『杏っ子』について
「ふるさとは遠きにありて思ふもの」
金沢出身の詩人・室生犀星の詩『小景異情(その二)』の一節です。聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。
室生犀星は詩人として有名ですが、小説も多く残しています。
今回解説する『杏っ子』は、そんな室生犀星の自伝的長編小説です。
『杏っ子』のあらすじ
1889年、主人公の平山平四郎は金沢で生まれました。
父は足軽組頭、母はその女中だと言われていますが、実際に会ったことはありません。
平四郎はいわゆる「妾の子」。
生後間もなく、青井おかつという女性に引き取られたのです。
おかつは事情のある子どもたちを引き受け、養育費をもらうことで生活していました。
酒に溺れ、暴言を吐き、暴力を振るうおかつとの暮らしは過酷なものでした。
成人した平四郎は、文壇で地位を築きます。
やがて東京で家庭をもち、娘が生まれました。
名前は杏子(きょうこ)。愛称は杏っ子(あんずっこ)です。
しかし杏子が生まれて4日目、関東大震災が一家を襲います。
平四郎は家族とともに金沢へ疎開し、自分の過去と向き合うのでした。
1948年、杏子の結婚が決まりました。相手は戦時中に軽井沢で出会った漆山亮吉です。
亮吉は小説家志望ですが、なかなか芽が出ません。
結果を残せない苛立ち、有名作家の舅に対する劣等感。もともとの酒癖の悪さも手伝い、亮吉は酒に溺れていきました。
ある日、平四郎の魂とも言うべき庭に亮吉がつばを吐いたことで騒ぎとなりました。
これまで耐え忍んできた杏子でしたが、熟慮の末、離婚を選択します。
最後に平四郎は、娘の新しい生活を祝福するのでした。
『杏っ子』ー概要
前半部 | 後半部 | |
物語の主人公 | 平山平四郎 | 漆山(平山)杏子 |
物語の重要人物 | 青井おかつ 平山杏子 |
漆山亮吉 平山平四郎 |
主な舞台 | 金沢、東京、軽井沢 | 東京、軽井沢 |
時代背景 | 明治22年(1889)~10数年間 大正12年(1923)~昭和23年(1948) |
昭和23年(1923)~昭和29年(1954) |
作者 | 室生犀星 |
『杏っ子』の解説
・物語を流れる川
『杏っ子』には川が多くでてきます。
- おかつに引き取られた平四郎と、実母とを分かつ「大河」
- おかつに反抗する平四郎が飛び込む「濁波」
などです。
また、必死に一人前になろうとする若かりし頃の自分の姿を、平四郎は「見よう見真似で聡明な人間の岸辺にむかって泳」ぐ狸にたとえています。
杏子は泳ぎこそしませんが、川べりに佇む場面が印象的です。
新婚初夜の後、杏子は旅館のそばの河原で自問自答します。
亮吉と最後に出会うのも、川べりです。杏子は夕映えの美しい川べりで、離婚を決意したのでした。
・「水」の役割
川だけでなく、作中では「水」をイメージするものが大切な役割を果たします。
幼少期の平四郎を苦しめたものの一つがおかつの「酒」であり、結婚後の杏子を苦しめたものも亮吉の「酒」でした。
杏子は結婚前に何度かお見合いをしていますが、そのたびに相手と「池」を散策します。
離婚のきっかけとなった「つば」は、人間の内なるものが詰まった水といえるでしょう。
『杏っ子』において、川は人生の象徴なのかもしれません。
平四郎は荒れた大河のような人生を泳ぎ抜き、岸辺へ辿り着きました。その岸辺でうまれたのが、杏子です。
杏子の川は、結婚を機に流れ始めます。それまでは、水を湛えた池が杏子のそばにありました。
杏子は辛い結婚生活を経て、離婚を選択します。
その選択が正しいかどうかは、「美しい川べり」が暗示しているのではないでしょうか。
杏子と亮吉は、川べりを逆に歩いて別れます。男女が戦い抜いたあとの、穏やかな別れでした。
母へのあこがれ
『杏っ子』は室生犀星の自伝的小説であるため、平山平四郎のモデルは犀星自身です。
基本的に人間は、自分が生まれる前、生まれた直後の両親の様子を知りません。
両親が健在であれば当時の話を聞くことがあるかもしれませんが、犀星は生涯、実の両親を知らないままでした。
しかし『杏っ子』には、平四郎の実母であるハルが、平四郎を手放したくないと抵抗し、平四郎の幸せのために奔走する場面が描かれています。
これは犀星の母へのあこがれであると同時に、自身の生の肯定なのではないかと思うのです。
自分は愛されて生まれてきたのだという空想。これが平四郎=犀星の生きる原動力となったのではないでしょうか。
父と娘の物語
『杏っ子』は前半と後半の二つの物語に分けられます。
前半は平山平四郎の出生から杏子の縁談まで、いわば平四郎の人生の物語です。
対する後半には、杏子の結婚から離婚までの苦労と葛藤が描かれています。
平四郎と杏子の共通点
平四郎と杏子には、いくつかの共通点があります。
- 生まれてすぐの困難
- 母の不在
といった点です。
・生まれてすぐの困難
平四郎は私生児として、生後間もなく実の両親から遠ざけられます。
生涯、両親と触れ合うことはありませんでした。
杏子もまた、生後4日で関東大震災に被災します。
疎開の足手まといとなる杏子を抱え、平四郎は、子どもを作る時期を間違えたと苦々しく思うのでした。
・母の不在
前述のとおり、平四郎は実母を知らずに育ちました。
杏子の母は杏子が女学生のとき、脳溢血に倒れます。命こそ取り留めたものの、後遺症が残ったのでした。
また、杏子自身も母になる道を選びませんでした。
父と娘の出生が、やや形を変えて繰り返されるのです。
仲睦まじい父と娘の生活は、娘・杏子の結婚により変わっていきました。
平四郎は実家の父というポジションに落ち着きます。
程よい距離感を保ちつつ、杏子の良き相談役となるのです。
離婚を決めた杏子に、平四郎はこう言います。
それもそうだが喧嘩しながら昔どおりに暮そうよ。君は娘だし、おれはおやじという動物だし、巧く暮していけるよ。
室生犀星『杏っ子』
娘が離婚するにもかかわらず、優しく、どこか嬉しそうな平四郎。
一卵性母子という言葉がありますが、平四郎と杏子の場合はその共通点もあいまって、一卵性父子の関係が形成されているのかもしれません。
『杏っ子』の感想
・ままならない人生をどう生きるか
平山平四郎の人生は、幼少期から順風満帆ではありませんでした。
だからこそ、作品の随所に平四郎の「生きるための哲学」のようなものが散りばめられています。
なかでも、嫁ごうとする杏子と平四郎との会話が印象的です。
我々貧乏人は千円をこなごなに砕いて、そのかけらで、想像も出来ない生活の設計が出来上がるんだ、(略)印度林檎を一箱買う奴はその美しさも、詩情も喜びも持てない、夏蜜柑一つだって座敷の真中に置いて見たまえ、いかなるものも圧倒されるし、よく考えると此の小さい奴の威張らない美しさに負けてしまう。
室生犀星『杏っ子』
この台詞のあと、平四郎は身近なものに潜む美しさを見出すこと、そこに生活の面白さがあると説きます。
それを聞いた杏子は、
”この世は総天然色だわね”
と答えるのです。
自分の力ではどうにもならないことが多いのが人生です。
しかし、せめて自分の力の及ぶ範囲だけでも、明るいものにしたい。
平四郎の人生哲学は杏子だけでなく、今を生きる人々の背中を押してくれます。
物語を彩る実在の作家たち
平山平四郎の友人として、
- 芥川龍之介
- 菊池寛
- 堀辰雄
- 佐藤春夫
- 百田宗次
など、実在の作家が登場します。
いずれも室生犀星と交流のあった作家たちです。
なかでも芥川龍之介、菊池寛、百田宗次は平四郎と会話をする場面があり、その台詞にそれぞれの個性があらわれています。
どのくらい現実に忠実なのかは分かりませんが、文学好きにはたまらない演出です。
大河の一滴の美しさ
『杏っ子』は長編小説です。
しかし新聞連載であったため、短いエピソードが連なって、ひとつの作品を作り上げています。
私生児・平山平四郎の一代記と読む方、酒に溺れる亮吉に共感する方もいるかもしれません。
60年以上に及ぶ父と娘の物語は、さながら大河のうねりのようです。
その大きな流れを楽しむのも良いですし、大河を作る一滴の水=平四郎と杏子の日々の暮らしから美しさを見出し、愛することも『杏っ子』の醍醐味なのだと思います。
以上、『杏っ子』のあらすじ・解説・感想でした。