『夏の闇』あらすじ&解説|開高健「闇」3部作の最高傑作

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『夏の闇』あらすじ&解説|開高健「闇」3部作の最高傑作

開高健『夏の闇』紹介

この作品は、故開高健氏の「闇3部作」で、「輝ける闇」に続く2作目の作品です。

1作目の「輝ける闇」は「私」がベトナム戦争取材を題材にして、開高氏の終生のテーマ「人間とは何か」を追求し、相も変わらず同じような理由で戦争を繰り返す人間の愚かさを考察しています。

『輝ける闇』あらすじ&タイトルの意味を解説|開高健の従軍経験も紹介

『輝ける闇』のあらすじ&解説を紹介します。開高健さんは1964年、34歳の若さでベトナム戦争に朝日新聞社の派遣員として南ベトナム政府軍、米軍合同軍に従軍しています。その時にベトコン側の待ち伏せ攻撃に会い、部隊200人の内生存者17名という悲惨な体験をします。

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本作では、私の他に愛人である女性が登場しますが、最後では1作目と同様最後にベトナム戦争も舞台になります。

ただ、物語の大半は二人が同棲し、それぞれ相手を必要としながらも分かり合えない部分も多い、男女のやりとりの模様が大半です。

毎日セックスに耽るが、私はベトナム戦争取材後、魂が抜けたようになっており、毎日のセックスの他は飲み食い、眠るだけ。

女は日本を捨て、異国で苦節の末ほぼ掴んだ成功を彼に報告し、喜びを分かち合って欲しいという願望があります。

お互いを求めながらも、それぞれの、男と女の心のすれ違いがあります。

予想通り私は最後に再びベトナムへ行く決意を固めるのですが、それは最初から決めていた事のように映ります。

シリーズ第2作目のこの作品は「開高氏の最高傑作」とも評され、自身でも「第2の処女作」と語っています。

自分の作家活動の中でも転換期でもあり、世界では相も変らず戦争が続き、古い体制や価値観の見直し等で世界が鳴動している。

そんな中、日本だけは束の間の平和を当たり前のように受け止め、豊かになることのみに没頭している。

そのような日本に一石を投ずる意味もあったようです。

シリーズ3作目は残念ながら未完成に終わりましたが、開高さんは1.2作の戦争や深刻な話とは180度変えて「破壊的と言えるほど徹底的に怠ける人間を書きたい。日本人が3百年間の平和を享受した江戸時代に、退屈をどうやり過ごしたのか知りたい。代表者として、住吉神社で一昼夜の間に2万5千句の徘徊を詠んだ井原西鶴を呼び出してどうしてそんなことが出来たのか知りたい」とも語っています。(1972年3月号「波」掲載の「夏の闇の意味するもの」と題しての対談より:対談相手は文芸評論家佐々木基一氏)

意味のない戦争を繰り返し進歩しない人間、人それぞれに考えがあり、人それぞれに立場や価値観が異なる、男と女の心、人間の心の真実を知りたい。

日本には3百年間平和な時代があったのだから、その時代の人の心まで探求したいのでしょう。

闇シリーズが3部とも完成すれば「漂えども沈まず」のタイトルを予定していたと言います。

この言葉は、戦乱の続いたヨーロッパで生まれたもので、パリ市の紋章にも書かれており、意味は「強い風で船が揺れても沈まなければよい」とのことです。

私は個人的には歌になぞらえて「生きてりゃいいさ」と解釈しています。

愚かな戦争を繰り返すのも人間、人それぞれ、男と女、国と国、お互いが必要ではあるが時には邪魔にもなる。

人間とは何か、善悪とは何か、そんな、時には相反する存在の狭間で揺れ動きながら人は生きてゆく。そんなところを掘り下げたいのだと思います。

開高健『夏の闇』あらすじ

作家である主人公「私」は、最初のベトナム戦争取材で最前線まで従軍し、部隊がほぼ全滅する中で九死に一生を得た。

その後、自分を見失い倦怠感に襲われ出口が見えなくなり、あちこち旅をするが何の解決にもならない。

初夏のパリにいるが、人々はバカンスに出かけ、街は閑散としている。そんな中で必要最小限の買い物の他はカーテンも閉めてひたすら眠るだけ。

そんな時に昔の愛人から連絡があった。

彼女は学閥や日本流のしがらみ,孤児であること等から日本では受け入れられず、日本を捨て苦節の末に外国で成功がほぼ確実になった。

私の拠点地パリや彼女の現在の拠点西ドイツのボンで同棲し、ひたすらセックスに溺れるが、私は、飲み、食い、ひたすら眠り、彼女の願望でもある学術関係者との交流も断り閉じこもる。

彼女は、私が唯一興味を示す釣りに誘い出し、湖でのパイク釣りで私は一時生き返った気配があったが、彼女とはすれ違いがある。

やがてベトナム関係の記事「北側の大攻勢の気配」を読むと俄然目が覚める。彼女は懸命に引き留めを図るが、予測通り私は再び戦場の取材に赴く決意を固める。

『夏の闇』概要

主人公 「私」 中年作家、ベトナム戦争の苛酷な取材後自分を見失い、旅を続けているが方向が見えてこない。
共演者 愛人 日本を捨てたが、外国で成功がほぼ確実になっている。10年ぶりに「私」に会いに来る。
舞台 私の拠点地、パリ、及び愛人の拠点地、ベルリン、ボン 私は、自分を見失い、あてどの無い旅を続けるが、方向が見えてこない。愛人は成功を確信し、それを男にも認めて祝福してもらいたく連絡をしてくる。
状況 同棲後は毎日セックス浸りだが、その他には私は眠ることしかできない。お互いを必要としながら、微妙にすれ違う男と女のやりとりが描かれる。

舞台は、パリと西ドイツのボン、ベルリンだと考えられます。

そこでの、私と彼女とのやりの描写が殆どすべてです。

主題は「人間とは何か」でしょうが、その中で私の心、彼女の心、特に彼女の心の変化に力を置いているように思います。

私の心は、釣りや戦争等人間の根っこの部分以外には反応しない。

一方、彼女は苦節10年の末ほぼ成功したが、日本を完全には捨てられず、女を完全には捨てられず、自分の成功を認めて欲しい気持ちもある、子供も欲しい、そんな情景が開高さんの豊かな語彙で語られます。

開高健『夏の闇』解説

開高氏は、1958年、28歳で芥川賞を受賞します。

その時に誓ったのは「日本文壇には、抒情と告白、孤独とセックス、そして観念しかない」ので、約10年間は自分にふさわしくないテーマを選ぶ、と語っています。

この作品を「セックス、革命、流血」と捉えられることを承知の上でベトナム戦争を舞台にしたのは、日本国民があれほど騒いだベトナム戦争のことを忘れ、敗戦から僅か25年間の平和で、戦争の意味も平和の意味についても何も考えなくなっていることへの危機感もあったとも言います。(「1972年3月号、波『夏の闇』の意味するもの」タイトルでの対談参照:対談相手は文芸評論家、佐々木 基一)

日本の戦後はとにかく経済復興が第一で、高度成長期になると「明日は今日よりも豊かになれる」と懸命に働きました。

一部に学生運動や安保反対闘争はありましたが、日本全体を巻き込むほどの力はなく一時的なものでした。

一方外国、戦勝国フランスを例にとると旧植民地ベトナム他との独立を巡っての戦争が続き、敗れ、国内でも政治闘争や、労働者や若者を中心に古い価値観に反発するデモやストライキが頻発しています。

豊かな国アメリカは、世界の警察官として、自国の方針と異なる国や地域に軍事干渉しますが、根本的な解決にはならず、国内でも反戦運動や人種差別反対運動等矛盾を抱えます。

開高さんは戦時中、中学生の時に米軍機からの機銃掃射も体験しています。

戦後平和なのは日本だけ、その束の間の平和を当たり前と受け止めて豊かさのみを求める日本人の姿に危機感を感じたのでしょう。

元々が繊細で神経質な性格であり、何事も突き詰める人であった開高さんのテーマは、終生「人間とは何か」であったと言います。

戦争の愚かさだけでなく、人の心、男と女、生きること、もし平和が来るのなら平和な時代の人の心はどうなるのかということまで追求したかったようです。

上述の通り「闇3部作」の2作目の作品であり、開高作品の最高傑作とも評価されています。

その理由は、単純なストーリーの中で男と女の、人の心の動きを見事に描いていることでしょう。

細かい緻密な描写や開高さん特有の豊かな語彙の使用、釣りや分断されているベルリンの南北双方を走る高架鉄道などの小道具を用いて、補強されているように感じます。

パリの街並みの描写の細かいことには驚きます。

最近1週間パリにいたのですが細部は覚えていません。

セーヌ川の護岸に無数の小穴が穿たれていたのか、寺院の屋根に怪獣らしき動物は見たような気がするが、口を開けていたか否か、そこまで観察する観光客は見かけませんでした。

『夏の闇』感想

この作品の主題は開高作品に共通の「人間とは何か」でしょうが、登場するのは私と愛人女性だけです。

私は、ベトナム戦争取材で九死に一生を得る経験をした後は、自分を見失い旅行を続けるが、住民はバカンスに出かけ空っぽのパリの街でひたすら眠るだけの生活。

女性は有能であるが学閥等日本流のしがらみで日本では芽が出ず、日本を捨てドイツの大学で東方研究員として苦節の末成功が見えてきたところ。

読者として、私が掘り下げてみたいのは、「私」の心と、女性の心、加えて開高さんの語彙の使い方と、世界の中での日本の特異性です。

まず女性の心は比較的わかり易く、解釈の相違はあまり出ないでしょう。

日本では孤児として生まれ、才能はあるがいくら努力しても学閥等古いしがらみに阻まれ、日本を捨てて外国に生きる場所を求めた。

苦節の末成功が見えてきたので、日本時代に力になってくれた「私」に会い認めてもらいたい、成功を確認、実感したい、ということでしょう。

ただ、「私」の心は別の所にあり、本能のみ、セックスと、飲み食い、眠るだけになっておりどうしてもそこから抜け出せない。

成功を確信し、日本や日本人の悪口を繰り返す彼女に放った言葉が「博士になったら日本に復仇できる。でも日本を憎めなくなる、その後何にすがって生きてゆく?」です。

これは双方にとって残酷な言葉です。

彼女は「何かを得るためには何かを捨てなければならない」と思い、やってきたが成功が見えた今、痛切に子供が欲しいと思う。

一方「私」は、久しぶりの釣りでは自分を取り戻し、生きていることを実感するがベトナム戦線での北側の大攻勢のニュースを知ると、当然のように心はベトナムに向かいます。

女の言葉です。「あなたは腐るのがイヤなばかりに独楽みたいに回転し続けてるってわけね。回ってる間は立っていられる。止まったら倒れる。ご苦労様、だ。いい気味だわ」。

何処までも突き詰めなければ気が済まない、開高さんを的確に表す言葉だと思います。

日本は束の間平和でひたすら経済発展に邁進しているが、世界では戦勝国でも旧植民地との戦争が続き、アメリかは世界の警察官として、自国の信念に基づき世界中で軍事介入している。

フランスでもアメリカでもそれに対する抗議行動が起こります。

古い体質に対する若者の抗議活動も活発になります。

軍事介入も根本的な解決にはならず、その国の弱者を痛めつけ、新たな紛争の火種を生むことにもなります。

最近ポルトガルとパリを訪れる機会がありました。日本の特異性が少し分かった気がします。

大陸では川の向こうが隣国、数ケ国と国境を接している、同じ集落でも農業用水での争いがあるように国単位でも争いの種は無数にある。

大国同士の戦争があれば、小国は何時も巻き添えを食って踏みにじられる。

日本は大陸から適度に離れた島国であり、外国からの侵略はまずない。

気候も温暖で真面目に働けば何とか生きてゆける、

そんな中で、大自然を崇め、和を重視する国民性が生まれたという見方があります。

またよく言われる「日本人は水と安全はタダだと考えている」や、「水に流す」も同様だと考えます。

そんな状況で、人間が考えるべきことは何かを確認し、知らしめたかったのだと思います。

戦争とは、生きるとは、男とは、女とは、個人と組織、国と国との関りは、平和な時は来るのか、それはどういう時か、そこでの人の心、暮らしはどうなるのか、そこまで知りたかったのだと思います。

開高さんの作品は、エッセーも含めて豊かな語彙で展開されますが、この闇シリーズは特にそれを感じます。

豊かな語彙は解釈が難しいが、あまり簡単になれば面白味がなくなる、ここはじっくりと開高さん流の言葉の使い方、意味を学んでみましょう。

まず一例です。彼女の案内でドイツ、ボンへ行った時の、夜景の描写です。

「私は闇に凝縮された勤勉で禁欲的な首府の深夜を眺めることにふけった。いくつかの広場があり、並木道がたくましい下枝の影を舗道に沁ませ、ネオンは音なく叫びたてているが、酒場、料理店、服飾屋店などに清潔な灯りは輝いているものの、佇む人影もなければ,それをめざして広場をよこぎっていく人影もない。」

まず解釈が難しいのは「凝縮された勤勉で禁欲的な首府の深夜」でしょう。

私は「一切の飾り気のない建物群」をイメージします。

もう一点、漢字の使い方です。

意図的にひらがなを使用しているように感じますが、漢字とひらがなの使い分けが分かりません。

もう一つチャレンジしてみます。「夏が膿んでいる。夏は熟するというよりは膿んできた。」という表現があります。

膿むとは、ばい菌が体内に侵入し化膿することですし、熟するは、充分な状態になることです。

それならこの文章の意味は、夏が充分な状態より行き過ぎて悪い状態になったということですが、暑すぎることか、天気が不安定なことか、私にはわかりません。

私は今古希ですが、現役時代のストレス解消は、釣りと開高さんの「オーパ」や「フィッシュ.オン」等を読むことでした。

但し小説は重すぎて歯が立ちませんでした。

釣りは、波の揺れや川のせせらぎ、鳥の鳴き声等で余分なことは考えません。

釣りは、多分人間の本能でしょうから誰もが興味を抱けるでしょう。

釣りや「オーパ」は酒よりも長く効き目がありました。

またこの闇シリーズに予定していたタイトル「漂えど沈まず」は、本来「船が揺れても沈まなければそれでよい」という、戦乱や飢饉等あらゆる厄災も乗り越えて生きてきた人間への応援歌でもあるようです。

人生の中で一度は読むべき本だと考えます。

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supamari

ポスト団塊の世代で、4人男ばかり兄弟の末っ子、親も心配するほどの引っ込み思案な子供でした。小学入学前から高学年になるまではエジソンや一休さん,源氏物語や今昔物語、グリム童話等20冊程度でしたが、繰り返し読んだので今でも覚えていることが多々あります。以降乱読の時代を経て、エッセイの時代。最近は、ノンフイクションや遺伝子関連、池上彰さんの解説本、地政学、現代の知の巨人と言われるAPU(立命館アジア太平洋大学学長)出口氏の本当が中心になっています。出口氏の「物事の判断は、縦横算数、歴史、世界、データ、で考えろ」という意見に成程と思いました。地元の新聞への投稿等もしていますが、世界の課題、テーマが重く後回しにしてきた作家(開高健)等をじっくりと読み、またまとめてみたく思います。