清兵衛を気が弱く自信なさげな性格に描くことで、自信たっぷりに負ける賭けを持ちかけてくる威勢のいい若い衆との対比が強調されるところが、面白さだと思います。
若い衆といえば、町内である程度幅を利かせている男たちでしょうから、鳶や大工など威勢の良い商売に従事している人でしょう(演者によって、それぞれのキャラクターづけは変わってきますが)。
若い衆は、次は勝てると思って枚数を増やして賭けに挑むわけですが、清兵衛は絶対に食べられないといいながらぺろっと余裕で食べてしまいます。
最初の賭けでは、若い衆のほうが騙されているようなものです。
清兵衛の正体を知らされると、その関係性ががらりと変わります。
なにせ、今まで賭けていた枚数なんて清兵衛にとっては、限界までまだまだ余裕があったわけですから。
でも、若い衆はかなわない賭けをさせられてきたことに、腹を立てるわけでもなくさらりと流すわけです。
ここが江戸っ子の気質でしょうか。責めたり糾弾したりするのは野暮なことで、過ぎたことには頓着せずに先を楽しもうとする。
この若い衆の性格が、噺を盛り立てる鍵ですよね。
賭け金が3両ともなると、職人や大工の給与でも大変な額です。
演者には、仲間からかき集めてきたとする人もいます。
威勢よく粋に賭けを持ちかけているのですが、負けたときのことをあまりくよくよと考えないさらりとした江戸っ子気質があるため、このやりとりが面白いのだと思います。
大蛇はウワバミとも呼ばれ、それが出てくるだけでワクワクしますよね。
『西鶴諸国はなし』の中「十二人の俄坊主」では、人間12人が川で大蛇に飲み込まれて尻から放り出されると、みんな髪の毛が抜けて坊主頭になったという落ちになっていたりしますが。
ですので、清兵衛が目撃した、猟師が大蛇と対峙したのちに食べられて死ぬという内容も、深刻に考えずに江戸時代ならではの大げさな馬鹿話として捉えたほうが良いですね。
そして、この噺の「考え落ち」は、見事です。
人間が溶けてしまったことに、登場人物がまったく気づかないまま清兵衛さんが消えるわけですから。
大量のそばは、まだ食べられたばっかりなのでツユの香りがあたりに漂っているでしょう。それを着物が包んでいる。グロテスクでもあり滑稽でもあります。
『頭山』のシュールと『粗忽長屋』の不条理が合わさったような感覚のシーンですが、若い衆や店の客たちが恐怖を感じるわけでもなく、驚くわけでもないのです(そういうところは描かれていない)。
猟師の死がさらりと描かれるのと同様に、清兵衛の死も死を感じさせずに「消えた」ものとして伝えられる
その清兵衛が消える瞬間、少しの余韻とともに噺がすっきりと終わるわけですから、観ていて本当に気持ちの良い噺ですね。
※若い衆として演じる演者もいれば、そば屋の常連の優しい町人として描く演者もいます。